第32話 平和を金で買う時代

 雄平たちは一旦話し合いを中断し、来客の対応に当たることにした。この状況下で懸念事項が増えることを憂慮したからだった。


「いや~、良い部屋ですね~」


 客室は純和風の部屋で、テーブルを挟んで、来客の前に雄平たちは座る。


 来客はスーツ姿の女だった。黒髪を短く切りそろえている。鼻筋は通っており、顔も整っている。雄平の目から見れば美人、この世界だとブス扱いされる顔だ。


 だが雄平にとって美人であるはずの女の顔は、彼を不快にさせた。彼女の瞳が濁ったドブ水のような色をしていたのだ。


 雄平にとっては見慣れた、人殺し特有の腐った瞳だった。


「で、どういった御用ですか?」


 花原が訊ねる。口調には警戒するような響きが混じっていた。


「その前にまずは自己紹介をさせてください。私は市ヶ谷と申します。一応市ヶ谷警備会社の社長なんかもやっています」

「警備会社? 訪問されたときは民間軍事会社と名乗られたとお聞きしましたが?」

「そこはほら、やっぱりお金で戦争しているなんていうと、外面がよろしくないでしょう。だから業務実態とは異なっても警備会社としているんです」


 ふざけた女だ。雄平たちは誰もがそう思った。


「我が市ヶ谷警備会社はスイスのエクストラ社の系列企業です」

「エクストラ社ってあの……」


 花原はニュースでその会社名を聞いたことがあった。世界シェア二位の民間軍事会社で、民間人を誤射したことが報道されていたのだ。


「そうそう、民間人虐殺のエクストラ社です。私もあの作戦には参加していたのですが、あの事件は今までで一番の失敗でした」

「後悔されているのですね?」

「ええ。虐殺するのならバレないようにするべきでした。そうすれば私もこんな極東勤務ではなく、本社で働けていたでしょうに。残念です」


 この女はヤバイ。誰もがそう思った。


「さて自己紹介も終わったことですし、ビジネスの話をしましょう」

「ビジネスですか?」

「ええ。我々は戦争屋です。お金さえ頂ければ何人でも殺します」

「それは人をということですか?」

「人もですね。相手がゾンビでもヤクザでも構いません。銃弾を打ち込む仕事内容に変化はありませんから」

「もし断れば……」

「それは賢明な選択とはいえませんが、交渉が決裂すれば新しいお客様を探しに行くだけです」

「そんな簡単にお客が見つかるのですか?」

「ええ。それはもう引く手数多でございますから」


 市ヶ谷が口角を釣り上げて不気味な笑いを浮かべる。


「今の日本には世界中の民間軍事会社がやってきています」

「ハイエナというわけか?」

「そう。お察しの通り、ハイエナです。今までの日本で安全とは無料で手に入るモノであり、誰もが平等に持ちうる権利でした。ですがゾンビが跋扈するようになってから変わりました」

「今の日本で安全を確保するなら、自分の身は自分で守るか――」

「我々のような護衛を金で雇うかです。人は安全のためなら大金を費やします。それこそいくら法外な価格を提示しても、拒否することができないのです」


 人の足元を見るようなビジネススキームだが、殺されるくらいなら全財産を投じても構わないという人間が多いことを考えると、このビジネスはこれからも加速していきそうである。


「で、法外な価格とはいくらだ?」

「一千万相当の貴金属でどうでしょうか?」

「日本円だと駄目なのか?」

「駄目です。私の予想では時が進めばトイレットペーパーよりも価値が低くなると見ていますから」


 雄平と同じ見立てであった。雄平は花原に目配せする。


「花原、こいつを雇ってやれ」

「雄平さん、何を言っているんですか! この人たちはあの虐殺事件を起こした人たちの仲間ですよ!」

「そうですぜ、お客さん」

「だがそんな奴らがもし敵になったらどうする」


 雄平が最も危惧していたのは、市ヶ谷が次に客として売り込みに行く先が松林組。もしくは海外マフィアだった場合だ。


「この非常時に敵は増やしたくない。雇ってやれ」

「雄平さんがそう仰るなら……」


 花原は佐竹に一千万相当の貴金属を持ってくるよう頼む。佐竹も、もし敵になったことを考えると雇っておいた方が良いという意見には賛成だったのか、渋々ながらダイヤモンドや金塊などを持ってくる。


「暴力団の人は違法で稼いだ金を銀行に預けることができない。そのため現物資産で持っていると聞いていましたが、こうもあっさり出てくると拍子抜けですね」


 市ヶ谷は受け取ったダイヤモンドや金塊をじっくりと観察する。本当に一千万相当の価値があると分かると、にっこりと笑顔を浮かべた。


「これで契約は成立ですね。私はあなた方の手足となり、敵を殲滅しましょう」


 市ヶ谷がそう言い終えると同時に、客室の扉が開いた。


「あ、兄貴!」

「哲也、まだ話の途中だ。出てい――」

「松林組の奴らが襲撃に来ました」


 哲也がそう叫ぶと、市ヶ谷は喉を鳴らして笑い始めた。


「わが社の実力を示すには絶好の機会ですね」


 市ヶ谷は立ち上がると、哲也に案内するように告げる。血で血を洗う抗争が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る