第8話 体制の要人


 ファーストクラスに入り、案内した乗務員が去ると、後ろのドアが閉まった。瞬の前にいた女性が、瞬を振り返った。


「よくお越しくださいました。私は、国立時空間研究所の鴨志田かもしだです」


 言葉づかいは丁寧でも、容赦のない冷気を感じた。

 横細の赤眼鏡をかけた知的な美人だが、瞬の好きなタイプではなかった。

 ちらりと見渡すと、研究所の関係者が慌しげに動き回っている。


「どうぞこちらへ」


 案内された先には、想像していた五十絡みの中年男ではなく、さっきの少女がいた。フリル付きの真っ白なワンピースを着ている。

 少女は一人につき窓を五つぶんほど使った最前列で、目いっぱいリクライニングさせた席に横たわっていた。


「何なのよ! よりによって、あんたが飛ばし屋だったの?」

「俺もこんな形で、君とまた会えるとは思っていなかったよ」

「あんたみたいに若いクロノスで大丈夫なのかしらね。朝香、あんたのエンハンサーはどこにあるのよ?」


 少女が瞬の顔や腕をじろじろ見ている。


「俺は、コンタクトレンズ・タイプを使っている」


 時空間を操作する力を引き出してサイ発動を可能とする装置は年々、小型化されてきた。ブレスレットとペンダントが現在も主流だが、瞬は訓練生時代から今のエンハンサーを使っていた。


「珍しいわね。だから眼が外人みたいに蒼いんだ」


 能力発動時に自らが発する強い蒼光によって、視界を奪われぬためだと、エンハンサー技師からは説明されていた。


「君のカチューシャも、あまり見かけない代物だな」

「あんたには、さっきのお礼をタップリしなきゃいけないけど、とりあえず今はいいわ。さ、あんた、世界を滅ぼしたくなきゃ、あたしを助けなさい」


 相変わらずの命令口調だが、冷や汗を掻いた額を押さえる華奢な左手は小刻みに震えていた。

 彫像のように端正な顔からは、すっかり血の気が引いている。髪の乱れは、頭痛のせいで頭をかきむしったせいだろう。まだ、しっかりとした意識は残っている様子だが、次第に朦朧もうろうとしてくるはずだ。


 瞬は胸を締めつけられた。瞬はこの症状をよく知っていた。だから珍しくこの少女に気をかれたのかも知れない。


「その若さで気の毒な話だな。症状はいつ頃からだ?」

 瞬は「未適応症」という病名を出さなかった。


 時空を操る者たちに、常につきまとう恐怖がある。確実な死の待つ「未適応症」である。個人差は大きいが、発症から二年程度が平均寿命とされた。


 原因不明で治癒例のない不治の病だから、本来は「適応不全」とか、「不適応症」といった表現が適切だったはずだった。恐怖を和らげるために、いずれ適応して克服しうるとの望みを込めた命名だろう。


「あんた、勘違いしてるみたいだけど、あたし、未適応症じゃないわよ」


 強がる少女が尖らせる形の良い唇に、瞬は確かな憐憫れんびんを覚えた。

 本当に違うなら、わざわざ空間操作士を呼び出す必要はあるまい。

 瞬は、未適応症で殉職した戦友を幾人も、その症状とともに知っていた。瞬の死んだ恋人を襲った病でもある。


 目の前であえぐ少女の症状を見れば、未適応症の発作だと一見して明白だった。シャワー室で抱き止めた時に感じた身体の熱は、発作前の予兆だったに違いない。


 クロノス以外に症例はないが、運よく罹患しないままで一生を終える者も相当数いた。だが「サイ」と呼ばれる超能力を発動すればするほど、発症率は高まり進行も早くなる。


 未適応症については、症状の緩和くらいしか対処方法がなかった。発症の予兆があれば、能力行使をやめるしかないとされ、科学的解明は半ば放棄されていた。もっとも発症した以上は余命も想像できるから、それまでの間むしろ精いっぱい能力を使おうとする者もいた。瞬は、そういうタイプの仲間を何人も見てきた。


