第4話 不機嫌な赤光

 織機砂子が、蟹江に促されて、ようやく内務省公用車の助手席に乗り込んだころ――。


 天川あまかわ真子まこは、ベッドの上で半身を起こし、窓の外を舞い落ちる銀杏の葉を眺めていた。

 東京、三鷹みたかにある国立時空間研究所に付属する病棟の一〇階では、辛気臭い空調の音しか、聞こえなかった。


 プシュッと、病室のドアが開く音がした。


 が、真子は振り向きもしない。どうせこの部屋を訪れるのは、あのいけ好かない女くらいだった。


「お嬢様、お加減は、如何でいらっしゃいますか?」


 無視をしてみたところで、もう一度、同じ質問がされるだけの話だ。


「見ての通りよ。相変わらず、最悪ね。たぶん、あんたの顔を見たら、また頭痛が、ぶり返すわ」


 真子は、窓の外に視線を残したまま、答えた。


「でも、顔色はすっかり良くおなりですわね」

「何よ、鴨志田かもしだ。あんた、あたしが仮病けびょう使ってるって、言いたいわけ?」


 かたくなに他所へやっていた視線を、招かれざる来訪者に向けると、横細の赤眼鏡をかけた女がいた。確か三十歳を少し過ぎていたはずだ。


 周りの者はよく、鴨志田を美人だと誉めそやすが、真子は全くそう思わない。真子に比べれば、この女など、どこにでもいるごくごく普通の女だ。


 もっとも、この世で真子が美しいと認めた同性は、一人しか、いなかった。真子より年上で、コードネーム≪ヴィーナス≫と呼ばれていた女性だ。もっとも、親しくもなかったし、彼女は虹色の戦場へおもむいて二度と戻っては来なかったが。


「とんでもありません。ですが、因果律の分析はできる体調でいらっしゃるように、お見受け致しますが」


「あたしなんか、どうでもいいわよ。カサンドラなんて、どうせ、使い捨てなんだからさ。それより、お兄様のお加減のほうが心配ね」

時哉ときや様は、ロンドンの第二研究所で健やかにお過ごしだそうです 」


 兄の天川時哉とは一年近く、会っていない。

 だが、異時空間に日常的に身を置く時流解釈士にとって、一年は、普通の人間の二倍以上の長さに感じられる。


「まさか、あたしみたいに幽閉されているわけじゃないでしょうね」

「第二研究所で、例の第五次遠征からの生還者の意識回復のために、鋭意研究されております」


「ふん、研究してんのは、あんたたちでしょうが。お兄様のお顔を拝見するまでは、安心できないわね」

「来春には、時流解釈士の研究集会が予定されております。今しばらくの御辛抱です」


「ふん。時流の解釈なんて、イメージだけの問題でしょ? 話し合いとかで決めるもんじゃないわ。あたしなんて一度も、外したことがないもの。みんな大人しく、あたしに従っていればいいのよ」


