第10話 春の海



 瞬は、名も知らぬ少女と背をくっつけ合ったまま、夜の海に浮かんでいた。見渡す限りの闇の中に浮かんでいると、上下左右の間隔がマヒしてくる気がした。


「朝香。早く次、飛びなさいよ」


 瞬は苦笑を漏らした。


「無茶、言わないでくれよ。どれだけの距離を翔んだと思っているんだ。とっくに発動限界さ。今、サイを使ったって、すぐそばの海に落ちるだけだ」


「あたしたち、いったい全体どこにいるのよ?」

「太平洋だ。東京湾から二百キロほど南東へ翔びすぎたらしい」


「それだけ翔ぶのに、何ガロア発動してんのよ。実に、気前のいい失敗ね。蒼光のメデューサかなんだか知らないけれど、笑うしかないわね。あんた、ギリシャ神話みたく早めに退治されちゃいなさいな」


「確かにこのまま、サメの餌食にされたら世話はないな」


 空間操作士がサイを使えば、水中でもサメは敵でない。だが、サイを使えなければ、空間操作士もただの丸腰の人間だった。


「あんた、仮にも人間兵器なら、サメくらい何とかなさいよ! それにしてもツイてないわねぇ。こうして意味もなく、ただ海の上に、浮かんでるなんてさ」


「それはこっちのセリフだよ。君の件がなければ、俺は今ごろ赤ワインをしこたま飲んで、心地良い眠りに就いていたはずなんだ」


「ねえ、あんた。そろそろ発動できないの?」


「しつこいな。君は気付いていないかも知れないが、俺は今、君を背負ったまま、ずっと立ち泳ぎをしているんだぜ。しかも着衣泳だ、余計に疲労する。サイなんて、使えるもんか」


「じゃあ、服、脱ぎなさいよ。もう、おたがい全部見たんだから、隠す必要もないでしょ?」

「俺が脱いでいる間、君が溺れるんじゃないのか。 君の具合はどうなんだ?」

「最悪よ。あたしの体調はいつも最悪だもの」


 相変わらずの憎まれ口を叩ける間は、まだ大丈夫なのかも知れない。


「ねえ、朝香。まさかあたしたち、このまま、助からないってわけないよね?」


 助けは、現在だけでなく、未来からの逆行もありえた。だがいずれにせよ、現在の時空に来るはずだ。


「この暗さだ、船がたまたま俺たちを見付けてくれるとは思えない。魚住課長が、俺の失敗に気付いて調べ始めているだろうが、これほど遠くまで移動したとは思っていないはずだ。この地点を発見するのに、小一時間は掛かるだろうな。だが、気付きさえすれば、できのいい空間士なら、すぐに救助できるさ」


「結論はどっちなのよ。助かるの、助からないの? ま、別にどっちでもいいけどさ」


「微妙だね。分からないってのが、結論さ。君は時流解釈士だろう? 俺たちの未来を予知してくれよ。ていうか、君はなぜ俺が翔ぶ前に予知しなかったんだ」


 瞬の背後から、少女のぼそりとした声が聞こえた。


「あたしはもう、自分の未来を予知しないって決めたの。私が予知した未来は必ずやってくる。これまで一度しか、外したことはないわ。外れて欲しいと思っても、絶対に誰にも変えられないんだって、分かったから。……私の未来は、誰も愛さず、誰にも愛されずに、終末に死ぬ未来。バカバカしいでしょ? 決まりきった詰まらない人生をただ、歩いて行くだけ、なんて」


「君が終末に死ぬなら、君は今日、俺と太平洋の底に沈むはずがない。希望はあるわけだ。とにかく一度くらいは例外を認めてくれないか。すぐ先の未来を見てくれ。俺たちはどうしたらいい?」


「自分の未来は予知しないわ。そう決めたから。でも、あんたの未来を予知してあげる」


 やがて、少女から深みを帯びた赤光が放たれた。瞬もすぐに赤いとばりに包まれて行く。


 雷に打たれたように、少女がびくついた。


「瞬! 早く防壁を作って! 一ガロアでいいから!」


 瞬きでサイを発動した。瞬と少女は空中に移動した。

 二人を包む薄い蒼光の壁ができた。そのまま海上に落下する。


 ごく小さな球状のボートに乗っているような按配だ。風と水を防いで浮いていられる。が、防壁を長時間維持するだけの力は、瞬に残っていなかった。


「ああ、痛かった。イメージでも、疑似体験だからね。あんたがサメに襲われる未来だったわ 」

「同情に感謝するよ。でももう、もたない。壁はすぐに消える」


 瞬は、発動限界をとうに超えていた。譬えれば、フルマラソンの後に、短距離走をやらされているようなものだ。


「仕方ないわねえ。ほら」


 少女が放つ蒼光が、瞬の蒼光と重なった。少女はただの時流解釈士ではないらしい。空間操作能力もあわせ持っている。だから、空間移動を使って施錠されたシャワー室に入れたわけだ。


