3-11

 由良がバイトを探して、その辺の無料求人情報誌を家に転がしておくようになったせいだろうか。

 ふと梓が立ち上がって出かけていくと思っていたら、田圃から住宅街に変わる辺りのコンビニで、アルバイトをしていた。

「えっ」

 ちょっと寄り道したら梓がいたので、由良は電流が爪先から入ってきたみたいに飛び上がった。

「梓?」

 おう、と短い返事がある。

「足し算できるんだ?」

 失礼なことを言ったが、梓はできると、これまた短く言葉を返した。

 お仕着せのチェーン店の制服だが、ぶっきらぼうなままで、梓らしいままで働いている。

「梓に先越されちゃった。私も何か、バイトする予定だったのに!」

「すればいい」

 気のよさそうなおじさん店長が、「あれっ梓くん知り合い?」と声をかけてくる。にこにこした店長の、ほとんど白髪の眉毛を見ながら、由良はお世話になってますと頭を下げた。

「いやいや、梓くんに来てもらって、助かってますよ」

「えっ本当に」

 本当にって何なんだ、と梓が由良を睨んでくる。

 煌々と明かりがついているが、付近にあんまり人がいない。見回して、

「私が塾じゃない日で、あんまり遅くならない日に、やってるんだ?」

 もしかしてそれで、梓はどこへなりと行けるから重荷に思うなって言ったんだろうか。

「えらいね、梓は……」

「何だ気味悪い」

 レジの前で客を待っていた梓が、奥から品出しを始めた店長の手伝いに向かった。

(そうそう。梓は、ふてくされてるしすぐ人と喧嘩するけど、気になったら手伝ってくれるよね)

「梓。喧嘩しないで、仲良くやるんだよ」

 何言ってんだと、梓が背中を向けたまま肩をすくめた。

 女子高生がかっこいーとか言いながら通るんだろうか、とふと考えて、ちょっともやもやした(うちの梓が可愛いのは当たり前だ、と思う)。


 日が暮れるのがどんどん早くなって、いろいろなことがあった。

 近所の不良どもをのして仕返しされかけた梓がさらに彼らを叩きのめして、由良もそのことに恨みを抱いた変なのに巻き込まれそうになったが、幸いなのか鞄に隠れていたアレが出てしまい、連中を食べた後で家人に始末された。捜索願いとか人権がどうなっているのか分からないが、特に問題になっている様子はない。気味が悪いけれど、それ以外に何ができるというのか。

(食べられた人には申し訳ない、けど)

 無力だなと、考える。

 法律家になっていざというときに梓や自分を助けられたらいいのかな。

 それとも、何も考えずに家の仕事を手伝えばいいだろうか。

 遠くへ行きたいと思ったくせに、ずるずると家へ戻りたい気持ちも由良にはある。

「でも、行っちゃうんだもんな」

 友達二人は、冬までには去る。

 あまり長くとどまると、所属しているところの人から、怪しまれるという。居場所がほしくてやっていたはずなのに、一所にはいられないのだ。

 何かに手こずったりしているのかと疑われて他の者が派遣されたら、貴方困るんでしょうと、言われて、由良は曖昧に頷いた。よその人が一撃でアレらを解放できるだろうか。あのようなモノを奴隷にする場合があると聞いたので、期待はできないし来なくていいが――いざ、というときには頼るしかないのかもしれない。

 梓については、バイトの給料を何に使っているのかと思ったら、大事に貯金しているようだ。でも初回だけ、帰り道に花を摘んで帰ってきた。ロマンチストなところがあるなと、由良は思う。

 ますます皆が遠くなるようで、しょんぼりする。けれど、梓が、この家を離れて自分で生きられるのは大事なことのようにも思えて、応援するしかなくて、でも、でもと由良の胸は騒いでいる。

 テストの点を気にする時期がすぎて、二人がいよいよ転校しそうな頃。

「あ」

 足下の影を見つけた。

 アレが勝手に由良の影に紛れ込んで、外に出ている。思い切り踏んづけて、母の矢を真似て作った小さな桃の矢を床に差し込んだ。ぎゃっと小さな声がして、黒いアレがのたうち回る。

