五、連係プレー

増井は、すぐさまスマートフォンを取り出して長峰に連絡を取った。長峰もスタンバイしていたのか、ツーコール目を待たずに出た。

「調査対象、こちらから出ました」

「わかった。そっちに向かう。このまま切らないで」

長峰は、オフィスビルの地下駐車所出入り口が監視できるコーヒーショップを出て、歩き始めた。

「どうやら、タクシーは使わないようですね」

相馬に言われて、増井が調査対象に目をやると、タクシーが二台ばかり待っている乗り場を通り過ぎて行くところであった。

「調査対象は、恐らく徒歩か地下鉄で移動する模様です」

増井が伝える。増井は、スマートフォンを耳から話すと、通話口を手で押さえて、相馬に言った。

「相馬君、会社支給のスマホあるよね?」

「え、あ、はい」

「Tトークの使い方はわかる?」

「はい。研修で教わりましたから」

Tトークというのは、帝都探偵社が開発した携帯端末用のアプリケーションであり、調査員同士がチャットのように会話できるものである。目新しい機能ではないが、独自のものを使用するのは、セキュリティー面に配慮をしてのことである。

「主任、私が尾行しますので、相馬君と合流してください」

「わかった」

二人の通話は、そこで切った。増井は、紙切れに八桁の数字を書くと、それを相馬に渡した。

「それ、私の社員番号だから、連絡して」

そう言って、車を降りて行った。相馬は、スマートフォンを取り出すと、アプリを立ち上げた。社員番号で話したい相手を検索できる。

『相馬です』とだけ、送った。すぐに息を切らした長峰が戻ってきた。相馬の手短な説明に合点し、運転を買って出た。

「この辺りは、地下鉄の駅が幾つか徒歩圏内にある。まずは、増井君の連絡を待とう」

銀座線の虎ノ門駅、三田線の内幸町駅、少し足を延ばせば、霞ヶ関駅や新橋駅も利用できる。五分ほどで、相馬のスマホが短く震えた。

『虎ノ門駅。渋谷方面乗車』と書かれていた。

相馬は、そのまま読み上げた。

「オーケー」

長峰は、シフトをドライブに入れて車を鵜がした。相馬は、『了解』とだけ、返した。

 その後、駅を通過するたびに、増井からメッセージが送られてくる。溜池山王、赤坂見附と続き、終点の渋谷まで降りることはなかった。相馬達は、渋谷の駅前に入らず、二四六号線の宮益坂上の少し東側でハザードをつけた。『渋谷でおりました』という増井からのメッセージを最後に二、三分間隔で続いていたやりとりが一度途絶えた。十五分ほどたち、今度は増井から着信が来た。

「もしもし。どうしました」

「今、モヤイ像の前。誰かを待っているみたい」

相馬は、聞いたことをそのまま長峰に伝えた。

「じゃあ、僕は、車にいるから、相馬君は増井君と合流して」

「今からそっちに行きます」

長峰は、大胆にもモヤイ像の目の前で相馬を下した。

「どこか適当なところにいるから、動きがあったら教えて」

そう告げて、去っていた。平日とは言え、帰宅時間ということもあり、渋谷という街には人が溢れている。スマートフォンを手に、モヤイ像付近で、増井を探した。しばらく、探していると右腕を引っ張られた。

「昌悟、遅い~」

増井だった。決して表現豊かとは言えないこの女から、甘えたような台詞が出てくるものなのかと、相馬を驚かせた。ただ、その言葉とは裏腹に増井の表情は、鬼のような形相で相馬を睨みつけている。

「ご、ごめんなさい」

相馬は、無条件に謝罪した。増井は、相馬の腕を組んだまま、手綱を引く様にして、壁際へと誘導した。

「こういう所で落ち合うときは、下手に動き回らず、連絡すること」

先ほどの甘えたような口調とは打って変わって、低く呟くような声で相馬を戒めた。

「すいません。以後気を付けます。それで、(調査)対象は?」

「あそこにいる」

増井は、顎と視線だけで示して見せた。その視線を辿って行くと、傘を差しながら誰かを待っている秀尊がいた。十分ほどそんな秀尊を見張っていた。その間、電話や何かしらの媒体で文章のやりとりをしていた。そして、一人の女性が秀尊に近づいていく。街灯やネオンなどで明るい街とは言え、既に夜ということもあり、かなり曖昧な見解になるが、三十代前半あたりであろうか。非常に可愛らしい印象ではあるが、少しふっくらとした出で立ちをしている。その服装もまた、フリフリとした白を基調としたゴシック・アンド・ロリータを幾らか大人しくさせたような召し物であった。その恰好もまた、この街では溶け込んでしまうのが不思議である。

