十二、喫茶店にて

 二人のスーツ姿の男のうち、一人が言った。

「ご無沙汰してます。美樹さん。僕の事覚えてますか?」

「ああ。確か、前島まえじまさんでしたっけ」

緊張していた増井の表情は解かれたが、少し困惑にも近い表情に変わった。

「ちょっと、腰を落ち着けて話しましょうよ」

前島は、誘うと言うよりも半ば強引に、近くの喫茶店に連れて行った。全国にチェーン展開するよくある喫茶店であった。入るとすぐにレジと厨房があり、先払いで注文するタイプであった。

「僕らで持っていきますから、先に席に座っていてください」

前島ともう一人のスーツの男は、レジに並んだ。増井と相馬は、適当なボックス席に腰を落ち着けた。

「お知合いなんですか?」

相馬は、ずっとしたかった質問を増井に投げかけた。

「前島さんと言って、警視庁の組対にいる人。以前、ある調査で偶々顔見知りになったのよ。もう一人の人は、初めて見たけど、多分同じ組対の人だと思う」

増井の言う『組対』というのは、組織犯罪対策部のことであり、警察本部によっては刑事部捜査四課に組織されているところもある。主に暴力団に対する捜査を行う部署であり、その性質から拳銃や麻薬捜査なども行う。そう言われて改めてレジに並ぶ前島たちを見ると、スーツで隠していても体の骨格の良さがわかる。

 二人が、ブレンドコーヒーを四つ持って席に着くと、それぞれ簡単に紹介をした。前島の連れは大胡田おごたと名乗る同じ組織対策部の後輩だという。

「いやぁ、でもこんなところで美樹さんに会えるだなんてうれしいなぁ」

前島は、歯の浮く様な台詞をさらりと言う。どうやら増井に気があるらしい。

「ところで、お二人ともCLUB・STREAMに用事があったみたいですけど?」

前島は、にこやかな表情を変えず、コーヒーカップを口につけて増井たちの事情を探ろうとしていた。

「ええ。ちょっと。いつもの浮気調査ですよ」

増井は、嘘をついてはいないが、概要だけで真実を包んだ。

「お二人もあの店に用事があったんですか?」

相馬が尋ねた。

「いやいや。全く違う要件ですよ」

前島は、何かしらの含みを持たせて返してきた。

「私、あまり詳しくないんですけど、あのお店ってちゃんとしたお店なんですか?」

「さぁ、僕の口からはちょっと…」

例え増井からの質問であっても、そう簡単に刑事の口から情報が出てくるはずがなかった。

 他愛もない話題で探り合いながらも談笑をしていると、隣のテーブルに、見るからに出勤前のホストであろう三人組の男性が居合わせた。

「あー。っだりぃ。やっぱ満喫で寝るのってなれねーわぁ」

相馬達は、談笑をしながらも彼らの話に聞き耳を立てていた。それは、何かしらの情報が得られるかもしれないという職業柄の習性というよりは、彼らの話声がやや耳障りなほど大きかったためである。

 彼らの話からその関係性など色々と手に取るように分かった。三人は、同じ店で働くホストのようである。明け方まで働いた後に、店で盛り上がった客とアフターを楽しんだらしい。自宅まで戻るのも時間がかかるため、漫画喫茶で仮眠を取ったという事の様だ。一人だけソファー席に座っている男が彼らの中でリーダー格を担っているようで、彼がする話に二人が同調したり、驚いて見せたりとする。タクと呼ばれるホスト仲間が自分の客に色目遣って取られた話や、自分を拾ってくれた社長に対する感謝などを熱弁している。恐らく、前日の酒が抜け切れていないのであろう。中には、女性である増井にとっては耳を塞ぎたくなるような卑猥な話もしていた。相馬達だけではなく、他の客も迷惑そうな顔をしている。簡潔にいうと、浮いていた。

 ただ、ある男の話題になると彼らの声のトーンが大人しくなった。

「そういや、ツバサさん。コウキさんの噂、聞きました?」

増井と相馬は、『コウキ』という名前に思わず反応した。相馬は、素早くスマートフォンを出すと、『CLUB・STREAM』のオフィシャルサイトを開いた。

「ああ。あの噂な。いや、ここだけの話マジっぽいよ。社長もホントは切りたいみたいだけど、オーナーの知り合いとかで悩んでたわぁ。ま、俺なら一発ぶん殴って切り捨てるけどね」

