第13話 新浦安情報網
瞬は、いつの間にか不機嫌が嘘のように消えている自分に気づいた。
奈々子の笑顔のせいだろうか。それとも奈々子の言葉に、生きている意味を探す希望を抱いたからだろうか。
瞬がどこか温かな気持ちで、日の陰りで光を失った海に眼をやっていると、今度は病室のドアが乱暴に開かれた。
昨日、課長の魚住といた新しい同僚、猿橋だった。
「よう、師匠。奈々ちゃんに担当してもらえるとは、お前もごっつラッキーなやっちゃな。あの娘(こ)は、新浦安で十一番目の美人やで。ついこの間まで、トップテンに入っとったんやけど」
内務省は、所在地からしばしば「新浦安」と称される。ちなみに、瞬が所属していた軍は、「台場」に出先が、「市ヶ谷」に本部があったから、そのようにも呼ばれる。
「課長から聞いたで。しばらく仕事に出られへんそうやな」
久しぶりに大阪弁を聞くと、瞬は同期の戦友を思い出す。彼もまた虹色に輝く空間に消えて行ったのだが。
猿橋はソファの背に両手を広げて座り、足を組んだ。
ほとんど初対面なのに、まるで十年の知己のごとく馴れ馴れしくするタイプの男だ。瞬には、こういう種類の男が醸し出してくるナチュラル・ハイが、にわかには信じられない。
「俺に……何か?」
「同僚の見舞いに来たったんやろが。迷惑かいな?」
「……いや」
「お前、俺のこと、『サル』って呼んでもええぞ。年下に呼び捨てにされるん、腹立つしな。この業界は実効年齢がワケ分からんから、アレやけど」
瞬には、別に断る理由も見つからなかった。奈々子のおかげだろう、会話くらいはしてみてもいい気がした。が、特に話題もない。視線を海へ戻した。
「何やねん。もしかして手土産、持って来んかったんが、不満なんちゃうやろな?」
「別に。……なぜだ?」
「何かごっつシケたツラ、しとるからや」
「放っておいてくれ。ふだんから俺はこんな顔をしている」
サルは胸ポケットをまさぐった。
「タバコ、吸ってもええか?」
「俺は構わんが、病院は嫌がるかもな。病室は禁煙だ」
サルはあきらめたようにポケットからからっぽの手を出すと、瞬のベッドに腰かけた。
「あんたは俺に、この病院でタバコが吸えるかどうかを訊きに来たわけじゃないんだろう?」
猿橋がヘヘッと笑うと、片方だけ突き出た八重歯が見えた。
「師匠も、人が悪いやっちゃなぁ」
「なぜ俺が、あんたの師匠なんだ?」
「へへ、手の速さでは、このオレでも勝てへんしな。同じ好色漢として、お近づきになろう思とるだけや。仕事をしとる目的が、お前と同じなんやからな」
「勘違いしているようだが、俺は別に女好きじゃない」
「ほなお前、女が嫌いなんか?」
「極端な問いかただな。女は好きだ。でも、俺は女たらしじゃない」
猿橋は天井に向かって、大笑いした。
「おいおい、オレは昨日、お取り込み中の現場を見せてもうたんやで。オレに言わせたら、会ったその日に半端ない美少女とさっそくあのレベルまで行っとんにゃ。オレより数段上の手だれやないか。せやから、オレの師匠なんや」
ばかばかしい話だ。説明が面倒で、否定する気にもならなかった。
「それにしてもあの子、おっそろしゅうキレイやったなぁ」
確かに事実だが、別段、コメントを返す必要もあるまい。
猿橋は尻ポケットに手を突っ込んで、窓際に立った。長い茶髪の頭頂には黒髪が現れ、プリン頭になり始めている。
「朝香。何か困っとること、ないんか?」
「特に、ないな」
真子の身が心配だが、一介の空間操作士に分かるはずもあるまい。
「ホンマかいな。あそこまで行っといて、あの美少女の消息が気にならへんのか?」
「あんた、知っているのか?」
猿橋がヒヒッと笑った。
「ほら、乗って来おった。まだ、知らんわい。でも、当たりは付けられるで。晶子(あきこ)さんやったら、知っとるはずやからな」
「誰なんだ、それは?」
「鴨志田晶子さん、研究所で二番目の美人や。あの秘蔵の美少女がいるって判明したから、昨日、順位が下がったけどな。美人は全員、オレの情報網に引っ掛かる。誰も知らんやろけど、『体制』下ではな。美人がクシャミの一つでもしてみい、二十四時間以内にオレんとこまで報告書が上がってくるシステムに――」