 まだ二人は、背中合わせのままだった。


「助かったよ。名無しの花子さん」

「あたしの名前は、真子。天川真子」

「天川と言えば、あのエライ人と何か関係があるのかい?」


 背後で、真子が頷く様子が伝わってきた。


「残念ながら、あたしは天川の娘よ。なりたくてなったわけじゃ、ないんだけどね」


 世界を実質的に支配下に置く「体制」。

 その頂点に君臨する独裁者こそ、軍総司令の天川時雄であった。独裁者を父に持つ娘の気持ちは、想像してみるしかないが。


「気ばかり使って、毎日、肩が凝るだろうな」

「いいえ、別に。滅多に会わないから。これまで、あんたと会ってから話したくらいも、お父様とは話していないかも知れない。あたし、オブリビアスだから」


 瞬も、同じだ。二〇五二年のクリスマス・イブに起こった「忘却の日」以前の記憶を完全に喪失した者は、優秀なクロノスに多い。


「実は俺も、そうなんだ」

「やっぱりね。何かを引きずっているような、陰気な感じがするもの」

「君はそういう風に見えないがな。もし『終末』を上手く乗り越えられたら、行く行くは君が独裁者になるのかい?」


「仮定の話で言えば、次はお兄様でしょうね。でも、土台無理な話よ。『終末』の回避は決してできないから」


 真子はさらりと言ってのけた。普通の人間の当てずっぽうの憶測ではない。時流解釈士の預言は、重みが違う。


「寂しいことを言う預言者だな。終末を回避できないなら、君も、俺も、何のためにこれまで戦ってきたんだ?」

「納得するためなんじゃないの? 精いっぱい頑張ったけど、ダメでしたって」


 あきれて首を小さく横に振る瞬に、真子が続けた。


「ところであんた、独裁者の娘だと知って、あたしと結婚したいと思わなかった? 何しろこんな美少女と結婚して、世界を支配できるんだから、相当おトクな話じゃない?」


「確かにチラッと考えはしたけど、やっぱり遠慮しようと思ったな。世界を支配するのって面倒臭いだろう? 君にはもっと相応しい男がいるだろうさ」


「そりゃそうよ。絶世の美少女は、絶世の美青年と結ばれなきゃ、ね。あんたもまあ美男子だけど、さすがにあたしには釣り合わないわ」

「認めるよ。君は正しい」


「あんた、あたしのような美少女に会ったこと、ないでしょ?」

「済まないが、君の顔を忘れちまってね」


 バックルを外す音が続けて、した。ベルトが外れた。

 たがいに振り返って、顔を見合った。

 相当な自信だが、まれに見る美貌ではあった。


「君は確かに美しい人だ。……でもひとり、君と同じくらい綺麗なひとがいたんだけど、君とタイプが違い過ぎてね。よくわからないな」

「ありえないわね。一度、あたしがこの眼で確かめてやるわ。ソイツ、もしかして、あんたの恋人?」


 真子が悪戯っぽく、瞬の顔を覗き込んできた。


「……そうだったんだけどね」

「可哀想に、フラれちゃったのね」

「いや……彼女は、死んだんだ」

「悪いこと、聞いちゃったわね」

「いや、どっちにしても、歴史が変わるわけじゃないからさ」


 異時空間でのクロノスたちによる戦闘の史実は、必然的に強力な結界を生み、因果律の事後改変が許されなかった。すべて確定した過去となる。

 真子が瞬に肩をくっつけて来た。柔らかいが、たがいの身体が濡れているため、冷たい。


「あたしは生まれた時から、ずっと研究所で暮らしてきたの。あたしは選ばれし最高のクロノスだからって、時空間処理しか学ばなかった。学校にも行かなかったし、友達も、恋人もいなかった……。これからも、いないわ」


