2-7


(私が、悪くない?)

 その選択肢があったのか。

 自分が悪くない、自分が被害者だと、必死で前かがみになって、うつむいて、庭で、着たくもない他校の制服を着て、あの化け物のために違う学校へ行く覚悟を、つけようと、していた日が確かに、過去にはあった。自分は悪くないと思っていたはずだった。

 でも、今日、言われるままぶたれたり、案内しようとしたり(結局家へ呼ばなかったが)していたのは、由良が、優柔不断だったからだ。たぶん。嫌われたくなくて。相手が、いい悪いとか、関係がなかった。話しかけられて、嬉しかったのだ。変な人たちだけれど。下心がありすぎているけれど(アレを退治したいのだろう)。

「あぁ、嫌んなっちゃう」

 由良は寝転がったまま、知らず言葉に出していた。

 急に声をあげたせいか、部屋の片隅で八房がびくりとする。

「ごめんごめん、驚かせた」

 由良は起きあがり、八房をなでる。八房は、ちょっと警戒したふうに、眉間に皺を寄せていたが、しつこく撫でているうちに目を閉じてしまった。梓、どこ行ったんだろ。

 呼応したように、がらりと戸を開けて梓が入ってくる。母屋に風呂を借りにいっていたようで、洗い髪のせいか、いつもよりちょっと幼く見える。

「髪も乾かしてくればよかったのに」

「そのうち乾く」

「あの、ぶわー、って言うのが、梓、前から嫌いだったもんね」

「うるさい。……何でソイツなでてんだ」

「え? 犬だから」

「答えになってねえよ」

 梓のことも撫でてやりたかったが、あいにく今は人間の姿をしている。当人も嫌だろう。

「梓が、人間のままなのは……犬に戻ったら、二度と、犬どころか別のモノになったりして、どうにもならなくなるかもしれないからって、本当?」

「誰に聞いた」

「いろんな人」

 首をすくめつつ、由良は嘘をつく。聞いたのはたまたまで、アレに襲われて取り込まれかけたところを家人に拾い出された後くらいに、昔なじみの病院で耳にしたのだ。

 あの病院、梓や家人がかかるときに何の検査をしているやら――人間と同じふうに見えても、本当に同じ、タンパク質だとか割り切れそうな(通常の生き物として)物質で、ちゃんとできているのだろうか。本当に。

 梓が、ため息混じりに呟いた。

「だとしても、俺は俺だろ」

「梓は梓?」

「犬だろうがこんな姿だろうが。お前が、蔵で拾ってきた」

「あぁ、うん。私のせい」

「お前のせい? 違うだろ。箱に食われた、かつての虫とか鳥とか犬とか、人間どものバカのせいだし、そもそも箱を作っていやがった、この家のクソどものせいだろ。お前じゃない」

「うん、だけど」

 それが由良の先祖なのだ。箱を作って、何かを閉じこめる。中身が、得体の知れないものとして変容することまで、計算に入れていたのかどうか。

「うぅーん。それを知っていそうな人が、みんな、いなくなっちゃってるからなぁ」

 叔父に電話しようか。あの人は、由良を、ずっと責めている。自分は家から逃げ出したくせに。庭に敷き詰められた石は、すべて、叔父の術の一部だが、アレが今もちゃんと機能しているのかどうかよく分からない。そんなにまでしても、閉じこめておきたい、モノ。

「三船は知ってそう」

「は?」

「あの、白い着物の人」

 鼻の頭に皺を寄せて、梓がいぶかしがる。

「たまに出る、白っぽい奴か? 透けててほとんど見えないが」

「そっか。梓は、あんまり見えてないのか……お母さんの歌も、あんまり分からないんだよね?」

「多少聞こえるけどな……」

 梓は、そのことがこれまでの話に関係するのだろうか、といぶかしげである。

 考え続けようとするも、外は濃紺の闇、こうこうと明るい室内だけれどどうにも、蛍光灯では空笑いというか、頼りない気がして、由良はううんと首を振った。

「いいの、ちょっと言ってみただけ」

「来たぜ」

 翌日、晴れ渡った空のもと、友人(仮)二人は私服で、由良の家を訪れた。

「何で?」

 ぽかんとした由良に、短パンの裾をはたき、惜しげもなくさらした素足であっさりと上がりこみながら、少女が「てーさつ」と言い放つ。もう一人はさわやかな麦藁帽姿だったけれど、不穏な清楚さは相変わらずだった。