 鴨志田は、ベッドサイドに少し身を乗り出すと、声を落とした。


「実は最近、あの遠征から離脱した者の生存が、もう一人、確認されました」


 真子は噛み付かれたようにびくりと反応した。


「何ですって! 誰かが、あの虹の地獄から、別の離脱ルートで生還できたって、言うの? どうやって?」

「分かりません。ですが、例の『蒼光のメデューサ』が生きていたとの情報が得られました」


 時空間防衛軍には、瞬き一つする間に蒼光を放ち、単独で一〇〇〇ガロア近い数値のサイを叩きだす、若い空間操作士が出たと聞いていた。


 反政府組織「昴」の討滅を企図した第五次昴掃討作戦は、真子が大敗北を予言したにもかかわらず決行された、不可解きわまる軍事作戦だった。


 真子は、他の時流解釈士が大勝を預言する中で、ただ独り、軍の壊滅的大敗を預言した。

 異時空間への遠征に動員される予定であった時空間防衛軍の三個師団と一般軍人、総兵力一五万人余のうち、生還者は一人だけだ と、真子ははっきりと預言した。


 果たして、予定されていた時空への離脱を確認できた者は、意識不明の時間記録士一人しか、いなかった。

 これまで絶対的な的中率を誇っていた真子の預言が、やはり今回も的中したと、考えられていた。


「あたしの預言が外れるなんて……初めてよね……」

「お嬢様も、神ではありませんから」


 真子に悔しい気持ちはなかった。むしろ胸が躍った。

 どうせすべての未来は、真子の予知した通り、破滅が待つ「終末」に向かって、ひたすら突き進むのだと思っていた。分かり切った未来に、真子は愛想を尽かしていた。


 真子が予知した確定的な「終末」とは違う世界が、まだ、ありうるというのだろうか。たとえ一人でも、真子の預言に反してあの時空から生還した者がいるという事実は、むしろ希望でさえあった。


「異時空間における戦争では、敵味方双方の預言者に従った行動結果が、無数の可能性を生み出します。複雑に絡み合う因果律を、見事に解きほぐされたのは、やはりお嬢様だけでした」


 真子が時流から読み取ったのは、溢れ出んばかりの殺戮に満ちた凄惨せいさんな修羅場のイメージだった。

 自分の預言に反し、あの地獄から生き延びて帰還した男と、その男のこれからの運命に、関心を抱いた。


「いったいソイツ、離脱してから今まで、何処をほっつき歩いていたのよ?」


 鴨志田は嘲笑するように、鼻を鳴らした。


「軍には戻らずに、世界各地の『昴』をかたる犯罪組織を、片っ端から一人で消滅させていたようです。『青嵐せいらんのクロノス』などと呼ばれて、犯罪者が、死神扱いしていたとか」


「まさかソイツ、独りで『昴』に復讐するつもりなの?」

「恐らくは」


「馬ッ鹿じゃないの? これだから、人間兵器は、手に負えないわね」

「全くです。世に犯罪者の種は尽きませんが、『昴』を騙る組織は、今やすべて鳴りを潜めている、とか。『昴』の討滅は、時間移動のできない空間士には土台、不可能な話ですが」


 真子にとって、同じクロノスの中でも、空間操作士は単なる「人間兵器」でしかなかった。


 戦争に関する時流解釈において、戦死者が出るのは不可避だった。そのゆえもあって真子は、空間操作士を人とは思わず、通常兵器の何万倍もの威力を持つ、軍の強力な兵装だと思うようにしていた。そう思わねば、気が重くて、仕方がなかった。


 桁違いのガロア数を記録してきた蒼光のメデューサは、確かに三次元において、最強戦士たりうるかも知れない。が、四次元を操る時間士を相手にして、勝てるはずもなかった。


 「昴」は時間操作士のみならず、時流解釈士まで擁している。復讐のために世界を放浪して、軍をも大破した「昴」を独りで滅ぼそうとするなど、無謀というより、愚昧ぐまいという他なかった。


