第10話 つかの間の休息





「―――ふが。………んあ、ここはどこだ?」


 重い身体を起こし、辺りをぐるりと見渡す。そこはさほど広くもない空間に、所せましと奇妙な形をした物体が置かれていた。

 見慣れた景色に、寝慣れた古めかしいベッド。


「俺ん家か……つーか腹減った」

「あ、ヴァンさん!」

「ん、うお――!」


 その声に振り向くと同時に勢いよく飛びつかれた。


「よかった……私、このままもう眼を覚まさないんじゃないかって」

「ぬぐぐ、おいユウナ。わかったから、離せって……く、苦しい」

「え……あっ、ご、ごめんなさい!」


 心配のあまりに起き上がったばかりのヴァンを力の限り抱きしめてしまったユウナ。肩を叩かれて我に返ったユウナは直ぐに離れる。 


「私、その、そんな、つもりじゃなくて……あの、本当にごめんなさい!」


 あっという間に熟した果実のように真っ赤な顔をしてから、しどろもどろに何度も謝る。

 どうしてこんなに謝ってくるのかわからないヴァンは、ぼーっとする頭をかきむしる。一体何がどうなって、自分はここにいるのか。

 首を傾げる姿を見て、少し落ち着きを取り戻したユウナは、一度深呼吸してから説明する。


「あ、あの……ヴァンさんは〈あの人〉が姿を消してしまったのと同じくらいに、その場で倒れてしまったんです」


 そうか、気絶しちまったのか。とようやく納得がいった風にうなずく。


「それから自警団の皆さんがここまで……あ、その自警団の皆さんを呼んできてくれたのはエレインちゃんみたいですよ」

「おぉ、エレインが呼んできたのか。あいつ頑張ったなぁ」


 自警団がある場所は、エレインと別れた場所からそう離れていない所ではあったが、幼い少女の身体ではなかなかの距離があった。兄たちの為に懸命に走り続けて助けを呼びにいったのである。


 エレインに貸し作っちまったなぁ。今度、面倒くさいけど遊びに付き合ってやろう。ぬいぐるみで遊ぶのはまっぴら御免だけどな。

 そんな事を考えながらも、腹の虫は豪快に音を鳴らす。いつもの何倍も身体のエネルギーを消費した事もあるかもしれないが、窓から差し込むオレンジ色の光がそろそろ夜が近づいてきていることを教えてくれる。




 傷の男が炎と共に姿を消した後、ヴァンはぷつりと糸の切れた操り人形のように倒れた。その場にいたものは一時は心配したものの、大きないびきが聞こえてきた事にほっとする。

 自警団は謎の男の追跡を試みたが、煙に巻かれてしまったように男の姿は見つからず、住民からも大した情報を得ることはできなかった。


 簡単な状況説明を求められたユウナだったが、どこからどこまで話せば良いのか判断できなかった。そんなユウナの様子に、それとなく感づいたアルガが助け船を出し、適当な理由を話した結果「他所からきた凶悪な人さらい」という見方が濃厚となった。日常茶飯事というわけでもなかったが、親のいない子供たちが少なくないこの町に、手あたり次第にさらって奴隷商に売り払おうとする輩が来たことがあった。その一件もあった為、アルガの言うことにも信憑性を感じたのだろう。


 駆けつけて来てくれた自警団の一人にトールと面識がある者がおり、気絶したヴァンをこの家までおぶってくれることになった。それに付き添うようにしてユウナもここまでついていく。道中、何かと質問されることがあったが、当たり障りのない返事をしてやり過ごす。自警団の一人も、先ほどのショックもあることだろう、と多くを追及することはなかった。




「あ、お腹空きましたよね……あの、よければ私何か作りましょうか?」

「え、ユウナって飯作れんのか? だったら頼む、腹減りすぎて今にも死んじまいそうだぁ」


 へなへなとベッドに横たわる。空腹に苦しむ姿は、廃工場内での戦いの最中よりも険しいものに見えたユウナは、くすりと笑う。


「えと、大したものは作れませんのであんまり期待しないでほしいんですけど、それでもよければ……―――その前に片付けしないとですね」


 台所にどうすればここまで積みあがるのか、という絶妙なバランスで積み上げられた食器、ではなく魔道具の部品に使われるのだろうガラクタやごみの山。とてもこのままでは料理などできるはずもない。重いガラクタなどはヴァンに手伝ってもらいながら、なんとか料理ができる程度には片付く。

