白と黒の交錯(四)
一瞬何を言っているのか、響香はすぐに理解はできなかった。まるでおとぎ話を聞いているかのような内容、それが自分自身に関係しているなどと。固まったまま、口も開けない。それよりも遼平の方が目に見えて動揺していた。
「響香が魔女と呼ばれていた人の子孫? 子孫なんて年を経るにつれて、たくさん増えていくんだ。誰だって子孫になり得る可能性はあるだろ。それが何だって言うんだ?」
「その通りだ。俺や君だって、歴史上の有名人の血を薄く引いている可能性は否定できない。だが、もし突然変異でその血を濃く引き継いでいたらどうする? 君が有名な武将の子孫で、もし武芸に秀でていたら、誰かがその力を利用しようと目論見はしないか?」
まくし立てられるように、黒野は言い返す。だが遼平もまだ納得はできないようだ。
「何度も言うが、そもそも響香がその人の子孫だって言う証拠はあるのか? 無ければ、立証できないだろう!」
その問いに、黒野は目を伏せた。だがそれは否定できないのではなく、何かを躊躇っているように見える。
「……確固たる証拠はない。さすがに何百年前の人だから」
「ほら――」
「だが、何百年も魔女について調べていた人たちが存在したら、それは確証に近い、推測を得ることができるかもしれない。そう、そんな集団が当時からいたんだ」
黒野は何度も噛みついてくる遼平を避け、必要なことを軽く付け足しながら続ける。
「二つあり、一つは白の法団と言われる、主に法を司る観点から魔女を探るところ。そしてもう一つは黒の究団と言われる、魔女の血やそのとき起きた現象などを科学的に追求するところだ。両方とも、規模は小さいが今も残っている――」
黒野の視線が響香に移る。ずっと首のあたり、いや喉のあたりを押さえ続けていた。その様子に彼は目を細めて見ていた。
「最近、何か言葉を声に出したことで、実際にそれが起こったことはないか?」
「声に……?」
そう言われて、さっきの出来事が思い当たる。偶然であるはずだが、鉄鋼が降ってきたとき、突風が吹いたおかげで二人は助かった。そしてその直前に響香は叫んでいた――「来ないで……」と。
だが響香以上に遼平の顔が強ばっていた。そして何かを思い出すように視線を天井に向ける。そして思いつくと、悔しそうな顔をしながら俯いた。
「さっきの少女と学校で接触されたとき、響香の言葉のおかげで助かった……。でも、それも偶然じゃ――」
「数日とは言え、偶然であると言える回数にしては多すぎる。今は偶然と言っていいかもしれない。だがいつかは偶然ではなく、必然と思うことになるぞ」
「つまり、響香は血を継いでいるかははっきりとしないが、魔法みたいな力を持っているっていうことかよ……」
顔を真っ青にしながら、遼平は乾いた笑い声を出す。
ようやく響香の思考は少し遅れて、話された内容を理解しようとしていた。しかし、そんな話を聞かなくても、既にわかっているような気がした。体全体から溢れてくる受け継がれた魔女の血によって、そのことが脳にも予め伝えてあったように。
「……ここであのコーヒーカップが割れたら、実証されますよね」
声を出した響香に、遼平は目を丸くしながら顔を上げた。
次の瞬間――机の隅にあったカップは小さな音を立てて亀裂が入り、割れてしまった。遼平がありない表情をしながら、そのカップに近づき、持ち上げる。元から老朽化していないかなど確かめるためだ。だが、黒野から発せられた言葉は、それを否定した。
「昨日買ったばかりのカップだ。もし偶然に割れたとしたら、業者にクレームを付けていい品だな」
呆然と立ちすくむ遼平。そんな彼を放っておいて、黒野は響香に話しかけてきた。
「前置きは長くなったが、つまり簡潔に言えば君は不思議な力を持っている。言ったことが実際に起きる――なんて便利なものだろうな。だからさっき現れた白の法団――白鳥が今、所属しているところが、これから必死になって君を追いかけてくるだろう。魔女としての因果を明らかにするため、そしてその力を利用するために――」
突然、突きつけられた事実。
嘘だという言葉が喉に詰まる。そんなファンタジーな話を誰が信じるかと思うのか、そう言い返したかった。
だが、響香の心の中にいる誰かがそれを諫め、落ち着くよう促してくる。それはまるでこうなることがわかっていたから、このタイミングで現れたかのようである。
響香は手を握りしめながら、顔を俯かせた。部屋の中に鬱々とした雰囲気が漂う。