 防壁ごしにも、かすかな波の音が聞こえた。誰もいない海原の上だから、正直になれるのかも知れなかった。


「俺でよかったら、友達になってもいいけど、どうかな?」

「あんた、あたしと友達になりたいわけ?」

「ああ、なりたいな。ちょうど俺も、友達が一人もいなくて困っていたものでね」

「あんたも、友達作るの、下手なんだ」

「そうでもないと思うんだけどな」

「じゃあ、なんで、友達がいないのよ」

「……みんな、死んだんだ……。君も知っているだろうが、あの第五次昴掃討戦でね……」


 蒼光の壁の向こうで、夜が少しずつ明けようとしていた。


「そうなんだ……。じゃあ、なってあげるわ、友達に。でも、昨日の仕返しは別の話だからね」


 真子の身体の震えが伝わってきた。異常な体調でのサイ発動だ、発動限界を迎えたのだろう。蒼光が輝きを失い始めた。

 瞬がサイを発動し、壁を守る。が、いつまでもつか……。


「真子。君は解釈士なのに、空間操作もできる。君は天翔のクロノスなんだね?」

 瞬の問いに、真子は小さく頷いた。


 クロノスは、時間、空間の双方を操作することを認められていない。一度いずれかの道を選べば最後、他方を習得することも禁止されていた。

 にもかかわらず双方の能力を持ち自由に時空を飛翔できる者が、この世には存在した。その者たちは特に「天翔のクロノス」と呼ばれた。

 独裁者の娘だから、法律の規制が及ばないのだろう。


「半ガロアでいい、俺に君の力を貸してくれないか? そうすれば、防壁を維持できる。疲労回復もできるだろう」

「どうするの?」

「手を繋いでくれないか。心を通わせ合うんだ」

「あたしが、あんたと?」

「友達としての、最初の共同作業さ」


 瞬が右手で熱い手を握ると、真子が握り返してきた。

 二人を包む光が紫色に変わり、輝きを増した。


「時空防壁か……さすがは、天翔のクロノスだ」


 時間操作ができない空間操作士が継続する防壁を作るためには、常にサイを発動し続けて防壁を維持するしかない。時間操作士がその防壁をすぐ先の未来へ自動的に移動させ続けるサイを発動すれば、一定時間、防壁が保たれるわけだ。