 今度は材料を探すことになるが、棚には必要最低限の調味料と所々傷んだ野菜が少し。作ると言った手前どうにかしたい所だが、ユウナは小さな声で唸りながら頭を悩ませる。


「……これは、なんでしょうか?」


 部屋の隅に置かれた大きめな壺に眼が留まる。かぶさっている布を取ってみると、甘酸っぱい匂いが部屋に充満する。

 いちはやく鼻の利くヴァンが気付く。


「んん、ああそれこの前、森で採ってきたやつだ……もう腐っちまったか?」

「いえ、まだ大丈夫みたいですよ」


 壺に沢山入っていたのは、甘酸っぱい匂いを放つ赤く熟れた〈ブランの実〉。この実は採取してから少し経つとさらに甘味と風味が増し食べごろを迎える。また日に当たらない場所で保存しておけば、驚くほど日持ちする為、保存食として貯蔵している家庭も少なくない。


「うん、ちょうど食べごろみたいですね。はい、どうぞ」


 壺の中から一つ取り出してヴァンに手渡す。何のためらいもなくかじりつくと、口いっぱいに甘酸っぱい香りが広がり歯触りの良い果実が口の中で踊りだすようだった。噛めば噛むほど果汁が溢れだし、さっぱりと甘味が後を引く。


「うんめぇ! 腹が減ってたところにちょうど良く見つかったな、もっとくれ!」

「えと、すいません。これを使って料理しようと思うので、もうちょっとだけ待ってもらえませんか」


 一瞬、悲しそうな顔をしたヴァンに心が痛んだユウナだったが、無言でベッドに戻っていくところを見てから急いで調理にかかる。

 大きな鍋を用意し、焜炉に置いてはみるが薪をくべる場所が見当たらない。その代り出っ張った小さな丸いボタンがあることに気付く。


「このボタンはなんでしょうか……あ、すごい!」


 薪を用意し火をくべる必要もなく、ボタンを押すだけでいくつかの小さな穴から火が吹き出す。ボタンを回せば、ある程度の火力を調節できるようだった。

 これはきっと魔道具の一種に違いない。なんて便利なのだろうか。改めてトールへの尊敬の念を感じずにはいられない。

 他にも何か目新しい魔道具による調理器具が見つかるかもしれないと、好奇心から辺り探そうとしたが、抗議の声を上げるかのようにベッドの方から大きな腹の虫が叫び声を上げているのが聞こえ、慌てて調理を再開することにした。








「―――お待たせしました」


 湯気が上がる皿をテーブルに並べる。もちろんヴァンの分は言うまでもなく大盛にしてある。


「うっほー美味そうだな!」


 じゅるりと、よだれを拭いながら席に座る。


「ブランの実と残っていた野菜を使ってスープを作ってみました……あの、本当に大したものじゃなくて申し訳ないです」

「……ずずず。もぐもぐ……んぐ。ぷはぁ、めちゃくちゃうめぇなこのスープ! あんな何もない所からこんな美味いもん作れるなんて、まるで魔法みたいだ!」


 思ってもいなかった予想以上の褒め言葉に、ブランの実が溶けたスープよりも頬を赤く染める。照れ臭いのと恥ずかしさで言葉が出てこない。そのまま無言でスープを食べ始める。

 確かにユウナは自分でも思っていたよりも美味しくできたとびっくりする。よほどブランの実の熟成期間が丁度良かったのか、もしくはトールの秘蔵の干し肉を出汁代わりに入れたのが功を奏したのかもしれない。


「あの、トールさんの干し肉を勝手に使ってしまって本当に良かったのでしょうか」


 これも使えるんじゃないか、とどこからか持ち出してきた干し肉。今にも食いつかんと我慢するヴァンから手渡されたそれは、何かで燻された香ばしい匂いのする上等品だということがユウナにはわかった。ヴァンに勧められるがままに少しだけ切り落としてスープの中に入れてしまったのだ。


