暗闇へのフーガ(四)
響香は羽川に手を引っ張られて場所を移動していた。先ほどの研究室では、真っ先に狙われるため、すぐに見つからないところに響香を隠すらしい。
二人が歩いている場所は二階より上らしく、その下の階から、人々の叫び声や走る音、時折、銃声やマギナの声が聞こえてきた。銃声が発せられる度に、響香の顔は強張った。
「まったく……あの子をやったのに約束を破る嫌な奴だ。それにしても、この場所について何も考えていないのか。貴重な研究所だと言うのに……」
苦々しい顔で呟いている。白鳥たちの容赦のない攻撃に腹を立てているのだろう。
「死にたくなかったら、大人しく言うことを聞け。白鳥は君の力も欲しているが、混乱に乗じてここの施設を破壊したい願望もある」
「なぜ……」
「もともと黒の究団と白の法団は、魔女狩りがあった時代から決定的な溝がある。その理由はつまらないものだが、何かにつけて白から黒に向けて関わってくる。いいか、白は言葉の魔力をそのまま使いたいが、黒はその言葉の魔力のメカニズムを解明して、今後に繋げようとしている。つまり……」
響香を握りしめる力が強くなる。
「……全然基本方針が違う。白がここを潰せば、すぐに黒は研究できない、だから君を捕らえるついでに破壊しているんだ。いやもしかしたら、君よりもここを壊す方が順位は上かもしれないな」
そして羽川は後ろに向き、真剣な目で見てきた。
「君はどっちを取る。何に利用されるかわからないところで、もしかしたら犯罪に利用されるところに身を置くか、それとも未来のためにその身を捧げるところに身を置くか、どっちだ?」
「私は――」
――どっちの選択肢も選びたくない。
声には出さず、自分の中で言葉を吐き出す。もし第三の選択肢があるのなら、それを選ぶかもしれないが。
何も言わない響香に対して、羽川は一瞥をしただけで、聞き返してはこなかった。
怒声が近くから聞こえてくる。階段の近くに来たため、下の階の音が筒抜けなのだ。羽川は目を細めながら耳を澄ました。そしてぼんやりしていた響香の手を再び強く引っ張って、上の階へと登っていった。
着いた階では人々が慌てながら奥へと走っていた。その先には光が漏れ出ており、外へと続く非常階段があるらしい。
だが羽川はそちらには向かわず、逆方向へと響香を連れていく。そしてある部屋の前に着くと、ポケットから鍵を探し出し、荒々しく開け放つ。
そこは倉庫と言ってもおかしくはない、埃が被っている小部屋だった。その中に響香を押し入れる。
「ま……!」
「そこで大人しくしていろ、白鳥たちを片づけてきたら、また来る」
有無を言わせず、ドアは閉じられ、鍵を閉められた。鍵を解除しようとドアに近寄ったが、中から開けられるような原型はとどめていなかった。ドアを叩きながら、叫ぶ。
「誰か、誰か、ここを開けてください!」
喉が潰れそうな勢いで言葉を出したはずなのに、何も起こらなかい。一方で、外が騒がしかったため、ドアにぴったりと耳を付けると激しい言い争いが聞こえてくる。
「ようやく現れたか、羽川。あの小娘はここにいるんだろう。早く出せ!」
「白鳥、出したら、ここを壊してくれた被害金でも出してくれるのかい? ……そういうわけではないよな? それにせっかくの約束を破って。そんなことをするのなら、マギナは返してもらおうか」
「それとこれとは別だ。とにかくあの小娘を出せ。機械はいくら壊してもやり直しができるが、人はそうはいかないだろう」
「羽川様……!」
縋るような女性の声。人質にでもされているのかもしれない。その声を聞いた羽川は白鳥に対して言い返す声は聞こえてこなかった。
突然巻き込まれた抗争――響香を巡る争いであるはずなのに、一人蚊帳の外だ。それがどうにもやりきれなかった。どちらに捕まっても、未来などないとわかっているが――。
しかし逆に考えれば好機かもしれない。今こそ逃げられる最後のチャンスなのだ。鍵はかけられたが、ドアだって万全なものではない。何かぶち破るものがないかと、小部屋の置くに入って探し始める。途中で電気のスイッチを押すと、蛍光灯が点滅しながら光を発し、わずかながら全体を見渡すことができた。
床には本がたくさん積み上げられている。医学書が中心で、題名を見ただけで、頭が痛くなりそうだ。一方で昔、誰かが寝泊まりしていたのか、ベッドや机が置いてあり、その周りだけはきれいに整頓されていた。
ベッドを軽く叩くと、たちまち埃が吹き出してくる。煙たくあしらいながら、机に目を向けた。持ち運びができそうな椅子があったため、それを突破口の一つにしようと考える。
