第3話 おっさんとテレビ

 僕はテレビを見ていた。でもただのテレビじゃない。このテレビには電源もアンテナもない、B-CASカードも必要ない。僕とイツキにだけ与えられたテレビだ。


 僕が死んでから五日が経った。僕はまだ病院の新生児室に居を構えている。

 この五日間でガラス張りのこの部屋はわりと落ち着かない場所だということがわかった。大きい病院らしく新生児の数も多く、ガラス越しに彼らの生みの親たちがこちらを見てくるのである。自分の子供だけを見てくれよとも思うだが、こうやって並べられていると無意識にでも比較してしまうのだろう、最初は自分の子供しか見ていないのだろうが、それだけで終わる人はいなかった。多かれ少なかれ全員が僕達赤ん坊を見比べている。うちの子のほうがあの子よりもかわいい。あっちの子よりも賢そうだ。なんて、親に成り立てだからこそ、親バカなことを思っているのかもしれない。しかし、見られているこっちはあまり気分のいいものではない、通りに面したショーウィンドウのマネキンはこんな気分なんだろう。

 そんなマネキンとの共感は置いておいて、この五日間でいろいろなことが起こった。社会人になってからの五日間なんて、ただ会社と家を往復するだけで、無為に過ぎていたが、生まれたての五日間は結構楽しむことができた。

 まず、この赤ん坊の名前が決まった。生まれる前から決めていたのか、生まれてから決めたのかは知らないが、友人達は僕を見て『イツキ』と呼ぶようになった。どんな意味が込められているのか知る由もないが、友人はそれなりにイケメンであるし、中性的ないい名前なんじゃないだろうか。

 そして、僕とイツキのことも少しわかってきた。僕とイツキは入れ替わることができる。僕が体を使うこともできるし、イツキが体を使うこともできる。僕が最初に寝て起きた時、体をイツキが動かしていたことで気が付くことができた。何度か試してみたが、僕の方から無理矢理に主導権を奪うこともできた。言葉にするのは難しいが、僕から主導権を奪う感覚をあえて言葉にするなら、イツキがプレイしているゲームのコントローラを無理やり奪う感じだろうか。最初にやった時はイツキが(頭の中で)大泣きして、とんでもない苦痛を味わった。学習した僕は二回目は気持ち悪い声と赤ちゃん言葉で優しく優しく語りかけ、あやしながら主導権を奪ってみた。

 ……ダメだった。


 イツキの人格がまだはっきりとしないせいか、イツキから僕の主導権を奪うことはできないようだった。僕が寝て起きたら、イツキが主導権を握っている。今はそんな感じだ。イツキが成長すれば互いの意思で入れ替われるようになるのかもしれない。

 そして、これはあくまで比喩的は表現だが、イツキが体を使っている時、僕は狭い部屋でテレビを見ているのだ。僕が引っ込んでいてもイツキが見たこと、聞いたことはわかる。ただし、それだけだ。『視覚』『聴覚』『嗅覚』『味覚』『触覚』人が持つ五感の内、『視覚』『聴覚』だけが共有できる。ちょうどテレビを見るように。たぶん僕が主導権を握っている時のイツキもそんな感じなんだろう。

 赤ん坊にとって経験は何より重要だ。見たこと、聞いたこと、嗅いだこと、食べたこと、触ったこと、全ての経験が成長の糧になる。僕がイツキの体を使えば使うほどイツキの成長は遅れてしまう。本当は一瞬足りとも無駄にしてはいけない貴重な時間だ。だから、僕はイツキが成長するまでは、僕からは主導権を取らないことに決めた。イツキが起きている時、僕はずっとテレビを見ているのだ。体育座りだったり、胡座あぐらをかいたり、涅槃仏ねはんぶつのような体勢になったり。そしてテレビに向かって時々話しかける。そう、それはまさに一人暮らしの独身の休日だ。

 ちなみに、僕がテレビを見ている時に話した言葉はイツキにも聞こえていると思う。僕がイツキの体に入ったその日、僕の頭にはイツキの泣き声が響いていたから、逆もまた然りであるという僕の推測だ。なので、テレビを見ながらついうっかり出てしまう独り言ではなく、僕はイツキにテレビを見ながら時々語りかけているのだ。


 僕からは主導権を取らないという話をしたが、僕が何もできなくなるというわけではない。そう、イツキが寝てしまうと僕はイツキの体を自由に使えてしまうのだ。しかし、子供にとっては寝ることも重要だ。成長ホルモンなんかは寝ている時に出ているというし、記憶の整理も寝ている時に行われているという話もある。イツキが寝て僕が起きている時、この体の脳はどういう状態なのかは分からないが、僕が活動することでイツキの睡眠の妨げになるのは確実だろう。だから僕はイツキが寝ているときは、僕もなるべく寝ることにした。

 僕はあくまでイツキの影。僕が体を使うのは、イツキの寝相の悪さを直す時ぐらいにとどめよう。

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