十四、最終報告書

 手賀沼佐与子は、立川にいた。前日、帝都探偵社の相馬から最終報告のため、ご足労願いたいと電話があったためである。東改札で待ち合わせる約束をしていた。

「あ、すいません。相馬です」

キョロキョロと辺りを見回していると、背後から声を掛けられた。普段、パンツ姿とラフな格好をしていた佐与子だが、この日は外出ということもあってか、白いブラウスに臙脂のロングスカートと、召かし込んでいた。

「お忙しいところ、ご足労いただきましてありがとうございます。どうぞ、こちらです」

相馬にエスコートされて多摩営業所に向かった。佐与子にとっては、二回目となる訪問だが、この怪しげなビルの様相には、未だ慣れることは出来なかった。

 相馬に案内されるがまま一つの部屋に通された。開かれた扉の向こうには、三名の人物が既に待っていたかのようにそこにいた。一人は、増井である。さらに刑事の前島もいたが、佐与子の初見では同じ帝都探偵社の人間に思えたことであろう。それよりも最後の人物の存在が、佐与子のことを驚かせた。夫の秀尊であった。今朝、会社へ送り出したはずの夫が何故か自分の依頼した探偵と一緒にいる。

「え?これはどういうことですか?」

佐与子からしてみれば自然とそういう台詞が口からこぼれた。どちらかというと、少し苛立ちさえ感じられる口調であった。

「今からきちんと説明いたしますから、どうぞおかけください」

相馬はにこやかに穏やかな口調で、そう促した。少しも怯まない様子に佐与子も言われるがまま、秀尊の横に座った。その対面には、増井と前島が座り、相馬は上座に座った。

「それでは」

そう言うと、相馬は机に置いてあったクリアファイルから薄い冊子を取り出すと、それを佐与子の前に差し出した。

「そちらが我々の出した最終報告書です。どうぞお手に取ってください」

促されてそれを手に取ると、表紙には確かに調査結果報告書と題名が大きく印字されていた。そして、その表紙を捲ると次のような文章が書かれていた。

『当社の二週間に及ぶ調査を行った結果、調査対象にご依頼の疑惑は、ございませんでした』

「え?これはどういう?この前見せられた写真は?」

佐与子は、文章を読み終えるや否や、聞きたいことが山ほどありすぎて発作的に言葉を吐き出した。だが、何から聞いてよいのか、何をどう聞けば良いのか、思考回路が整理できずに上手く言葉にできなかった。

「それを今から説明します。どうか落ち着いて聞いてください」

相馬は、取り乱す佐与子を宥めつつも、そうなることは容易く想像できた。

「前回の中間報告の際、私たちは確かにご主人が他の女性…。この際、隠しても仕方がないので実名を出しますが、矢神姫子さんとホテルが密会する場面を写した写真をあなたにお見せしました。これですね」

数枚の写真をテーブルの上に広げて見せた。それを見た佐与子の表情は、さらに険しくなり、秀尊は見向きもせずにずっと項垂れたままでいた。

「まぁ、前回も言いましたが、このご主人の表情。どれもこれも冴えないばかりです。いくら後ろ暗い逢瀬であるとは言え、妻の目を盗んで好きな女と会っているなら目尻のひとつやふたつ、下がりそうなもんじゃないですか?前島さんならどうですか?」

「えっ?あっ」

急に話を振られてたじろいだ。

「前島さんは、独身でいらっしゃいますが、仮に結婚なさっているとして、好きな女性と隠れて密会するときに、こんな冴えない表情になりますか?」

相馬は、質問を改めて投げ掛けたが、意中の増井を横に戸惑っていた。

「俺は、そんなことしないけど、まぁ一般的には楽しそうにするんじゃないか?わからないけど」

前島は、一般論にすり替えて答えた。

「ま、いいでしょう。そこで前回、あなた方夫婦が不倫関係にあった時代の写真データを見せてもらった時のご主人は、実に楽しそうでした。そこで、僕は矢神姫子とご主人は、男女の関係以外で密会をされているのかと思いました。どうですか?ご主人」

