八、中間報告

三人の探偵は、クライアントである手賀沼佐与子に二回目の面会をするために、再び職場である小平市のマンションを訪れた。相変わらずのやつれた美人であった。人間の価値をルックスに見出すわけではないが、やはり矢神姫子とは、タイプも違う。本当に佐与子では飽き足らず、姫子に走ったというのであれば、その心情を理解するのは、非常に難しい。当然、相馬達の知らない佐与子の顔というものもあるであろう。秀尊にとっては佐与子との生活が窮屈であったのだろうか。

「今日は、中間報告ということでやってきました。報告は、こちらの相馬からさせます」

長峰の切り出しで、中間報告が始まった。前日に長峰と増井の指導を受けながら、資料と話す内容を取り纏めた。取り纏めたが、今、相馬の頭の中は、雪景色と見間違えるほどに真っ白になっていた。

「よ、よろしくお願いします。まずは、単刀直入にご報告します」

そう告げると、クリアファイルから一枚の用紙を取り出して、佐与子の前に差し出した。

「この数日の調査において、ご主人がある女性とホテルに出入りしている場面が目撃されました」

佐与子は、ハンカチで口を抑えると、目を閉じた。目頭にじわりと涙が溜まり、やがて重力に逆らえなくなり顔を伝った。少し肩を震わせている。佐与子は、強い。もっと正確に言うと、弱い自分を見せまいと強がっているのであろう。

「すいません。大丈夫です。続けてください」

「わかりました。大変酷なようですが、この写真をご覧ください」

相馬は、クリアファイルから一枚の大判写真を取り出して、またもや佐与子に見えるよう差し出した。その写真は、矢神姫子と手賀沼秀尊が一緒に歩いている昼間の写真である。佐与子の心情を察して、ホテルから出てくるような類の写真は、最終報告時には渡さなければならないが、中間報告では差し控えた。佐与子は、ハンカチで涙を拭うと、その写真を手に取った。

「これは…矢神さん?」

「やはり、彼女は、矢神姫子さんですか?」

「ええ…」

佐与子は、矢神姫子について涙に言葉を遮られながらも、話し始めた。

 二人の出会うきっかけは、両者共通の知人がいたことに端を発する。富田という生花店を経営する女性であり、佐与子には、店のサイト作成を依頼したことから顔見知りとなった。富田と姫子が知り合ったきっかけについては、聞いたことがあったかもしれないが、忘れてしまったらしい。姫子は、自分が経営する雑貨店のサイト作成を依頼してきた。それまでもサイトはあったが、どうも自分のイメージ通りでないらしく、他のデザイナーを探していたとのことである。打ち合わせを重ねて作り上げたサイトは、姫子に大変気に入って貰えたようで、その後も細かなリニューアルなどを任され、やり取りが続いた。知り合って半年ほど経った頃に一つの相談を持ち掛けられた。これまで大手通販サイトに委託して行っていたネット通販を自前でも行いたいということであった。佐与子は、その分野に明るくなかったため、夫である秀尊に相談を持ち掛けた。秀尊は先述の通りアプリ開発会社を経営している。得意分野ではなかったが、大規模でなければ可能であるとの回答を受けて、秀尊と姫子を引き合わせた。

 それからは、一つのプロジェクトチームを立ち上げたように頻繁に三名で会い、打ち合わせを行った。年齢も三人それぞれ一回りずつ違っていたので、友人のような家族のような和気藹々としたものだったという。

 ネット通販の件が落ち着くと、交流は以前に比べて減り、佐与子も他の案件などがあったため、自分から連絡をすることもなく、疎遠になっていたという。

 増井は、時折嗚咽する佐与子の背中を優しく摩りながらも、語る話を漏らさずパソコンに書き込んでいた。長峰は、ソファーの背もたれに体を預けて腕を組み、難しい顔をして聞いていた。相馬は、優しく笑うでもなく怒りを露わにするでもなく、ただ眉の一つもピクリとさせず、無表情にしていた。