事実を受け入れなければいけない、それはわかっていた。溢れ出そうな言葉を飲み込む。
そして無理に顔を緩ませたのだ、哀愁も含ませながら。
「そうだったんですか、わかりました……」
「意外に落ち着いているな」
「いえ、驚いてはいますよ。でも薄々勘付いていたから、多少は受け入れられます」
「何? いつから勘付いていたんだ?」
「いつだったかな……。白鳥さんに会ったときから、何かが起こっているとは思いました。たぶん決定的だったのは、黒野さんが送ってくれた本で魔女狩りの話を読んだときからでしょうかね」
無理に微笑んではいたが、視線を下げると気持ちまで緩んでしまいそうだ。
もちろんあり得ない事実に、吐き出したい想いはあったが、身を挺してまで響香を守ろうとしてくれている、二人にはさらけ出したくないし、思い詰めたような表情をされるのは嫌であった。
顔をしっかり上げると、次の段階へと無理矢理感情を動かす。
「黒野さん、私はこれからどうなるのですか?」
噤んでいる口の黒野に向ける。じっと響香を見ていたようで、はっとしつつも躊躇い混じりに答えた。
「俺たちが所属している黒の究団の考えとしては、君を保護するのがいいと思っている。白の法団が君を捕まるのを防ぐためだ。不確定要素とは言え、使い方を間違えれば、危険な力。だけど俺は――とにかく保護が一番だ」
何かを言いかけて、そのまま飲み込んでしまった。
「保護ですか……。つまりしばらくは、身動きがとれなくなりますよね」
思わず響香は本音を少しだけ漏らす。話から外れていた遼平がその言葉を聞いて、目を丸くしていた。
「響香……?」
「……何でもない。自分の勝手で他人に迷惑かけちゃいけないもの。選択肢はないって知っている」
張りつめた想いを嘘と微笑みで覆い被せる。どんな言葉にもそつなく返そうと思った。
だが、次の言葉には返すのを一瞬忘れてしまった。
「――けど、すぐに保護という段階に行くわけではない。俺たちの団体だって、都合というものがある。かなり厳しいだろうが、もし仮に上手く白の法団を追いつめることができれば、君を保護する理由もなくなるだろう」
「……え?」
「つまり、まだ普段通りの生活をしていても大丈夫だ」
徐々に突き落とされていく心が一瞬だけ浮き上がった気がした。今までの話を聞いた結論として、普通ならそういう内容がでるはずがない。響香は首を傾げながら、思いもかけないことを言った青年を見た。
「黒野さん、けどもしまた白の法団が襲ってきたら……」
「もちろん君の近くにはいつも護衛を置かせてもらう。事情がよくわかっている、武中にでも付いてもらうつもりだ。――何かあったらすぐに逃げろ、そして俺たちを呼べ。それが最低限の約束だ、いやギリギリのラインで妥協できる範囲か」
髪を掻き、眉間にしわを寄せている。本当に苦渋の判断を下しているのかもしれない。
そこまで考えてもらえるのが、とても嬉しかった。
響香自身でさえ、あまり実感がないが、あの白鳥の追いかけようから、自分は重要な人物であるとわかる。それなのに、こんな無理な判断まで――。
「黒野さん、それで大丈夫なのですか? 黒の究団の偉い方はそれを認めているのですか?」
一瞬、黒野の表情が固まった。
ほんの数秒――。
やがてすぐに返答が返ってきた。
「……大丈夫だ。白の法団より、物分かりのいい人ばかりだから」
「それならいいのですが……」
すっと立ち上がり、黒野は日が沈みかけている外を眺めた。そこに視線を向けたまま、腕を組んだ。
「白の法団、特に白鳥を追いつめるまではかなりの日数を費やすかもしれない。だが、君は普通の生活をしていていい。これはこちらの責任でもあるから――」
そして振り返った。逆光によって、表情はよく読めない。
「それでいいか? もしかしたら一時的に家にずっといてもらうかもしれないが」
「――大丈夫です。よろしくお願いします」
普通の高校生として日々を過ごせるのなら、それでいい。
家族と離れなくて済むのなら、それでいい。
そして歌を歌い続けられるのなら、それでいい。
日常が崩されないのなら、それでよかった――。
日も暮れ、用心に越したことはないということで、車で家まで送ってもらうことになった。外に出て、今までいた建物を見ると、そこは新しくできたマンションであった。玄関はオートロック、待合室まであり、一筋縄の値段では借りられないマンションだと思われる。
響香たちをここまで連れてきた車を武中が玄関まで乗り入れた。助手席に黒野、後部座席に響香と遼平が乗り込むと、ゆっくりと動き始めた。