「もぎゅもぐ、んあ、そんな事気にしなくて別に平気だっての。どうせトール爺のことだ、あれくらいの量使ったって全く気付かないだろうし―――」

「―――誰が、何を、気付かないんじゃと?」


 入口にはいつの間にか人が立っていた。髭を腹までぼさぼさに伸ばした老人は、険しい表情を浮かべてテーブルに近寄ってくる。


「げ、トール爺!」 

「え、この方がトールさん、ヴァンさんのお父様なんですか……?」


 ユウナは眼を疑う。それはトールの姿があまりにも想像していた姿とはかけ離れていたからだ。

 足が極端に短く、ずんぐりむっくりした体形はヴァンよりも身長が低い。あの小さな少女エレインと変わらないほどにさえ見えるほどだった。


「……こぉの馬鹿息子があぁ!」


 外にこだまするほどの怒鳴り声。

 二人揃って鼓膜が破れんばかりに、きーん、と耳鳴りがする。


「ここまで帰ってくる時に仕事帰りのビンスに丁度よく会って聞いたが、また性懲りもなく騒ぎを起こしたんじゃと? どうしてお前はこうも毎日毎日……」

「あ、あの」


 長い長い説教が始まるかと、両耳を手のひらで塞ぐヴァンを庇う形で、トールの前に立ったユウナは深々と頭を下げる。


「なんじゃお前さん」


 トールは見知らぬ少女を訝し気に凝視する。誰だお前は。どうしてここにいる。という文章が顔に書いているようだった。

 自分よりも背の低い大人からそんな視線で見られるのが初めてのユウナは、なかなか直視することができない。緊張からなかなか出てこない言葉「えと、あの、その、」を何度か往復して目の前の小さな老人が苛立たしく顔を歪める頃、ようやく堰を切ったかのように話す。


「ヴァンさんは……ヴァンさんは何も悪くないんです! 私、浮島からここまで来たんですけど、ある人から追われてて、でも、私はこの街に降りてきたのは初めてだったので、どこに行けば良いのか、どうすればいいのか全くわからなくて、そんな時にヴァンさんが颯爽と現れて私の事を助けてくれたんです。こんなに、こんなにぼろぼろになるまで……助けてくれたんです」


 段々と小さくなるその声は、涙が滲んでいた。それはいまだに罪悪感に胸が押しつぶされそうになるからだった。もし、自分が下の街に降りてくるような事をしなければ、他人を巻き込むようなことはなかったはずなのに、と。

 そこまで言い切った涙目のユウナを一瞥してから、鼻を鳴らす。

 

「……ふん、誰だか知らんが怪我をしてるな。おい、ヴァン。後ろでこそこそ食ってないで早く傷薬でも持ってこんかぁ!」


 不意な怒鳴り声に、物音たてずこっそり口に運んでいたスープを吹き出しそうになるヴァン。皿を片手に離さないまま慌てて戸棚から緑色の液体が入った小瓶と綿布を持ってくる。


「あ、あの、申し遅れました。わ、私、ユウナって言います」


 たどたどしい名乗りに対して特に何の反応も示さないまま、顎で椅子に座れと示す。

 それに従って座ったユウナの頬に、緑色の液体を吸い込ませてある綿布を、ぽんぽん、とかるく押さえるようにして塗布していく。


「……痛っ」

「多少染みるかもしれんが我慢しろ」


 先刻、ゴロツキ達に足をかけられ転がされた時にできた頬の擦り傷。軽く顔を洗ってから気にしていなかったが、緑の液体を塗られてみて改めて傷を負っているのだと気付かされる。鼻をつく草独特の香りがする。


「薬草を溶かした傷薬じゃ、毒ではないから安心しろ」


 じんじんと染みる痛みは、すぐに消えていく。「しばらく触れるのはやめておけ」と言われ触れようとした手を引っ込める。その部分に風があたるとひんやりして気持ち良い。


「こんな老人に、そんな早口で捲し立てられても何を言ってるか聞こえん。面倒事には関わりたくないが……ゆっくり話してみろ」

 

 溜息まじりのトールに、ユウナは精一杯の感謝を述べ、慌てた様子で頭の中に順序立てていく。

 

 今朝、謎のフードの男に追いかけられ、やむを得なく下の町に逃げて来てしまったこと。

 ゴロツキ二人からヴァンに助けてもらい、その後暴れ者たちの宴亭で食事をしたこと。

 フィーナからアドバイスをもらいこの家に向かったこと。

 お化け工場と呼ばれる廃工場内で、謎の男との死闘を繰り広げたこと。

 

 これまでのいきさつを主にユウナが、そしてちょこちょこ割って入るようにして、既におかわり分も食べ終えたヴァンが喜々として話す。相変わらずの大雑把な説明に、再度ユウナ注釈を入れないとわからないので二度手間である。


 黙って聞いていたトールは自慢の腹まで達する長さの顎鬚をもしゃもしゃと触ると、小さく唸る。


「……フィーナが儂に頼れだと? あのお転婆娘め、儂をどこぞの相談所か何かと間違えているんじゃないか」


 お転婆娘、と呼ぶにはいささか歳を取っているフィーナだったが、どれくらいの歳を積んでいるのか想像できないトールが呼ぶと不思議と変に聞こえない。


「ふん、ヴァンが珍しく家に誰かを連れてきたかと思えばやはり面倒事か。どうしてお前はいつもそう大人しくしていられんのだ。もう子供子供と言ってられる歳でもなくなって……」

