言葉が響く彼方(四)

 その後の行動は早かった。武中がすぐに病院の前に車を付けて、合唱コンクールの都道府県大会が行われているホールへと急いだ。

 黒野が移動中に響香に対して、今後の行動などを話しかけてくるが、聞いた限りではどれも上手くいきそうにないものばかりだ。

 それにこれ以上、白の法団や黒の究団からの追っ手を完全に退けるためには、目の前で力がなくなったと認めさせる行動をしなければならなかった。つまり二人がいる場で言葉の力を瞬間的に膨大に使う必要がある。

 だが、それにはリスクが付きまとう。

 薫に対してやるのなら、病院の個室であるし、集中しやすい環境であるため、力の制御はしやすいかもしれない。しかし今回は切羽詰まった状況下である。加減する余裕はないかもしれない。

 今なら薫が意識を失うまでに体力を酷使して、あのような行動に出た理由がわかる気がする。大切な人である兄を亡くしたくないための行動、それは響香が今、遼平や部員たちのために行動しているのと同じであるから。

 落ち着かない状況の中、程無くしてホールに着いた。その前は市民が散歩道としてよく利用するところで、子供が軽く走り回れるくらいの広さはあった。目の前には小さな噴水があり、植木が一定の間隔で植えられている。そこを通り過ぎ、木で生い茂っている裏口へと向かう。

 やがて適当なところで武中が車を止めると、すぐに響香は車から飛び出した。黒野はすぐ後ろから付いていき、武中も少し遅れて周りを警戒しながら着いてくる。

 そのままの勢いで裏口からホールに入ろうとしたが、出てきた人物を見て、鋭い視線を向けて立ち止まった。

「倉田さんじゃないですか。お婆さんの容態は良くなったんですか?」

「白々しい言い方ですね、羽川さん。そこをどいてもらえますか?」

「嫌だと言ったら?」

「無理矢理にでも通してもらいます」

「では、ここの冷水機に毒を流したら?」

「……はい?」

 聞き流せない単語に反応し、眉をひそめる。すぐ隣まで来た黒野も険しい顔をしていた。羽川は小さなサンプル瓶に入った液体と携帯電話を取り出した。

「連絡をすればすぐに部下がこれと同じものを流してくれる。あまり自棄を起こさないでくれ」

「羽川、今はお前を相手にしているわけにはいかない。そこをどけ」

「黒野も何を言っているんだ? わざわざこうなるようにし向けてくれたのに、まだ彼女相手に芝居を打っているのかい?」

「……いい加減にしろ」

「もし彼女を提供してくれたら、薫ちゃんをよりいい病院に入院させてあげよう。そしたら目覚める可能性は高くなるはずじゃないのかな」

 その言葉を聞いて、黒野が息を飲むのがわかった。顔では平静を装っているが、内心では動揺しているのがすぐ隣にいた響香には気づいてしまう。

 羽川とやりとりをしている間にも、刻々と時間が過ぎていく。白鳥も非常に残虐な人だ、この間に遼平に何をしているかわからない。しかし羽川は響香の想いも知らずに、にやりと笑みを浮かべながら話を続ける。

「ずっと薫ちゃんをこんな風にしたのは自分のせいだと言っていたね。だから今まで必死になって、次の言葉の力を持つ者を探していたんだろう。次の被献体を見つけることで、目が覚めた薫ちゃんをこれ以上苦しませないために」

「妹のことを気安く呼ぶな! でたらめなことを言うな!」

 そう黒野が否定をしているが、彼がいつも以上に興奮している姿を見ると、嘘なのか本当なのか疑いたくなってしまう。

 その時、ホールの裏口が開くのが見え、そこから出てきた人物を見て響香は驚きの声を出してしまった。

「なっ……! 遼平!」

 それと同時に白鳥に投げ出されて、苦しそうな顔をした遼平が地面に投げ伏せられた。後ろから無表情のマギナが着いてくる。遼平の白いワイシャツに赤い斑点が若干飛んでいた。怪我を負わせられたのは一目瞭然だ。

 駆け出して行きそうな勢いだったが、黒野が手を前に出して、制止させた。

「まったく白の法団は荒っぽいところだね」

 白鳥と黒野に挟まれる形となった羽川は冷ややかな目で遼平を見下ろす。

「その言葉は頂けないな。羽川だって、毒を流す気なんだろう? 無差別に襲おうと考えている方が物騒すぎるだろう」

「死なない程度の毒だよ。声帯を少し攻撃する程度の。まあもしかしたら元の声に戻れなくなるかもしれないけど」

 そんなことをされたら歌で音楽を表現する者にとっては、命を落とすのと同レベルの苦しさだ。ましてやこれから未来へ羽ばたくかもしれない若者たちがいる場で実行しようとするなんて、とんでもない。

