第2話 慈愛のプラチナ光(1)


 殺戮さつりくを終えた朝香瞬が、人気のなくなったビルの廃墟から、蒼光とともに姿を消したころ――。


 織機おりはた砂子すなこは、冬ざれの公園の脇に、漆黒の内務省公用車をゆっくりと停車させていた。

 プライバシーフィルムを張った車のフロントガラスからは、焼け落ちた住宅跡がよく見えた。四日前の夜半、火事のために初老の夫婦と要介護の老婦人が焼死した現場だった。


 砂子は車の中で、いつものように、自分に言い聞かせた。


「全員、救ってみせる」


 右耳のイヤリングに手をやる。鮮やかなプラチナ色に輝く石に、でるように触れた。砂子の癖だ。儀式と言ってもいい。天使の翼をあしらった耳飾りには、上質な真珠を思わせる「輝石きせき」がはめ込まれている。


 すでに時間操作のためのウォーミングアップは済ませてあった。あとは落ち着いて精神を統一していけばいい。


「逆行するわよ、蟹江かにえさん」


 砂子の仕事のモットーは、至って簡明だった。

 一貫して「一人でも多くの命を救う」ことである。砂子はそのために、時間操作士になった。

 愛すべき先輩の相棒が、笑顔で応じた。蟹江は醜男ぶおとこだが、いい味を出していると思う。


「よっしゃ。頼むで、サコちゃん」


 砂子が心に念じると、柔らかなプラチナ光が車ごと二人を包んで行った。


 数瞬の後、公用車を覆っていたプラチナ色のカーテンが、ゆっくりとフェードアウトし始めた。


「よし。駐車車両も、人もおらへん。空間操作、見送るで」

「了解」


 四日前の同じ公園のそばだ。二人は、過ぎ去ったはずの土曜日の昼下がりにいた。目の前にある二階建ての民家はまだ、燃えていない。小洒落こじゃれてはいるが、よく見かける戸建て分譲住宅だった。「犬養いぬかい」と記された表札が見える。


「でも、どうしたんや? サコちゃんらしないな。時間、ズレてしもとるで」


 砂子は、事前調査の時間を確保するために、午後三時一〇分への逆行を予定していた。だが、車内の時計は、計画より二時間以上も早い、午後一時〇八分前を指している 。


「目的時間に変な結界ができていたのよ。おかしいわね。誰かが先に逆行しているなんて、考えられないのに……」


 悠久の時の流れの中で、すべての過去には、事後改変を拒むように結界が生じている。時間操作士はエンハンサーを用いて、自然に形成された結界に侵入する能力を持つ。


 だが、時間操作士による過去改変もまた、必然的に新たな別の結界を生む。この人為的な結界は、最初の結界と結合することでさらに強力となった。


 砂子が感じた結界は、自然結界にしては不自然だった。何者かの作った人為じんい結界である可能性があった。


 そのために砂子は、人為結界を迂回し、目標時点より約二時間前の午後一時ころに逆行したのだった。仮に過去へ向かうバスがあるとするなら、目的のバス停に障害物があったために、そのまま二つ先のバス停まで行って、下車したような按配あんばいだ。


「おいおい、違法逆行かいな。嫌な予感がしおるなぁ。軍関係の機密逆行かも知れへんで」


 蟹江が右手で胸ポケットをまさぐっていた。愛煙家が時間を潰す時に取る行動は、一つしかない。


 当局、すなわち時空間保安局長の許可を得ることなく、何人も時空を逆行し、改変してはならない。逆行はすべて当局により、記録、管理されている。違法逆行はほぼ例外なく訴追され、厳格に処罰された。


 もっとも、「終末」の回避を究極第一の目標として設置された第四軍「時空間防衛軍」、俗称「救世軍」だけは、全くの別組織、別系統だったが。


 もちろん砂子は、逆行に先立ち、当局のデータベースで逆行記録を検索していた。比較的新しいこの時空には、未だ誰も逆行していないはずだった。


「でも、やるしかないじゃないの。私は一人も、死なせない」


 まずは、犬養家の夫婦に面会し、内務省の救済チームとして、事情を説明しなければならない。が、警察の調書ではこの日、犬養家の人々は家族でドライブに出かけ、夕方近くまで戻って来ないはずだった。


 蟹江が上着のポケットをまさぐり始めた。


「ほな、すまんけど、吸わせてもらうわ」


 過去の改変は、現在・未来の改変を同時に意味する。

 可能な限り現状を尊重すべく、改変は必要最小限に留める必要があった。クロノスたちに課されている義務の基本原則は、「過去の人間にできる限り接触しない」こと(可及的不干渉の原則)である。