「でも不思議ね。ガロア計算は、二人でやっても、ただの足し算になるはずでしょ?」


「そうなんだ。理論的にはね。でも、俺は前にも一度、経験したんだ。心が通じれば、ガロアは二倍にも、三倍にもハネ上がる場合があるのさ。このままなら、助かりそうだ」


 真子の身体の震えが伝わってきた。


「瞬、お願いがあるんだけど」

「友達の俺にできることなら、何なりと」

「あたしを抱き締めて」


 瞬は、身体の上に乗ってきた真子の身体を抱き締めた。異常に熱い。


「もっと……強く」


 瞬は柔らかな肉体を、両の腕でかき抱いた。


「もう少し休めれば、俺もテレポートもできるようになる。それまでの辛

抱だ」


 だが、堰を切ったように真子の身体がガタガタ震え始めた。瞬は夢中で抱き締めた。


「不思議ね……あんたのおかげで、少し身体が楽になった気がする……。こんなの、初めて……どうしてかしら……」


 そういえば、死んだ未適応症の恋人も、以前に同じことを言っていた。

 瞬の腕の中にいる真子の身体の震えがじかに伝わってくる。


「また、発作か?」

「ううん。今は寒いだけ……。背中を、さすって」


 言われた通りに、さすろうとするがうまくできない。


「濡れた服が冷たいわ。服を脱がせて。あんたも脱いで、肌であたしを温めて」


 確かにそのほうが温かいだろうが、迷いがあった。

 救出された場合に、あらぬ誤解を受けはすまいか。

 だが、真子に急かされて、瞬は言う通りにした。

 たがいに下着を身に付けてはいるが、シャワー室での状況に似ていた。

 指示通り、張りのある艶めかしい背中をさすった。


「足も……温めて」


 甘えというよりは、懇願に近い声の調子だった。

 下着姿で抱き合い、素足をからめ合い、すり合わせた。

 多少は寒さが和らいだのか、真子の震えが小さくなった。

 目の前には、瞬を見つめる真子のつややかな赤い唇が、わずかに開いて、あった。


 瞬は懸命に話題を探した。


「なあ、真子。ロンドン、東京便は星の数ほどある。俺と君が出会ったのは偶然じゃない気がするんだ」

「こんな状況だからって、口説くつもり? 気持ちはわかるけどさ」


「いや、君にも分かっているはずだ。クロノスがたまたま乗り合わせる確率は低い。君の具合が悪くなると予知していたら、日をずらせばいいだけの話だろう?」


「全部、仕組まれているって、話?」

「トボケるのはよせよ。君は未来を予知できたはずだ」


 真子は小さく首を振りながら、瞬の裸の胸に、顔を埋めてきた。


「隠しているんだけどね……あたしにも、ひとつだけ予知できない未来があるの……。何だと思う? ……自分の未来よ。周りの面倒は見てあげられるのにさ、自分にだけは何もしてやれないの。馬鹿みたいでしょ? 真っ暗なトンネルの中でジェットコースターに乗せられているような気分よ……」


 普通の人間は皆、未来を知らないが、未来が見えてしまう真子にとってはもどかしく、不安なのかも知れない。


「そうか……。君が知らないなら、君の体調不良だって、仕組めるわけだ。時間士は偶然を幾らでも作り出せる人種だからな」


「あんたの言う通りだとして、あたしたちのステキな出会いを演出したヤツらの狙いは何なの? まさか、キューピッドよろしく、あたしとあんたが恋に落ちるように願ってでもいるってわけ? 」


「きっとこれから、わかってくるんだろうな。俺と君が無理やり出会わされた意味が……」


 例えば瞬が、人類の未来を残すために、預言者であり独裁者の娘である真子の命を奪うべき時、はたして実行できるだろうか……。


「どうした、真子?」


 真子の身体が激しく震え始めた。


「また、発作が始まるわ。もっと強く、抱き締めて」


 瞬は、真子の熱い身体が壊れそうなくらい、夢中で抱き締めた。

 真子が苦しそうにもがくと、瞬は腕を少し緩めた。

 腕の中で、真子は顔を上げた。

 真子の上気した顔が、目の前にあった。

 震える真子の両手が、瞬の頬を包んだ。熱っぽく、しっとりとした手だった。


「勘違いしないでね。あたし、別にあんたを好きだとか、思っていないから……」

「ああ、そのようだね」


 苦しそうな真子の息づかいが、唇にかかった。

 防壁ごしでも映る海面の反射のせいか、真子の眼がキラキラと輝いている。


「でもね、瞬。あたしにキスしなさい。あんたのほうから」

「え? 真子、どうしてだ?」


 瞬はめずらしくたじろいだ。

 たとえ戦場で、一〇〇〇ガロアを平気で出すクロノスに遭遇したとしても驚かない自信が、瞬にはあるのだが。


「あたしもう、ダメかも知れないから……。せめてキスくらいしてから死にたいと思ってさ。あんたは大嫌いだけど、他に誰もいないもん、消去法よ。あたしにとっては絶望的にツイてない日だったけど、あたしとキスできるなんて、あんた、今日は人生最高の日ね」


