天翔のクロノス ◆100万ガロアの防壁

白川通

第1章 それぞれの戦場

第1話 怒れる蒼光

 

 朝香瞬あさかしゅんは、蒼い双眸そうぼうを見開いた。


 ラピスラズリの蒼い閃光がきらめく。往生際おうじょうぎわ悪くざわついていた夕闇に、神が放った稲光のようだった。


 耳をつんざく轟音とともに崩壊した中層のビルは、もうもうたる粉塵とともに基礎から一メートルほどを残して、消滅した。

 瞬は宙を歩いて、またたく間に廃墟と化したビルの瓦礫がれきの上に、立った。


 瞬が片笑みを浮かべると、賊どもは、等しく顔を引きらせながら、無数の銃口を、ただ一点に向けた。

 蒼光とともに突如現れた、たった一人の若者にって、確かな死の匂いを生存本能が嗅ぎとったらしい。


 瞬は着古したカーキ色の軍服の胸ポケットから、タバコを一本、抜き出した。


「俺が一服、吸い終わるまで時間をやる。未来を奪われたこんな世でも、まだ生きてみたいと思う奴は、俺の前からとっとと失せろ。俺からのクリスマス・プレゼントだ。命をくれてやる。どうせおたがい、『終末』までの短い人生だけどな」


 瞬は銀色のジッポを開いた。手で小さな炎を守りながら、くわえた白筒の先に火をつけた。肺の奥まで、深く吸い込む。

 瞬にタバコの味を教えてくれた、ガラは悪いが、愛すべき恩師のボギーは、とにかく美味そうに吸ったものだ。この時空にはもう、いないのだが。


「若いの、ちょっと待ってくれんか」


 悪党の群れの中から現れた、頭領らしき禿げ頭の男は、のっそりと前に出た。男が瞬を見上げると、だぶついた二重アゴが、重力でムダに揺れた。


 「終末」と呼ばれる文明終焉しゅうえんの足音が近くに聞こえ始めると、人々は自暴自棄になり、重犯罪化が進んだ。統治機構の溶解した地域では、武力のみが支配する無法地帯が生まれた。


 二重アゴは、殺人、略取、人身売買、放火、麻薬……悪徳の限りを尽くしてきた犯罪組織の頭目らしい醜悪な顔つきをしていた。


 瞬は高みから、二重アゴを見おろした。


「お前たちに売られた女から、聞いたんだがな。『すばる』から改良型のエンハンサーを買ったって話は、本当なのか?」


 二重アゴは、意味もなく笑ってから、なれなれしく声をかけてきた。


「おい、あんた。まさかとは思うが、あの『青嵐せいらんのクロノス』とかじゃあねえよな? あちこちで『昴』に関わる組織を探し出しては、相手かまわず皆殺しにしてるっていう?」


 流暢りゅうちょうな日本語だった。世界最後の超大国となった日本の言葉が、英語に取って代わる公用語となって久しい。中東の片隅の町でも、明日を生き延びたいと願う人間なら、片言の日本語くらいは喋る。が、この男はどうやら、日本人らしかった。


「だとしたら、どうなんだ? 俺に何か、くれるのか?」


 狼狽を隠せない二重アゴの額ににじむ冷や汗が、賊どもの使い始めたギラつくライトにてかった。


「なら、あんた。俺たちはシロだぜ。俺たちは『昴』との関係を匂わせちゃあいるが、本当は何の関係もねえんだ。『昴』は、救世軍さえ破ったんだ。今じゃ『昴』の支部を名乗りさえすりゃ、クロノスの何人かを使えるって、相手が思うだろ? 虎の威を借る何とやらって、やつよ。俺たちは、ただの健全な民間の自衛組織だ。政治に首を突っこむつもりなんざ、サラサラねえよ。持ちつもたれつ、共存共栄って、やつさ」


 瞬は口の中に溜めていた煙を吐いて、輪っかを作った。

 どうやら今回も、「昴」とは全く関係のない組織だったらしい。長居は無用だ。やはりタバコ一本ぶんで、正解だったようだ。


「そろそろこの世からおさらばする準備はできたのか?」


「おいおい。俺たちの雇ったヤメクロを、一瞬で飛ばすほどの凄腕だ。あんた、正規兵崩れのクロノスだろう? 俺もこの道の素人じゃねえ。あんたとやり合えば、俺たちの半分ほどが、たちまちおっって話くらい、赤子にだって分かる道理だ」