「由良どうしたー」

「ううん、ごめん先に行ってて!」

 クラスの中で、何人か知り合いができた。帰り道や授業中に少し話すくらいだけれど。彼女達に、ヤモリがいたから放してくる、と答えて、のたうつ、目も鼻もない何かを枝で突き刺したまま、外へ走る。

 穏やかな日々と、一緒に並んでいる、アレらとの攻防。

(これが、日常になっちゃうのかなぁ)

 と思っていると、視線を感じた。

 見られたのか、と腹の底が冷える。

 だが、人気はない。

「何、だろ……」

 くるりと振り返る。窓の外に、お面をかぶった誰かが立っていた。

「ひ」

 必死で叫びをこらえる。

 ここは一階じゃないのに、首だけが浮いている。お面と、そこからはみ出したのは顔の輪郭で、だから首というには語弊がある。

 首がついていないのだ。

 お面は首(ない、が)を傾げ、傾げして、こちらを見ている。

 今までのアレは全部、黒くなっているか、犬とか猫だったりした、のだが。

「もしかして、」

 すぱんと面が二つに割れた。

 慌てて窓から離れる。割れたものは、落下したのか、消えてしまった。その後、窓の外に変化はない。胸を押さえて、肩を揺らして、一歩、一歩、及び腰で窓に近づく。

 外には、黒髪の琴葉が立っていた。無論地面の上である。すっぱり切られた頭の、髪の毛をわしづかんでいた。ほうきとちりとりを運んできた茶髪の網代に向かって放り投げる。

「大丈夫!?」

 大声を出して窓を開けた由良に、振り返った少女たちが顔をしかめる。

「問題ねーよ」

「それ、何?」

 さあ、と二人の返答はつれない。

 そのまま、人に聞こえる状態で叫ぶのも危ないので、由良は慌てて窓を閉めて、階下へおりる。息を切らせて上履きのまま外へ出る。

 呆れたような顔で、二人ともさっきの場所にいた。

「ねえ、それってアレの変種?」

 由良は気にせず聞いてみる。

「変かどうか知らないけどよ……そもそもこれ、あいつの仲間なのか?」

 嫌そうにちりとりを持って、網代は、不透明なゴミ捨て用の袋に移す。焼却炉は何年も使われていないし、このままゴミ回収に出すのだろうか。

「そのまま捨てても大丈夫なの?」

「生体反応がないの」

「生体反応って」

「生きていない。そもそも、化け物に生死があるかどうか知らないけれど。こちらの手段では燃えなかったし、どう転がしてもさっきのようには動かないようだし……」

 でも、半分になっても動きそうで怖い。

「狸寝入りじゃ、ないよね」

「そうね、言い切れない。それよりも気になることがある……もしかしたら、普段他の化け物があまりいないのは、この辺りのそれらはあの黒いモノに食われたり、追い払われているからかもしれない」

「えっ」

 アレがいるおかげで、この辺りはガラパゴスみたいに独自の生態系を築いていると言うのか。

「これを、見るのは初めて?」

「私、霊感とかないからなぁ……アレは別だけど。これは初めて見る」

「黒い連中は、最近、数や勢いはどう? 貴方が何か、手を打ったの?」

「旅行雑誌持っていったりしてるけど、あんまり何も……でも黒い方は、最近あんまり見ないね。出やすさには季節とかは関係ないから、うーん、ごみとか虫とか、材料が足りないのかな? 生まれてくるアレよりも、消されるアレの方が多いのかも」

 この二人組が、そこここで清掃活動しているようだし、梓もそれなりに勤勉だし。家人たちは家の修繕に追われているが――これまで通り働いているだろう。

「そう。だったら、アレ以前にこの辺りにいたはずのものが、戻ってきた可能性は高い……」

「アレより前に、いたのかな……アレ、消しても大丈夫かなぁ」

 他の、あんな見たこともない化け物が入ってきたら、暮らしていけるのだろうか。

 不安が鎖みたいに足下から巻きあがってくる感じがして、由良は弱気になる。

 琴葉がふと唇を曲げた。

「いきなりではなくて何年もかけて試せばいい」

「何年もって言われると、そうなんだろうけど何だかずっと縛られそうで嫌だな」

 何を言っているのだか、と言わんばかりに二人が肩をすくめる。

「そもそも、これまでのことだって、何百年もの間に積み上げられたことでしょう? 貴方の代で終わらせられるかどうかも、分からないこと。それでもやると言ったのだから、やらないと」