「そうでしたか。よくお話してくださいました。どちらにせよ、今のままでは証拠が不十分かと思います。調査の方を続けさせていただきたいと思います」

相馬は、幾らか緊張も薄れたのか。冷静になってきた。自分の感情を言葉に乗せないように心掛けて話した。

「わかりました。お願いします」

佐与子も多少落ち着いたのか、目を真っ赤にさせながらも受け答えは、はっきりとしてきた。

「ちなみに…なんですがね。この矢神姫子さん。お金に困っている様子とかってなかったですか?」

先ほどから口を真一文字に結んでいだ長峰が喋りだした。この質問には、佐与子も予想していなかったかのように目を丸くさせた。佐与子の表情を読み取った長峰は、言葉を続けた。

「いや、これは奥様に今回、お伝えするか迷ったのですが…」

そう断りを入れて、相馬が差し出した写真に写る秀尊の顔を指さした。

「この際、不躾なことをいうかもしれませんが、お許しください。また、これは我々の推測のお話なのですが、このご主人の顔。あまりにも楽しそうじゃないですよね」

「はぁ…。言われてみればそうですね」

「婚前、奥様と密会されていたご主人は、どうでしたか?」

「つまり、まだ旦那が前妻と別れていなかった頃。私と主人が不倫関係にあった頃のことですか?」

「ええ。そうです」

佐与子は、俯いた。思い出そうとしているか懐かしさに感情が高ぶりだしたのか黙ったままで沈黙が続いた。

「ちょっとお待ちいただけますか?」

佐与子は、そう言うと仕事部屋からタブレットパソコンを持ってきた。

「主人との写真は、すべてこれで見ることが出来ます。ちょっと探してみます」

なるほど、二人が不倫関係にあったおよそ十年前。現在のようにスマートフォンはなかったが、フィーチャー・フォンにおいては、カメラ機能は既に普及していた頃である。

「このあたりが、その頃のものです」

佐与子は、テーブルにタブレットパソコンを置いた。そのまま、相馬が指先でスライドさせて何枚か閲覧した。どれもこれも二人が笑っている写真である。秀尊も、実に楽しそうに見えた。

「ありがとうございます」

相馬は、佐与子の目の前にタブレットを置きなおした。

「ちょっと失礼させていただきます」

長峰は、腰を上げると玄関へと続く短い廊下の方へ姿を消した。どうやらどこかへ電話を掛けているようである。

「奥さん、もう少し調査を続けさせていただいてもよろしいでしょうか。どうも、ただの不倫ではない可能性があります。もしかすると、恐喝されている可能性もあります」

相馬が場を取り繕うように言った。

「そうであれば、警察に届け出た方がよいのでは…」

「確かに、確かに警察に届け出るという手もありますが、確たる証拠がない現段階で取り扱ってくれるか…。それに警察の捜査になると、マスコミも多少騒ぎます。全国的には小さな事件で取り扱われたとしても、やはり周辺の方々には、大きな物事となるので、ご主人がお困りになる可能性も考えられなくありません」

増井の助け舟であった。

「わかりました。よろしくお願いします」

「はい。きっちりと調査して報告いたしますので」

多少強引ではあったが、佐与子に了承をもらって彼女の職場マンションを後にした。三人は、その足で姫子の経営する雑貨店の中で、銀座の店舗へと向かった。

「情報調査係に、矢神姫子の会社の財務状況を調べるようにお願いしたから。数日のうちには報告があがるでしょう」

長峰の電話していた理由はそれであった。情報調査係は、帝都探偵社の営業拠点においても、東京本社と大阪支社にのみ設置されている部署であり、主にインターネットなどから依頼されたキーワードや情報について調べ上げて報告する。一般調査員の補佐的な役割を担っている。特に匿名で書き込む掲示板などにおいては、表向きだけではない、内部からの情報が書き込まれていることもあり、主に人物や会社などを調べることが殊に多い。

 姫子の経営する店舗は、現在、銀座、吉祥寺、横浜元町の三店舗である。これは、以前にも述べたことであったが、その中でも、銀座店に足を向けたのは、本社も同じ住所になっているためである。また、店舗のある銀座と秀尊の会社がある西新橋は比較的近場である。この日も密会するのであれば、いる可能性が高いという見解もあった。

 雨脚の強い夕立が降る中、三人は銀座に到着した。

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