3-10
*
かといって、古い資料がどこにあるのか、由良は知らない。家人に聞けば早いかもしれないが――叔父にも、家人にも聞きたくなかった。勝手にやりたかった。彼らはその資料があることを知っていても(知らないかもしれないが)何も、これまで、できなかったのだ。
(閉じこめることは続けられても、解放なんて考えてない)
でもまぁ、どうやって閉じこめているのかは分かるかもしれない。
そういえば蔵にはアレの入った長持ちが並んでいるが、それ以外にも日用品が入った場所がある。
由良が入れる小型の倉庫には、子どもの頃の三輪車とか、古いぬいぐるみが詰めてあった。
「よいしょっと」
立て付けの悪い倉庫を開けて、忍び込む。
埃ですぐにくしゃみが出た。子どもの頃の絵、おもちゃ、両親の靴や鞄。
「捨てられなさすぎでしょ、これは」
家人らも、ここへは入っていなかったようだ。整理されていない。
「母さんがいなくなってから……ずっとこのままだったのかな」
奥の方に、細長いものがあった。
包みの紙袋を外す。さらに紫色の袋。
何だろう。隣に矢筒と矢が入っているから、弓だろうか。
母が以前、このほうがよく当たる気がするのよと微笑んでいたことを、由良は思い出した。
「梓弓だ」
弦はゆるんでいて、指先ではじいても張りがない。弓道部に行って、きちんと張ってもらおうか。
由良が今すぐ使えるものでもないけれど――弦をはじくと、庭の片隅に隠れていたらしいアレが走っていくのがちらちらと見える。鏡と祓い歌だけでは不安があるから、こういう、分かりやすい攻撃方法も持っていたい。
「そうしたら、私一人で対処できるかな……母さんも自由にできるかな」
ひとしきり探したが、母の日記とか昔の書物なんてものは見つからなかった。
アルバムを見始めて時間が経ったので、つらいけれどそれはしまって、弓と矢だけ持ち、由良は倉庫を後にした。
*
叔父にも電話した。あの箱の技術を知りたい、と。
どういう風の吹き回し、逃げてばかりだったくせに、と叔父は鼻先で笑い飛ばす。
「だって、今私が持ってる武器なんて、ちょっとだけだもの。箱に入れる方法とか、自分で知っておいたら、いざっていうときに家の人がいなくても大丈夫でしょ」
「おおかた、飼い犬のためにやってるんだろうけど」
梓のためじゃないよと言いかけて、梓も含めてのことに使おうとしているのだ、そのために知りたいのだと思い出す。叔父は意地悪だから、下手に自分の思惑を明かすといいように利用されかねないから、黙っておく。
「箱に入れる方法があれば、それを解除する方法があると思ってる? 甘いね」
ばれていた。
「……入れる方法も知らないでいるのって、怖いなって思っただけだよ」
「ふうん? そういうことにしておこうか……納屋にあると思うんだけど」
「私の三輪車とかがしまってあるところには、何にもなかったよ?」
「あれは新しい倉庫だろう。今家にいる連中で、あれが触れる奴がいたかな……」
少し電話が遠くなる。声が遠ざかってから、急に鮮明に戻ってきた。
「面倒だからデータで送る」
「えっ?」
「書き起こしたものじゃなくて映像だけど」
「あっ分かったありがとう!」
「その家、まだ携帯端末もネットも入れてないんだっけ?」
「うん、学校で受け取れる」
「パソコンとネットワーク端末ごと箱詰めにして送ろうか」
どうしたことだ。叔父が優しい。
「叔父さん優しいね? 何かあったの? 子どもが生まれるの?」
「何でそういう話になる。端末代は兄さんの、未凍結口座から勝手に落とすから心配いらない」
「押し売りだった!」
電話の向こうで笑い声がする。叔父の乾いた笑いと、柔らかな叔母の声。
「叔母さんもそこにいるの?」
「いるよ」
「叔母さんも、賛成してくれる?」
「賛成も何も、由良は、人の賛成反対だけでは動かないだろう?」
あれこれと段取りをつけて、電話を切る。廊下を通る梓に、由良は力なく話しかけた。
「……いつも自分勝手だって言われた」
そうだろう、と言わんばかりに、梓がうろんげな視線を向けてくる。
