第8話 ニクジャガル

 眠りに呆ける俺。うとうととしては目を覚まし。そしてまたうとうとと。その間中、武藤さんの裸体が頭に浮かんでは打消し。

 夢の中で武藤さんに出会い、覚醒し、再び眠る。そんな浅い眠りを何度か繰り返し。

 脈絡のない夢の中では、武藤さんが現れ、くそ親父が現れ……武藤さんと親父が会話するなんて意味不明な展開が繰り広げられたり。

 そんな状況を数時間まったりと過ごして。

 ふと時間が気になって時計をみた。七時前。いかん、昼寝にしては寝すぎた。夜寝れなくなっても困るし、そろそろ晩飯の支度が。

 ん? おや? なんだかいい匂いが漂ってきたぞ。隣の晩御飯か? 純和風、出汁の香りと醤油の風味、加えて味醂、よくある味付け。懐かしのお袋の味。

 さすがに、腹も減った。明日の学校のこともある。

 眠く、ぼぉっとする頭をぐるぐると回しながら、ゆっくりベッドから起き上がった。

 よく考えたらまだ制服のままだ。まあいい。近所のスーパーかコンビニあたりに晩飯を買いに行くだけだ。風呂に入るまでこのまま居よう。

 部屋を出て階段を下りる。で、違和感に気づく。一階が明るい。それにさっきからの匂い。食欲を刺激する和の惣菜の匂いが階段を一段下りるたびに強くなってくる。

 ん? なんかリビングに出しっぱなしの惣菜かなんかあったっけ?

 人の気配。俺しか住んでいない静寂が売りの一軒家。気配というか、足音、カタカタという物音。

 誰かいる? 親父が帰って来たのか? 突然? 少なくとも数か月は帰国しないと聞いていたが。

 恐る恐る、リビングへと続くドアを開ける。

「あっ! ヒャッキン! 起きたの? ご飯できてるよ! 食べる?」

 って、天真爛漫にウキウキと料理をこなすエプロン姿の少女。リビングの奥、カウンターキッチンのその向こうに私服に着替えた武藤さん。

「ちょっ、なんで武藤さんがここに居る? それに飯って?」

 ぐつぐつと煮える鍋をかき混ぜながら武藤さんは、

「だって、晩御飯まだでしょ? 冷蔵庫見ても何の用意もしてなっぽかったし。寝てるの起こすの悪いし」

「いや、それ以前に……」

 どうやって入ったんだ? 鍵のかかっているこの家に? と聞こうとして、はたと思い当る。武藤さんには鍵の存在なんて無効。無意味。

 彼女は勝手に鍵を開け閉めできる。盗人仕様の超能力者だ。まあ、こっそり機密書類を覗き見るぐらいの悪事にしか手を染めていないことを祈るが。

 で、質問変更。

「なにを?」

 なんでどうしてここに居るのか? なぜエプロン姿なのか? なにゆえ料理を作っているのか?

「肉じゃが! 得意料理だから。でも他にもなんでも作れるからっ。毎日の晩御飯、飽きさせないわよっ!」

 なんて胸を張る。いやいや、聞きたいことはそんなことじゃあないんだけどね。

「勝手に入って」

「ごめん! チャイム鳴らしても出てこなかったから」

 それって俺が悪いのか?

「勝手に台所使って」

「だって、もう晩御飯の時間だよ?」

 答えになってない。

「だいたいその飯の材料は」

「お金なら心配しないで。今日の分はあたしのおごりで! 明日からは食費として半分は出して頂戴ね?」

「明日からって!」

「うん、毎日作るよ。だってね、一応これでも女の子だし、居候の身分だから!」

 またもや胸をそらしてえっへんみたいな表情になる。いやいや、居候って威張れるもんじゃないし。

 二度見ならぬ二度突っ込みってのがあるのなら、今使おう。

「いやいや、居候ってどういうことだよっ!」

「部屋余ってるでしょ?」

 そりゃあね。親父の使ってた部屋もあるし、そもそも親父と二人暮らししていた時から部屋は余りまくってる。親戚なんかが来たとき用に布団とかの予備もあるが。

「晩御飯の支度大変でしょ?」

 そりゃあね。一時自炊を志して、さっさと挫折しました。

「栄養バランスも大事でしょ?」

 そりゃあね。いくら野菜を摂ろうと心掛けていても、若い身分だ。ついつい揚げ物なんかに手が伸びてしまう。面倒だし煮物なんて地味な惣菜にはなかなか食指が惹かれない。それでも一応はできるだけ野菜を摂るようには気を付けてますけどね。