「その女とは、昨日、機内で会った」
猿橋の与太話の終わりまで待たずに、瞬は話の腰を折った。
「色男は、美人とばっかり出会いよるわ。でもな、朝香。気持ちは分かるけど、あの美人に手ェ出したら、火傷すっど。あの女(ひと)はただの科学者ちゃうからな。今を時めくファースト・レディ候補やねんぞ」
猿橋は、瞬のベッドに近づくと、声を落とした。
「軍総司令の愛人やっていうもっぱらの噂や。総司令には今、奥さんおらへんから、将来は総司令夫人になるかも知れへん」
独裁者の妻などになれば面倒くさいだろうにと瞬は思ったが、冷たい赤眼鏡の女には同情を感じなかった。
「気を落とすなよ、朝香。お近づきの印に、元気の出る話、聞かせたるさかい。どうや? 聞きたいやろ?」
最初から話すつもりだったのだろう、瞬の返事を待たずに、猿橋は続けた。
「もったいぶったけど、新浦安の美女ランキング、一位と二位と飲めるって、企画や。どうや? 元気、出たやろが」
「あんたの好みが俺といっしょとは限らないだろう?」
猿橋は長い髪をかき上げながら、大きく首を横に振った。
「お前が昨日抱いとった美少女は、オレも好きやけど、あのレベルになると、誰でも認める美しさやろ。オレのランキングもおんなじや。ほなまず、初心者向けの質問。オレたちの幸恵さんが美人やって事実は、認めるよな?」
「誰なんだ、幸恵さんてのは?」
猿橋は大げさにのけぞり、驚いて見せた。それにしてもオーバーアクションな男だ。
「おいおい、朝香。魚住幸恵課長やないか。年は三十二歳。異時空間に長いこと、いすぎやし、実効年齢は不惑を越えとるやろけどな。そろそろ年貢の納め時やろ。狙ってる野郎が多いけど、実はな……」
他に誰もいない病室で、猿橋は瞬の耳元に口を寄せてささやいた。
「オレがその筆頭。最有力候補やねん……て、まあ半分、冗談やけどな」
大笑いする猿橋の八重歯が見えた。面白くもないのに、この病室に来てから十回近くは笑ったろうか。愉快そうな男ではあった。
「俺はごめんだな。別にあの女(ひと)といっしょに飲みたいとは思わない。仕事の話ばかりさせられそうだからな。それにもともとあの人とは、ウマが合いそうにない」
「ありがたい話やわ。ライバルが減って、うれしいぞ。さて、実は幸恵さんは、一昨日まで新浦安一の美人やったんや。何でランキングが下がったか、分かるやろ? 一階うえのフロア、一課に、ダントツの美女が異動してきたからや。他の追随を許さん、圧倒的な美しさや」
一課は時間保安課だから、時間操作士か。
「オレ、入省まで合計で三浪しとるんやけど、彼女とは同期入社でな。入省時の新人研修でいっしょになって、ひと目惚れしてもうた。オレはあれほどの美人、見た覚えがないぞ。おまけに性格もごっつエエと来てる。初任地は関西支部でな。同期の情報やと、まだ変な虫は付いとらへん。言い寄る野郎どもは後を絶たへんにゃけどな」
猿橋は腕組をしながら、胸ポケットの煙草をまさぐって、やめた。ニコチン切れなのかも知れない。勝手に話を続けている。
「でもありがたいことに、たいていの奴は、しょせん高嶺の花やて、あきらめとる。そこがオレの狙いなんや。ほら、女優でもたまにおるやろが。なんでこんな美人が、こんな不細工なドアホと結婚しおんねんとか思う時あるやろ? オレが狙っとるのは、それやそれ」
猿橋はどこか満足げに何度もうなずいた。
「なぜ、たいていの男は、あきらめるんだ?」
「理由は二つ。まず相手のご身分やな。何しろ局長の一人娘や。口説くには、そら勇気が要るで」
時空間保安局長と言えば、織機刻司という名の男だ。瞬の兵学校予科生時代に校長を務めた後、権力の中枢に返り咲いた男だった。ひたすら冷徹な感じしか覚えていない。
「第二に彼女は、大の男嫌いで有名なんや。そうは見えへんにゃけどな。男と見たら、軽うあしらって避けとる」
猿橋の作るしょぼくれた面持ちが、滑稽(こっけい)だった。
