明日へ続くアナリーゼ(二)

「薫は明るく、好奇心旺盛で、周りからも好かれる、兄としても自慢できることの多い妹だった。部活も吹奏楽部に入って、次期部長候補とまで言われていた」

 次期部長候補――響香と同じだ。

「俺は当時、黒の究団に所属していた。大学と院生時代に生物関係を研究していた際に、学会でそこの研究所に誘われたんだ。――どうやら俺の研究に興味があったらしい、動物と声の関係性など。その出会いが、悪夢の始まり立った――」

 苦々しい表情をしながら、続ける。

「ある日、薫が十七歳の誕生日を迎える一、二ヶ月前、妙なことを言い始めてきたんだ。『自分の周りで不可解なことが起こる』と。意識はしていないが、どうやら自分が言ったことが、そのまま起こりすぎて、気味が悪くなったらしい。そんな有り難いことを邪険にするなよと言いながら、始めは放っておいたんだ。そんな時に、魔女狩りの裏で、ある魔女が隠れた言葉の力を持っているということを知った。まさかと思って、薫に色々と声に出させて、やらせてみたんだ。そして――」

 俯いていた顔を少しだけ持ち上げた。

「俺は薫をその魔女の力を引き継いでいると、認めざるを得ない結果になった」

 ――ああ、そうか。

 そう思い、一つだけ納得したことがあった。

 たまに黒野が響香に向ける、切なかったり、気取っていたりしている顔は、響香と同じ力を持っていた妹を投影していたのからだ。話を進めるにつれて、黒野の表情はどんどん曇っていく。

「俺も嬉しかったというか、未知のものと遭遇して、気分も上向きだったのだろう、つい、同期の羽川に話してしまったんだ。そしたら一度会いたいと言って、薫を連れてくるように促されたんだ。始めは三人で軽く話をした程度だったが、そのうちにじっくりと調べてみたいと言い出された。そして、ここに連れてくるよう言われたのが、誕生日の二週間前だった」

 適宜水を飲みながら、噛み砕くようにゆっくりと語っていく。

「その時に撮った写真がこれだ。まさか元気な姿の最後の写真になるとは思わなかったよ。――やがて薫は夏休みが終わるまでの二週間ほど、羽川の元で様々な検証実験をされた。言葉に出せば、不可思議なことは起こる。余程無理がない限り――例えば倫理に反するような人を生き返らせるとか以外は、ほぼ起こせた。一方で、白の法団も俺たちの前にちらつき始めた。白鳥は元々大学時代のサークルの友人で、昔から直感で動くようなやつだ。だからあいつが突然尋ねてきたときも、あまり騒がなかったが……。いきなり薫のことを寄越せというのには、さすがの俺も首を縦に触れず、かなり揉めた結果、どうにか会話だけで終わらせた」

 つまり黒野は二度も同じようなことを経験している。どうにも皮肉にしか感じられない。

「それから焦ったように羽川は薫についてさらに調べ始め、最終的にはメスを握りたいと言い始めた。何を馬鹿なことを言っているんだ。そんな危険なことを誰が許すと思うか? 開腹して、内部を見るだけでいいと言われても、俺たちは首を縦に振らなかった」

 その言葉は響香を苦しめたものと同じ。そんなことされれば、最悪の事態だって否定はできない。

「やがて二週間はあっと言う間に過ぎた。謝礼はもらっていたが、学校も始まることだし、薫に対して一歩踏み込んだことをされたら、こちらとしてはとんでもないことだ。誕生日の日に急いで支度をし、研究所を出ていこうとしたとき――再び白鳥が現れた、今度は銃を持って」

 目的は薫を無理矢理に連れさらうことか。

「一方、薫の様子も朝からおかしかった。上手く自分自身を制御できていないような様子で、身体ともに乱れているようだった。『自分の内にいる何かが出てこようとしている。喉が痛い、燃えるように痛い』って、苦しそうな顔をして言っていた。そんな中で――薫の力は覚醒してしまった」