 瞬は、コンクリート瓦礫の上に座って、足を組んだ。

 初対面だが、瞬は頭目のツラが気に喰わなかった。己が為せる罪に対し、わずかの悩みさえ、持ち合わせていない顔だった。


 殺人者という意味では瞬とて同罪だが、人を殺し始めると、顔つきが変わるものだ。

 おのが宿命に対するあらがいと諦観ていかん、あるいは生命を奪う罪業への慨嘆と悔悟がもたらす憂いが、せめて表情にただよっているはずだ。


 ――人を殺すなら、自分の顔に責任を持て。持てないなら、人を殺すな。

 瞬に、微小な空間操作能力の発動のみで、敵の息を止める技術を教えてくれた、恩師ボギーの言葉だ。


 瞬は、星がいっこうに姿を見せようとしない、濁った天空に向かって、ゆっくりと煙を吐いた。


「二重アゴ。二つほど、お前の状況認識を、訂正しておこうか。ひとつ。一ガロアの防壁も張れない素人を、クロノスとは呼ばない。粗悪なエンハンサーを使っているただのチンケなまがい物だ。もうひとつ。俺に歯向かったら、半分では済まない。お前たち全員が、確実に死ぬ。一瞬で、だ。俺は面倒くさがり屋でな、手加減もしない」


 瞬がタバコをくわえなおすと、二重アゴの下卑げびた笑いが聞こえた。


「なるほど、そうかもな。だが、俺たちだって、伊達に犯罪シンジケートなんざ、やってねぇ。若いの、この際だ、取引しないか。悪い話にはしねえ――」


 瞬は、二重アゴが話し終える前に、問い返した。


「俺も、不勉強だったらしいな。参考までに聞かせてくれないか。反政府組織『昴』をかたる干からびた虫けらのような犯罪組織に、命乞い以外の、どんな取引材料が残っているんだ?」


 二重アゴは、マシンガンから対戦車砲まで、見本市のように重火器を並べている部下たちを、背後に一顧いっこしてから、卑屈な笑みを浮かべた。


「あんたは、女どもを取り戻しに来たんだろう? 昔から人質は、悪くねえ交渉材料になるんだぜ」


 瞬は、指に挟んだタバコの先で、二重アゴを指しながら、わらった。


「そいつは、人類が空間操作もできなかった、何十年も昔の話さ。お前、学校で、『最後の産業革命』って習わなかったのか? さっきの鼻紙みたいな防壁で、俺の侵入を防げるとでも信じていたのか?」


 除隊後の瞬は、悪党どもをもてあそぶのが、好きだった。死の恐怖に怯えながら、絶望して死ぬだけの理由が、奴らにはある。


「ハッタリは止してくれねえか、あんちゃん。さらった女どもは、ここから百キロも離れた場所に監禁してあるんだぜ」


「知ってるさ。一〇分ほど前まで、そこにいたからな。気の毒なご婦人がたなら、クライアントご指定の場所に瞬間移動テレ済みだ。今ごろ、家族と涙の御対面の最中だろうさ。だから、俺に残ってる仕事は、後始末だけなんだよ。お前らは、人を商品として扱う。だが、生憎あいにくと俺は違う。俺は、お前らのようなクズどもを、そのままゴミとして、扱う」


 あわてた様子で現れた手下に、何やら耳もとでささやかれた二重アゴの表情は、さらにいくぶん、青ざめて見えた。


「兄ちゃん、分かったよ。金をやろう。あんたもどうせ、金目当てなんだろう?」

「悪いか? クロノスは、自分の未来を切り売りして稼ぐ、因果な商売だ。タダでぶほど、俺も落ちぶれちゃいないさ」

「それなら、俺たちと組まねえか。女も好きなだけ、抱かせてやる。苦み走ったいい男だ、あんた、女にモテるだろ?」


 瞬は、親指でタバコの灰を落としながら、苦笑した。


「ああ、女は好きだが、古風なタチでね。愛がなきゃ駄目なんだよ」


 大見得を切ってはいるが、瞬は、こと恋愛に関しては相当ナイーブな人間だと、自他ともに認めていた。いや、戦場でだけ、瞬の人格は変わるのかも知れない。凄惨な狂鬼、蒼光の悪魔と化さねば、悪党といえども、人は殺められなかった。


