七、女の正体
相馬は、探偵として二日目の朝を迎えた。東京本社には行かず、立川にある多摩営業所に直接向かった。千歳烏山から分倍河原で南武線に乗り換えて、終点の立川というルートである。相馬が出社すると、長峰と増井も既に出社していた。
事務室は、パーテーションで個々のスペースが区切られており、二人ともパソコンに向かって何やら作業をしている。
「おはようございます」
「おはよう。あ、そこのパソコン使っていいから。昨日の勤怠入れといて。退社時間は、二十二時半で」
「あ、わかりました」
長峰にそう言われて、一台のパソコン前に腰を下ろした。帝都探偵社では、一般に公開されているオフィシャルサイトとは別に、社内で従業員が使用するサイトを設けている。ここでは、勤怠管理や有給休暇などの申請ができる他、社員への連絡事項など様々な内部情報を閲覧できる。自分の社員番号とパスワードを入力すると、個人のページに移る。『勤怠管理』の文字をクリックすると、さらにページは進む。そこには当月度の日付と勤怠時間などが表になっており、入力したい箇所にカーソルを合わせてから打ち込む。残業時間などは、勝手に計算してくれる。
さらにこれまで依頼された案件やそれに関わる人物などもデータとして見ることが出来る。増井は、そのデータベースで『矢神』の名を検索していた。該当する人物は、性別や年齢を問わなければ十八名いた。その一人一人を調べる。その中に、矢神豊一という人物がいた。詳細ページを開き、住所を見ると昨日女が入って行った例の豪邸辺りであった。
矢神豊一は、関東一円と近県に展開するハローストアという小売業店舗を主体事業としたハローストアホールディングスの会長である。一代で急成長を遂げた企業であり、年商は数十億とも言われている。そうなると、あの豪邸も納得が出来る。
「相馬君、矢神豊一で検索かけてもらえる?豊かに数字の一ね」
「あ、はい」
相馬は、言われるがまま、検索サイトで矢神豊一を調べた。増井は、自分の見ているページをプリントアウトして、相馬の背後についた。
「あ、ハローストアの創設者なんですね。もしかて、昨日の女の身内ってことですか?」
相馬の言葉に反応して、長峰も話の輪に入ってきた。
「もしかしたら、父親かも」
増井は、二人にプリントアウトした資料を見せた。家族構成という欄に娘がいると書かれていた。相馬は、ハローストアの公式サイトにある会社概要を開いた。
「あ、お顔が載ってますね」
そこには、胡散臭い笑顔を見せた一人の男性が長々とした講釈とともに載っていた。
「言われてみれば、昨日の女性に似ている気もするねぇ」
長峰の呟く通り、昨日追った女の面影がある気がする。ただ、それは願望というフィルターがそう見せている可能性もある。
「これってこの豊一氏が以前、うちに依頼をしたからデータベースがあるんですよね?」
「あ、そうだ。ちょっと調べてみる」
相馬が言いたいことを察知したようで、増井は、再び自分のデスクに戻ると、パソコンを操作し始めた。
「二年前に、人物素行調査でうちをつかってるみたい。担当したのは、本社の八木沢さんっていう調査員か」
さらに八木沢という調査員についての照会ページに進んだ。
「今も本社の第二調査係にいるみたい。連絡してみる」
増井の行動は早く、すぐに受話器を取り上げて、連絡をつけた。
相馬は、『矢神豊一』という検索ワードに『娘』を付け加えて検索してみた。数百件のヒットがあった。幾つか気になる見出しをザッピングして開いてみた。その中にある匿名掲示板で『矢神姫子』という名前を見つけた。
「それで検索してみる?」
後ろで覗いていた長峰に言われて、そのワードをカーソルでなぞり、検索し直した。今度は、様々なソーシャルネットワークサイト内にいる同姓同名のページがたくさんヒットした。そのうちの一つを試しにクリックしてみた。すると、昨日見た女の写真が掲載されたページが現れた。
「お手柄だよ。相馬ちゃん。ついでに、僕の共有見てくれる?」
長峰の指示される通りに操作を進めた。すると、三十枚ほどのjpeg形式の画像データにたどり着いた。
「とりあえず、どれか開いて」
適当なデータを選んで、画像を表示させた。中身は、昨日増井と長峰が撮影した写真であった。その写真データの矢神という女と、サイトから拾った矢神姫子という女の画像を左右に並べて比べてみた。撮影条件が違うこともあり、同一人物と言われればそうであるし、他人の空似と言われれば納得してしまう。
「このパソコン、Tフォト入ってます?」
「ああ、あると思うよ」
相馬の言うTフォトは、帝都探偵社が開発した独自の画像編集ソフトである。画質の悪い画像をクリック一つで見やすく変換してくれる優れものだが、複数の画像が同一人物かどうかの判別も出来る。相馬は、その機能を思い出した。撮影した画像データに全て目を通して、比較的鮮明な写真を選別した。そして、ネットから拾った画像データと共にそのソフトにかけた。処理には数分かかる。
「八木沢さんに掛けてみました。豊一氏の娘さんは、同じグループ傘下の雑貨店を経営しているみたいですね」
「あ、処理終わりましたね。八十六パーセント一致ですね」
「んー。ほぼ決まりだね」
その後、念のためにハローストアホールディングスのサイトから娘が経営するという雑貨店のサイトにある会社概要を確認した。矢神姫子が社長として経営するハロークリスタルは、銀座、吉祥寺、横浜元町に三店舗を構えていた。主力はインターネットによる通信販売の様である。
さらに調べてみると、色々とわかってきた。
最盛期には、前述の三店舗に加えて、多摩センターや船橋、溝ノ口など十店舗近くあったようだが、業績が振るわずに店舗を閉店させている模様だ。恐らく、父親のような経営者としての才覚は、ないのであろう。
さて、秀尊とホテルに入った女が、矢神姫子だとすると、二人の繋がりが気になるが、それは一度置いておくことにした。とりあえず五日間、秀尊を監視することにした。
その五日間に秀尊が矢神姫子と思われる女性と会ったのは、三回であった。場所は、六本木であったり、新宿であったりと様々であった。中には、昼間に仕事を抜け出して落ち合うこともあった。
ただ、一つ。相馬には、どうしても気になることがあった。
「この三百枚近くの写真、どれを見ても、調査対象が一つも笑ってないんですよ。それどころか、冴えない表情に見えるんですよ」
相馬がそう漏らしたのは、明日にクライアントである佐与子に中間報告をする予定になっている前夜の事であった。長峰と増井も指摘されて、改めて写真データを数十枚見直してみたが、確かに秀尊が笑みをこぼしているような表情は、一つもなかった。
「でも、それは背徳感やばれたくないという猜疑心とかからじゃないのかなぁ」
長峰は言った。
「浮気したことがないから想像ですけど、浮気するってことは、配偶者がいながらも恋愛するわけですよね。という事は、寧ろその背徳感が男女間を燃え上がらせる要因になりうるわけで、そうなると自然と笑顔の一つでもこぼれておかしくないと思うんです。逆に何かしらの要因で背徳感がなくなると、その不倫関係がただの恋愛関係になるというパターンは、少なそうですし。まぁ、ネットで見た情報なので不確かですけど」
その不確かな相馬の力説に、長峰と増井は妙に納得した。
「じゃあ、相馬君の打つ次の一手は?」
増井が尋ねた。
「明日、クライアントへの中間報告で調査対象たちに関連性があるのか。もしかしたら、知っているかもしれません。それを確認してからと考えます」
「じゃあ、そうしよう。しばらく、相馬君にのってみようじゃない」
長峰は、楽しそうに笑って言った。
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