ずっと項垂れていた秀尊は、姿勢こそ変えないが、明らかに動揺をしている。空調の効いた部屋だというのに額からは汗が止まらないようである。

 相馬は、テーブルの上の写真を手で少し退けてやると、一枚の写真を丁寧に置いた。

「奥様もご存じの矢神姫子ですが、間もなく逮捕されます」

秀尊と佐与子は、夫婦そろって顔を上げて相馬を見た。驚きの表情である。

「矢神姫子のいる銀座の店、堀田晋平の務める新宿のクラブ。どちらも周辺に刑事を配備しており、身柄を確認次第、確保となっています」

前島は、警察官としての威厳を取り戻したかのように説明した。

「あ、ご紹介するのを失念しておりましたね。こちらは警視庁の前島さんです」

「もうしわけありませんでしたぁぁ」

秀尊は、乱暴に椅子から転げ落ちたかと思うと、床に蹲る様にして土下座した。

「どういうことなの?」

何もわからない佐与子は、何が起きているのか心も頭もついていけない。相馬は、そっと秀尊のそばに腰を下ろすと、両肩に手を添えて、椅子に座るよう促した。

「この堀田晋平と矢神姫子は、麻薬の売人なんですよ。ご主人は、その被害者なんです」

相馬の話に、佐与子は言葉も出なかった。

「ここ最近、出会い系サイトがらみで麻薬の売買が横行しているのはご存知ですか?」

「あ、はい。なんとなくは…」

「その一味なんです。二人は。ここからは、僕の創作話も入りますので、事実とは多少異なるかもしれませんが」

そう断りを入れて、相馬は話した。

「お店のサイト作成が縁で、奥様と矢神姫子は、出会われました。さらに通販サイトのシステム開発のためにご主人に紹介されましたね。ま、ご夫婦に接近されたのは、本当に偶然であったと思います。そして、ある時、矢神姫子からご主人に相談したいことがあると、話を持ち掛けられたのでしょう。誰にも見られない場所で相談したいとでも言われて、ホテルに仕方なく入ったわけです」

「金銭的なトラブルで相談に乗ってほしいと言われました。ただ、自分は最近見張りを付けられているらしく、危険なのでホテルで話せないかって言われて仕方なく入りました」

力なく秀尊は、相馬の話に事実を添えた。

「根っから人が良いご主人を悪用されたんですね。ですが、そこで持ち掛けられた相談というのが麻薬を買ってほしいということだったんですか」

「いえ。最初、矢神さんは、抱いてほしいと言ってきました。ですが、私には佐与子がおりますので当然断りました。かなりしつこく誘われましたが、それでも断っていると急に泣き出しました。訳を尋ねてみると、彼女の会社で起こしたトラブルが元で、暴力団から麻薬を密売するように脅迫されていると白状したんです」

「そういう事でしたか。当然、ご主人は出来る限りの金なら工面してあげようという気持ちが働いたでしょう」

「はい。麻薬いらないからととりあえず持ち合わせで渡せる分だけ渡して、その日は返りました」

「ですが、矢神姫子は再度連絡を取ってきた。今度は脅迫的にじゃないですか?」

「その通りです」

「麻薬に限ったことじゃありませんが、商品というのはリピーターになってもらうに限りますからね。矢神姫子としては、本来男女の仲で興奮している状態の時に、それを使用させて中毒に陥れるのが目的だったのでしょうね。ですが、ご主人がそれを拒否したため、罠を張っておいたのでしょう」

「罠?どんな?」

増井が聞いた。

「例えば、ホテルを出るところを仲間に写真で撮らせれば、十分な脅迫材料になるでしょう」

「その通りです。いや、それだけじゃなく、矢神さんは、知らないうちに私のカバンに麻薬を忍ばせていました」

「そういう事でしたか。もしかして、ご主人は、それを処分するために外泊が増えたんじゃないですか?」

「はい。奥多摩にある古民家を借りてまして、都心では人の目が気になるので、そこに行って庭に埋めました。ですが、電車で行った時は、どうしても終電がなくなってしまい、そこで寝泊まりをしていました」

「ということは、毎回、麻薬を受け取っていたんですね」

「もちろん、拒否はしました。ですが、いつの間にかポケットやカバンに入れられたり、脅迫まがいに受け取らされていたんです」

秀尊の弁明は、必死の形相であった。

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