駅から少し離れたところにある開発途上地のためか、マンションから少し遠ざかれば、一軒家がぽつりぽつりと立ち並ぶ田んぼ道へと走っていた。このまま道を走り続ければまた別の駅に近づき、再び賑わう町へと入っていくだろう。
響香は窓の外を何の考えもなしに眺めていた。一方、遼平もあれから黙り込んでおり、逆側の窓に肘を付きながらぼんやり見ている。
彼は何を思っているのだろうか。響香の周りに不可解な事件が起こり始めてから、ずっと傍にいて、そして事件に巻き込まれもしている。
何度も思っていることがあり、それを彼に伝えたら愚問だとでも言われるかもしれないことがある。
それは、いい加減に響香から離れた方がいいのではないだろうか。何も関係のない一般人なのだから――。
しばらく車中は無言のまま走り続けていた。黒野や武中が車の進み具合や簡単な雑談をしていたが、空気が重い後部座席にまで話を振ろうとはしない。
ちらっと遼平の方を見れば、肩を上下しながら、目を閉じていた。疲れたのだろう、静かに寝息をたてながら眠ってしまっているのだ。
「――彼は君が目覚めるまで、眠らずにずっと傍にいたんだよ」
サイドミラーで後ろの様子を知ったのだろうか、いいタイミングで黒野が小声で話しかけてくる。ミラー越しで目を合わせられた。
「彼のことを想っているのなら、一人で行動したり、無茶をしないことだ」
「けど――」
「とりあえずゆっくり頭の中を整理した方がいい。まだその時じゃないから、慌てることはない」
「その時?」
「……何でもない。ほら、そろそろ君たちの最寄り駅の一つだろう。ここからは誘導の方を頼む」
完全にはぐらかされた。釈然としなかったが、仕方無くまずは遼平を起こす。揺すると、すぐに目を開けた。
「そろそろ家よ。道案内してって」
「わかった」
若干眠そうではあったが、すぐに車が走っている道と遼平がある家を総合的に判断してから、的確に指示を出し、やがて彼の家の前に辿り着いた。
車から降りると、遼平は響香の近くの窓を軽く叩いた。それに応じて、窓を開ける。
「……明日から、朝も迎えに行くから」
「え? さすがにそれはちょっと……」
手間をかけるというのもあるが、それ以上に恥ずかしさもあった。わざわざ家まで迎えにくる異性がいるなど、噂になればすぐに広まる内容だ。
「少し離れて、近くのコンビニで合流だ。わかったな」
「え……、ちょ、ちょっと!」
慌てふためくのを響香の視線を流しつつ、遼平は軽く黒野と武中に会釈をすると、玄関のドアを押し、中へと入っていった。
そして響香が住んでいるマンションへと再び車は走り始める。頬が一瞬で赤くなったのを何となく感じ取っていた。
「悪いが、あまり少年の方に意識を持って行かれて、注意力散漫になるなよ」
「なっていません!」
「そうか、ならいいが。そうだ、家に着くまでに簡単でいいから教えてくれ、君の今月の予定を。こちらとしても動きに計画がたてやすい」
手帳を取り出しながら、揺れる車内で黒野はペンを持つ。
「しばらくは毎日学校で部活の練習。お盆休みを挟んだ翌日から、五日間合宿です」
「が、合宿だと……?」
持っていたペンを落としそうになる。
「どこでだ?」
「隣の県の山の中です」
「隣の県……! ……その概要は詳しく教えてほしいな。さっき教えた、携帯のメールにでも送ってくれ」
「わかりました」
そう返事はしたがいいが、眉間にしわを寄せいている黒野の様子も気になってしまう。場所にでも問題点でもあるのだろうか。
しばらくして響香が住んでいるマンションが見えてきた。玄関の前に止め、降りようとしたとき、黒野が助手席から顔を出す。
「何でしょうか?」
「さっきの頼みに、もう一つ付け加える。――確かに君は不思議な力を持っているかもしれない。だがそれを知ったからといって、無闇に使わないでくれ」
「無闇に? そんなことするわけないじゃないですか」
「そうだな、考え過ぎだった……」
まだ何かを隠しているようだったが、そのまま口を閉じてしまい、何も言わなかった。
そんな彼らに対して、無言で一礼をし、マンションの中へと入った。
長かった一日。
突きつけられた途方もない事実。
そしていったいこれから何が起こるのだろうか――。
やはりまだ胸騒ぎがしてならないのだった。
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