「そいつは、深刻なハードルだな。で、肝心のクロノスとしての、腕のほうは?」
「オレにしてみたら、腕はどっちでもエエんやけど、抜群やな。研修所を歴代三位の成績で卒業しとる。難しいミッションは、あの子とチームを組むことになるやろな」
猿橋は動物園で退屈している白熊のようにベッドを半周してから、またソファにどっかと座った。
「もう、わかるやろ? 内務省のマドンナの名前は、織機砂子。昨日、お前が人違いしたフリして、口説いとった美女や。そこでやな、お前と共同戦線を張りたい、思うんや」
意味を問うように見ると、猿橋は説明を始めた。
「女は結局、強い男にホレるもんや。クロノスは強い。せやから、オレらはモテるんや。悔しいけど、お前は外見だけでも十分、ウチの会社でトップクラスや。おまけに能力は抜群や。仕事もできるに決まっとる。昨日の濡れ場を見せつけられた今となっては、女の扱いもオレ以上やと認めざるをえん。要するにお前は、オレの最大のライバルなんや」
猿橋が真顔を近づけてきた。酸い匂いがした。身勝手だが、他人のタバコの匂いは好きになれない。
「終末が近づいとる。真面目に結婚を考えんにゃったら、急がなあかん。オレはマジやで。お前には昨日の美少女をやろ。俺の情報網で会わせたる。あそこまで行ったんや、後はゆっくり続きをやりィな。さてお前は昨日、サコちゃんに、アラレもない姿を見られとる。いくら何でも、あれは言い訳のしようがないで。第一印象としては、これ以上ないほど最悪やろ。せやから、潔くあきらめろ。このオレがサコちゃんを貰(もろ)ぅたる。ええな、約束や。織機砂子には、手ェ出すなよ」
瞬はしばらく沈黙した後、答えた。
「済まないが、断る」
猿橋が口をとがらせた。
「何や、お前。ふた股かける気か?」
「俺は、昨日の少女を好きだと思うが、あの子は年下すぎる。恋愛って感じじゃないさ。俺は昨日まで、もう誰も愛せないと思っていた。でも、よくわからなくなってきたんだ。……俺だって、またいつか、誰かを愛せるかも知れない。それは例えば、織機さんかも知れない」
猿橋はプリン頭をかいた。
「おいおい、禅問答か何かかいな。昨日お前は、サコちゃんの目の前で何をしとった? 忘れとらへんやろな。初対面はパンツ一丁で、女の子とじゃれ合っとったんやぞ。その後、無理やり抱きすくめてキスしかけとったやないか」
「その通りだ。言いわけはしないさ。確かに俺は、彼女が見た通りの格好で、見た通りの行為をしていた。それは、否定しない」
猿橋が噴き出した。
「へへ、懲りひんのう。さすがにオレとええ勝負のプレイボーイやわ」
「彼女が何と言おうと、俺はまだ彼女を、俺の恋人だと思っている」
「アホ言うなや、初対面やろが!」
猿橋が叫ぶと、唾が飛んだ。
「サル、『他人の空似(そらに)』って、言葉があるだろう?」
「まさに、それや、それ」
「だが、『空似』にも限度ってものがあるはずだ。いくら何でも、二人は似すぎている 。声までそっくり同じだ。俺は明日乃を心から愛していた。明日乃の澄ました顔も、怒った顔も、笑った顔も、泣いた顔も、全部憶えている。間違えるはずがない」
除隊して世界をさまよっていたころ、異郷の空に浮かぶ月を眺めながら、瞬はいつも明日乃を心の中に思い描き続けていた。
「一年と少し会わなかっただけで、俺が明日乃を見間違えるはずがないんだ。何かの事情で素性を隠しているんだと思う。俺は、彼女を救い出したいんだ」
猿橋は肩をすくめながら、立ち上がった。
「弱ったのぉ。織機砂子は局長のひとり娘なんやで。調べんでも、身元が最初ッから割れ切っとるがな。時間操作士で活躍しとった関西支部での経歴もあるんやで。実はこの前、最後のミッションで、コンビ組んどった同僚を死なせて、エライ落ち込んでるんや。オレが慰めたらな、あかんねんけどな」
クロノスの中には、記憶操作ができる者がいると聞く。
瞬はまだ、失われた恋人との再会をあきらめていない。それほどに、織機砂子と名乗る女性は、瞬の恋人に酷似していた。たとえ本人が否定しようと、すぐには信じられない。