 二人は何か言葉を交わしているが、相馬達のいる場所からは、さすがに聞き取ることが出来ない。ただ、女はかなり浮かれたような笑顔を振りまいているのに対して、秀尊は若干苦笑いを浮かべているような印象を受ける。

 やがて二人は、女の方が無理矢理腕を組むような形で歩き始めた。その方向は、相馬と増井がいる方向であった。二人は、咄嗟に向き合って恋人同士を演じた。女と秀尊は、相馬達を通り過ぎて、井の頭線とJR線を繋ぐ渡り通路の下を潜って行った。当然、相馬と増井もその後に続いた。恋人のふりを続けるためであろう、増井は何も言わずに相馬の腕に自分の腕を絡めた。付かず離れずの距離感を保ちながら、後を追う。

 生憎の天気で傘を差さなければならない。女と秀尊も相馬と増井もそれぞれ一つの傘を共有しあっていた。向こうの表情なども見えないが、こちらも気取られにくい。

 ハチ公像を横目に通り過ぎ、女と秀尊は、渋谷駅前交差点に差し掛かった。ここは、日本で一番有名なスクランブル交差点と言っても過言ではないであろう。時機悪く、歩行者信号が赤になっていた。このまま距離を置いて立ち止まるのも不自然である。

「どうしますか?」

相馬は、小声で尋ねた。

「このまま、普通に後ろまでつめましょう」

増井は、小声で返した。傘があって助かったというのが二人の本音である。相馬たちは、丁度二人の真後ろに立ち止まった。雑音の中にいて二人の会話が聞こえてくる。

「…じゃん。ごはんなんてファミレスでいいよぉ」

「わ、わかりました」

「もう敬語は、やめてってぇ」

思わず相馬と増井は、目を見開いて見つめあった。たった二、三のやり取りから、二人の関係性に疑問を感じ取れたためである。

 信号が青に変わり、人が流れ始めた。歩きながら再び数メートルの距離を作った。歩みは、道玄坂方面へと進んで行った。109の左手を通り過ぎて、ゆるくカーブした登坂へと進んで行く。その坂を登りきらない中腹にあるビルの中に、ファミリーレストランがある。女と秀尊は、入店した。相馬達は、その背中を見送った。

「とりあえず、ここで見張ってますか?」

「そうだね。ちょっと一人で見てて。すぐに戻るから」

増井は、それだけ言い残すと、雨の中、傘も差さずに一人坂を早足で登って行った。

 十五分ほどして、増井は、持っていなかったはずのビニール傘を差して戻ってきた。傘を持つ反対の手には、小さなビニール袋を携えていた。

「これ、よかったら」

そう言って、傘を頭で支えるようにして、ビニール袋から菓子パンと缶コーヒーを一つずつ取り出して、相馬に渡した。

「あ、すいません。ありがとうございます」

相馬は、それを受け取り口に運んだ。時刻は二十時になろうかという所であり、早めの昼食以降碌なものを口にしていなかった。

 相馬が、菓子パンを食べ終わった頃合いに二人が店から出て来た。慌ててコーヒーを飲み干すと、増井は自分の傘を閉じて、相馬の傘に入った。再び、疑似恋人となり、女と秀尊を尾行する。進む方向は、駅とは反対の道玄坂上の方向であった。やはりというのには、わけがある。この先にある道玄坂上を北に折れるとホテル街がある。定石であった。女と秀尊も予想通りの道程を辿った。

「あ、カメラ」

相馬は、ふと思い出して呟いた。

「大丈夫。私、コンデジあるから」

増井がコンパクトデジタルカメラを持っていると言う。

 一つ道を外れると、人口密度が嘘のように減る。そこからは、尾行の距離をさらに開けて歩いた。女と秀尊は、一つのホテルの入り口前で立ち止まった。すると、増井は、急に相馬を自分の方に向けさせた。相馬の視界から調査対象が消えて、背中を見せた。次の瞬間、増井が体を密着させてきた。腕を背中に回したかと思うと、背後でチキチキチキチキと、機械的な連続音が小さく鳴った。そのまましばらく増井は、相馬を抱きしめたままでいた。

「よし、抑えた」

その言葉と共に増井は、腕を解いた。そのまま、相馬の胸元で撮影したばかりの画像を確認する。

「どう。このカメラ、高性能で手ぶれや夜間撮影に強いの。バッチリ撮れたわぁ」

珍しく興奮している増井に対して、相馬の反応がない。不思議に思い顔を見上げると、相馬は、硬直していた。

「童貞か!」

増井の罵倒が辺りに響いた。女と秀尊は、既にホテルに入っていた。

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