第6話 創られし邂逅
東京時間の午前三時前。
内務省・時空間保安局の第二課長室からは、東京湾をゆっくりと行き過ぎる夜行船の明かりが、幾筋か見下ろせるはずだった。
だが、
問題の航空機が東京に向かう航路を頭に描きながら、海外支部の拠点と最新のクロノス配置状況をPC画面に表示させた。
「限りなく不可能に近いわ、晶子。まったく無茶な計画よ。六〇〇〇キロメートルで実行するとしても、そんな超長距離のテレポートには、クロノスが最低でも十人以上は要る」
魚住は、守秘回線のディスプレイに映る鴨志田晶子の薄笑みを浮かべた顔をひとにらみした。
三十路を過ぎても、たがいに容色はさして衰えていないが、鴨志田の顔がどこか輝いて見えるのは、子育てに頭を悩ませる魚住と違って、噂どおり、現在進行形の恋をしているせいだろうか。それも、「当代一危険」と評していい爆発間近の不発弾のような、恋を。
「バックアップも入れれば、クロノスが最低でも二〇人以上必要だわ」
もっとも、このミッションを単独で実行できるかも知れない若者を、魚住は一人だけ知っていた。だが、今現在の彼の行方を、魚住は把握していない。
年度初めに当たる明後日には――いや、日付が変わったから正確には、明日の四月一日には――魚住の前に、部下として顔を見せねばならないはずなのだが。
どこにいるのか、朝香瞬は内務省の入寮手続さえ、まだ済ませていなかった。
「勘違いしないでちょうだい、魚住課長。私はあなたに、旧友として頼んでいるわけじゃないのよ。組織として、時空研から内務省の二課長に対し、非公式に要請しているんだけど」
鴨志田は、国立時空間研究所に所属している。組織は違うが、「忘却の年」に世に出た同い齢の同期組で、十年余りのつき合いだった。
青雲の志に燃えていた昔は、よく意気投合したものだが 、ここ五、六年はそれぞれの職務多忙もあって、音信不通がちだった。
鴨志田の所属する時空研と同様、鴨志田が今、具体的に何をしていて、それが如何なる目的のためなのか、魚住には不気味なほど見当がつかなかった。それは、鴨志田にとっての魚住も、同じであろうが。
二人しか受電しえない守秘回線で、鴨志田は、魚住を「幸恵」でなく「魚住課長」と呼んだ。「旧友」という言葉も引っかかった。裏を返せば、現在はもう「友人」でないとの意味合いになりはすまいか。
たがいにすっかり大人となった今、自分の想いだけでなく、一枚岩でない組織同士の利害関係、組織を動かすキーパーソンめいめいの思惑が、複雑に絡み合っている現実を、魚住も身に染みて経験していた。
「体制」の渦中に身を置いた人間なら、「終末」回避といった「総論賛成」のマジックワードを幾ら連呼してみても、世の中が何も変わりはしないと、すぐに分かる。
何年もの間、音信不通の間柄なら、とりあえず腹の探り合いから始めてみる成り行きは、むしろ常識的かも知れなかった。
多人数のクロノスを関与させて一人当たりの負担割合を下げるほど、瞬間空間移動の成功確率は上がる。だが、守秘には問題を生じる。
魚住は部下や同輩たちから「美しきスーパーコンピュータ」と畏怖される頭脳を懸命に巡らせながら、答えた。
「誰から要請されたって、ほとんど不可能なら、そう回答するしかないじゃないの。晶子、人類も未だ、空間を完全に制覇してはいないのよ」
魚住は多少の嫌味を込めてみた。
時空研の目下最大の関心事は、空間ではない、時間だ。それも時流解釈だった。「終末」回避のために当然と言えば当然なのだろうが、空間操作研究の人員と予算は、十年前の十分の一以下に減らされていた。
「時空研なら、軍事目的でどこかに緊急着陸させられるでしょう? そこからリレー方式でテレポートするしかないわ。あとは、ウチが人海戦術で何とかするから」
魚住が言い終わらぬうちに、鴨志田が言葉を重ねて来た。
「その方法だと、関係者に必要性を全く説明しないわけには行かなくなるでしょう? 守秘の点で問題が大きいわ。預言者の動向を知られる事態は避けたいのよ」
それは別組織である時空研の事情だ。内務省には関係ない。
「支援要員も入れれば、ミッションを組む人員はその三倍以上になる。たとえこの短時間でスタッフを揃えられたとしても、守秘の点では多少の疑義は我慢してもらわなきゃ」
「それは、困るわね」
素っ気なく言い放つ鴨志田に、魚住は内心、腹が立った。
「鴨志田首席研究員。確認だけど、この件、普通に『極秘扱い』でいいのよね?」
研究所とのやり取りは、面倒だが原則としてすべて極秘とされる。非公式と断っている以上、内務省に対し守秘を求めていることは、問わなくても明らかだった。
「いいえ、魚住課長。『軍機』としての取り扱いをお願いしたいの」
軍事専制下の現在、国防軍第四軍、時空間防衛軍、俗称「救世軍」に関わる「軍事機密」は、最高度の守秘を要請された。極秘扱いと異なり、内務省側で関与できる上限人数にも、厳格な法的制限がある。