玄関の戸が全開になっているせいで、庭で日陰を探してさまよっていた八房が、よく見えた。風も通り抜ける。
宅配便で届けられた装置達だが、悪戦苦闘して設置したものの、叔父から送られたデータ画像はまさかの崩し字の古文書だった。
読めない。
国語の先生に聞こうにも、都合の悪いことが書いてあった場合――箱に閉じこめる術とかがありそうなものを、叔父に頼んだのだし――困る。叔父に解読を依頼したら、鼻で笑われた。
っていうか叔父さん、これ自分で読んだことがあるのだろうか。翻訳したことがあるなら、たぶんそっちのデータをくれるだろうが……。
電話で文句を言ったら、読み上げたりしたらデコードされて、その辺の箱ものが全部、アレを製造できる怪しい術具になるだろうと言われてしまった。
アレらを解放するために箱を学びたいのに、大量生産するのは困る。
結局、古典の勉強をした。
夏休みも終盤にさしかかり、夕焼け空を見上げると頭をなでる風が少しひんやりしてくる。
「今すぐどうにかしたいけど……今すぐじゃなくても何とかなるかも」
ひよった考えだが、よいことのように思われた。こうして先祖も先延ばしにしてきたんじゃなければいいんだが。
由良は歌を口ずさむ。
急に騒がしくなった、何かと思ったら外で猫が喧嘩している。
「八房ー、食べちゃだめだよー」
猫を追い払おうというのか、吠えながら走り回る犬に、由良は窓を開けて声を掛ける。
駄犬呼ばわりして梓が何事か罵り、八房も静かになった。
耳を澄ませていると、急にドアが開いて梓が戻ってくる。犬のときは撫でたかったのに、撫でられたいような気持ちがあるのを由良は何でだろうと見つめて、すぐに蓋をする。関係性が変わっていくことを恐れたり望んだり、自分勝手で嫌になった。
歌だけになった母のことも、解放したい。体がなく、歌声だけで、供養もできないでいる。
そっとレコーダーに歌を録音したり、奥の間の声を記録しようともしてみた。
かすかな雑音ばかりだった。
歌詞と会話だけ書き留めて、でもすぐに捨てた。たぶん、そういうことではないのだろう。
書き留めるのは……とどめたいからだ。
解放したくない、いなくなってほしくない、戻ってきてほしい。あの少女を縛るのと似た、執着。それを持つ限り、たぶん、少女を解放できないような気もする。
(と言っても、いい手が思いついてないわけだけど)
単語帳を作って持ち歩きながら、由良はため息をつく。今まで勉強は無言で行っていたのだが、最近、たまに口に出すようにしている。奥の間でやると、暴れられたり無視されたりする。
続けるうちに関係性が変化するのなら、相手は、琴葉達の言っていた「変わらない怨念」とは別物だ。こうしているうちに、打開する糸口くらい見つかるのではないか。
学校の夏期講習が終わりかけた時期から、由良は塾に通い始めた。つまらない意地だが、好きな高校に行けなかった分、今度は遠くへ行きたかった。勉強して、違うところへ。叔父だって遠いところに住んでいる。ずるい。家のことで悩んで苦しんだ末に逃げ出したのか知らないが、そういう話もあまりしたことがない。由良が子供すぎたし、叔父は意地が悪すぎた。
子供相手に大人げなく、叔父は由良に責任ばかり押しつけてきた。
あれもこれも――だんだん腹が立ってくる。
それだけ叔父が、アレに、疲れて、いたのだろうとは、思うけれど。
夜風が、少し伸び始めた黒髪をそよがせる。由良は暗がりに気配を見つけて、顔をあげた。
「梓」
相変わらず下駄履きで、ぶっきらぼうに梓が立っている。塾の近くまで来ないのは――来ているのかもしれないが姿が見えない――学校から塾の近くまで送ったときに、ひそひそと周りの子達に見られたからだろう。
「邪魔だろ、どうせ」というのが梓の弁で、それでも、由良が新しい友達も作らずに(友達を作りに行っているのではないので)一人で塾を出て、いくつかの角を曲がって歩道橋も渡った頃に、不機嫌そうに現れる。
(梓は私のこと、面倒だと思ってるのかな)