そう言うと、三人はまた馬鹿みたいに笑いだした。相馬は、何も言わずにそっとスマートフォンの画面を増井に見せた。そこには、ツバサというホストの紹介ページがあった。さらにメモ帳にそっと文字を書いた。

「隣の三人。CLUB・STREAMの人たちみたいです」

そのメモ書きに増井は、黙って頷いた。

 彼らは、三十分ほど喫茶店を居酒屋と勘違いした様な態度を続けると、立ち去って行った。

「奴ら、CLUB・STREAMのホストですね」

大胡田が言った。

「あ、やっばり。あの店を調べてたんじゃないですか?」

増井は、聞き逃さなかった。前島は呆れた様な顔をして、大胡田はバツが悪そうに口を片手で覆った。

「わかりました。この際、腹を割りましょう。その変わり他言無用ですよ」

前島がそう言って聞かせてくれたのは、麻薬がらみの話であった。

 一か月ほど前に北千住の夜道で、会社帰りの女性が男にバッグを奪われて全治一週間の怪我を負わされたという事件が起きた。その事件そのものは、大きく取り上げられることはなかった。犯人も三日後に逮捕された。ただ、その犯人の自宅マンションを家宅捜索してみると、少量の麻薬が発見されて押収された。どうやら犯人は、麻薬を買う金欲しさに事に及んだと白状した。さて、こうなると麻薬の出所を突き止めることになる。

 この犯人の場合は、俗にいう出会い系サイトで出会った女から買ったという。前島曰く最近は、こうした誘惑方法が多いらしい。詐欺師にも近い手口である。そうしたサイト内で接触してきた女は、思わせぶりなやり取りを行い、じっくりと交流を深めて行くと、当然会おうということになる。数回の逢瀬を重ねると、それまで全く話題にも上がらなかった麻薬の話になる。その女の身柄を確保すると、その背景に組織があることが分かった。その本拠地に踏み込んだが、一歩及ばず事務所は蛻の殻となっていたが、その組織も慌てていた様で、幾つか遺留品などが見つかり、さらに捜査を進めた結果、CLUB・STREAMに辿りついたというわけである。

「先ほど、隣にいた男たちの会話に出て来たコウキって男がどうやらその組織を取り締まっているらしいんです」

「それって、この男ですよね」

相馬がスマートフォンの画像を見せた。

「そうです。こいつです。え?まさか、そちらも?」

「実は…」

増井は、ある程度の個人名を伏せた上で、自分達がCLUB・STREAMに辿り着いた経緯を簡潔に話した。

 どうやら話を照らし合わせると、相馬らの調査と前島たちの捜査は、接点を持ち始めているらしい。

「すいません。前島さん。折り入ってお願いしたいことがあるんですが…」

相馬は、そう言うと卓上にあったペーパーナプキンを一枚取り上げ、目の前に広げた。そして、胸ポケットから手帳を取り出すと、その横に並べた。そして、そのペーパーナプキンに何やら書き出した。

「すいません。こんなもので申し訳ないのですが」

そう言うと、前島の前にペーパーナプキンをスッと置いた。取り上げて見てみると、日時と場所とホテルの名前が書かれていた。

「我々が調査している対象者が利用した日時とホテルです。このホテルに聞き込みをお願いしたいんですが…」

「なぜ警察が浮気調査を手伝わなきゃならんのですか」

「これは、ただの浮気調査じゃないんです。このまま捜査を進めていれば、警察は我々の調査対象にぶつかるでしょう。その時に誤認逮捕をしないためにも必要なのです」

相馬の思考が先走りしすぎており、調査対象が誰なのかもわからない上、誤認逮捕がなぜ起こりうるのかも理解できない。

「そうは、言われても…」

前島は、困った表情で背もたれに体を預けた。

「私からもお願いします」

増井は、相馬の考えが理解できてはいなかったが、口添えをした。

「わかりました。その変わり以前お願いした件、前向きにお願いします」

前島は、人が変わったように返事をすると、大胡田を連れて店を出て行った。その背中を目で追いながら、相馬は尋ねた。

「デートでもお願いされたんですか?」

「ううん。プロポーズされた」

相馬は、口に含んでいた水を思わず霧のように吹き出した。

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