 家人らはあまり動揺しなかった。網代が、笑みを張り付けて聞いてくる。

「アノヒト誰?」

「家の人」

「親戚? お手伝いさん?」

「うーん、お手伝いさんっていうのが近いかな。ほら、うち、農地とか広いから……」

「雇ってんの」

「雇うというか、やってもらってるっていうか」

「そう。変な家ね」

「そう、かな?」

 血の繋がらない家人がいて、大半は紙だ。一部は遠い親戚なのかもしれないが、由良にはよく分からない。大人達は話してくれないのだ。家のことを取り仕切っている――確かに、奇妙か。だが、人から言われると、それはそれで複雑な思いがする。

「いつも、祭りの前後みたいではあると思うよ。法被着てる人もいるし」

「法被?」

 少女二人は、ふうん、と意味ありげな目配せをしあう。

「親は?」

「えっと、いないの」

「生きてんの死んでんの」

「生きてない」

「変な答え方」

(だって、お母さんは)

 時折聞こえるのだ――母の声が。かすかな歌が。子守歌のような歌。どこか悲しげな。

 座敷の奥、ふすま数枚を隔てた先に、大がかりな重たい扉を持つ蔵が眠っている。この扉は、基本的には閉まっている。だが、暗闇の中、中の人が蔵と母屋の部屋の空間を、繋いでしまうことが多い。近づくわけにはいかなかった。

 黙り込んだ由良に、少女がおぉい、と手を振った。

「聞いてんのか?」

「あ、うん」

 由良は気づく。

「あれ、もう一人は?」

「トイレ借りに行った」

「本当に?」

 座したまま、由良はにわかに緊張する。見られている気配がする。開け放たれたふすま、奥の座敷に人が、立っている。由良は背を向けたままだが分かる。ものすごく分かる。相手が、怒っている様子だからだ。相手がぽつりと口を利いた。

「……あのバカ犬は、どこをほっつき歩いているのだか」

 かすかな呟きを耳にとめて、「ん?」少女がお茶の水面を見ていた目を、上へあげる。

 そのときにはもう、その気配は消えていたけれど。

(どうしよう忘れてた)

 瑠璃部が、いた。家の中には。どうか、琴葉が変な探求心を起こさずにトイレから戻ってきますように。寄り道をして瑠璃部と遭遇したらと思うと、恐ろしい。

「……遅いな」

 網代の呟きに、由良はびくりとする。

「ちょっと、様子見てくるね」

 自分も行こうとして立ち上がりかけた網代を、由良は無理矢理座らせて待たせる。

 母屋の部屋数は多くない。ふすま、小部屋、ふすま、と開け閉めしてくぐれば、そのうち、奥座敷の蔵へ通じる板敷きの廊下にたどり着く――その、手前で。

 きいんとかすかな金属音がした。小銭のようには軽く小さくもない、細長いものの落ちる音。鍵だろうか。あるいは髪留めのピン。

「琴葉、さん?」

 呼んで、由良は一つ手前のふすまを引いた。と、同時にふすまが倒れ込んでくる。ざざっと畳の縁を踏んで――そういう、踏まない作法だとか詳しそうな子なのに――琴葉が駆け込んできた。そのまま由良をかわして、奥へと逃れる。

 ぞすりとふすまが鳴って、大きくえぐれた。表面に穴が開いた。

「瑠璃部っ」

 瑠璃部であってほしい。こんな暗がりで出会うなら、アレであるよりは瑠璃部の方がマシに思える。果たして、闇のグラデーションの中から現れたのは、眼鏡をかけた青年だった。不機嫌に顔をしかめ、ずれた眼鏡を持ち上げる。