以前口に出してしまったら、拳で、痛くない程度にごつっと小突かれたことがある。
本当に面倒だったら、ここにいない、ということ、だろうか。
ふと梓が足を止めた。コンビニと街灯だけが明るくて、道は濃紺色に暗い。
もう少し行けば、草むらや田圃が始まって、曲がりくねった道が無舗装路に変わる。
本当ならバスに乗りたいところだが、最終バスは塾の終了時間より少し早く出てしまう。
「梓?」
言おうとして口を開きかけて、梓は押し黙る。
手でも繋ぎたい気持ちはあって、でも由良はやめる。犬だった頃と、何が違うといったら外見だ。喜怒哀楽は、それなりに犬の頃ほどではないが見えている、だけれどやはり犬とは違う。
(分かんないな)
犬のときだって、給食の残りのパンを、むさぼり食べていた梓が、何を考えていたのかなんて分からない。喜んでしっぽを振っていたのか。腹が減っていたから何でもおいしく思えたのか。
「梓は、幸せ?」
不意に口をついて出た言葉は、梓の背中にごつっと当たる。
一瞬、暗がりから睨まれて、由良はおそれに似た気持ちを抱く。飼い犬だって、ときどき機嫌が悪くなる。飼い主は、ひやりと、することがある。
何だろう。
(間違った、かな)
梓は、少し息をついて、
「お前は」
「私?」
「ずっと、前かがみで庭先で呻いていた。春先」
「あぁ……だって、無理矢理違う高校に行かされたし、アレと戦うのだって、あんまりできないし……怖かったし」
「今は」
「友達……ができたから、ちょっと違うのかな。相談できる人がいるっていうか」
一段、ふてくされた空気を感じる。
「やきもちやいてくれるんだ」
大きめのため息をつかれた。いらいらした様子で、でも夜風の涼しさのせいか、真昼ほど、今すぐどこかに行ってしまいそうな感じはしない。
「お前が俺にそういうことを聞くのは、俺が邪魔だからか」
「え? そんなことないよ」
「お前が重荷だって言うのなら、俺はどこにだって行ってやる。お前が他にしたいことがあって、捨ててしまいたいなら、お前一人で行っていい。気がかりなんだったら、自分の身一つくらいどうにでもできるから気にするな」
目の前から消えてやる。だから、梓のせいで行動が制限されているなんて思うのはやめてほしい。
――子供の頃の、身勝手でわがままな、かわいい友達としての由良と犬の梓で、終わらせてほしい。
宵闇の中、目に近くの明かりが映り込んできれいに光る。
硬直して由良は梓を見つめ返した。
(どうして)
「どうして、そんなこと、言うの」
お前が俺を追いつめたのだと、梓の背中が言っている。無言できびすを返して歩きだした彼を、由良は数歩遅れて、追いかけた。
*
「梓があんなこと言うなんて」
学校公認の、ちょっとした家庭教師や校内清掃のバイトが書かれた掲示を見ながら、由良は呟く。どうでもよさそうに、隣で茶色い頭の少女があくびしている。
いつだって梓のことは思い出しているのに。大事なのに。
変わってしまう。
由良も。家のことも。梓も。
由良は呻いてうずくまる。あのまま、犬と人間の子どもという関係のままだったらよかった。悩むことはなかった。でも梓は人間になったし、由良も、進学とかいろいろな欲が出てきた。
「梓が、どうだったら私、いいのかなぁ」
どうだと思う? と由良が隣を見上げると、
「あーうざ」
丁寧に床を蹴りつけながら網代が呟きを返した。
すぐ近くの職員室から、琴葉が現れる。失礼しました、と涼しい声。
彼女は、こちらに合流するとすぐに言った。
「もうすぐ、転校するの」
「え」
「いつまでも、一所にはいないものよ」
足が着きやすいもの、と逃亡者みたいなことを言って、琴葉が笑った。
「あのっ、転校先の住所、教えて」
「何。追いかけてくるつもり?」
「ううん。手紙を書くから」
メールだと届かない気がした。形のないものの方が、距離に関係なくすぐに届くはずなのに。メールはどこかで、立ち消えてしまいそうな気がした。
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