第2話 おっさんとエゴ


 オギャア、オギャア。

 赤ん坊の泣く声で僕の意識は呼び戻された。カーテンを閉めきった暗い部屋から明るい外へ出たときのように、光が強く感じられた。白い天井、タオル地の敷物、僕はそこに横たわっていた。頭の中で響くように聞こえる赤ん坊の声は、さっきまで聞いていた蝉の声のように不快に聞こえた。

 ここはどこだろうか、少しぼやけてはいるが僕の意識ははっきりとしていて、さっきまで病院の前にいたことも覚えていた。信号待ちの後、横断歩道を渡ろうとしていたあの時、トラックが突っ込んできて体が宙に浮いたところまでは覚えている。こうして寝ているということは病院にでも担ぎ込まれたのかと、そんなことを考えた。

 全体的に白い部屋のまぶしさに、顔の前に手を持ってくると、視界には僕のものではない赤ん坊の手が現れた。

 僕のものではないその腕は、僕の思ったとおりに動かすことができた。手を握ることも、腕を曲げることも、逆の手首をつかんでみることも、弱々しくはあったが僕の意思に従ってできた。いったいどういうことだろうかと、現状を確認するために周りを見回してみる。先ほどからやかましく聞こえる泣き声、僕の周りにも十数人だろうか、僕と同じ生まれたばかりの赤ん坊が泣き声をあげて横たわっている。


(これは・・・・・・)


 独り言をつぶやいてみるが、声にはならない。口からはうめくような『音』が漏れるだけだった。鏡がないので自分の姿を見ることは出来ないが、周りに横たえられた赤ん坊、出すことの出来ない声、自分の意思で動かすことの出来る赤ん坊の体。


 事故にあったあの瞬間、あの時まで三十歳だった僕の体は、赤ん坊の体になっていた。


 人は死んだらどうなるのだろうかという話はよく見る。天国に行く、地獄に行く、無になる。『輪廻転生』という、死んだら生まれ変わるという考え方は仏教のものだっただろうか。僕の考えは死んだらそこでおしまい、天国にも地獄にも行かず、ただ終わる。そんなものだと思っていた。しかし、この状況は何だろう。僕は生まれ変わったのだろうか?

 記憶をもったまま生まれ変わることが出来るのなら『今度の人生ではもっと上手くやるのに』そう思ったことは何度もある。そんな、かなわないはずの願いがかなったのか。

 生まれ変わるにしてももっと、時間が空くものだと思っていた。死んだと思ったら生まれ変わっていた、では感慨もあったものではない、地獄の閻魔にも、天国の神にも会うこともなく、気づいたその瞬間に新たな人生になるとは思ってもみなかった。

 しかし、それは僕に記憶が残っているからそう思うのか、HDDをフォーマットするように記憶が消去されているのならば、僕はこんなことを考えることもなかっただろう。何も知らぬまま他の赤ん坊と一緒に、新たな人生を歩み始めて、また一から人生を構築するのだろう。

 僕は死ぬ前の記憶を持ってしまった、これがなぜ起こったのかはわからない、多分知る必要もない。でもこうやって産まれたからには、やりなおしてみてもいいんじゃないだろうか、送りたかった人生を送るための最大限のことが出来るチャンスを、神様は僕に与えてしまったのではないだろうか。『やってやる』僕はそう思った。


 僕が目覚めてから十分ほどがたった。いろいろこれからについて考えているうちに、今はいつなのだろうかと思った。死んだと思ったら生まれ変わったと、そう感じるのは当然である。死んで意識のない状態ではおそらく時間は感じないのだから。人が眠っているとき、その時間は一瞬で終わってしまう。普段の生活でも、夢を見なければ寝た瞬間に朝は来る。僕は事故で意識を失ったことがないので経験からは言えないが、三日間気を失っていたとか、何年も意識がなかった人が目を覚ましても、その人はきっと意識を失ったと思ったら、次の瞬間には三日経っていたとか、長い月日が過ぎ去っていたとか思うのだろう。

 僕は自分がついさっき死んだのだと思っているわけだが、実は今は百年後かもしれないし、または百年前ということもありえる。過去に生まれ変わることがありえないなんて、誰も言っていないし、誰も知らないからだ。

 この新生児室を見渡す限り、僕が生きていた時代とはそんなに離れていないと思った。食器を付け置きしておく容器によく似た、透明でプラスチック製のケースに入れられ、僕を含めた赤ん坊がキャベツ畑のキャベツのように並んでいるのだ。特に僕が生きた時代では見なかったような、近未来的な機械やカプセルのようなものは見られないし、また建物も木造だとかの古さを感じさせるものではなく、大きな年代の違いは感じられなかった。僕は本当に死んだ瞬間に生まれ変わったのかも知れないとそう思った。


 僕の頭には相変わらず赤ん坊の泣き声が響いている、周りがうるさいのではなく、本当に頭に響いているように聞こえることに違和感があった。最初は赤ん坊の体だから聴覚から入る情報から脳が方向を判断できずにそう聞こえているのかと思っていたが、どうもそうではない。確認するべく、筋力の発達していない体で何とか首の向きを変えてみても声の聞こえ方は変わらず、敷いてあるタオルを使って自分の耳を塞いでみても声の大きさは変わらず、何より周りの赤ん坊でそこまで強く泣いているものがいないのである。何かを訴えるように強く、大きく泣く声はやはり僕の頭から響いていた。


(なんだこれ?)


 ひょっとして僕の中に誰かいる?直感的にそう思った。泣き止ませるにはどうすればいい?そもそもこの僕の中で泣いているのは誰なのか。僕がそんなことを考えていると、新生児室のガラスの外に年配の女性と、僕と同じ年くらいの男性がやってきていた。


「ほら、こっち見てる。私もあんたを生んだときのことを思い出すわ。あんたもあんなにちっちゃかったのに、いつの間にか子供が生まれる年になったんだねぇ」

「いつの間にって、俺ももう三十年近く生きてるんだけど」

「そうだけど、この年になると時間なんてあっという間だからね、ついこの前あんたが生まれたのに、気づいたら孫も生まれちゃって、私もお婆ちゃんかと思うと何とも言えない気持ちになるのよ」

「ふーん、そんなもんかねぇ」


 どっちも見たことのある顔だった。というか僕が出産祝いに駆けつけようと思っていた友人がそこにいた。隣に立っているのは、友人の母親だ。

 友人の方を見れば、友人と目が合う。おばさんの方を見ればおばさんと目が合う。彼らは完全に僕の方を見ていた。ガラス越しに彼らは優しげな目で僕を見ている。しかし、彼らが見ているのは僕ではない。この赤ん坊だ。説明されなくてもわかってしまう。僕は友人の子供の体を乗っ取っていた。

 頭のなかで響くこの声は、『体を返せ!クソ野郎!!』という叫びなのかもしれない。

 十二分前に『やってやる』と意気込んだ僕の決意は吹き飛んだ。生まれ変わった僕は僕ではなかった。人様の人生を奪えるほど僕の思考回路はエゴイスティックにできていない。いつでも誰かに遠慮する。三つ子の魂来世まで、僕は悪人になりきれない。

 だがしかし、根暗な僕にはちょうどいい。名前も知らない赤ん坊、僕がお前を助けてやろう。それくらいならいいだろう?僕もまだまだ生まれたばかり、何ができるかはわからない。これも何かの縁ならば、僕は縁の下でバーベルでも挙げようじゃないか。これからきっと長い付き合いになる。


(よろしくな、ガキんちょ)


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