2-8

 息を繰り返す。もう一度、アレが出てこないか、と、緊張して、皆の視線が集まっている。

 確かに、誰かが、目に見えてきちんと終結させたわけではなかった。

 半信半疑だが、由良は母を信じることにした。

 ここは、場慣れした自分が、責任を取るべきだ。

 終わった、という感じをアピールしなくては、彼女たちも自分も、ここを離れられないだろうし。

「なんか、その、とんでもないことになっちゃって、ごめんね」

 由良は、気に障らないようにと悩んだ結果、どこか明るい口調になってしまった。

 返事がない。

 二人とも、髪の毛先が斜めに分断されていたり(どこかの時点で、黒いアレか白いアレに食われたようだ)打ち身や切り傷だらけになっている。

「あの、そうだ、お風呂入って帰る?」

「断る。バカかてめー」

 震え声だが、多少、力が戻ってきている。気力を失うと、自力で歩けもしなくなるだろうから、由良はほっとした。

 いくらか経って、

「……あんなのがいるなんて」

 ぽつ、と、琴葉が呟く。束の間、悔しげに顔が歪んだ。

「何なの、アレは」

「えぇと。私も、よくは知らないの。でも、普段はしまってあるから、大丈夫」

「意味のない嘘はつかないで」

 大丈夫なわけがない――。

 一言も話さないまま、梓が由良についてくる。二人が帰っていくのを送らせようと思ったが、二人には手と首を振って断られた。

「二人だけに、してほしいの」

 精神的に立て直すには、見知らぬ者に送られるより、早く、自分たちだけになって落ち着きたいのだろう。

「……あの子達が、あんなに落ち込むとは思わなかったな……」

 てっきり、あっと言う間にうちにあるものを制圧するかと思ったのだが。

 瑠璃部相手でも怯えなかったくせに、あの、部屋の主には手も足も出なかったようだ。

 由良だって、あのひとのことは怖いが。

 梓にしても、瑠璃部相手には一瞬、全力が出せる喜びできらきらして見えたが、あの手の主相手では、終始面倒そうな眉間の皺を作っていたりして、あまり楽しげではなかった。

 由良が昔、もっと子どもだった頃、母の子守歌を聴こうとして部屋に入り込み、あの手に引かれたときも、梓は吠えつき、犬の姿のまま由良の体をぐいぐいと力強く頭で押した。引っ立てていってくれた。

 怖いというのをみじんも出さないことに気づいて、そう見えないだけだろうかと、由良は梓の顔をちらりと盗み見た。

 怪訝そうに睨み返された。


「お疲れさま、由良」

 しゃらんと、鈴と細い、ネックレスの鎖が鳴るみたいな音がする。

 振り返るとそこは、広々とした田の脇の細道だった。

 季節は夏、けこけこと蛙達が合唱している。

 天の川が降り落ちてきそうな晴天だ。

「おじさん?」

「君のおじさんじゃない」

 苦笑する気配があった。近くに、しゃがんでいる和装の男の姿を見つける。

「三船」

「呼び捨て?」

 かすかに振り向いたその顔はまだ若く、老成しているのは浮かんでいる表情と、髪の色くらいのものだった。

 由良は軽く言い返した。

「いつも、何て呼んでいいのかわからなくなるの」

「ふむ、まぁそれもそうか」

 三船に、おいでと呼ばれ、由良もしゃがんだ。

 隣に座る三船の面は穏やかだ。彼の真っ白な髪は、さらさらとして美しい。

「そろそろ蛍が出る?」

「もう終わりだろう」

「現実の世界ではそうなんだけど。ここは、ちょっと違うんでしょ?」

「それはそうだが」

 小川のさらさらした音が、由良の気持ちを幾分か平穏にした。

 三船が口を開く。

「それにしても、今日はよく頑張ったね」

「見てたの?」

「見てたさ」

「悪趣味。助けてくれてもよかったのに」

「どうやって?」

 軽く笑われ、由良は頬を膨らませる。

「幽霊みたいなものだから、って三船は言うけれど、でも、だったとしても、あの子達を止めるなりなんなり、できたんじゃないの?」

「止めるために化けて出て、退治されろと? 君は随分ひどいことを言う」

「ひどくない。……退治されるの?」

 退治されるような、悪いモノなのか。

 それに、幽霊も、あんな、女の子達に成仏させられたり、するんだろうか。

「どうかな」

 執着があって未練があってこの世に張り付いている幽霊、という感じでもなく、さらりと三船は首を傾げる。

 変なの。

「そういえば、家の……家人も、誰も来なかった」

「外も、騒ぎがあったからね」

「外に、アレが出たの?」

「ゴム片みたいなのが。瑠璃部が暴れて、付近に潜んでいた小さいのが怯えて、ひとまとまりになったみたいだね。小魚でも、大きな鮫に狙われたら、竜巻みたいに固まってうねると言うから……」

 具体的に想像して、由良は変な顔になる。きらきらした鯖や鰯の大群に、鮫やイルカが襲いかかる――黒いアレの群れに襲いかかる家人達。なんだかイメージできるような、できないような。

