第24話 余裕ですよ


 にわか作りの現地本部では、魚住幸恵は腕組みをしながら、机上に置かれた電波時計を見た。

 事故が発生した午後一〇時十一分まで、あと約二〇分。

 調査課からの最終報告がまだあがって来ない。史実の事故発生時刻の前に原因者を特定、さらには捕縛できれば、事故を回避できる可能性が高い。


「魚住課長、対象時刻まで二〇分を切りました。現場への人員配置指示を出しますか?」


 鯖江泉はまだ若いが、信頼できる企画課のスタッフだ。各課の支援スタッフを現場でまとめ上げる手腕を、魚住は買っていた。

 魚住は時間操作士を目指していた泉が、兵学校入試に失敗して、挫折した過去を知っていた。だが泉は腐らず、クロノスをバックアップするパラクロノスの道を選んだ。


「出して」


 魚住は泉に向かい、短く指示した。


 ミッションでは安全のため、遅くとも二十分前には措置を実施しておくのが通常だ。だが、プラットホームのような人の出入りの多い現場で早期に不自然な人員配置をすれば不必要に史実を変えてしまい、原因者の捕捉が困難となるジレンマがあった。


 ――こちらB班。予定通り列車は今、大森駅を発車しました。該当車両の運転室にて待機します。


 砂子の落ち着いてはいるが、いくぶん緊張を含んだ声が、無線で聞こえた。


「ご苦労さま」


 魚住も、ミッションが原因者の事前特定、捕縛という第一段階で簡単に終了するとは、思っていなかった。改変後の因果律が読めない以上、異常事態が発生したら、臨機応変にその場その場で考え、対応するしかない。


 ――A班、犬山です。いつでも対象保全措置可能です。指示を待ちます。


 現場プラットホームに待機している若菜のハスキーボイスが、いくぶん上ずって聞こえた。

 若菜と猿橋はこれから、泥酔状態の女性上司の面倒を見る若手社員の役回りを演じるはずだ。同じく過去時警察の私服刑事たちもそれぞれ演技をしながら、原因者捕縛のチャンスをうかがっている。


「調査課からの最終報告は、まだ?」

「ただいま受信しました。原因者発見できず、予定通り措置されたし、と」


 魚住は唇を噛んだ。

 内務省時空局のミッションに割かれる人員が、年々減らされているのは事実だが、それが原因でもない。多人数を投入すれば、相手に気づかれる。敵がより巧妙、周到になっているだけだ。

 措置前に原因者を割り出して身柄を確保できれば、背後関係の把握を含め最高の成果が得られるが、世の中はそれほど甘くない。

 最終報告が出ても、まだ原因者確保のための調査体制自体は機能している。


 ポイントに保全措置を講じたら、テロリストに逆行介入を気づかれてしまう。突発的事態が起こる場合もある。ぎりぎりまで措置を先延ばしにしたいが、万一措置に失敗した場合、史実通り、大事故が発生する。


 もしA班が攻撃を受けてサイ発動ができなくなった場合、バックアップのB班を岡地町駅にテレポートさせる必要がある。最終的には魚住が出る。

 魚住は、企画課職員に尋ねた。


「駅プラットホーム内の、ガロア反応は?」

「現時点で、確認されておりません」


 だが、史実ではこの約十分後に、テロが実行された。必ず敵は現れる。周到な敵なら、時空局の介入による事象改変も予測したうえで手を打っているおそれもあった。


 大災禍を経ても、世界の中枢である東京には、樹液に群がる虫たちのように人が集まる。岡地町駅の一日乗降者数は、八万人台を回復していた。輝石反応やサイ発動の有無を手掛かりとはするが、原因者を割り出すのは容易ではない。