「何です?」

 分厚いレンズが、鈍い光を反射する。

「あの、さっき女の子がここに」

「あぁ、来ましたね」

「攻撃、した?」

 瑠璃部の返答には、間があった。

「……無礼な行動への返礼はしました」

「瑠璃部」

 非難の色を帯びた由良の口調に、瑠璃部は束の間、肩をすくめる。

「あの者は、昼寝せんばかりに穏やかな私の午後を、踏みにじっていったのです。腕を打たれれば首をはねる。当然のことですよ」

「当然じゃないよ! 過剰防衛だよ」

 言い返したものの、瑠璃部の態度は変わらない。瑠璃部は、つまらなさそうにため息をつく。

「あんなもの、連れてくるほうが悪いのですよ」

「私が悪いわけじゃないのに」

「ほう? いつからそんなに、偉くなりました?」

 由良はぐっと黙る。自分が子どものとき、開けてはならない箱を開けた。そのせいで、いくつかアレが外へ出た。その際に、箱の術が綻び、隙間を埋めきれず、中身が漏れるようになったらしい。家人や叔父達の言葉によれば、由良のせい、だ。

 嫌だとか何で私がとか、アレの件では思う。けれど、嫌だという気持ちを押し殺そうとしてきた。自分のせいだから、と。でも。本当に、由良のせいだろうか。

「でも、だって、やっぱり、違うよ」

 声が震える。

(梓が、八房が、うちにいるのも、私が拾ってきたから、だ、けど――アレが逃げ出したのは、私の、せいかも、しれない、けど)

「瑠璃部が、そういうわがままを言うのは、私のせいじゃないよ。お母さんに怒られてたでしょ、昔。知らない人を食べてはだめ、知っている人も食べてはだめ。貴方が、梓やアレと同じように、この家の箱から出てきたとしても、人間や、それ以外でも、食べちゃだめなものを、食べちゃだめだよ」

「……だめ、だめばかり」

 一段、辺りが暗くひずむ。日が陰ってきたのだろうか、奥の間には元々ほとんど日が射さないが、それでも、外の様子が、明るさを多少左右する。

「本当に、気に入らない親子だ」

 瑠璃部が背を翻そうとする。奥へ引っ込んでくれるようだ。ほっとした由良の前で、黒く、髪をなびかせた琴葉が、細長い針を投げる。瑠璃部が無造作に腕を振り、数本を払いのけ、数本を体に突き立てたまま、由良の肩越しに乱入者を睨んだ。

「生かしてやると、思ったものを」

 瑠璃部の唇が歪んでいる。抑えきれないで、見る間に、笑みが全面に及ぶ。犬が全身で喜びを表すように、体が、一瞬で膨らむように思える。

「瑠璃部っ」

 傷つけられたのは、瑠璃部の方だ。だというのに、由良には、止めるべきは、責めるべき相手は、瑠璃部の方だった。剣呑に、冷たく、琴葉がこちらを睨んでいる。膨れ上がる憎悪の気配にも、全く怯まない。