 友達は優しくない。だが、親切だった。

 提示された事実を抱えて、由良は頷くより他になかった。

「梓」

 コンビニでアイスを買って、品出し中の梓に呼びかける。

「帰るけど、梓はまだ?」

「まだ」

 梓は終始ぶっきらぼうだが、店長には頼りにされているようだ。用心棒といった体が強い気もする。

 まだ、梓が同年代(外見上)と一緒にいるところは見ていない。

「仲良くするんだよ」

 うるさそうに見られた。

 帰り際、小学生が駆け込んでくる。一人前のお総菜を選んで、レジを通した。

 何やら梓に、「今日もいんの? なあこないだのやつ見た?」大声で話しかけてから、うっせーぞと返され、また外へ駆け出ていく。

「梓、友達?」

「近所のガキ」

 友達って何だ、と梓が怪訝な顔をする。

「ううん、友達だったら、いいのかなーって思った」

「お前が心配することじゃねえよ」

 呆れられてばかりだ。梓なんて犬だったくせに。由良が小学生のときに出てきて、もっと小さいときにはいなかったくせに。

「私そんなに常識ないかな」

「は?」

「梓ほどじゃないと思う」

「はあ?」

 ぎゅっと、梓の手の甲をつまんでから、由良は身を翻した。

「……分からん」

「梓くんこっちの空き容器運んでー」

 店長の声に呼ばれて、梓はそちらに切り替えた。

 由良にとっての足手まといになるくらいなら、自活できるようにしておく。

 という理由でアルバイトを始めたものの、給料を何に使ってよいのか思いつかず、無駄遣いしないように言われてもおり、結果、給料日にはお土産としてその辺で咲いていた花を持って帰った。雑草だったので誰の許可もない、ただの花だ。

 ばからしい、と、夕暮れどきの風に吹かれて、小さな土手に座っていたのを、尻をはたいて立ち上がる。

 もし、箱やあの女、アレ達の仕組みが分かって、害がなくなって、そうしたら、梓や八房が自由に歩き回れる日が来るのだろうか。今でも、それなりに自由に動いているが――。それとも。

 梓はバックパッカーやっても、強く生きていけそうだね、と由良が言っていた。その職業(?)の人間が載っている本を見たが、文字が多くて疲れた。由良の隣で、犬の頃から見ていたけれど、ミミズが並んだ象形文字みたいなものは、理解するのが結構しんどい。コンビニでは、商品名と数字が分かればたいていのことは何とかなるので、助かっている。

 安定したらしたで、ずっとこのままだろうか、と、波に足下の砂をさらわれるような思いがする。

 とらわれる場所が変わっただけなのではないか。

 白河の家から、近所のコンビニへ。

 ……紙切れの連中だとかではなくて、その辺の生きた人間との関わりの方が重要なのであれば、コンビニでいいのかもしれないが。

 何かが違う気もする。

「あれっ」

 店の奥で、店長が前かがみになったまま声をあげる。段ボールの間で、何かを追いかけるように首を振った。

 虫だろうか。

 とっさに新聞を手にしてから、それが商品であることを思い出してストッカーに戻す。自分の記憶が正しければ、自分の中には、人を多く殺し品物を奪い取る連中が溶け込んでいるはずだが、現在に至っては、こうしてお仕着せの制服を着せられて、のんびりと品を並べて客を待つようになっている。何だか不思議で、現実味がない。

 代わりに掴んだ、近くにあった店長のスリッパ(レジに長くいる間、店長は靴を脱いでスリッパを履いていることがある)で、店長の背後から、素早くよぎった黒いモノをひっぱたいた。

「当たった! いやあ、梓くんすごいねえ」

 こんなことで感謝されても困る。

 身の置きどころがなくて、梓は、スリッパを振りおろしたまま視線を泳がす。

「あっ、待ってて。包むもの取ってくるから」

 店長が走っていった後、スリッパを持ち上げてみる。

 予想したのは、黒い虫か、黒いアレ。

「……ん?」

 出てきたのは、黒い体に、肌色の頭がついたものだ。

 頭。

 かさっ、と動いたので、反射的に思い切り打ちつけた。

 平たくなったモノは、けれど人間の頭に似た器官があるままだった。

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