「目標時刻の十分前です」


 泉のアナウンスを受けると、魚住は覚悟を決めて、頷いた。


「A班、予定通りに措置に入って」


 ポイント部分にのみ防壁を展開して現状変更を防止する。まだ別の列車が一度通過するが、その列車が去った後で、さらに強固な防御措置に入る段取りだ。

 魚住の手元のモニターには、問題の分岐器の画像が幾枚も映し出されている。


 ――了解です。任してください。


 魚住も今回初めて知ったのだが、レールを変える分岐器の構造は、比較的単純だった。


 ふだん列車は、通常の線路、すなわち基本レールを走っている。列車を現在のレールから、別のレールに乗せたい場合は、基本レールの内側にある、先端のとがった左右一対のトングレール(先端軌条)を使う。


 トングレールには二本とも、ダイバー(転てつ棒)に連結されている。ダイバーは、基本レールと垂直に交わっているから、ダイバーを左右に動かせば、トングレールも同時に動くわけだ。


 無論、この単純な動作は信号システムで制御されており、動かさない時間帯は物理的に鎖錠されている。


 今ある鎖錠状態を時空防壁で凍結するのが、A班の仕事だ。


 ――こちらA班。第一次措置完了。監視に入ります。


 若菜の落ち着いた声が無線で聞こえると、魚住はほっと一息ついた。

 泉の声がした。


「ポイントの中心部に、二四一ガロアの時空防壁を計測。異常、ありません」


 まず猿橋の精確なSFサイでポイント部分を固定する。

 内務省に名立たる男好きの課長補佐と、女好きの主査のコンビだが、腕は確かだった。


 今回は、二つあるトングレールのうち、一つだけにピンポイントで防壁を張る計画だった。一つ動かなければ、もう一つも動かない構造だ。


 レール全体に漫然と時空防壁を張れば、防壁が置き石の役割を果たして、かえって事故が生じる。計画では、いわば時空防壁の置き石を跨(また)ぐ形で、列車が通過するわけだ。


 雑踏の中で、幅わずか三センチメートルの棒に、二〇〇を超えるガロアの防壁を維持し続けるには、相当の精神力が必要だ。それでも、突然の時空間攻撃に耐えるためには、その程度の防壁は不可欠だった。あの二人なら大丈夫だろう。


 だが、原因者はすでにプラットホーム内の雑踏に紛れているはずだ。トングレールが動かないと知ったテロリストは、次にどう出るか。黙って引き下がるとも思えない。


 列車が到着し、乗客が降り始めると、悲鳴のような泉の声が上がった。


「ホーム内に輝石反応! 一・九コペルニクス! 本庁の管理輝石ではありません!」

「ただちに原因者を特定。テレポートの上、捕縛して」


 土壇場でテロリストが現れたらしい。


「原因者の特定完了。ジーンズの若い男。ブレスレット型のエンハンサーを所持する無資格者のようです」

「ひとりで一・九の輝石反応? おかしいわね。複数いるはずよ。A班はそのまま措置を継続。過去時警察は原因者を捕縛して」

「ホーム内に大量の輝石反応! 追加で十一・七コペルニクス! すべて管理外の輝石です!」

「まさか大量のダミー?」


 事故直前にかくも多数のダミーを配置したのか。それとも……。


 魚住は目を凝らしてホームを見た。私服警官が何人もの乗降客ともみ合っている。


 本物が紛れこんでいるとしても、多くは予科生のカイロスたちだ。集団で下車したために多数の輝石反応が生じているだけだ。テロリストたちはその瞬間を狙ってテロを実行したわけだ。多数の輝石反応にまぎれて、どれが本物かわからない。超短時間で原因者の特定は不可能だ。


「午後十時〇七分発の先行列車が、岡地町駅を発車しました!」


 大事故を起こす通過列車の岡地町駅通過まで、あと三分あまり。


 ――ちょう待て、そこの背え高いの。待たんかい!