「これはね、あの、ええと」

 由良は瑠璃部を体で隠そうとしてみる。無駄だと分かっているが。そして背を向けた途端、自分へも、瑠璃部の一撃が振りおろされる――背筋がぞっとする、気配をとらえる。

 舌打ちして琴葉が、由良の側頭部をはたき、転ばせた。瑠璃部の一撃が留まることなく一息に畳に突き刺さり、畳表を細かな灰のように散らかした。

「ひ」

 肺が息をしたがる、けれど喉がそれを許さない。変に鳴いた由良を背にして、琴葉が前へ出る。「これはでかいわね」平静に――そうとしかできないのか――呟いた。

「え、人間、の大きさじゃ、なくて?」

 まだ、瑠璃部は、人の形をしているのに? 由良の不思議そうな様子に、琴葉が答えた。

「私には、そいつが、人間のようには見えない」

 琴葉の冷ややかな目に、意外にも、戸惑いの陰がさしている。

「貴方が、人間相手のように呼ぶソレが、ただの――学校で見かけたあの黒いモノと、同じにしか、見えないの」

 めきめきと床が割れる。

 大振りな風にあおられて、由良はよろけ、琴葉が飛びすさる。

「瑠璃部! やめて」

「屋敷内に入ってきたモノは、すべて私の好きにしてよいと言われている……!」

 凶悪に笑みに顔を歪めて、瑠璃部が腕を振りあげる。鋭く伸びた爪が、再度畳を刻みえぐる。土台の木がきしみをあげる。細かな藺草が飛び散った。

「何でもしていいなんて、誰も言ってないと思うよ!」

 むしろ、由良の母親は、瑠璃部に制限を与えたはずだ。屋敷から出られないことや、誰彼かまわず襲うことを許さないこと。

 歌だけの存在だが、母の制限は効果があるはずだ。

「だめって言われてたでしょ!」

「は! そんなもの!」

「瑠璃部! やめてってば!」

 ぱん、と、ふすまが左右へ開く。数枚開くと、庭が見える。場違いに、青空と、のどかな畑と山が見える。

 それらを開けたのが瑠璃部ではないのだろう。瑠璃部が驚いている。誰がやったのか、とも今は思わなくて、ただ由良は彼の名を呼ぶ。

「梓!」

「うるせえな、バカがバカやって、ざまぁみろ」

 億劫そうにそう呟いて、履き物をわざわざ縁側で蹴り落として脱いであがって、梓が、瑠璃部に吐いて捨てる。

「欲求不満で暴れてんじゃねえよ。なりそこないが」

「貴様のような下等生物に言われたくはない……!」

「は! 犬が下等なら、犬以前のゲロ野郎は地面以下だな?」

 ぎゅおんと黒いものが伸びる。

「やめて!」

 ほんとやめて、人前だからやめて。

 今更だけれど、つい叫んでしまう。

 琴葉が、距離を置いたまま静かに言った。

「何を、隠すの?」

 柔らかく、真綿で首を絞めるように。

「何を。隠しているの?」

「っ」

 由良の息が詰まる。

 隠しているもの――琴葉はそれを知って、どうしようというのだ?

 どんな家にも秘密はあるのに。

 どんな場所にも、密やかな隠し事はあるというのに。

「貴方たちだって、いっぱい、隠してるじゃない。うちに来たのだって、アレをやっつけたいからでしょう? それも善意とかじゃなくって、何か、目的があって」

「そうよ」

 隠しても仕方ないとでも思ったのか、少女は恬淡と応じる。

「善意なんてかけらもない。この前も言った通り、私たちは居場所がほしい。自分でそれを作るために、自分たちの力の意義のあることを証明するために……実績がほしい」

 ここで、大がかりな化け物の正体を暴いて、引きずり出して、倒してしまいたい。

 そうして存在意義を示すのだ――。

「そんなことのために?」

 そんなことに、うちの、ものを利用しないでほしい。梓を巻き込まないで。瑠璃部のことだって。

「そんなのって、苦しいよ……!」

「そうよ。でも、やらなくっても、同じかそれ以下よ」

 だったら、私はやるしか、ないの。

 網代が駆けつけて、黒髪の琴葉の背を支えようとして振り払われた。

「遅れて悪かった、何か紙切れとかに邪魔されてさァ。ここはアレか、化け物屋敷か?」

 網代の空元気の声を、琴葉の視線が尻すぼみにさせる。

 一瞬の、沈黙。

 踏み出した二人の足が、一斉に奥の間へと入る。震えているのは、恐怖か、それとも。

(もしかしたら、)

