六、追跡

女と秀尊がホテルに入った後。長峰に連絡を入れた。

「あー。やっぱり道玄坂のホテル街に入ったかぁ。その辺りって車止めにくいなぁ」

長峰の言う通り、この辺りは道が狭く、ライブホールもあるため、時間帯によっては、利用者が道を塞いでしまうこともあり、車で尾行するのは少し難しい。

「大通りに車を回しておくから、引き続き頼むわ」

電話は切れた。

「あの店に入ろっか」

増井が指さした方には、一軒の喫茶店があった。大きな窓があり、二人の入ったホテルを監視できそうである。相馬にも意義はなかった。先ほど、増井に菓子パンをもらったが、若い胃袋には、物足りなかった。

 店のドアを開けると、ベルが鳴り響いた。

「いらっしゃいませ。お好きなところへどうぞ」

揉み上げから顎にかけて短めに生え揃えた白鬚を蓄え、小さな丸眼鏡の奥に細い目を光らせた店主が、出迎えてくれた。

「ここ、いいですか?」

増井が、お目当ての窓側の席を指さして尋ねた。

「どうぞ、どうぞ」

二人は、その席に腰を落ち着けた。増井からは、楽にそのホテルが見ることができるが、相馬からは、少し背を向けた位置にあるため、体を捻らなければならない。四人掛けのテーブルであるが、まさか、二人並んで座るのも不自然なため、仕方なく向かい合う。

「お決まりになりましたら、お呼びください」

店主は、そう言うと、おしぼり、水を二つずつと、メニューを一冊置いた。

「相馬君からどうぞ」

増井の言葉に甘えて、相馬は、メニューにさっと目を通した。すぐに、閉じて増井に差し渡した。

「見てて」

増井に言われて、相馬は、腰を捻ってホテルの方に目をやった。

「すいません。注文いいですか?」

増井もすぐに決まったようで、オーダーを頼んだ。店主がのそのそと歩み寄ってくる。

「私は、ナポリタン」

「僕は、ポークジンジャーで」

店主は、オーダーを書き留めて、メニューを下げた。

「喧嘩でもしたのかい?オタクら」

笑いながらそう言うと、さっさと厨房へ引っ込んでしまった。どうやら、目を合わせない二人を喧嘩した恋人だと思ったらしい。

 厨房の奥からは、おいしそうな音と匂いが放たれる。二人以外に客はいなかった。店主の趣味だろうか、二人は名も知らないジャズ音楽に包まれていた。ただ、その音楽も二人の耳には入っていない。ただ一点、ホテルの出入り口へと視線が注がれている。

 案外早く食事が運ばれた。客は、二人だけなので当然と言えば、当然である。

「ごゆっくりどうぞ」

店主は、そう言うと、カウンター席に腰を掛けてたばこに火をつけた。さも、知らん顔で新聞を広げた。二人は、ただ黙々と食事を始めた。

 ナポリタンは、タマネギ、ピーマン、ベーコン、ウィンナーが入ったオーソドックスなものであった。付け合わせに何故かピクルスがあり、コンソメスープまでついていた。

 ポークジンジャーは、厚さ一センチほどのポークステーキに香ばしいソースで焼かれており、キャベツの千切りとちょこんとポテトサラダが一枚の皿に盛られていた。別の小さなさらにはライスと沢庵が数切れあり、こちらにもコンソメスープがついていた。

 増井は、ナポリタンを口に運びながらも、視線をホテルの方へと注いでいた。相馬も料理を口に運んでは、体を捻って視線をやっていた。

「私が見てるから」

増井がそう言ってくれたため、食事に集中した。いつの間にか、ナポリタンの横には、先ほど活躍したコンパクトデジタルカメラが置かれていた。二人が食事を胃袋に納めるのに、二十分とかからなかった。