「それに、一人だと寂しいじゃない?」

 それは……、慣れてしまっているというのか。そもそも親父との仲は冷え切っているというか最悪に近かった。ある時から俺は一人で暮らしてきたようなもんだ。

 特に問題じゃない。

「寂しいって、絶対! 強がってちゃダメよ!」

 何故か怒られた。注意された。ダメだしされた。そうか、俺ってば強がってたのか。

「って、言いくるめられるか!」

「そりゃあ、たまにはね、手を抜いて外食ってことになるかも知れないけど」

 えっとぉ、そんな心配はしていない。してません。武藤さんが毎日飯を作ろうが週に一度外食にしようが出前を取ろうが俺には関係ない話だ。そのはずだ。そうに違いない。

「とにかく!」

 なんて言いながら武藤さんはくるりと俺に背を向けて食器棚から器を取り出した。

「今日から一緒に住ませてもらいます!」

 肉じゃがを器に盛りながらの宣言。

「……勝手に決めるなよ……」

「お父さんの許可は得ました!」

 味噌汁を注ぎながらの衝撃告白。

「えーっと、ダメ元でね。一人暮らしだってのは知ってたから、そこの電話帳見たら連絡先書いてあるじゃない?」

 ご飯をよそいながらの事情説明。

「で、電話してみたのよ。そしたらハローなんて、お父さん海外にいるのね? アメリカだって? で、事情を話したのよ。簡単に」

 盛り付けた食事をダイニングテーブルに運びながらの追加説明。

「そしたら、是非一緒に住んでやってくれって。あたしもね、年頃の女の子だから心配だろうけど、うちの息子ならまあ変なことはしないだろうって」

 最後にお箸とお茶を運びながら。いやいや、そっちの心配するのは勝手だが。乙女の貞操は大事だよ。だけどそれってプライオリティ低くない? 俺の同意とかそんなの取り付けた後じゃない?

「で、部屋も好きに使っていいって。もちろん迷惑はかけないよ。ご飯も作るし、洗濯とかもできるから。お金だって必要な分は払うし。お家賃はいらないってお父さん行ってくれたけど」

 く、くそ親父の奴。勝手に話を進めやがって……。

「その分は、たまに豪勢な料理食べましょ! いいお肉とかお刺身とか買うからっ!」

 ほわほわほわわ~んと、武藤さんと仲良くステーキなんかを食べる食卓風景が頭に浮かんだが……、違う。何かがおかしい。相手のペースで物事が、武藤さんと親父の談合で全てが進み過ぎている。

「……勝手に…………勝手に決めるなよ……」

 力なく呟き、肩を落とす俺。

「と・に・か・くっ!」

 そんな俺のそぶりを見て見ぬふりで武藤さんは椅子に腰かけて、

「ご飯食べましょ? 話はあとで、食べながら。冷めちゃうと勿体ないよ」

 今日一番、出会ってから見てきた武藤さんの中でもとびっきりのスマイル。

 それにやられて毒気を抜かれてしまった俺はしずしずと着席。

 肉じゃが、味噌汁、いつのまにやらほうれん草だかなんだか葉っぱ野菜のおひたし?  それにご飯。一汁二菜。模範的な和定食。夕食の定番。

「じゃあ、手を合わせてくださいっ!」

 言われるがままに従う俺。

「いただきますっ!」

 武藤さん、ここぞとばかりにさっきの1.2倍ましのスマイル。

 俺と武藤さんの初めての夕食が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る