 だが、そもそも瞬はまだ、誰かを愛せるのだろうか。かつて心から愛していた許婚者以外の、誰かを。


 瞬は、にわかに不機嫌になった。


 悪党どもをなぶっているか、酒に酔っている間は、虹色の戦争を忘れられる気がした。少なくとも、自分の心をごまかせた。

 命をやり取りする現場でなら、冷酷無比な「人間兵器」と化すことができた。そうすれば、最愛の恋人を失くした喪失感をしばし忘れ、運命を冷笑してみせられるはずだった。


 触れられるたび、まだえぬ傷口に重ねて火傷を負わされるように痛み、うずく過去を、わざわざ思い出させた、お前が悪い。


「お前ら、こんなバカ話をしているヒマ、あるのかい? タバコも短くなってきたぞ。逃げる時間が減って行くだけだぜ。お前らの失敗は、金をケチって、まともなクロノスを雇っておかなかったことさ」


 瞬に向かって数発、甲高い銃声がした。だが弾丸は、瞬の周りに突如現れた蒼く輝く光の壁に、空しくはじかれただけだった。

 発砲した賊の一人が、短い悲鳴をあげて倒れた。二重アゴが撃ち殺したようだ。ダニ同志の殺し合いは、見ていて心地よい。


 瞬はくわえタバコのまま、大きく伸びをした。

 まるで、よく手入れされた芝生の上にシートを敷き、温かい日ざしを浴びながら、日曜大工で犬小屋の一つでもこしらえ終えた時のような、のんびりした仕草しぐさだった。


「待て、若いの。見ただろ? 馬鹿な裏切者は始末した。一〇ガロアの防壁だって、これだけの火器で集中砲火を浴びりゃあ、さすがにたねえさ。俺たちだって、本当に『終末』が来やがるのか、この眼で確かめたいんだよ」


 残り時間が気になるのか、二重アゴは、早口で続けた。


「噂じゃ、救世軍の将校には、まばたき一つで、一万ガロアをはじき出した化け物もいるって話だけどよ。いくらあんただって、何百ガロアも出せるわけじゃねえ。おたがい、この場は、穏便おんびんに済ませようじゃないか」


 瞬がゆっくりと立ち上がると、取り囲んでいた賊どもの一部が逃げだし始めた。


「今どきの戦場じゃ、お前らが持ってるガラクタはもう、武器とは呼ばない。ただの玩具おもちゃさ。試したいなら、撃ってみたらどうだ。冥途の土産話くらいには、なるだろうさ」


 時空間操作を伴わないかぎり、通常兵器など、現在の戦争では、物の役にも立たなかった。非能力者が持っても、宝の持ち腐れだ。石器時代の石剣と、さして変わりない。


 あちこちで爆音が起こった。悪党どもはたいてい最後に悪あがきをする。

 瞬に向かって、四方から数百発ほどの弾丸が撃ち込まれたろうか。


 硝煙の去った後、瞬は瓦礫の上で、最後の一煙を味わいながら、吐き出した。


「気は、済んだか?」


 二重アゴは突き出た腹を抱えながら、すでに先頭に立って逃げ出していた。が、間に合わない。

 瞬はタバコを投げ捨てると、眼を閉じた。恋人、戦友、上官たちの笑顔が次々と浮かんで、消えた。


 瞬にできることは結局、反政府組織「昴」への復讐くらいしか、なかった。だが今回も、ムダ足だった。何の手がかりも得られなかった 。


「俺の目当ては金だけじゃない。たまには、お前らも役に立つ。お前ら蛆虫うじむしどもを、まとめて消し去る快楽は、俺にとってさ晴らしくらいには、なるからな」


 瞬が、再び眼を見開いた時、蒼き閃光が同心円状に走った。

 悲鳴さえ上げる間もなく、瞬の周りにいた存在が、命を失っていく。


 音もなく訪れた闇にはただ、蒼光しか、残っていない。

 その蒼光も、ゆっくりと消えていった。

 明日の瞬はまた、別の戦場へと向かっているだろう。


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■用語説明No.1:クロノス(その1)

日本の国家資格である、時間操作士、空間操作士、時流解釈士の総称。

ギリシャ神話に登場する時空神に因んで名づけられた。≪エンハンサー≫と呼ばれる、携行可能な時空間処理能力促進装置を使用して、法律に基づき、時空間の改変を行うことが許されている。

 同一人が強い力を持つ事態を防ぐため、三つの職能はいずれか一つしか選択できず、現在では養成機関も完全に独立している。

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