3-9

 由良は考えていた。

 昨日は失敗したが、まだ他に手はある。たぶん。

「旅行番組につきものの……お土産と晩ご飯……」

 これだ。

 自分のお小遣いでは限りがあるので、道端でトンボやカブトムシを捕まえた。

 これにはその辺で遊んでいる小学生の力を借りた。携帯ゲームばかりのようだが、女子高生一人で林に行くより、小学生の面倒を見ているスタンスが功を奏して、近所のおじさんが代わりに見つけてくれたのだった。

 さておき、虫かごに入れてふすまの向こうに追いやると、ぺっと返される。中身が、タコが黒ずんでぐちゃぐちゃになったみたいな物体になっていたので、いらぬ殺生をしたことを由良は悔いた。

 結局家人達が祓ってしまったが――。

「花もだめです」

 腰に手の甲を当てて立ち、家人の一人が由良を見下ろす。

 座敷に正座していた由良は、首をすくめた。相手が紙切れだと分かってからも、半分育てられたようなものなので、つい、反射的に従ってしまう。

「生ものはいけません」

「だって」

「だってもへちまもありませんよ」

「……辞書とか見るより、実物の方がいいかなって思って」

 吹きわたる秋の風を感じに出かけよう、恨みは水に流そう、そういうのが伝わる土壌を作らなくてはいけないのだ。由良はそう思う。

「余ってるテレビって……」

「ないです。生ものじゃなくてもだめです」

 怒られた。

 由良は考えあぐねて、離れに引っ込む。

 梓が、放り出されたずたずたの旅行雑誌をつまみあげている。

 それを見ながら、旅の楽しみ方その十三ご当地で日付印を押してもらってはがきを出す、が何となく印象に残る。そうだ。

「手紙書こう」

 大昔だったらひらがなもないし、友達が言っていたように識字率が低くて読めないかもしれない。でも書いてみよう。


 手紙を差し入れたら、のたくった文字だけが、畳の上を這って部屋から出てきた。

「ひっ」

「つぶしにくいな」

 梓が無表情に呟いてから、ぷちりと文字をひねりつぶす。

「そろそろ懲りたか?」

「何が?」

 立ち上がり、母屋を出ながら、由良は梓の言葉に首を傾げる。

「まだまだだよ」

 梓が、ちょっと憔悴したみたいにため息をこぼした。


 それから数日、期間があいた。

「うーん思いつかない」

 図書室が混み、また人がはけていく。

 蝉の勢いも当初よりおさまってきて、窓の外の熱風も心なしか角が丸い。暑さはかなりのものだが。

 気分だろうか。

「女心と秋の空」

 呻きながら教科書をめくる。歴史の教科書の下に古典のサブブックを広げており、さらに下には数学。

「宇宙とかの本がいいのかな。むしろ恋愛小説?」

「貴方、本当に懲りないのね」

 向かいの席から、扇風機より平坦に琴葉が言う。

 由良は顔をあげた。

「あっそうか、小説だと文字が多いよね。マンガ?」

 沈黙が返ってきた。どことなく失笑のような、息を感じる。そういえば以前、歴史マンガもおすすめされたのだった(そして差し入れたが受けなかった)。

 むくれていると、網代が図書室のドアをがらりと開けて入ってくる。襟足の辺りが汗でびしょぬれだった。

「暑い」

「どうせ一人でアイスでも食べてきたんでしょう」

「違えーよ! お前みたいに必死こいて勉強してない」

 噛み合っていない。薄笑いを浮かべたまま、黒い髪を払いもせず、琴葉が言った。

「どうせ屋上でアイス食べながら必死で英単語を暗記していたんでしょう」

 戻ってきたほうは、沈黙を返す。

 図星だったようだ。意外である。

「おいてめえ、意外そうに目え丸くしてこっち見んな!」

 とばっちりを受けた。その間に、琴葉が髪留めを一個、彼女に与える。それで髪を結んで、網代はクーラーが一番効いているところを探してうろうろしてから、図書室の奥の書架の前でばたばたとスカートを扇ぎ始めた。


「思いつかないので、今日は私の一日について発表します」

 帰宅後、正座して奥の間のふすまに話しかけると、苛立ちの気配が濃厚に立ち上った。

 これはまずい。

 だが、絶対受けないと確信していても、仕事である以上踏み出さないといけなくなったお笑い芸人みたいな気分で、由良は深呼吸をする。大丈夫、仕方ない。

「えー、今朝のごはんは、目玉焼き一個、ウインナー二個……」

 後方で梓がずっこけた気がするが、この辺りから始めないと分からない気がしたので仕方ない。

 由良が長いこと喋っているので、奥の間の人はしびれを切らしたのかもしれない。ばん、と一撃、ふすまの真ん中辺りが獣にやられたみたいに引き裂けた。

「この話、まだ家から出てもないのに!」

「そりゃ、お前の顔の洗い方についてが長すぎてどうでもよかったからだろ」

「確かに、洗顔フォームのメーカー名の話はいらなかったかもしれないけど」

「それ以外にもいらないところが多すぎるだろ!」

「洗顔フォームと桶と水を差し入れようと思ってたのに!」

「何でだ!」

「顔を洗ったらすっきりするから。その伏線だったんだけど」

 かたかたと、攻撃の名残のようにふすまが揺れている。

 由良が梓とともに奥の間(の手前)から出てくると、瑠璃部が眼鏡の奥から冷ややかな目で見ていた。

 家人達も文句を言いながらも、由良を止めない。

(何でだろう)