「すいません。先に会計お願いします」

増井は、秀尊達がホテルから出て来た時に、すぐ対応できるよう考えた。

「領収書もお願いします」

と、付け加えた。宛名は空欄のまま、飲食代の領収書をもらった。

「これ、サービスね」

領収書と一緒にアイスコーヒーを持ってきてくれた。空腹が満たされて、ずっと気を張っている二人には、うれしい配慮であった。

「ありがとうございます」

店主は、笑顔だけ見せて再びカウンター席で新聞を読み始めた。

 アイスコーヒーの入ったグラスがかなり汗をかき始めた九時二十三分。女と秀尊が出て来た。カメラを構えていた増井は、その様子を逃さず納めた。増井は、スマートフォンは素早く取り出すと、長峰に掛けながら席を立った。

「ごちそうさまでした」

そう言いながら、店を出る。相馬も店主に挨拶をして、増井の後を追った。

「長峰さん、二人が出てきてそっち向かってます。車に一眼レフがあるはずなんでお願いします」

それだけ言うと、電話を切った。気が付けば、雨は上がっていた。近くのライブハウスでイベントが終わったタイミングなのだろう。途中から狭い道に溢れんばかりの人だかりになった。

 大通りに出ると、二人は再び渋谷駅方面へと歩み始めた。増井と相馬は、長峰の待機する車を目で探した。見つけると、増井は助手席に、相馬は後部座席に乗った。

「撮れました?」

「うん。ばっちり」

「あ、二人、タクシーに乗るみたいですよ」

相馬に言われて、二人が前を向く。女が手を挙げてタクシーを止めていた。

「よし、追ってみようか」

長峰は、サイドブレーキを外してギアをドライブに入れた。二人が乗った白い個人タクシーを追いかけた。

 タクシーは、渋谷駅周辺の繁華街を抜けると、二四六号線を南下していく。三軒茶屋で都道三号線・通称、世田谷通りに折れた。しばらくして、東京農業大学付近で北に行くと、

郵便局の向かい辺りでタクシーがハザードを付けて停車した。長峰は、一度そのタクシーを追い越して数十メートル先でハザードをつけて車を停めた。後部のタクシーに目をやると、女だけが車を降りていた。秀尊はタクシーに乗ったままの様である。タクシーの表示灯は消えたまま、『支払』とはなっていなかった。

「どうやら、ここで別れますね」

相馬が言葉にしたが、当然二人にもそれは分かっている。

「女の身元を掴んでおきたいな。増井君、一仕事頼めるかな」

「わかりました」

増井は、車を降りた。

「すいません。今日はごちそうさまでした」

増井は、食事を奢って貰った女を演じた。秀尊を乗せたタクシーは、長峰たちの乗る車を抜き返して、消えていった。長峰は、助手席の窓を下すと、増井の顔を覗き込んだ

「適当なとこにいるから、終わったら連絡頂戴」

増井は、言葉に出さず頷いて答えると、女を追った。長峰もまた、車を走らせた。

 女は、相変わらずフリフリとした洋服を風に揺らしながら歩く。車の往来がそれなりにあった通りから、一本中へ入ると静かなものである。渋谷ではあまり気にならなかった女のハイヒールが歩くたびにカツカツとなる。増井は、その音を頼りにあまり女の方に目を向けず、スマートフォンはいじるフリをして後を追った。どうやら、女もまたスマートフォンをいじっていた。

 やがて、女は一軒の家に吸い込まれるように入っていった。その家は、かなりの豪邸である。増井は、怪しまれないように一度通り過ぎた。しばらくして足を止めると、辺りに人がいないことを確認して、踵を返した。女の入って行った豪邸の表札を確認した。『矢神』と書かれていた。すぐにその場を離れて、相馬に連絡を入れた。長峰は、運転している可能性があるためである。

 増井が電話で遠隔操作するようにナビゲーションをすると、煌々とライトをハイビームにした車が増井の前で止まった。増井が離れている間に、相馬が助手席に乗り換えていたようで、後部座席に乗った。車が走り出すと丁度女の家の前を通った。

「ここです」

「なかなかの佇まいだなぁ」

徐行して通り過ぎたほんのわずかでも、その家が徒者の住まいでないことがわかる。

「矢神と、表札にはありました」

「矢神かぁ。まぁ、明日クライアントに心当たりがないか聞いてみよう」

この日は、そのまま長峰が車で送って帰宅することにした。

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