おっさんと小学生
猫山知紀
おっさんと赤ん坊
第1話 おっさんと命日
その日は酷く暑かった――。
昨年結婚した友人の子供が生まれそうだという知らせを受けて、僕は病院へ向かって歩いていた。連日の酷暑、天気予報で聞く猛暑日という言葉も日常になり、新しい命が生まれる祝福というには眩し過ぎるスポットライトが太陽から照らされ、祝福の歌を唄う蝉の合唱団は、観客の不興など気にも留めず拍手されることのない発表会を続けていた。
前日の夕立で大気が洗われているためか、空は青く晴れ渡り、遠くに見える入道雲とのコントラストは目が覚めるようにはっきりとしていた。
夏生まれが暑さに強いというならば、今日この日に生まれる子供はさぞ暑さに強くなるだろう。将来はこの暑さの中で連日連投を行う高校球児になるのもいいかもしれない。しかし、夏生まれが全員暑さに強いかというとそうではないと僕は思う。なぜならば、二十九年前の今日生まれた僕自身がそんなに暑さに強くないからだ。
駅から徒歩十五分、広い土地を確保するためだろうか、駅から少し離れた場所に建てられた総合病院に、産気づいた友人の妻は運び込まれた。僕自身は誕生日に自分へのお祝いとして休みを取っていたのだが、友人からのメールを受けて、祝福やからかい、休日の暇つぶしをするために電車を乗り継ぎここまでやってきていた。自分へのお祝いが何の因果か、友人をお祝いすることになったわけだ。
病院の正門の前まで来て、最後の信号が青に変わるのを僕は待っていた。徒歩十五分とはいえ、額には塞がった汗腺から無理やり染み出したように汗がにじみ、朦朧とはいかないまでもすべてが面倒臭くなるような気だるさが感じられた。
朝の天気予報の熱中症対策として専門家が紹介している昼間の外出を控えるということを世の中の人々はみな律儀に守っているのか、それなりに車は走っているものの病院前は人通りが少なく、信号待ちをしているのは僕だけだった。
大きい交差点でもないのに、体が病院のエアコンの効いた涼しい部屋を欲しているのか、その信号の待ち時間はやけに長く感じられた。湿気を多分に含んだ空気に包まれる不快感に嫌気が差し、遠くに見えるトラックが近づく前に、信号を無視して渡ってやろうかと思ったが、今まで青になっていた交差側の歩行者用信号がようやく点滅を始めたので、日本人らしく律儀に信号を守ることにした。
点滅が終わるのを待っているとシャツの胸ポケットに入れていた携帯電話が震えだした。友人から知らせを受けたのは数時間前だったので、到着前に生まれたという知らせが来たのかと思い、未だにスマホに変えていない携帯電話を手にとりメールの内容を確認してみた。
メールはなんてことはないクーポンを入手するために登録していたファストフード店からのお知らせメールだった。まだ産まれていないのか、産まれているが連絡するのを忘れているのか、産気づいてから出産までどの程度時間がかかるのかもよくわかっていない僕は判断しかねていたが、病院の目の前まで来て引き返すという選択肢があるわけもなく、メールを見ている間に青になっていた信号を確認すると足を踏み出した。
――近くの木に止まっていたのか、蝉の声がやけに大きく聞こえていた。
「危ない!!」
誰かが叫んだのが聞こえた。声が聞こえた方へ顔を向けると叫んだ人は僕の方を見ていた。その声は僕へ向けられたものらしい。わけが分からず僕は顔を逆の方向へ向けると、目の前にトラックがあった。ナンバーは青森、長距離運転でさぞお疲れだったのだろう。運転手の人の目は開いていなかった。先程までぼーっとしていた僕の頭は瞬間的に目覚め、そんな様子まではっきり捕らえることができた。しかし、日常的な運動不足がたたったのか、体が一切反応しない。来世ではもっと運動してトラックに轢かれるときに備えておこう。
衝撃を感じた瞬間に、体が宙に浮いた。
――こうして、僕の誕生日は、僕の命日になった。
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