 世にも愚かな男の話を聞いて、真子は、人間兵器にも感情があるのだという当たり前の事実を思い起こしたのだった。


「可哀想に。ソイツも好きで人間兵器なんかになったんじゃ、ないでしょうにね」


「だからこそ、お嬢様のお力が必要なのです。お嬢様のお働き次第で、空間操作士が幾人も生き、あるいは死ぬのです」


「ああ、やだやだ。何であたしが、人の命を弄ばなきゃならないわけ? どう転んでも、何をやっても、星の数ほど人が死ぬ時、あたしはどうすればいいの?」


「選ぶのはお嬢様ではなく、お父様でいらっしゃいます。お嬢様が、気に病まれる必要はありません」


「あたしはイメージを見るのよ! この身体で、幾通りもの辛い未来ばっかり、疑似体験しているのよ! 気安く言わないでくれる?」


 鴨志田がずれた赤眼鏡を直すと、真子は横たわって、布団を頭から被った。


「『異神降臨』の預言に従い、お嬢様には『終末』を回避するための未来を探していただかねばなりません。それが、時流解釈士の務めなのです」


 真子は布団の中で毒づいた。


「あたしは、カサンドラなんかやりたいって言った覚えは、ただの一度もないわよ」


「ご承知のはずです。預言能力を持つ者は、世界でもごくわずか。他のクロノスのように、努力してなれるというものではありません。お嬢様も、そろそろ神に選ばれし者としての自覚を持たれませ」


 抵抗しても、無駄だと知っていた。この女の背後には、最高の能力を持つ預言者がいる。真子の行動など、はなからすべて見通し済みだ。どの道をたどっても、真子は今日、時流解釈士として仕事する。そう読んだからこそ、鴨志田が遣わされたのだから。


 息苦しさに、布団をめくった。


「ちょっと体調が良くなれば、来る日も来るも、戦争の未来予知ばっかり。うんざりするわ。他のカサンドラの連中はいったい、何やっているのよ?」


 真子にとっては、時流解釈士を自虐的に「カサンドラ」と呼ぶのが、小気味よかった。


「能力だけではなく、機密の問題もございます。お父様からの命令です。さ、お従いなさい」


 鴨志田は、ベッドサイドの脇机から金色のカチューシャを取り、真子に差し出して来た。真子にとって、カチューシャは髪飾りではない、軍に仕える預言者としての武器だった。


「広い世界で、あたしの味方は、お兄様一人だけなのね」


 真子は、「忘却の日」から遅れてすべての記憶を喪失した「遅発性オブリビアス」だった。その真子にとっては、兄の時哉とのつき合いは数年しかないが、ただ一人の信頼できる血縁だった。


「人類が時空を制した今、世界はもう、広くはありません。複雑に因果律が絡み合っているだけです。春が来れば、お嬢様の人生もずいぶんと変わるでしょう」


「ふん。預言者に向かって、思わせぶりな言い方をするじゃないの。恋をする暇さえ、ないって言うのにさ」

「ご自分の未来は、その気になれば、いつでも御覧になれるはず」


 他の預言者は知らないが、真子は皮肉にも、自分の未来だけは見ることができなかった。自分に関係のある人物や事象の未来を見ることで間接的に推測するしかなかった。抜群の予知能力は、自身を捨象することによってしか、発揮し得ないのかも知れない。


「あたしは自分の未来は見ないって決めているのよ。で、今度は、あたしに何しろってのよ?」


「先の掃討作戦で、昴は、改良型エンハンサーを使用したと考えられます。我々は今回の教訓を生かして、第六次昴掃討作戦を勝利に導く因果律を探らねばなりません。そのためには次世代型エンハンサーの開発が必要となります。すでに幾つかのプロトタイプが開発されましたが、その因果律を解釈していただきます。Aタイプは……」


 さすがに、真子の父が認める優秀な秘書官だけあって、鴨志田の説明は手際よい。

 説明が終わると、真子は眼を閉じた。

 真子はやがて、灼熱色の光に包まれて行った。



第二章 予告

 三人のオブリビアスが予定された邂逅を果たした時、運命の歯車は大きく動き出し、文明「終末」への最終章が幕を開ける。


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■用語説明No.4:エンハンサー/EA(Enhancement Accessory)

クロノスの能力を引き出す時空間操作能力促進装置。大規模隆起した小笠原諸島、西ノ島の古代地層内の隕石から発見された稀少鉱物「輝石」を微量、利用する。織畑幾久男博士(故人)に、実業家の天川時右衛門(故人)が資金援助して、実用化に成功した。ネックレス、ブレスレット形態が多いが、他のアクセサリー形態をとる場合もある。エンハンサーは極小化の時代を経た後、「終末」に向け、再び巨大兵器化していく。

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