「覚醒……?」

「今まで不安定であった力が安定するようになり、想って言ったことがすべて起こるようになってしまったんだ。例えば、『争いなんかやめて』と叫んだら、銃が動かなくなり、また予報では嵐が来る予定だったが、結果として来なかった。そんな妹の力の変化を見た羽川と白鳥は無理矢理にでも奪おうと追いかけ始めた。そして俺は息も絶え絶えになっている薫を支えながら、研究所から逃げ出した。」

 鬼のような形相で追いかけてくる人たち。考えただけでも、その状況がどんなに恐ろしいことか。ごくりと唾を飲みながら、話を聞き続ける。

「研究所から出たはいいが、あいつらから逃れるのに必死で、どこに進んでいるかはわからなくなった。気が付いたら、崖に追い込まれていた。もう無理かと思ったときに、薫は俺の手を引いて、飛び降りた――」

 その時の光景が響香の脳内に鮮明に映し出される。

 後ろを気にしつつ、逃げ続ける兄妹。そして目の前には崖。何でもできると言われている力を持っていたら、少女はどう行動するだろうか。今の響香が同じような状況に立たされれば、おそらく間違いなく同じような行動をとる。

 そして叫ぶであろう――飛び降りても無事に着水できるように。

「崖の下はここの裏手にある湖で、俺は薫を抱きしめて水の中に突っ込んだ。薫の力のおかげか俺は無傷で突っ込めたが、薫の方はそうはいかなかった。傷を負ったまま、水の中に入ってしまっていた。おそらく羽川か白鳥のどちらかが威嚇のために放った銃弾が、薫と俺に当たったんだ」

 それを聞いて、眉をひそめる。今の話の中で矛盾があった。だが響香はただじっと耳を傾けていた。

「薫は湖に飛び込む直前に、落下速度を極力減らして着水の圧力を小さくするはからいと、俺の傷を治したんだ。傷ついた状態で水に触れてしまっては、危険な状態に陥ることも判断したうえだろう」

 下を向きながら、悔しそうな表情をする。

「薫を抱えながら湖の上を浮かんでいると、明らかに入水する直前と様子が違っていて、急いで泳いで陸地に上がった。そして空き家だったこの家に連れ込んで応急処置をした。傷は深くはない。急いで病院に連れて行けば間に合うかもしれなかったため、全速力で行ったが、結果として間に合わなかった」

 この家で三年前に起こった悲劇。それはずっと黒野の心の奥底を蝕んでいた。

 そこからは本当に淡々と事務的なことを話すかのように、感情を抑え続けていた。

「怪我をした上に、力を使い過ぎた。君だって、使い過ぎで意識を失うことはあるだろう。それがエスカレートして、体力と精神力を極限まで追い込み、ある一定の境界を超えてしまった。結果として意識が戻らない状態になった――」

 余韻のように、その言葉は響香や黒野の中に響いていた。

 写真を置き、しばらく沈黙が続く。

 何も言うことなどできない。昨日の件で、あんなにも黒野が必死になっていた理由もわかった気がした。目の前で同じ力を持った人を、同様の末路に導かないためだ。

「……それ以降、俺はあまり黒の究団には寄りつかなくなった。本当はやめたいという気持ちもあったが、薫からの最後の願いでそれは踏みとどまっていた」

 最後に発せられた言葉をゆっくり語る。

 応急処置をし、車で病院に急いで連れて行ったが、皮肉にも薫の容態は徐々に弱っていく一方だ。それを黒野正はただ歯を食いしばりながら見守るしかできない。もはや車を止めて、手を握り、ずっと触れていたかった。