「まあまあトール爺。聞きたくもないうるせえ説教はまたいつかにするとしてさぁ」


 誰のせいで―――と激高するのをなんとかこらえ睨み付けるだけにとどめる。深いため息を漏らしてからとりあえず、招かれざる客人に顔を向ける。


 一本一本が純金で造られているのではないかと思わせる整った金色の髪。髪の長さは肩までで切りそろえられている。今まで日光を浴びたことがないと言わんばかりの白い肌に、青色の瞳がよく映えている。

 それに対して服装は全体的に古めかしく、先ほど浴びてしまった大量の血が斑点の染みになってしまい実にみすぼらしい。服と容姿のつり合いが全くといっていいほど取れていなかった。

 なるほど。確かに礼儀正しい言葉使いといい、ユウナが浮島の住人でありそれなりの教育を受けている事がうかがえる。

 トールはそのまま視線を外さないまま、身に着けている腰袋に手を伸ばす。顔を出していた酒瓶を手に取りコルクを抜く。小気味良い音と共に甘酸っぱい香りが漏れ出してくる。


「それ、ブラン酒でしょうか……それも、ひょっとしたらすごく上物?」


 今まで黙ってトールの視線に耐えていたユウナだったが、嗅ぎ覚えのある香りを放つ酒瓶に興味がいく。


「ふむ、その通りだが……よくわかったな、これが上物のブラン酒だと」


 下の町で流通している酒のほとんどは浮遊魔石の暴走後、粗悪品と化してしまった劣化版のブラン酒であるが、トールが今手にしているものは違った。似て非なるもの。

 深緑の酒瓶の中で紫色の液体が眠っている。トールは適当なガラスのコップを取って、少し高めの位置から音を立ててブラン酒を注いでいく。


「……すごい深い色、吸い込まれてしまいそう。それに、こんな芳醇なブランの香りを嗅ぐのは初めてかもしれません」


 ブランの実を凝縮した香りがあっという間に部屋を包んでいく。


「確かにこれは上物に値するだろう。浮遊魔石の暴走前のれっきとしたブラン酒なんじゃからな」

「ええっ!」


 トールの言葉に目を丸くするユウナ。


「五十年も前になる浮遊魔石の暴走前のブラン酒……ならそれはお祖父様が作られたブラン酒になるのですね!」


 先ほどのおどおどとした口調はどこにいったのか、興奮気味の口調で喋るユウナの言葉に、今度はトールが目を丸くする番だった。


「まさか、それじゃあお前さんはアーノルドの、いや、トルシェンの一人娘か?」

「は、はい……私の名前は―――ユウナ・ルーティエ。トルシェンは私の父で、アーノルドは祖父になります」


 自分の父親の名前がまさかトールから出てくるとは思わなかったユウナは、改めての自己紹介をして急に気恥ずかしくなる。


「そうか……お前さんがあのトルシェンの愛娘なのか」

「あの、父の事を知っているのでしょうか?」


 もしゃもしゃと髭を触りながら深く頷く。


「ああ、知っているな。お前さんの祖父のアーノルドからの付き合いだ。トルシェンと〈弟のランドル〉はお前らよりもうんと子供の頃から……―――ふむ、どうした顔色が悪いぞ」


 ここまでつまらなそうな顔で聞いていたヴァンはふと隣のユウナに顔を向ける。確かに、頬の赤身は消え、唇が細かく震えている。まるで何かに怯えるようにして眼を閉じているユウナの肩にトールは骨ばった手のひらを置く。

 

「フィーナが何を言ったのか知らんが、見ての通り儂はただの老人だ。何の力になれるとも思わんが……話したい事があるならば話してみるがいい」


 恐る恐る眼を開けて、真正面にトールを見据える。ユウナよりも身長が低く、ずんぐりむっくりした体形は、子供がそのまま老人になってしまったようなイメージがあったが、腕から見える隆々とした筋肉はとても老人とは思えない。

 鼻の下から腹にかけて延々と伸びる髭のせいでほとんど表情は窺えなかったが、長い年月あらゆる景色を映し出してきた深い黒の瞳は優しく、全てを話してしまっても良いという気持ちにさせた。

 

「……お願いします」


 また深々と頭を下げてから、ぽつり、ぽつりと、抱えていたものを少しずつ語りだした。


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