 猿橋の怒鳴り声が無線で聞こえてきた。

 魚住は分岐器の画像を見て、真っ青になった。猿橋が展開しているはずの光壁が消えている。


 ――待って、サル。今、防壁を解いたら……

 ――でも、アネさん。これだけ原因者が多かったら、オレのサイでは防げません……


「トングレールにウェルズ防壁を展開中、ガロア換算で二〇を超えました。三〇、四〇……」


 若菜の時間操作だが、空間操作と違い、展開に時間がかかる。


「猿橋君! 予定通り措置なさい! 原因者の捕縛は過去時警察に任せて」

「ダイバーにガロア反応! トングレールが移動しました!」


 史実通りの展開だ。


「B班は車両停止準備に入って。もし機能しない場合、サイで止めて。猿橋君は、トングレールを正常位置に戻して。早く」


 魚住は固唾をのんで、ホーム内の猿橋の様子を見守る。最悪の場合、魚住がテレポートをして通過列車を止めるサイを使うつもりだった。とにかく列車さえ止めれば事故にはならない。


「猿橋主査のサイがガロア防壁を突破! トングレールが戻っていきます!」


 光壁同士のせめぎ合いののち、ついにトングレールが正常位置に戻された。猿橋のSFサイの勝利だ。


「ウェルズ反応! 犬山補佐の光壁が展開されていきます」


 ひとまずは安心か。

 すぐに泉の悲鳴に近い報告が聞こえた。


「ダイバーとトングレールに、異常発生! 防壁がサイ攻撃を受けています!」

「サイの発動起点を特定して!」

「……起点は、高速移動しています。割り出しに時間が掛かります!」


 敵はいったいどこから攻撃を仕掛けているのか。近くにいるなら、若菜も猿橋も、調査員たちも気づいているはずだ。エンハンサーを持っている予科生たちはすでにホームから移動させてある。目の前にあるホームで、なぜ不審者が見つからないのか。


「犬山補佐、猿橋君、持ち堪えて!」


 魚住の手元のモニターには、緑青色の時空防壁を抉(こ)じ開けるように、だいだい色の光線が刺さっていた。塗り立ての壁に、ソフトボールの剛速球が投げ付けられたようだった。



 すでにB班の列車は秋葉原駅を発車している。距離が離れた移動中の列車内から、防壁を展開するのは無理だ。


「B班! 列車の緊急停止を!」


 緊急停止など珍しくはない。大事故を起こすよりはずっとよい。列車が止まりさえすれば、分岐器の意味などない。内務省としては見っともないが、人命が大事だ。


「列車が、止まりません! スピードを上げています!」

「軍鉄に緊急停止措置を要請して!」


 ――待て、あんた? 何、やってるんだ!


 無線越しに、瞬の怒号が聞こえた。


「サイ攻撃の起点を割り出しました。B班の乗っている当該通過列車内です!」


 ――運転士が原因者の一人でした。テレポートで、失踪!