鴨志田からの要請は、単純だった。
――超音速で移動中の航空機内から、預言者一名を東京の時空間研究所へ、緊急テレポートさせる。
時空研所属の時流解釈士が一名、飛行中の機内で体調不良となったらしい。東京三鷹にある時空研で早急に措置を取らせねばならないという。
到着後に如何なる措置が取られるのか、魚住は知らない。だが、最先端の時空間操作研究を独占している時空研以外では、適切な処置ができないのだろう。
超音速で飛行中の旅客機に瞬間移動することはまず不可能だから、方法は機中から目的地への一方向のテレポートだけだ。
要請内容自体は、あり触れた空間操作ミッションだった。だが、如何せん、東京からの距離があり過ぎた。
単独で、七〇〇〇キロメートル強の超長距離を瞬間移動できるクロノスなど、いまい。
軍事作戦においても通常輸送手段で大量輸送したうえで瞬間移動を行うから、一〇〇キロメートル単位の空間移動は、通常されない。おまけに距離に対応して、移動に要するガロア数は、幾何級数的に上がっていく。エンハンサーの作動限界の問題も、別にある。
最優秀のクロノスでも、安全に配慮し、五〇〇キロメートルまでに押さえておくのが常識だ。失敗した場合のバックアップも不可欠だ。
世界の支部を中心に、数十人の優秀なクロノスに非常招集を掛け、数か所に集合させ、リレー方式で、東京へのテレポートを手配する方法しかないだろう。
「どこかへ緊急着陸させなさい。中継点を決めて、東京からも技術者とクロスをそこへテレポートを繰り返させる。そしたら、守秘が必要な人員も減るわ」
他人事のように首を横に振る鴨志田に、魚住は腹が立った。
「時空研なら、調査研究目的でウチよりずっと簡単に逆行許可が取れるでしょ? 空間じゃなくて、時間を操作しなさいよ」
だいたいからして、時空研の時流解釈士がこの事態を予知していれば、避けられたはずだ。内務省が尻拭いのために危ない橋を渡らされるのは腑に落ちない。
「無駄な結界を生じさせる必要はないでしょ。この話、オタクの局長を通しているはずだけど」
時空間保安局長の織畑刻司の指示で、魚住は夜半に出勤している。
「そもそも何で、ウチに要請が来るのよ? 軍にはクロノスがまだ、たくさんいるじゃないの」
第五次遠征では、第四軍の四個師団が壊滅したそうだが、残りの八師団は健在だった。
鴨志田は、女でもどきりとする妖艶な微笑を浮かべたまま、モニター越しに黙ったままだ。
「あなた、ウチを苛めてるだけ?」
「そんなつもりはないんだけどね。時間操作はまだ、分からない話だらけなの。だから、逆行には必ず失敗の危険が伴う。特に預言者の場合は、因果律の変化が大きすぎてね、逆行エラーが出るのよ」
逆行はすべての場合にできるわけではない。空間操作と違って、時間操作は実に分かりにくい世界だ。
「……仕方ないから、あなたには明かすけど、今回、救済をお願いする預言者の名前は、天川真子。話の筋が、見えたかしら?」
軍総司令である天川時雄を一言で表現するなら、現「体制」を支配する独裁者であった。真子はその娘に当たった。
「だから、時空研としても背に腹は代えられない状況なのよ」
それなら鴨志田も、もう少し下手に出たらどうかと魚住は思ったが、口には出さない。
内務省は軍に対し、力の差を開けられていた。
研究所には、エンハンサー技師、時間記録者の派遣や、TSCA(時空間操作能力)関連の技術開発の成果を提供してもらう必要があった。邪険にはできない。まして総司令の身内となれば、否はあり得なかった。
リレー方式につき、頭をフル回転させて考案しながら説明を始めた魚住を、鴨志田が途中で遮った。
「その必要はないわ。当方の要請は、内務省側の受け入れ態勢の確保だけ。翔ぶクロノスは、こちらで手配する予定だから」
魚住は黙って、画面に映る鴨志田のいつも自信に満ちている顔を、食い入るように見た。友として付き合うぶんには頼りになるが、敵に回すと厄介そうな女だ。
時空研所属のクロノスを十人ほど護衛で同行させていたのだろうか。あるいは、たまたま、何人もの優秀なクロノスが乗り合わせる偶然でもあったのか。体制の要人の異動は常に隠密を旨としている。いずれもなさそうな可能性だ。
「魚住課長は、かつて『蒼光のメデューサ』と呼ばれた軍人を知っているはずよ。もうすぐあなたの部下になるはずのクロノスだから」
魚住は内心の動揺を隠して、ポーカーフェイスを守るのが精いっぱいだった。これまでのやりとりも、魚住を弄んでいただけだ。
やはり研究所は、朝香瞬に介入しようと目論んでいたわけか。
朝香瞬は、真の「終末」回避を願う魚住にとって、最後の切り札となりうる「天翔のクロノス」の一翼だった。
「まさか、同乗しているの? 彼が?」
「偶然、だけどね」
澄ました表情の鴨志田に、魚住は内心で、首を横に振った。
最高レベルの預言者たちを擁する研究所に、偶然はあるまい。あえて同便に乗り合わせたに決まっている。