 クロノスが行使する力は神の領域を侵すものであり、神ならざる人でありながら時間や空間を改変するがゆえに受ける罰だと、もっともらしく訴える終末思想家もいた。瞬も、意外に卓見やも知れぬと思わされる時もあったのだが。


「おたがい、因果な商売をやっていると、いつかツケが回るんだろうな」


 数百人を運ぶ航空機の中で、人に非ざる力を持つがゆえに、業病に怯えて生きねばならぬクロノスは、自分とこの少女だけだろうか。彼女もまた、時空の狭間に潰えた瞬の仲間たちのごとく「体制」に殉じる運命にもてあそばれているに違いない。


 そう思うと瞬は、目の前に横たわる初対面の少女との間に、奇妙な連帯を感じた。だが少女は、せっかく芽生えた感情を根こそぎ吹き飛ばす勢いで、嘲笑してみせた。


「もし同情なんかしてるなら、要らないわよ。あたしは生まれつき、時々こうなるのよ 。未適応症なら、とっくの昔に死んでるはずでしょ。何か文句、あって?」


 もし事実なら、未適応症の解明にとって貴重な症例だろう。だからこそ研究所が抱えているのかも知れない。もっともこの世があと二年ほどで「終末」を迎えてしまえば、研究も無意味になるわけだが。


 瞬は機内を見回しながら、話題を変えてみた。


「ファーストクラスを貸し切るにはきっと、酔いが一発で醒めるくらい金が掛かるんだろうな」

「知らないわよ。税金で払ってんだし」

「払う側の身にもなって欲しいな。君は何様のつもりだ?」


 瞬が属した軍でも、これから所属する内務省でも、ファーストクラスには乗れない。


「下々の空間屋が、どうしてあたしの素性を知る必要があるわけ?」


 相手が隠そうとする秘密を知りたがるほど、瞬は物好きではない。下手に「体制」の秘密など知ってしまったら、口封じに命を狙われかねなかった。

 口を開けば責められてばかりだが、不思議と腹が立たないのは少女の容貌のせいか、先ほどの甘い「事故」のせいか。


「あんたは黙ってあたしを運べばいいの。時が来れば、世界中がどうせ、あたしの前にかしずくんだからさ」


 同じクロノスでも、空間操作士はその名の通り、あくまで三次元の操作しかできない。能力と鍛錬次第で、仮に史上最強の戦士とはなり得ても、過去の改変はできない。時間操作こそが、日本のエンハンサー発明をして「最後の産業革命」と言わしめた奇跡の技術の核心だった。


 過去の改変と未来の予知は一定の制約があるにせよ、常に成功し続ける「常勝」を意味する。

 ゆえにか時間操作士は、空間操作士を見くだす傾向さえあった。特に時間を操作できる人間の中には、自らを神と勘違いし始めるやからさえいた。哀れこの少女も、そういった手合いなのかも知れない。


「そうなると、今のうちに君に恩の一つでも売っておいたほうが、トクってわけだ」

「ごちゃごちゃ言ってないで、早くあたしを東京へ連れて行きなさい。『終末』が来ちゃったら、あんたのせいよ」


 瞬が肩をすくめた時、鴨志田が黒い無線機を差し出してきた。


「時空間保安局二課の魚住課長と、守秘回線が繋がっています」


 聞き覚えのある名前だった。二課と言えば、空間保安課だ。そうすると、明後日から瞬の上司になるはずの女性だった。


「朝香君? 二課の魚住よ。お久しぶりね」


 なれなれしく、艶やかな声だった。


「俺はただの死に損ないの空間屋ですがね。課長にお会いしたことって、ありましたっけ?」


「二年前、内務省と軍の懇話会で挨拶したんだけど、覚えてないでしょうね。あなたは主役級のスターだったから」


 憶えていなかったが、魚住の口調から厚化粧と真っ赤に塗られた口紅を勝手に想像した。


 瞬にとって、軍に所属していた過去は遠い昔だった。

 それは今の瞬にとって、物静かな彼の恋人や戦友たちがまだ生きていた頃という程度の意味しか持っていなかった。

 不本意に想い出の淵に沈み始めた瞬を、魚住の忙しない声が、現実に引き戻した。


「さてと、朝香君。勤務は明後日からのはずだけど、済まないわね。実は時間がないの。あなたのそばにいる美少女ね、名前は明かせないんだけど、『終末』回避の鍵を握る大事な時流解釈士なの。今からあなたのエンハンサーにアウトプット地点のデータを送るから、彼女といっしょに翔んでちょうだい」