 砂子の説明を、泉の悲鳴がさえぎった。


「列車が止まりません。速度を上げています」

「軍鉄の緊急停止措置は?」

「発動済みです! 連続テレポートで高速移動しています!」


 組織ぐるみの犯罪だ。逆行前調査で、運転士からの事情聴取をしていれば、防げた事態かも知れないが、逆行を急いだツケが回ってきたようだ。


「トングレールの時空防壁は、三秒後に限界値です!」

「B班! 列車止められないの? どうして?」


 泉の悲鳴に似た叫び声が答えた。


「強力な連続テレポートです! 一万ガロアを超えて計測不能!」


 ケタが違う。まさか天兵のしわざか。

 列車を止められないなら、ホームでトングレールの防御を手伝わせたほうがいい。正常軌道を進めばいいだけの話だ。


「B班! ホームへ緊急テレ。ポイントを固定。いいわね?」


 砂子も防壁は展開できるが、テレポートができない。瞬のサイ発動が不可欠だった。通常、テレポートには、数瞬を要する。瞬なら、間に合うはずだ。

 だが、魚住の指示に対して、瞬の返事がない。


「朝香君! 聞いているの?」


 返事の代わりに、砂子の悲鳴のような声が聞こえた。


 ――ちょっと待ちなさいよ、あなた、まさか……

 ――黙っててくれないか。集中できないから……


 魚住は背筋が凍り付いた。


 瞬は、移動中の列車内からサイを発動するつもりだ。高速移動中の列車内から、幅三センチメートルの目的物にピンポイントで防壁を張るなど、神業に近い。



「駄目です! ポイントの時空防壁、破られます!」

「わたしが行く。鯖江係長、しばらくお願いね」

「目標の時空防壁に強力なガロア反応! 新たな防壁が出現しました! 五〇〇ガロアを超えています!」


 モニターには、蒼い光で輝くトングレールの姿が映っていた。


「蒼光の防壁……まさか走行中の列車から、朝香君がやっているの?」


 正確な位置を特定する発動は、曲芸的と言っていい。少しでも防壁がずれて線路に掛かれば、防壁のために脱線さえしかねない。

 成功したから初めて言えるが、瞬の判断はベターだった。

 敵は列車内にいる。クロノスが外に出たら、第二波を防ぐのは困難だ。


「B列車、分岐器を通過。異常、ありません」


 衝突の危機は回避された。まだ、脱線や、サイ発動による攻撃はありうるにせよ。

 魚住がひと息吐いた時、泉の悲鳴が聞こえた。


「B列車が、隣線の軌上にテレポートしました!」


 耳を疑った。敵は、あくまで正面衝突に拘っているらしい。十一車両の車輪をそっくりそのまま、別のレール上に移動させる技術など、瞬でさえ持っていないだろう。ただのテロリストではない。


 ――「昴」か。


「A列車に、緊急停止指示!」


 このままでは史実通り、環状線とぶつかる。


「間に合いません! 五秒後に、衝突します」


 魚住が絶望した時、瞬の落ち着いた声が聞こえた。


「A班は、B列車内にテレポート。後は俺に、任せて」


 万策尽きた魚住が指示できない空白に、指揮権のない者が勝手に発した命令。

 溺れた者が藁をつかむように、皆が自然、従った。



    †

 魚住は、我が目を疑った。

 星のない夜空に向かって、列車が昇って行く。

 全十一車両が、重力に逆らい、銀河鉄道のように。

 電源を失い、列車内の明かりは非常灯に切り替わっている。

 天空を目指す、光の列は蒼光に覆われていた。


 万を超える敵を葬ってきたメデューサの蒼光が今、人を救うために輝いていた。


 魚住は感動を覚えたが、同時に絶望した。

 確かに直面していた危機は回避できた。だが、一〇〇メートル近い空へ上がった巨大な鉄の塊を、どうやって地上に下ろすのだ?


 車両だけで計三〇〇トン近く、乗客たちも入れれば優に五百トン以上はある。前に進んでいた慣性力での上昇もあろうが、瞬は今、独りでおそらく数千ガロアのサイを発動して、巨大な質量を天空に浮かべているはずだ。


 搭乗者は三〇〇〇人を超える。被害は史実よりも大きくなって確定するのではないか。

 現在、空中列車は上野駅の上空に浮かんでいた。もう、前には進んでいない。

 魚住は、必死で頭を思い巡らせる。


 ――朝香君! 上げたのはいいけど、どうやって降りるのよ!


 砂子の金切り声に、瞬は低い声で応じた。


 ――魚住課長、不忍池に不時着させます。応援よろしく。


 女の勘だ。魚住は「瞬に賭ける」と決めた。


「了解。できる限りの手配をするわ。九〇秒、もらえるかしら。だいじょうぶ?」


 不忍池付近にも、調査員や過去時警察は配置されている。


 ――余裕ですよ。でも、着水に自信がないんで、クッション代わりにサルのSFサイが使えませんか。


 無線の向こうから、瞬の苦しそうな声が聞こえた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る