念のために、よりいいものがないかを確かめるために、引き出しを開けた。ペンやノートなど、そして、数年前流行ったアイドルのCDが入っている。
使えそうなものはないかもしれない――と、視線を右脇の床に落とすと、写真たてがうつ伏せになって落ちていた。何げなくそれを拾い、写真を見ると、目を丸くした。
そこには男女が一人ずつ――いや顔立ちが似ているから、兄と妹の関係だろう。そんな二人が笑顔で写っているのだ。
幸せそうな表情に思わず笑みがこぼれる。だが、男性の方には見覚えがあった。最近で出会った青年たちの一人に。
だがよく似た他人かもしれない。それを否定する物品を探すかのように、響香は引き出しの中をひっくり返し始める。そしてレポートを一本探し出した。それは高校の実験レポートであり、表紙には名前が書かれている。
黒野薫――と。
「黒野さんの妹さん? それならこの部屋はいったい――」
突然、激しい音がすると、ドアの鍵が誰かによって開けられようとしていた。ガチャガチャと乱雑に開けようとしている音を聞いていると、あっちも慌てているようだ。
戻ってきた羽川だろうか、それとも羽川を倒した白鳥だろうか。隠れる場所を目で探したが、狭すぎて見当たらない。
そしてガチャリと音をたててドアは開けられた。廊下の光が射し込んでくる。逆光で顔が見られなかったが、声を聞いただけで誰かとすぐにわかった。
「大丈夫か、響香!」
切れかかっていた希望が繋がった瞬間。
その声を聞いて泣きたくなった。ずっと会いたかった人物の一人だ。けれども、まだ危機を脱出したわけではない。涙を流すのを我慢して、精一杯の声で返した。
「……遼平!」
そう答えるとほっとした声が漏れる。やがて光が小さくなると、はっきり遼平の顔が見ることができた。
「そうだ、俺だよ。……黒野さん、響香がいたよ。あんたの勘はすごいものだな」
「まあな……」
少しきまりが悪そうな表情をしている。黒野たちの写真をポケットに突っ込むと、入り口へと駆け寄り、響香は躊躇いもなく遼平に抱きついた。瞬間、彼の頬がほんのりと赤くなる。
「ごめん、今朝は。よかった、会いたかった……」
文になっておらず、ただ伝えたかった単語だけを並べていく。それを遼平は頭を撫でながら、優しく受け取ってくれた。
「黒野さん、下の様子からして、あまり時間はありません。急いで非常階段へ!」
廊下側のドアの前で、武中が慌てふためきながら、視線を行ったり来たりしている。その手には、よくテレビの刑事が使うであろうサイズの拳銃が握られていた。
そして遼平のすぐ脇にいた、険しい表情をしている黒野の手にも拳銃がある。
「黒野さん、どうしてここが……」
「話は後だ。白鳥や羽川に見つかる前に、ここから脱出する。――武中、先導しろ。俺が後ろに来たやつを対処する」
「了解です」
誰もいなくなった廊下を、武中が階段のところまで用心深く近づいていく。それを見習って、響香と遼平も近づいた。すぐ下で羽川と白鳥の争いが続いていた。生々しい銃声が次々と聞こえる。
武中が目で促すと、一斉に走り出して、階段の前を通過した。非常階段までは直線距離にして五十から百メートルほど。走れば数十秒もかからず辿り着くはずだ。
体力的にもだいぶ減少している響香は遼平に支えられながら走る。
しかし、突然鼓膜を突き刺さるくらいの銃声が鳴り響いた。
「止まれ!」
白鳥の怒ったような声が聞こえる。黒野が舌打ちをしながら前方にいる三人に向かって言葉を残す。
「先に行け!」
響香たちはそれに背を押されて、走り続ける。だが目の前に防火扉が降りてきて、立ち止まらざるを得なかった。
「まったく君たちには油断も隙もないんだから」
後ろを振り向けば、肩を赤く染めた白鳥の後ろから、足元が覚束ない羽川まで現れる。右足が主に赤く染まっており、全身至る所に血が飛び散っていた。二人とも色男が台無しだ。
進もうとした先には防火扉が、戻ろうとしても白鳥と羽川がいる。――絶体絶命の最悪の展開だ。
黒野は表情を崩さず、すっと銃口を二人に向けた。それを鼻で笑いながら、羽川は反応する。
「まさか裏切り者の黒野君がここに来るとは思っていなっかったよ。――白鳥側にでも手を貸しているのかい?」
「それはこっちが聞きたい台詞だ。羽川に指示されて、動いているんじゃないのか? 他の研究者と同様に小娘をこの建物から逃がすために」
黒野は何も答えず、ただじっと羽川と白鳥の言葉を聞いていた。
「どちらにしても、早く彼女をこちらに寄越してもらいたい。そうしたら君がかつて色々とやったことはなかったことにして、戻ってきてもいいように手配してあげるよ」
「それなら、こっちに小娘を寄越せ。黒から追放さている身らしいのなら、わざわざそっちに恩を貸す必要はないだろ」