 どうやらタダでの注文らしいが、名も明かせないほどの「体制」の要人の救命は大きな貸しになるはずだ。


「三号アリーナで待っているわ。プラマイは平面、上下とも五〇〇まで誤差修正可能よ。私かうちのクロノスが受け止めるから」


 内務省が保有する東京の時空間移動施設は、新浦安にある。確か三号アリーナは最も豪勢な最新施設で、国立時空間研究所と共管のはずだった。


「魚住課長、簡単におっしゃいますがね。相当の無茶振りですよ。ここから東京まで六〇〇〇キロも翔べって言われても、ロケットじゃあるまいし」


 今の時代も必要がない限り、長距離移動には輸送機械が用いられる。長距離のテレポートをする場合は、多人数で発動し、足し算、掛け算で実行するから、一人当たりの負担は少ない。


「今までの最長記録は、五〇〇〇キロとされているわ」

「知ってますよ。俺が出した記録ですから」

「じゃあ、できるでしょ?」


「そいつは素面しらふの時の話ですよ。それも一度きりの話だ。この飛行機、秒速三五五メートルほどで動いて、おまけに地球も秒速四六五メートルで自転しているんですがね。重力もある。酔っ払いには相当、荷が重い話ですよ」


 地球は球体だから、直線距離にはならない。気をつけないと大気圏にまで飛び出しかねない。


 魚住は他人事のように、反駁した。


「飛んでる飛行機にテレポートしろなんて、無茶言っているんじゃないわ。逆ならできるでしょ? 長距離の場合、自転には普段から気を付けているはず。一度、上空に出てから二次移動してもいいけど、あなたでも発動限界になると思うわ。でも『蒼光のメデューサ』なら、何とかできるでしょ?」


 瞬もやるしかないとは分かっている。研究所と「体制」に恩を少しでも高く売ってみただけだ。将来、魔除まよけくらいの役には立つかも知れない。


「こっちは真夜中でね、人員が足りないのよ。今、急がせているけど、あと三〇分で受け入れ準備を完了させるから、東京時間〇四〇〇に飛んで、いいわね。そっちも準備が必要でしょ?」


 数分後、ファーストクラス内の喧噪をよそに、瞬は酔い覚ましのコーヒーカップを片手に、シートをリクライニングさせた。高級な低反発素材が身体に優しい。


「鴨志田。何でこのあたしが、こんな男と抱き合わなきゃ、なんないわけ?」

「お嬢様。超高速の状態で瞬間移動をすれば、物凄い加速度がかかります。五〇〇〇キロメートル超の瞬間移動には、最低でも五〇〇ガロア程度のエネルギー負担が生じます」


「あんた、本当に五〇〇ガロアも出せるの?」

「そろそろ準備を始めないと、間に合わなくなる。抱き合うも何も、俺と君は相当進んだ所まで行った仲じゃないか」

「な、なにを言い出すのよ」


 瞬はやたらと苦いコーヒーをゆっくりと啜った。


「鴨志田さん、とにかくミッション実行の五分前までに彼女を説得して、俺に縛り付けてくださいよ」


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■用語説明No.8:終末

2064年4月4日に到来するとされる文明の終焉。

人類は時流解釈士の力で、未来を予知できるようになったが、「終末」以降の予知が絶対的に不可能である事実が判明した。同日以降は未来が存在しなくなるとされ、2064年4月4日をもって世界が終わると考えられている。ただし「終末」が実際に何を意味するかを巡っては諸説がある。

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