 この二人なら、あるいは。アレを、解放できるのではないか。由良は、期待のせいか、体が動かない。

「おい! 止めろ!」

 梓の叫びが、由良を我に返らせる。

「そいつは、女だろ!? 男でもだめだったのに、」

「あ」

 梓は瑠璃部を振り払う。が、すぐに飛びかかられて、舌打ちする。

「行けよ!」

「でも、」

「お前にも、力があるだろ! 俺が行くまで保てばいい!」

 鏡が手元にない。とっさに、窓を見たが突き破って持ち出す勇気が出ず、駆け戻って、来客用の足の短い台に置かれていたお茶の入ったグラスを掴んだ。薄く、自分の姿が映る。

「はらーい、」

 声を張る。家人たちがなかなか来ない。網代に何かされたのだろうか。

 暗く、日の射さない奥へ入る。空気は淀んでいる。鼻も耳も、目も、外気に触れているところが柔らかく押されている感覚がする。

「かがーみに。うつして、止めて、祓いましょうー」

 小さなアレらが、グラスに映されるたびにぴた、と壁際で動きを止める。飛びかかっては来ないようで、グラスが通り過ぎると、かさかさとかそけき音を立てながら、奥や外へ這って逃げた。

 心臓が爆発しそうだ。ここまで、自分の意志で入るのは、いつぶりだろう?

「――無事?」

 人の気配を感じて、由良は覚悟しきれぬまま、震える手でふすまを、そっと開ける。次の間は暗かったが、由良の通ってきた側から薄い光が射し込んで、いくらか様子が見えていた。

「は」

 へたりこみ、茶の髪の少女が肩で息をしている。

 初め、しんでいるのかと思ったが――尻餅をついた形で、けれど膝が動かずに立ち上がれず、這って逃げることもできないでいる。

 生きては、いる。

 その、後ろ――網代が背にしたふすま一枚の、向こう側から。こちら側へと。

 ゆらりと、手がこまねいている。

 まっしろで、一度も日に当たったことがないかのような掌と、薄い皮膚の手首。

 柔らかく、しなやかに、ゆっくりと招いている。ふすまの隙間から。

 奥は暗く、何も見えない。

 こちら側から光が射し込んでいるはずなのに。

 何一つ、見えやしなかった。

 ぞっと背筋を凍らせて、由良は小声で力を込めた。

「かえって! お願いだから」

 ――かえる? どこへ?

 鈴や星でもふるような、清い声が、不思議そうに呟いた。誰でもない――その、手の、主だと思われた。

 何を見たのか、ふすまに背を向けたままの網代が、涙のかけらのにじむ目を、恐怖にひきつらせる。

 ――かえるって、なに? 外へ、行けるの。

「違うよ。中に……」

 ――そう。

 声が、一段暗くなった。

 掌が一瞬だけひいて、そして。

 ぞわりと、壁一面に、掌が突き抜けてくる。複数に分裂した手が、剣山のように広がっている。そのままこちらに突っ込んでくるかと身構えたが、手は肘までを突き出したまま、苦しげに身悶えしていた。

 ――ああ、ああ。

「……こ、こいつ、出たいんじゃ、ないか? 出られないから、こんな、」

 網代からやっと出た声はかすれていて、そして。

「だめだよ! 共感しちゃだめ、とられる、」

 ――外に出たい。

 一対の手が、網代の体を、その両の手で、そっと包む。引き込もうとでもいうように、細腕にぎゅうっと、力が入る。

「ひ」

 炎が舞った。琴葉が、震える唇で術を紡ぐ。暗がりの、どこに身を潜めていたものか。服は乱れ、よく見れば頬に傷ができている。

「梓!」

 由良が叫ぶより一瞬早く、梓が駆け込む。畳表を擦って、少女二人を蹴り飛ばし、隣のふすまへ叩き込む。

「攻撃対象ってそっちなんだ!?」

「そっちは俺の仕事じゃないだろ」

 舌打ち混じりにそう言われて、由良も振り返ろうとするが、振り返りたくない。

 後ろ手でふすまをしめてしまいたい。

「由良」

 苛立ちをこめて名を呼ばれる。

 その、名前が契機になったのか――金色の、光の粉が舞い始めた。炎かと身構えたが、熱くはない。

 触れるたび、かすかな歌声が、どこからともなく響いてくる。

「お母さん……?」

 ひとしきり歌が聞こえて、静かになったと思ったら、ふすまは閉じられ、あの白い手も消えていた。

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