二人とも敢えて挑発的に言うが黒野の反応ない。何も返答がないのに対し、痺れを切らしてきたのか、苛立ちが目に見えてわかる。
ふと響香は天井を見上げた。そしてあるものを見つけて、口を一文字にする。
ぱんっと乾いた音がしたのと同時に、黒野の足下に銃弾が突き刺さった。
「いい加減に答えたらどうだい。……妹のことを恨むのなら、筋違いだと思う。あの子は自分で身を捧げたんだ、こちらのせいではない」
羽川が吐き捨てる。それを聞いた黒野の肩は小刻みに震えていた。
「お前たちなんかに――」
引き金がゆっくりと動く。
「お前たちなんかに薫の何がわかる!」
それをきっかけに黒野の銃口が火を吹いた。対抗するかのように、白鳥や羽川が引き金を引こうとする。
しかし少女の声の威圧によって止まった。
「降りて!」
単語だけであったが、心の中に想いは込めていたので、効果はすぐに現れた。音を立てて、黒野たちと白鳥、羽川の間にある防火扉が降り始める。その意図に気づいた羽川は狙いを黒野ではなく、響香に定めた。それから守るかのように、遼平は響香の前に立ち、さらにその前に武中が銃口を向ける。
激しい銃声が何発か鳴り響く。
扉は確実に降り始めているため、響香の言葉が伝わった可能性が高い。しかしすぐに降り切れるとは言えず、まだ半分くらいだ。
それを見届ける前に、次なる逃げ場所を確保するために、響香は背中にあった防火扉に手を当てた。体力的にはかなりきつくなっている。もしかしたら次で気を失うかもしれない。だが、そうとも言っていられなかった。
「逃げる道をどうか……」
そう願うと、扉から小さな音が聞こえてきた。何かを切るような奇妙な音が。
その時、視界に映っていた黒野の姿勢が崩れた。背を伸ばして立っていたが、それが前のりになる。
「黒野さん!」
思わず悲鳴に近い声を叫ぶ。
「俺のことは構うな! いいから集中しろ!」
響香が力を使っているのを知っているのか、そうはねのけられた。出したい言葉を呑み込んで、じっと周りの状況に耐える。
じりじりと白鳥と羽川が近寄ってきた。黒野と武中が牽制し、怪我も白鳥と羽川の方がしているためか、状況は五分五分以上である。それでもこちらがほとんど被弾していないことは、幸運と言っていいかもしれない。まるで誰かが守ってくれているような気がする。
もう少しで防火扉は床に着く。その前に一矢報いたいのか、白鳥は銃弾を避けず、一気に間合いをつめてきた。
黒野がそっちに銃口を向ける。その隙を付いた羽川が黒野の肩に銃弾をかすらせた。
何か手を打ちたかったが、響香は出口を作るのに集中しているため、動けない。ただ早くと願うしかない。
不意にどこからともなく風が吹いた。白鳥たちに対して向かい風になるような風で、彼らが歩を進める速度が落ちる。あり得ない現象だ。こんな室内で風など吹くなど理論的にはありえない。
だがそのおかげか白鳥が防火扉の下をくぐる前に、扉は降り切った。外側から、銃弾が何発かドアに突き刺さる。ある程度発砲した後で、悪態を吐く声がした。
「おい、早く開けろよ、羽川!」
「そんなこと言われなくてもわかっているさ!」
共闘しているつもりはないが、行きたい方向は一緒なので渋々言い合っている。
やがて攻防にひと段落した黒野がよろけながら、響香たちに近づいてきた。肩と足を被弾している。それにも関わらず立って歩いているのに驚く。同時に作っていた出口も音を立ててできた。防火扉に人間が一人通れるくらいの穴を空けたのだ。
黒野が呼吸を乱しながらも、響香と穴が空いた先を見る。
「……君――」
「響香です。君じゃなくて倉田響香です。私のことは気にしないでください」
遼平に支えられながら響香は立ち上がる。鼓動は依然として早いが、それでも今できる最大限の笑顔を出した。
「助けに来てくれて、ありがとうございます。さあ、行きましょう、黒野さん」
「……ありがとう、響香……」
誰かの顔を思い出しているのだろうか。切なげな表情が浮かぶ。
そんな彼を促しながら、響香たちは穴を抜け、足早に非常階段から研究所を出た。
外には避難している人たちがいたが、その視線から避けて、森の中に停めてある武中が使っている車に乗り込んだ。不幸中の幸いか、白鳥たちの追っ手は全員研究所に入っていたようで、外に出てしまえばこっちのものだった。
武中が運転席、遼平は助手席、そして黒野は後部座席に倒れこんだ。響香はそんな彼から溢れる血をタオルで押さえ、その間にゆっくりと加速しながら車は走り始めた。
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