 瞬は苦笑いしながら、瞳を輝かせている少女を見た。顔だけでなく首筋まで真っ赤になっている。


「……早く、なさいよ! ……瞬、もしかして、嫌なの?」

「嫌じゃ、ないんだが……」


 瞬は死んだ恋人を想っていた。


「じゃ、やりなさい。もうすぐ身体の震えが止まって、あたしはいったん仮死状態に入る。でも、ずっと唇を離さないでね。絶対よ」


 瞬がおずおずと唇を近付けると、真子は眼を閉じた。

 赤い唇は熱っぽく、柔らかかった。

 瞬が唇を吸うと、真子が吸い返してきた。


 どれくらいの時間が経ったろうか。

 約束した通り、瞬は真子を抱き締め、口付けをしたままだった。

 その二人を、にわかに強い蒼光が包んだ。


「何、やってるの? 朝香君」


 驚いて唇を離すと、あきれた表情で両手を腰にやっている女が立っていた。魚住課長らしい。


「いえ、これは……」


 唇は離しても、瞬は真子と下着姿で抱き合っていた。説明は相当難しい状況だった。


「まじめそうな顔して、意外と手が早いのね、朝香君」

「俺は何も悪い真似はしていません。それより、この子を早く……」


 説明よりもまずは救助だ。

 瞬は魚住に渡された毛布で真子を包んでやり、担架に乗せた。

 魚住の隣には、長い茶髪の若者がニヤニヤ笑って立っている。


「こちらは、あなたの同僚の猿橋君。女好きで有名だから、あなたと気が合うかも知れないわね」


 茶髪の隣には、一人の長髪の若い女性が、下着姿の瞬から顔を背けるようにして立っていた。横顔に見覚えがあった。

 瞬は電撃を浴びたように立ち上がった。そのままの姿で、女性に駆け寄った。


「明日乃! 生きていたんだね! 夢みたいだ!」


 だが女性は悲鳴を上げて、跳びすさった。


「なに! あなた、誰よ?」

「どうしたんだ? 記憶をまた失ったのか? 僕だ、瞬だよ。君が僕を救ってくれたんじゃないか!」


 茶髪の若者が間に入ってきた。


「お取り込み中、すんまへん。この美人の名前は――」


 茶髪を押しのけて、瞬は必死で訴えた。


「約束したじゃないか、明日乃。戦場から帰ったらずっと一緒にいようって。さあ、一緒にどこまでも逃げよう。僕が必ず君を守るから」


 だが女性は狂人でも見るように怯え、猿橋の背後に身を隠した。


「お前。同じ女好きとして忠告しとくけどな。口説く時はもう少し、TPOを選んで、アタマ使いや」


 魚住が、猿橋と瞬の間に割り込んできた。


「人違いよ、朝香君。あなたの恋人、空間操作士の天城明日乃は、第五次昴掃討戦で戦死したわ。この女性は、第一課所属の時間操作士、織畑砂子。あなたたちがいる場所は特定できたけど 、救出が間に合わなかった場合に逆行の必要が生じるかも知れないから、急きょ同行してもらったの」


 瞬は、かつての恋人と瓜ふたつの女性を、すがるように見つめた。


「本当に君は、明日乃じゃないのか?」

「誰なのよ、それ? ……私は、あなたに会った覚えもないわ」

「嘘だ。僕は君をよく知っている。動作光は霊石六分類に属さない珍しいプラチナ色だ。左頬のホクロの位置も大きさも、明日乃と同じだ」

「変な言いがかりは止してくれる?」

「見えない箇所の特徴だって当てられる。君の左胸の……下のほうにも、同じようなホクロがあるはずだ」


 女性は顔を真っ赤にして怒った。


「あなた、透視スキルでも持っているの? 変態!」

「明日乃。君とは兵学校の時からいっしょに――」

「わたし、軍人が大嫌いなの。人を殺しすぎるから」


 そんなはずはない。カラー・コンタクトを付けさせられて瞳の色が違っているが、容姿も声も同じだった。明日乃に決まっている。

 戦場から戻った後、一年の間に記憶操作でも施されたのか。

 それなら……


 瞬は魚住を押しのけると、身構える女性を抱きすくめた。

 顔を近づけ、無理やりに唇を奪おうとした。

 突然現れた鮮やかな水色の光壁にはじかれた。魚住課長が展開するサイらしい。


「明日乃! 僕だ!」

「許してね、織畑主任。この子、過剰発動のせいで心神耗弱状態にあるようだから」


 涙がひと筋、流れてきた。久しぶりの涙だった。


「異時空で死んだ人間が、生きて戻れるはずがないか……」


 意識が遠のいてゆく。限界値を超えるサイの過剰発動のせいだろう。

 猿橋が瞬の身体を支えてくれたような気がした。


「ほな、戻るで、プレイボーイ」


 猿橋の声がし、蒼光がゆっくりと辺りを包んで行った。



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■用語説明No.10:オブリビアス(忘れ去りし者/忘れ去られし者)

≪忘却の日≫と呼ばれる「二〇五一年十二月二四日夕刻」以前の記憶を喪失した者。記憶喪失の程度には、個人差がある。

忘却の日、世界は虹色の光に包まれ、全人類の三分の二が消滅する≪大災禍(カタストロフィ)≫が起こった。残された人類も、当時の正確な記憶を有しないため詳細は不明だが、大災禍で家族、親族を失った者は多い。

最終的に身元が判明しなかった者には、新たに姓と戸籍が与えられた。オブリビアスには、しばしば非常に高い時空間操作能力を持つ者が現れることが確認されている。

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