白と黒の交錯(三)
* * *
響香が次に目を開くと、そこは辺り一面真っ白な空間であった。眩しいくらいの、そして見惚れてしまいそうな純白。あまりの非現実的な場所過ぎて、驚きよりも感嘆しながら眺めていた。
顔を右に向けると、いつ現れたのかわからないが、十代後半の金髪碧眼の少女が立っていた。背中の真ん中まで伸びている長い髪、そしてこの場に溶け込んでしまいそうな、白い洋服を着ている。
「ご無事でよかった」
出される声は見た目よりも、大人びている。
「あなたは誰?」
「私は私。あなたはあなた。いつかわかるわ、疑問がすべて解消すれば」
「どういう意味?」
裸足で響香のすぐ横にまで歩いてくる。そして小さな笑みを浮かべた。
「あなたにとって、最善の結果が得られますように」
その言葉と共に、急に視界が暗転する。そんな様子を微笑みながら少女はじっと見つめていた。
* * *
再び響香は目を開くと、今度は蛍光灯の光が目に入ってきた。どうやらベッドの上で横になっているらしい。ずっと外にいたため、クーラーからもたらされる冷気が心地よかった。
起きあがろうとするが、体は依然として重い。だが頑張って体を持ち上げた。
部屋の中を見渡すと、ホテルの個室くらいの広さで、響香が寝ているベッドの他にクローゼットや机、椅子、そしてテレビまで置いてある。ただホテルと違う点としては、誰かが住んでいる形跡があり、コーヒーがほのかな湯気を残して、ぽつんと置いてあるところだろう。
ここはいったいどこだろう――そう考えようとしたとき、部屋の外から数人の話し声が聞こえてくる。そしてその声の主が黙り込むのと同時にドアが開いた。
ドアノブを押した人物と視線が合う。割れた眼鏡を変えた黒野がそこには立っていた。彼は響香を見ると、口元を緩めた。
「やっと起き――」
「響香!」
押し退いて入ってきた遼平によって、黒野の言葉は遮られた。遼平はすぐ傍にまでくると、両手で響香の手を握りしめた。その必死さに心なしか鼓動が速くなる。
「よかった、目が覚めて……」
「ごめん、心配かけて。ねえ、私、いったいどうしたの? そしてここは?」
中に入ってくる黒野と、車を運転した青年に目を向けた。
「君は車に乗り込んだ後、眠り込んでしまったんだ。時間にして、四時間くらい経過か? まあ疲れが溜まっていたのも一つの要因だろう。次の質問の返答としては、ここは俺たちの住処の一つ。白鳥から逃げるために、少し郊外までやってきた。あとで家まで車で送っていくから安心しな」
知りたい情報は得られた。しかし今の言い方に余計に質問事項が増えてしまう。
「疲れが一つの要因って、何か他の理由があったという事ですか? それに俺たちの住処って、いったい黒野さんたちは何者なんですか? そして――これから私の身に起こる事って、何ですか?」
言い返した質問に、黒野は若干顔を強ばらせた。隣にいた少し筋肉質の体格をした青年が肩を叩く。
「黒野さん、とっくにこの嬢ちゃんは身の回りの異変に気づいていますよ。そして避けきれないことだということも。表面上だけ話して、遠くから見守る――その段階はもう終わっているんじゃないですか?」
彼の言うとおりである。これから思ってもいないような事件に巻き込まれるかもしれない。それなら何も知らずに苦しむより、知って苦しんだ方がまだいい。
もう逃げまいと、黒野の目をじっと見つめた。数瞬ではあったが、効果はあったようだ。彼は観念したかのように息を吐いた。
「そういう目をされるのは、苦手なんだよ……。……本当は身の回りには気を付けろ程度のことを言うつもりだった。もしものことを考えて話す場所を考慮した上で、この近くまで連れて行こうとしたが――すぐに白鳥に発見されたから、全然意味はなかったようだな」
頭をかきながら、自嘲気味に言う。そしてそっと視線を合わせた。
「聞いたら、もう戻れなくなるぞ。何もなかった穏やかな日々に」
確かに迷いはある。だが、それ以上に何かをしなければいけない気がした。正義感とか、そういうカッコいいことではなく、一種の義務のようなものを抱いているのだ。
「知っても知らなくても、周りがもう戻れなくなるところまでいるのだったら、いつかは必然的に知ることになるのではないのですか?」
「……嫌なくらいに的確な意見を突きつけてくるな。わかった、話すよ、君の身に起こることを。――さて、一般人の君はどうする? 今まで起こった経緯くらいは簡単に話してもいいが、それ以上となるとかなり裏の話もするから極力聞かせたくはない」
複雑そうな顔を向ける黒野に対して、遼平は口元が緩んだ。
「響香の知り合いの中に、狙われる理由を知っている人がいる方が、彼女としては楽なはずです。一般人らしいですが、もう傷つけられている被害者でもありますよ」
響香以上に揺るがない精神と視線に、黒野は肩をすくめた。
「――ああ、嫌だね、状況も見ずに一つの想いに対して真っ直ぐすぎる目は。そういう無鉄砲な感情は、いつか自分だけでなく彼女にも災いを起こすぞ」
その言い方は、黒野の周りに今までそのような人がいて、何か取り返しのつかない出来事が起こってしまったかのように聞こえられた。
程無くして、やがて観念したかのように、彼はうなだれたのだ。
「……武中、しばらく外に出てもらってもいいか?」
体格のいい青年は首を縦に振った。
「了解ですよ。誰もこの部屋には入れさせません」
「助かる、ありがとう」
「いつもの事じゃないですか。別にいいってことですよ」
飄々とした様子で、武中は部屋の外に出ていく。出た瞬間に、彼の表情が引き締まったように見えた。
黒野は近くにあった椅子を持ってきて、響香の左側に座った。右側にいる遼平といっぺんに見渡す形となる。