「ま、ええわ。誤解も追々、解けるやろしな。てなわけで、今夜一八〇〇から、本部二階の大ホールで新人の歓迎会がある。えらい長い話になってもうたけど、要はその誘いにやって来たんや。タダで飲める特典は新人の時だけやぞ。そんな身体やから、無理すんなって言うべきやろけど、来(こ)うへんかったら、絶対に損するで。オレやったら、這ってでも行くわ」
猿橋はいったん去ろうとして、また戻ってきた。
「あ、せや。ナナちゃんにも声かけといたし、かわいい看護師さん連れて、顔出してくれるはずや。明るうて、可愛い子やろ? 幸恵さんも、サコちゃんもアカンかったら、オレ、あの子にしょうかな」
猿橋自慢の情報網も、奈々子の婚約については把握できていないらしかった。意外に頼りない情報網のようだ。
「あ、そやそや。ついでぇ言うたら絶対に怒られるけど、美女ランキング四位の美女も、歓迎会に当然、来はるやろな。初対面の男が五人以上、品定めできる場所に、女王様が降臨せんはずがない。当然、歓迎を求めはるはずや」
猿橋のランキングに三位が抜けているのが多少気にならないでもないが、この男はいったい何位まで順位付けをしているのだろうか。順位は定期的に更新されているのか。
猿橋が正面から顔を寄せてくると、八重歯が光った。
「お前、もし勇気を美徳とか考えとるんやったら、女王様に挑戦してみい。生半可な気持ちでは、大やけどするけどな。確かにお美しいお方でいらっしゃるんやけど、ごっつ注意申し上げな、あかんにゃ」
猿橋の慣れない敬語の使い方は、わざとでもない様子だった。
「結局、誰なんだ、それは?」
「一課に戻っておいでになる犬山若菜様や。この度、晴れて一課の課長補佐にならはったけど、俺よりちょっと上で、まだ二十七ちゃうかな。ほれ、八獣家のお嬢さんや」
産業革命の草創期、エンハンサー開発に関与した者たち、とくに法規制前に時間操作をうまく使った者たちは、莫大な成功を収めた。これら有力な名家は、「三旗」、「六河川」、「八獣家」などと呼ばれ、多くのクロノスを輩出し、「体制」の中枢に食い込んでいた。
軍事独裁体制とはいえ、なお有力家による統治の構造は長らく変わっていない。
瞬も空(そら)では言えないが、姓に動物の名前が入る有力な八家は、俗に「八獣家」と呼ばれた。犬山家もその一つのはずだ。
ちなみに猿橋家は八獣家には入っていない。ごく普通の庶民だ。
「サコちゃんが戻らんかったら、オレも腹くくって、恐れ多くも、アネさんをマジで口説くか、思案しとったんやけどな。でも、あのお方には気ィ付けろよ。何せ聞きしに勝る男たらしやからな。オレの情報網やと、北海道支部で捨てられて廃人になっとる男は十指に余るらしいで。目の肥えまくっとる恋愛のプロや。いくら色男の朝香でも、魔性の女は一筋縄では行かへんぞ。おおこわ。オレはやめとくわ。お前に任せる。ほな、朝香、一八時にな」
話題は一貫して軽薄で、ちゃらんぽらんに見える男だが、そうではあるまい。
猿橋は病室にいて馬鹿話をしている間中、いつでもサイを発動可能な状態にしていた。並みのクロノスにできる芸当ではない。相当の訓練を積んできた男だ。
「行くには行くさ。業務命令だからな」
「局長が、オレとサコちゃんに恋人になれって、命令、出してくれはったらええのにのう。ほな、また後でな」
猿橋は背を向けたまま、片手を上げた。
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■用語説明No.13:実効年齢
クロノスの実年齢に異時空間滞在期間を付加した年齢で、精神年齢に近い。時間操作により異時空に滞在する場合、肉体的な成長・劣化は生じないが、精神的な変化が生じる。実効年齢が一八歳になると、成人と見なされ、飲酒等が可能となり、親権者の同意なく結婚ができるようになる。
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