 過去に逆行し、本来されなかったはずの会話をするだけでも、大きな改変が起こりうる。例えば現に今、砂子が計画しているように、死ぬはずの人間に対し、降りかかる危険を事前告知すれば、その者は死を回避できるわけだ。


 クロノスたちが、外からの干渉を比較的避けやすい車中にあって、車ごと逆行する場合が多いのは、そのためでもある。国民側も不必要な干渉が法で禁じられているから、内務省の黒い公用車が止まっていれば、テロでもない限り、国民から接触してくる事態は、まずない。


 蟹江は、助手席の窓を開けると、タバコの先に火を付けた。


「誰かが『プラチナの観音様』って言うとったけど、サコちゃんはホンマ、別嬪べっぴんさんや言うだけやのうて、聖女みたいなやな」

「ほめすぎよ。助けられなかった命だって、いっぱいあるわ」


「そらそや。クロノスは神様やない。でけへんことかて仰山ぎょうさんある。でもサコちゃんはいつも、発動限界ギリギリまでサイ使うて、一つでも多く、命を救おうとするやろ? 新人が、スンマ・クムラウデ取るとは、誰も思わへんかった。課長も、ビビッとったで」


 砂子は、初任の年度だけで、関西支所始まって以来の年間救済件数を叩き出し、全国で時間操作士の最高位賞を受賞した。

 だが、人を救うのがクロノス、中でも時間操作士の仕事だ。蟹江のような大阪人の言葉で言うなら、「人を救ってなんぼ」、当たり前の話だった。


「関西支所のマドンナを本部に取られるのは、ホンマ悔しいなぁ。支所で署名集めて本部に届けたら、考え直してもらえへんやろか」


 砂子は、内務省時空間保安局の本部に所属している。来年四月一日付けで、東京にある本部へ異動するとの内示が、過日あった。


 蟹江は関西支所の採用だから、一緒に仕事ができるのはあと三か月ほどだった。


「わたしも関西、結構気に入ってたんだけどね。初任は二年って、決まってるから」


 蟹江は煙が車内に残らないよう口を尖らせて、窓から外へ吐いた。砂子のタバコ嫌いに一応は配慮している様子だが、風で煙が中に戻ってきた。


「ごめん、済まんなぁ。サコちゃん、若い空間屋にヘビースモーカーが多い理由、知っとるか?」


 考えたこともなかった。申し訳ないが興味もなかった。軽く首を横に振ると、蟹江が話し出した。


「ごっつカッコええ先輩がおってな。チャランポランに見えんにゃけど、技術は最高レベル、天才やった。ハードボイルドの極致やな。ハンフリー・ボガートみたいやから、渾名あだなは『ボギー』やった。もちろん、日本人やけどな」


「兵学校とか研修所の教官もやったはって、生徒にもごっつ人気やったらしいで。ボギーさんに教わった奴は、みんなあこがれて、若いくせに、教官の真似を始めおるそうや」


 一般に、女子が多い時間操作士とは対照的に、空間操作士の適性は、男子に多い。そのため、空間操作士の養成機関 は、男子が九割前後を占めていた。さながら男子校の様相を呈すると聞いていた。


「その教官が、タバコをスパスパ吸ってたわけね」


「そや。ボギーさんのせいで、タバコを吸う奴らが、後を絶たへんようになった。教官に言わせると、吸うたら集中力が高まって、ガロア数も上がるらしいわ。ほんでもって、たいていの男子は、タバコをふかし始めおるわけや」


「じゃあ、その教官、まだ研修所でヘビースモーカー、増やし続けているんだ?」


 蟹江は親指でタバコの尻を叩き、灰を車外に落とした。


「いや、戦死しはったんや。ほら、あの、第五次遠征でな」


 砂子は、ハッとして、蟹江の寂しげな横顔を見た。


 反政府組織「昴」討滅の目的で行われた、第五次昴掃討作戦は、公式発表がされていないため詳細は不明だが、どうやら史上類を見ないほどの惨憺さんたんたる敗戦だったらしい。


 異時空戦は時として、オールオアナッシングの結果となるが、その点、第五次遠征は非常に分かりやすかった。


 敗退し、異時空間からの離脱に失敗した遠征軍は、ほぼ全滅した。蟹江の先輩ボギーも、その中に含まれているわけだ。形成された人為結界からは、ただ一人、準クロノスと呼ばれる時間記録士が意識不明の状態で帰還しただけだったという。