そして二人の目を交互に見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「そもそもの始まりは俺たちが生まれる、ずっとずっと昔のことだ……。その前に、差出人不明で送った本を読んでくれたか?」
黒野の視線が響香に向く。その言葉を聞いて、すぐにぴんっときた。
「中世の世界史、特にヨーロッパ史の本ですか?」
「ああ、そうだ。足を付けたくなかったから、ああいうやり方で送らせてもらった」
「そうでしたか。全部読みましたよ、ざっとですが」
黒野はそれを聞くと目を細めた。
「それなら読んでいた中で、何か気になった内容とか、頭の中で引っかかる内容とかなかったか?」
腕組みをしながら考え込む。読んだのは一週間ほど前。本当にページをめくっただけに近い状態だったので、あまり記憶はない。だが、一つだけ思い浮かんだ内容があった。
「そうですね……、一番気になった内容は魔女狩りや魔女裁判のところです。今の世の中で起こったら、とんでもないことだなって思ったんですよ」
素直に答えたつもりではあったが、逆に黒野は頭を抱えていた。
「……本当に血や記憶が騒ぐと言うのはあるのか……」
きょとんとして、その様子を眺める。やがて黒野は顔を上げると、少し切なそうな表情をしていた。
「他の人にも同様にその本を読ませたが、人によって記憶に残った内容はバラバラだった。十字軍や大航海時代、万有引力の法則についてという声もあったな。……つまり確率論から見ると基本的にはどれも同じくらいと言ったところだろう」
「それはその通りですが……。私の答えが意外すぎましたか?」
「いや、魔女狩りについて少しでも知識を得られたかどうか、確認したかったという理由もある」
視線を若干逸らしながら、響香は言われた。そのやりとりに若干眉をひそめている遼平。無理もない、典型的な理系人間である彼は、世界史など眼中にはないため、今出てきた単語に関して少し戸惑っているのだ。それに気づいた黒野は説明を付け加えた。
「魔女狩りというのは、十五世紀くらいから、特に十六、七世紀にヨーロッパにおいて、魔女と思われる人々を狩り上げた歴史的事件だ。その人が魔女であるかどうかはわからないのに、そこら辺は適当にまくし立てられ、無理矢理悪い魔女にされ、処刑されたんだ。もはや少しでも自分たちと違う人間を告発する儀式ともなっていた」
「そんな話……」
「本当にあったことだ。嘘じゃない」
「そもそも魔女って、ゲームだけの話じゃなかったのかよ?」
「君の考えている魔女と違うと思うが、確かに実在していた。魔女と呼ばれた人々は、悪魔との契約によって悪魔のマークを身体のどこかに付けられていたとか、サバトと呼ばれる悪魔を称えるための儀式などをしていたらしい。他にも普通の人より超越したことを行っていると言われていた。それに対して、理解できない行動をしている彼女らに対して人々は恐れをなし、やがて狩りを始め、最終的には裁判へと持って行った」
響香が読んだ本でも、その凄惨な場面は絵となって載っていた。女性が火あぶりにされようとしている絵が載っており、その光景を想像するだけで震え上がったものだ。
「多くの人が何も根拠がないのに、魔女に仕立て上げられて拷問された。その拷問に耐え切れず、嘘の自白をし、処刑された展開も多々あっただろう。それだけ当時の人々は魔女という存在に恐れていたんだ」
「けどさ、どういう点から魔女を嫌っているんだ? 何か特別な事でもできたのか?」
疑問をそのまま声に出す遼平。嫌っている人を魔女に仕立てたという話しもあるが、恐れをなすほどのことを果たして彼女たちはしていたのだろうか。
「悪魔を呼ぶかもしれないと言う点だけでも、恐ろしいことだろう。悪魔というのは、未知の生物だ。現れたら、人間に害をもたらすかもしれない……と言われているのが、一般的な見解だな。その確証は一切ないが。――今、俺たちが生きている現代だって、自分とは違う価値観の人を省くといった行為はあるだろう。それがエスカレートしたと言ってもいいかもしれない。――魔女に関して、恐れをなしている人が多い中、一方で、非公式で残っている記録に、ある魔女の特別な力についての記述が残っていたんだ」
黒野の視線が遼平から響香へと移っていく。無意識のうちに響香は首のある部分を左手で押さえていた。
「ゲームなどの世界で言えば、魔法と呼ばれるもの。――声に出したことが、実際に起きてしまうという力だった」
響香の頭の隅に必死に抑えられていたある推測が、徐々に姿を現し始めてくる。
「そういう力があったとしても、規模にもよるんじゃなか? そこら辺の超能力者ができることぐらいだったら、たいして驚異じゃないし」
遼平は熱くならずに、至って冷静に突き返した。だが黒野の表情は依然渋い。
「確かにちょっと物を動かすくらいなら、別に誰も気にもしなかったが、ある女性は天変地異まで、言葉を出すことで自由に操っていたと伝えられている」
「天変地異って、それは偶然起きたことじゃなくてか? 証拠はあるのか?」
「残念だが、証拠はない。だが偶然が何十回も起きれば、偶然ではなく、必然と思ってもいいだろう? 干ばつの時に雨を降らしたり、氾濫した川の進路を変えさせたり……、奇跡と呼ばれる出来事がある女性の周りでたくさん起こったんだ。そしてその女性の遠い子孫が――」
黒野の射抜くような視線に遼平も追う。
そしてその先には黒髪の少女がいた。
「君だ、倉田響香」
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