 羽川と白鳥、両方を睨み付けながら、どうにか隙を伺おうとする。

 そんな中、マギナが鋭い視線を響香に突き付けてきた。よく見れば口元が動いている。

 何をしているか気づき、止めようとしたときはもはや遅かった。

「――彼女を襲いたまえ!」

 途端に、頭上にあった枝が折れて、落下してくる。それを黒野と共にすれすれのところでかわした。だが逃げても幾度もなく続いていく。

「マギナの言葉の能力は、君より弱点はあるが、連続攻撃ができるところが利点だ。さすが僕の最高傑作。少々無茶をしても、作り上げたかいがあったね」

 ふふっと笑いながら、羽川は少し離れて、マギナからの攻撃を避けている響香たちを眺めていた。

 マギナは前にあった時よりも、感情の起伏が激しくなっており、躍起になって響香を攻撃しようとしていた。

「……あの少女はセイレンの生まれ変わりに対しては、異常なまでに敏感らしい。いったいどんな人物を元にして作り出したか定かではないが……。もしかしたら魔女狩りの時に被害にあった娘かもしれないな」

 黒野が険しい顔をしながらも、響香の疑問に対して答えてくれた。その言葉に少しヒントを得る。瞬時に彼の腕を見込んで、目でお願いをした。

 何かを言われる前に飛び出して、マギナに向かって叫んだ。

「風よ、吹け!」

 突風が一瞬で吹き荒れる。集中力が途切れたためマギナによる言葉の力が消えた。だがすぐに襲い方を変えて、人を傷つけられそうな鋭利なナイフを取り出して再び早口で叫び返す。

「ナイフよ、ナイフよ、彼女を襲いたまえ!」

 一直線にナイフが飛んでくる。それをしゃがみ込んで軌道から逸れるが、すぐに反転して追尾機能のようにまたやってきた。

「木の葉よ、舞え!」

 手をナイフに向かって突き出す形を取る。そして、葉はナイフを避けるためでなく、マギナに向かって飛んで行った

 マギナが葉に叩きつけられる展開となる。それを振り払うために彼女は言霊に乗せて叫ぶと、すぐに葉はすべて地面に落ちた。

 だが次の瞬間、マギナは驚いた顔をしつつ地面に倒れこんでしまった。

 木の陰から余裕こいて見ていた白鳥が慌てて近寄る。マギナの胸が上下しているのに気付くと、舌打ちをしながら黒野を睨んだ。

「まったくつまらないことをして……」

 黒野の手には小型の銃が握られていた。それは違法に改造されたエアガンであるが、弾は麻酔薬入りである。当たれば十秒もしない間に、行動を無力化できる代物であった。いつの日か起こるかもしれないことを考えて、様々な友人がいる武中を通じて得たものだ。

「いっそ、実銃を使った方がよかったんじゃないか?」

 白鳥はマギナを地面に寝させて、右手に握った黒々とした拳銃を黒野に向かって突き出す。響香は慌てて黒野の元に戻り、盾になるように前に立った。白鳥と羽川は響香を殺せない、それは絶対である。

「あまりいい気になると、この少年を殺すぜ?」

 木にもたれかかって座り込んでいる遼平に対して、白鳥は左手に握っている小型の拳銃も突き出していた。肩を上下させながら、それをうるさそうな目で遼平は見る。

「やれるものなら、やってみろ……」

 羽川も再び携帯電話を片手に、そして取り出した銃は白鳥の方に向けていた。

 再び硬直した三つ巴の状態。

 お互いの様子を伺っている構図。

 二人を一気に戦闘不能に陥らさなければ、遼平、もしくはホールの中にいる人全体に被害が及ぶことになる。

 ――ここですべてを終わらせる。

 限界まで言葉の力を使う。まだ疲れていない今なら、多少無茶をしてもいけるはずだ。

 そう意気込んでいたが、急に首に手が回された。華奢に見えそうな腕だが触ってみると、とても引き締まっている腕。

 そして頭に冷たく重たい何かが突き付けられた。

「……え?」

 思わず驚いた声を出してしまう。その様子を見た、羽川と白鳥は眉をしかめ、遼平は目を丸くしていた。

 首を動かさないように、目でその先を追った。何か黒いものが突き付けられている気がする。

 羽川が嘆息を突きながら、警戒心を黒野の方に向けた。そして低く静かな声を出す。

「……何がしたいのかな?」

「……ちょっと彼女や彼には黙っていてもらおうと思って」

 冷ややかな口調に響香は思わず振り返ろうとしたが、腕できつく絞められ、動けない。それに首にかなり食い込んでいるため、まともに声すら出せなかった。

「白と黒でいがみ合うのは非効率だと、俺は思う。両方とも言葉の力を得たいのは同じだが、その後の目的が少しばかり違うだけで争うなんて、馬鹿みたいだろう」

 この言い方は、響香が黒野に初めて会ったときと同じような口調だった。淡々と諭すように、その中には一切感情を含ませない。

「昔は黒が作ったマギナを白に受け渡すことで、裏で秘密裏の同盟が結ばれたから、しばらく硬直状態が続いていた。しかしそれが今は破られた。だから改めて、俺が提案しようと思う」

 ほんの少し呼吸を正してから、言い切った。

「倉田響香を元にマギナのような女を作れ。そうすれば、白は思う存分言葉の力を使えるだろうし、黒だって、作る過程で一つの研究になるだろう」

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