いかなる因果律を、誰が、何のために、変えているのか。空間操作能力しか持ち合わせていない魚住には、見当もつかないのだが。
「できるでしょ? このミッション。朝香瞬なら、単独で」
普通のクロノスには無理だ。だが確かに、発動できるガロア数が普通とは一桁違うあの若者なら、遂行できる可能性はあった。
「……だけど、請けるかしらね、彼?」
誰も経験していない危険なミッションだ。もしや朝香瞬の命を奪うのが研究所の思惑なのか。ありうる。ならば内務省の規律に反しても、魚住は、瞬の「死」に備えて、直ちに逆行できる手配を同時にしておく必要があった。
「必ず、請けるわ」
鴨志田は、自信たっぷりに頷いた。瞬も、魚住も、しょせんは予言通りに動いているだけ、というわけか。
鴨志田は時間記録士の資格こそ持っているが、クロノスではない 。だが魚住は以前から、鴨志田と付き合っていて、彼女がただのTSCA技術者ではない気がしていた。彼女自身が、預言者なのではないかとさえ感じる時が幾度もあった。
「分かったわ。こちらも至急、体制を整えます。朝香君には私から指示を与えるから、二十分後に守秘回線ちょうだい」
「了解」
魚住は至急、必要な内部調整と指示を終えると、課長室のソファに倒れ込んだ。独り腕を組んで、味気ない蛍光灯を見上げる。
「体制」により身分が厳重に保障される預言者たちは、時空研の奥御殿に、幽閉同然でひっそりと暮らしているらしい。預言者に関するあらゆる情報をできるだけ制御、秘匿したい気持ちは分かる。
だが腑に落ちない。この件は、ただの仕組まれた「事故」ではないか。
当の時流解釈士、天川真子はなぜ己が未来を予知しなかったのか。できなかったのか。しても、無意味だったのか。
第五次遠征に先立ち、第四軍は「蒼光のメデューサ」を軍神のようにPRし、絶対の勝利を喧伝していた。
敗残の憂き目を見た軍は、悲劇の英雄を見捨てたのか。内務省に拾わせてくれたのも、軍らしからぬ寛容さだった。時空研が今になって、瞬に食指を伸ばしてきた目的は何か。
魚住は、自信が描く「終末」回避計画を、数少ない同志以外に未だまったく明かしていなかった。朝香瞬が研究所に取り込まれれば、天翔のクロノスの力で「終末」を回避しようとする魚住の計画は、瓦解する。
しょせん預言者にあらざる一介のクロノスに、救世などできはしないのか。
魚住はソファから抜け出し、窓際に立った。
もともと朝香瞬は火中の栗だと、魚住も分かっていた。だが、それを拾わねばならないほど事態は切迫していた。内務省としても、人類としても。
あの若者は、軍に身を置いて「昴」と戦い、何をどこまで知ったのだろうか。あるいは、恋人と仲間を守るために人間兵器と化していただけなのか。
魚住は休む間もなく酷使を求められ、疲れ切った頭を巡らせる。
天川真子がもしかして、一〇年ほど前から時空間研究者たちの提唱し始めた「確定存在」だとしたら、どうか。
時間改変が始まってから三十余年。
ある者については、逆行エラーが頻出し、逆行できても、改変が失敗するか、必ず無意味となる。改変しても、同一または同種の確定事象が生じ続けている事実が分かって来た。
時間研究者たちは、さしあたり次のように結論付けた。
どうやらこの世には、逆行による事象改変を受け付けず、確定された運命だけを辿る者――確定存在――がいるらしい、と。
魚住のような通常人は、過去改変の影響を無条件に受ける「暫定存在」過ぎないが。
魚住はもう一度ソファに沈み込んだ。
ならば、ここで魚住の「作為」によって、朝香瞬のテレポートが失敗し、預言者天川真子が落命することもまた、何人にも代え得ぬ確定事象なのではないか。
逆行で改変しえぬ事象を起こせるなら、試してみる価値は、ある。
たとえ自分が、確定存在のたどる確定事象を生起させる、決まりきった歯車の一つに過ぎないとしても、軍と時空研の力を弱め、復讐を遂げて、さらに「終末」を回避できるなら。
魚住は決意した。
――預言者、天川真子を「事故死」させる。
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■用語説明No.6:空間操作士
エンハンサーにより空間操作を許可される国家資格。
クロノス三士の中で序列は最下位であり、数は最も多く、正規資格者だけで二万数千人に及ぶ。多くは軍人だが、内務省、国立時空間研究所所属の者、民間人も少なくない。
サイ発動にかかる時間が三士中、最短(秒単位)であるため、非常に高い殺傷能力を持ち、「人間兵器」と揶揄される(例えば人間の心臓を空間的に十個に分割して瞬間移動させれば、即死させられる)。
能力の個人差は極めて大きく、エンハンサーやソウルストーンの性能にも大きな影響を受ける。
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