「アレは、何なの?」

 三船が首を傾げたまま、少し先を見やる。困ったふうの薄い笑みが、貼り付けられたままだった。

「昔から、この家にいるものだよ」

「それは分かるけど。そもそも、どこから来たの?」

「君は、どこから来たの?」

 ものすごくいい加減に話を逸らされた。由良はむくれて、

「あの子は、ここで生まれたって言うの?」

 以前見た、舞いを舞っていた少女が、あの子であるのならば。元は、人間であるはずだ。

「あの子? ……あぁ、あの奥の間の者か。あれは、元々は違うけど。私が言っているのは、黒い奴らのこと。君の大事な犬とおんなじで、この家で作られた。箱に入って、出てくるときはあぁいう姿だ」

 三船は、軽く釣り竿の糸をたぐるような動きをする。

 何か釣れるのかと川を覗き込んだが、黒々とした流れが見えるだけで、魚の姿も分からなかった。

「アレらは皆、同じもの。自我なく、個なく、ただ這いずり回る。己の意志など残っていない」

「本当に、自分の意志がないの? 梓も八房も、瑠璃部も、あの黒いのだって、自分勝手だけど」

「あるように見えても、あるとは限らないよ」

 梓が、自分の意志ではなく動く、ただの、モノだったら――考えると、そのうつろさにぞっとした。

「あまり、入れ込むものではないよ」

 由良を一瞥して、三船は穏やかに続ける。

「アレは人ではない。この家が生んで、どうにもならなかったものだ。蛭子神のように、そっとしておくより他にはない」

「本当に?」


「おい、何やってんだ」

 電柱につけられた明かりの下で、由良ははっと振り返る。

 付近には三船の姿はない。


 翌日教室に行くと、二人とも登校はしていた。あの様子では来ないかもしれないと思っていた由良は、少しだけほっとする。

 だが、昨日はごめんね、と言いかけるたび、二人組が不自然に顔を背けた。

(そうだよね、嫌だよね)

 それは当然だろうと思うものの、教室移動の途中、廊下で黒いアレの小さなものを上履きで叩きつぶしたり(昆虫に似ていたので、その動作で間違っていない気もする)していたので、もしかしたらアレ自体とは戦えるし勝てるので、アレが嫌なのではなくて――由良に会うのが嫌なのではないか。

「あの、」

 放課後、すっと氷のような顔をして帰ろうとした琴葉を、由良は呼び止める。

 呼び止めるが、相手は止まらない。

 そのまま人気の少ない別棟まで来ると、少女らはいつの間にか合流して二人組になってこちらを睨んだ。

 網代が、舌打ちして、何だよと言い返してくる。

 由良は、とっさに気になっていたことを口に出した。

「昨日は、その、止められなくてごめんなさい。それと、あの、昨日、人間に見えないって言ったけど」

「……言ったわね」

 琴葉が逡巡してから、思い当たって頷いた。

 瑠璃部は、あのとき暴れるためにやり放題をやっていたので、人間に見えなかったのかもしれない。だが――。

「その後、庭からあがってきたほうは、何に見えた?」

「逆光でよく見えなかったけれど。人のようではあった、かしら」

 由良は、緊張を隠そうとしてうまくいかない。

「何? あれらが、貴方には人間に見える、それが問題?」

「……わりと問題」

 梓が犬だったときは、家人や周辺の人も、茶色の犬だと認識していた、と思う。人になってからは、買い出しに行かされていることから分かる通り、人として見えるのだろう。

 でも、瑠璃部だって同じようなものだ。屋敷にいるだけだが、話は可能。

 それを琴葉は、人に見えないと言った。

 ものの本質というか正体が見抜けるというのなら。梓のことは、何に、見える、のか。

(ちゃんとは見ていないって言うけど……人間には、見えた、みたい)

 由良は自分の内側をなぞる。由良にとって、梓のことは大事なはずだ。でもぎこちなく、きしむ思いがある。梓は、箱から出てきたのだ。あの黒いモノ達と同じだと、知っていたはずなのに――黒い塊を人間と同じモノのように見て、楽しく隣を歩いている自分を想像して、何だか駆け出したくなる。

「何。変な顔して」

 由良は首を振って、袋からお菓子を取り出した。

「せめて栄養とって、のんびりして回復してください」

「何そのお詫び」

「何だソレ、バッカじゃねーの」

 網代が、蹴りつけるように、由良の前髪辺りに怒鳴りつけた。

 思わず身をすくませた由良に、網代は立て続けに言う。

「あのっくらいで傷つくか! アホ」

 網代はスカートのポケットに片手を突っ込み、横柄な態度でいる。その肘を、もう一人が軽く引いて止めた。

「手順が悪かったの。もう少しちゃんと調べてからやるべきだった」

「えっ、まだ来るの?」

 懲りた様子に見えたのだが。

 由良は驚いて顔をあげた。

「やっぱり、花火大会とお祭りの日も、一緒に行きたいわね」

「どういう意味……」

「……めんどくせ」

 網代が頭をかきむしってから、不意に、由良が持ってきたお菓子の袋をむしり開けた。

「ほら。お前も食え」

「うちのことに、まだ関わるんだ? それで、まだ一緒にいるって言ってくれるの?」

「そうよ」

「そうに決まってんだろ。だからお前も、気なんか許すんじゃねえよ、気持ち悪い」

 口は悪いが、二人とも、どこか思わしげだ。

「あんなものに振り回されて、貴方のうちは異様なのよ。見過ごせないでしょう」

「心配、してくれるんだ?」

「うるせ、いいから早く食え」

 どつかれた。

 こうして由良には、非常に変速的な友人ができた。

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