 ふとバックミラー越しから彼女を見ると、薫がうっすらと目を開けて、虚ろな目を黒野に向けていた。車を路肩に止めて、振り返るとか細い声で想いを伝える。

『私のような人をもう出さないで……』

 最後に出た言葉は、突然表れた力を恨むものでも、死を恐れるものではなく、まだ見ぬ誰かに向けて発せられたものであった。

 その言葉を聞いて、響香は彼女の深い優しさと想いを感じ取った。

「まるでこの力は移りゆくものであるかのような言い方だった。だからまずはそれが本当であるか、過去に関して調べ始めた。さすがに黒の究団も長期に渡って研究し続けているところだ。裏の本棚を探せばおもしろいようにでてきた。力は人から人へと移り変わり、それこそ日本だけでなく世界各地で移っていった。日本国内や俺が行ける外国はあらかた関係者には話を聞いたつもりだ。資料がバックの中に入っているから、あとで見てみるといい」

 部屋の奥にあるキャスター付きの旅行バックを目で促す。

「そこからある一定の法則が生まれた。手元にある資料だけだから確証はないが、力を持つ者の条件がわかったんだ」

 思わず響香は身を乗り出す。この力をどうにかする一つの手がかりになるかもしれない。黒野は真っ直ぐ響香を見た。

「それは――前回、言葉の力が無くなった日の三年後、十七歳の誕生日を迎える者の中で一人だけ覚醒する」

「一人だけ? しかも十七歳? その理由は?」

「十七歳というのは、言葉の力を初めて得た魔女と呼ばれた少女が、十七歳の誕生日に力が現れ、三年後に亡くなり、言葉の力を失ったからだろう。その年に十七歳を迎える人なんてたくさんいるのは確かで、そこから一人を探し出すのは正直に言って、運任せのところがある。ただ、彼女は歌うことが好きだったということから、何らかの音楽に興味がある人になる確率は高い」

 薫もクラリネットをうるさいくらいに吹いていたからなと、付け加える。

「それじゃあ、力が覚醒するまでは、ほとんど誰かというのは事前にわからないじゃないですか」

「そういうことだ。だからずっと調べて探していたとはいえ、覚醒する前に響香を見つけられたのは幸運だった。いや始めに見つけたのは白鳥側だから、そっちに感謝するべきか」

 苦笑いをしながら、適当に黒野は流す。偶然とはいえ、十七歳の誕生日を迎える前に黒野と出会えたことは、響香にとっても幸運なことだった。薫の件があったとはいえ、ここまで、言葉の力を持っている人の今後のことを考えてくれる人は少ないはずだ。

「……そういう経緯があって、私を探して、昨日も助けてくれたんですね、ありがとうございます。ところで私の力を利用しようとか思わなかったんですか? 試してはいないですけど、この力、かなり色々なことができますよね」

 つまり白鳥のようなことをするということ。団体で喉から手が出るほど欲しい存在であるのだから、個人でも欲する人はいるはずだ。黒野は肩をすくめながら、柔和な目で見返した。

「無限なら考えたかもしれない。だがそれは有限のもの。個人や団体の欲望だけで利用して、一人の人間の命を追い込ませるようなことは――俺にはできない」

 そしてぐったりと背にもたれかかった。肩で少し息をしているように見える。

「すまないが、少し疲れた。続きはまた後でいいか? 根本的な争いの始まりとかの」

「大丈夫です。ごめんなさい、疲れるまで話をさせてしまって」

 慌てて黒野に近づき、横になるのを手伝う。ワイシャツを通して触れた感触からとても男らしい肉付きであった。

「何かあったら呼んでくださいね。リビングにいますので」

「わかった。もし気分転換でもしたければ、少しは外に出てもいい。だが、あまり遠くには行かないでくれ。人は滅多に来ない場所とはいえ、今、離れた場所で何かあったら、何もできないから」

「大丈夫ですよ。黒野さん、今はゆっくりとお休みください」

 響香は微笑みを黒野に向けた。黒野も落ち着いた表情で返す。そして彼が言っていた旅行カバンから、何冊か資料を取り出して、ドアを閉めた。

 廊下に出て息を深く吐いた。人の暗い過去に触れるのは、苦しいものである。しかもそれをきっかけにして、響香まで辿り着いたわけであるのだから。

 両手で資料を抱えて、重い足取りでリビングへと向かった。

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