「先輩は、学生時代から戦役に出たはってな。俺らによう、異時空戦の話もしてくれはった。時空がホンマに虹色に輝いとるそうやで」


 クロノスたちがエンハンサーを用いてサイを発動する際に生じる動作光は、各人が用いる霊石(ソウルストーン)の色に由来する。敵味方がサイを発動する異時空戦では、さながら虹の中にいるように、光が満ち溢れるそうだ。その虹色の空間に憧れて、軍人の道を選ぶ者もいた。


「どうして蟹江さんは、軍人を辞めたの?」


 蟹江は、途中で除隊して、内務省に入った。決して珍しくはないキャリア・パターンだ。


「空間操作がある程度できるようになるとな、エライ強うなった気がすんねん。もっと強い奴と戦いとうもなる。武道と一緒やな。時間屋とちごて、空間屋は結局、人殺しみたいなもんや。人によっては、血も涙もない人間兵器になってしまいよる。どんなにエエ奴でもな。それが、俺には耐えられへんかった。俺は人を殺すより、救いたかったんや」


 はっきり言えば、砂子は空間操作士たちが嫌いだった。

 恋愛恐怖症を病み、男嫌いでもある砂子が、珍しく蟹江とだけは気が合う理由は、人を殺めるより救いたいという仕事のベクトルが同じだからだ。だから蟹江といると、心が安らぐ。


 他愛もない話で、時間が過ぎてゆく。

 

「それにしてもサコちゃん。この案件、三人しか死んどらん火事やし、ホンマは、非重大事件や。よう許可、取れたもんやな。色仕掛けかいな」


 逆行は法律上、容易には認められない。重大事件で多人数の生命が失われた場合に、厳格な要件の下で初めて許可された。できるだけ多くの人を救うために、少数者は犠牲にされる。救急医療における「トリアージ」(識別医療)と呼ばれる思考に近い。


「ばーか。あの堅物に、そんなの通用するわけ、ないじゃないの」

「俺なんか、サコちゃんに頼まれたら、イチコロやけどな」


 何度もタッグを組んできた蟹江は、三十一歳の先輩だが、課内では誰ひとり、彼に対して丁寧語を用いなかった。いかにも「大阪のおっさん」然として、明日から市場で魚屋の親爺でも始められそうな蟹江の風貌は、最初はとっつきにくいが、見慣れるにつれ、じわりと味が出てくる。


 砂子は蟹江の優しい垂れ目が好きだ。

 昔から男は皆、砂子に会うと、ハッとした様子で何か砂子の顔に難癖を付けられないかとあら探しでもするかのように、見詰め直す。数瞬、ボーッとするように容姿を眺めてから、砂子の作り笑顔に気づく。


 でも、蟹江は違った。生来、これ以上は見開けないほど大きな眼をしているせいかも知れない。蟹江は最初から、砂子を女としてでなく、まず同僚として見てくれた気がした。


 砂子は、男に「女として」見られることが怖かった。

 小太りで冴えない容貌だが、蟹江のような男こそ、砂子が長年患わずらってきた恋愛恐怖症を和らげてくれるのかも知れない、と思う。


「気が進まないけど、親の七光りを使っただけよ」


 砂子の父、織機刻司こくじは、時空間保安局長の任にあり、「体制」下で絶大な力を持っていた。

 だが、刻司は仕事に一途いちずで、家庭をほとんど顧みず、厳格に過ぎた。その父を尊敬できるとしても、砂子は好きでなかった。


「ま、ここんところ、『オリオン』もこっちじゃ落ち着いてて、ヒマだった事情も、あるけどね」

「あの『青嵐のクロノス』が日本に来て、オリオンもやっつけてくれたら、楽できんのになぁ」

「あの、正義の味方を気取って、世界を放浪している殺し屋? 人の命を、何だと思ってるのよ」


 砂子は口を尖らせた。殺人兵器と化したクロノスの最たる者だ。いったい何人を殺してきたのだろう。


「まあ、そう言うたりなや、サコちゃん。ホンマの極悪人だけ処刑して回っとるって話やで。どうせ『終末』が来るんやし、何してもええ思て、酷い真似しおる悪党も多いしな。……あれ?」


「サコちゃん。ちょっと、あれ、見てみ」


 蟹江がタバコの先で差す先に、黒いフロックコートを着た一人の長身の男が立っていた。


 世界「終末」の序曲が、音もなく奏でられようとしていた。


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■用語説明No.2:ガロア(G)

空間操作力の発動単位。

海抜ゼロメートルで、質量1トンの存在を1km、瞬間水平移動させるために要するエネルギー量と定義される。1ガロアの発動能力が、空間操作士の登録許可基準とされる。

記録開始以来の最大記録値として、第五次昴掃討作戦における異時空間で観測された一万ガロアがしばしば挙げられるが、計測ミスの可能性が指摘されている。

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