 逆らえないのだろうか、もしかして。

 由良自身が、ずっと、こうしろと言われて押しつけられたものを抱えてきた。けれど、紙切れの幽霊達は、叔父の言うことは聞いていたし、由良だって、自分でこうしたいと強く言ったら、できるのではないか。

 晩ご飯のリクエストをしたら通るだろうか。

 試してみたら、晩ご飯は食材が決まっているから、もう少し早く言ってほしいと言われてしまった。

 お弁当を作ってもらって朝家を出る。

 かなり早い時間だったので、太陽の位置が山の端にかかるかどうかという状態だった。空の色が薄い。夜の底の方が冷たく凍えて、でももう、朝の、これから暑くなる気配を漂わせている。

 ススキが出そうになっていた。露草を摘んで、振り返って梓を呼ぶ。細々した草花があっと言う間にたまる。

「持っていって、帰って家の人に生けてもらって」

 あの人たちは人間じゃなくても、毎日、家のことを整えてくれていたのだ。花ぐらい何とかしてくれるだろう。

 お花やお茶を習っていたら、何か違っただろうか。正座で足がしびれるし、きっと大事な道具はすっ飛ばしたりするかもしれない。

 でもやってみたいことリストには入れてもいいかもしれない。

 最近図書室の先生に、いろんなことを――引きこもっている人向けの本とか――聞いたせいか、やってもやらなくてもいいけれど気になることを書いてみたら面白いと言われた。

 梓とサッカーするとか(ただしイメージは犬の方だが)。

 面倒そうに見ていた友達二人組も、今すぐソーダアイスが食べたいとかカツ丼が食べたいとか駅前の商店街のあの店にある鞄がよかったからバーゲンで買いたいとか、思いつくままに喋り始めて、うだる暑さの外を眺めながら由良はノートにペンを走らせた。

 小声ではあるが、今日もそれほどとがめられない。

 昼食時間になって、学生はばらばらと帰っていく。背中の形はとりどりで、でも廊下を出て校舎を後にしたら誰が誰だか分からなくなる。

 頬杖をついて見送っていたら、網代が色ペンで勝手に由良のノートに落書きを始めた。鼻毛の生えた棒人形。ひどい。

「これはひどいよ!」

 ハワイで挙式とか、望んだこともないのに何だか面白そうで書いてしまった文字の上に、次々にふざけた落書きが生み出されていく。

「ふふ」

 琴葉が笑っている。由良もついでに落書きを足した。

 唐突に、きらきらしたものが胸に落ちる。

 あぁ、あの子は。

 あの少女には。

 こういう時間は、なかったのだろう。

 閉じこめられてから何百年も経った。今更得ることもできないだろう。

「成仏って、できるのかなあ」

「そうね。死んだらそれまでよ」

「だとしたら、うちにいたりその辺で貴方たちが踏んづけたり燃やしたりしてたのって、何?」

「怨念」

「お化けとは違うの?」

「幽霊のことを指すのなら、少し違う」

 少し真面目な顔をして、琴葉が呟く。

「それらは残滓。本人ならば言葉で意図が伝わる。本人ではないから、もう、変わることがない」

 たとえば、と少女が由良のノートを指先で軽くなぞる。

「これは貴方の残滓。これは成仏する?」

「うーん、お焚き上げしたら供養はされそうな気がするけど」

 つまり由良自身のメモではある、由良の気持ちとかが一部反映されている、でも由良自身は数日で気が変わるかもしれない。書かれているものは、書かれた内容としては、止まっている。

「うーん、成仏してない人がどうやったら成仏するのかなんて、わかんないよ」

「そうね。すぐに分かったりしたら、商売あがったりよ」

 頼んでみるのはどうだろう。

 しかし奥の間での二人の姿を思い出すと、無理だ。

「他にも、いろんな人が商売してるんだよね?」

「そうね、でも貴方は、踏み込まれたくないでしょう? もっと乱暴な方法を採るひとばかりだから」

 壷を持ってきてアレを閉じこめ、必要なときに相手先で放して災厄を招き、用が済んだら消すだとか、そういうことを平気でするような者達だと、琴葉は教えてくれた。

「そうだね、そういうのって嫌だな」

 そもそも、そういうことが通らなかったから、アレはあのまま、家にあるのだ。

 図書室の奥で、時計がこつこつと音を立てている。

「昔、そういう仕組みを作った先祖の、記録か何か残ってないの?」

「! 探してみる」

「探してねーのかよ」

 うだる暑さを引きずって、面倒そうに網代が呟いた。

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