3

◎◎



 激痛に耐え辿り着いたヒナギ・クロウ専用の実験室。俺は備え付けの金庫へと飛びつき、指紋認証、静脈認証、虹彩認証、生体認証、その他あらゆるロックを逸る激情に急き立てられながらどうにか解除する。

 ガチャリ!

 大きな音を立て開く金庫の中に、空きかけのまま手を突き入れ、目的のものを引きずり出す。

 それは一本のバイアル。中には青色の液体が満たされていた。

 【EVER】――その試作型。

 【HOPE】開発段階で生まれた、奇蹟のナノマシン。


「――――」


 チカラが必要だった。

 マナを救うためのチカラが。

 そのためには、倫理も禁忌も、踏み倒した。


「――――」


 金庫から注射器を取り出す。バイアルを開封し、液中に黄金が舞う青色の液体を吸い上げる。


「――――」


 俺は躊躇わなかった。

 針を静脈に突き刺し、シリンダーを押した。青色の液体が金色の粒子が俺の肉体へと注がれ血と混じり、絶望的な高速で全身を侵食する。

 訪れる狂気の領域の激痛を思いながら、俺は全てを解き放つ【魔法使いの呪文シークレット・キーワード】を唱えた。全ての生物が持つ極微量のアルファ・ウェーブスが指向性を顕す。



「――絶望に祈り切望の舞踏を今踊れ

 偏に魂を尊び高く生命に賛歌を唱え

 王は傅き賢者は書を捨て道化は勤めて勇者は歌う

 聞けよ悪魔よ惑えよ霊よ

 ここは同胞最果ての地

 祈りの届く、最果ての空――」



 そして――変化はやってきた。


「――――!?!?!?」


 発狂するような激痛と焦熱が、全身を巡り続けた。



◎◎



「――――」


 産業廃棄物の満ちる地。

 俺がその場に駆けつけたとき、俺の存在に真っ先に気がついたのは他の誰であろうイブキ・マナであった。


「ク――クロウ!」


 叫んだ。星のような瞳が驚きに見開かれる。きっと、俺がここに本当に来るなどと云うことは信じていなかったのだろう。だが言った。俺は言った。必ず、助けると。

 故に、呼ぶ。


「マナッ!」


 数人の黒服の男達に囲まれ両手を拘束されている彼女に向かって精一杯にその名を呼ぶ。


「クロウ!」


 彼女が俺を呼ぶ。


「何故、何故来たの!? 今度は本当に殺されてしまうかもしれないのに!」

「殺されはしない」

「分からないわ、そんなこと!」

「必ず助けると言った」

「だけれどあなたは怪我をしているのに!」

「怪我など、もう治癒した」


 俺は左腕を横に振ってみせる。


「治癒した……? ク、クロウ、あなた、まさか!?」


 マナの瞳が驚愕に大きく見開かれる。俺は頷く。


「アルファ型【EVER】――試作型高々度生体活動活性型ナノマシンを投与した」

「な――なんて愚かなことを……」


 彼女は言葉を失った。愚か。その通りだった。【EVER】。そのプロトタイプであるアルファ型は、人体では考えられないような代謝活性と治癒能力を得る事ができるように人体を作りかえるナノマシンだ。しかしそれは、残る生命の時を凝縮するに等しいのだ。つまり、間近な死と引き換えに超人的な力を得る事ができる悪魔との取引に過ぎない。

 俺は、マナを救い【HOPE】を取り戻す為に、それを己に投与した。


「愚かな行いだ。だが、俺は、お前を守りたかった」

「クロウ……」


 俺と彼女は見詰め合い。


『しかし――何故この場が分かったのかね?』


 雑音が、それを遮った。


「貴様か」

『ああ、私だよ』


 そこには、異様な男がいた。白いコートを纏った男――いや、男かどうかは分からない。その体格だけを見ればそれは間違えようのないことに思えたが、隠されたままでは判別は難しかった。

 隠されたまま。

 隠されていた。

 その人物は。

 その顔を。


 一枚の金属質な面で覆っていた。


『質問に答えていただきたいものだ、ヒナギ博士』


 声は雑音だ。恐らく仮面に、何か細工が施されているのだろう。だがその仮面をもってしても、その醜悪な、人を弄ぶように愉しげな声音を、完全には隠せていなかった。

 俺は、その仮面の男に向かって答える。


「マナが教えてくれた」

『彼女が……?』

「俺が三発目の銃弾を受ける前の会話だ。マナは『廃棄物の山』と言った」



『ええ、いいでしょう。まずはこの廃棄物の山で実践すればいいのかしら?』



 あの時彼女は、確かにそう言った。


『ふむ? ……しかし廃棄物の山など、この国にはそれこそ山とあるのではないかね?』


 仮面の男は泰然と問う。その悠長な態度に苛立ちながら俺は答える。


「その通りだ。だが俺が目を醒ましたとき、日付はまだ変わっていなかった。時はそれほど経ってはいないということだ。そしてお前達はパフォーマンスを求めている。ならば最も近く最も規模の巨大な産廃の集積地を目指せばいい。ただそれだけのことだ」

『なるほど』


 仮面は頷く。理解を得た喜びが、電子変換されたその声にはあった。


『君の知能を過小評価していたわけか、我々は。ふふ。だが、過大評価でもあったようだ。まさかたったひとり敵地に乗り込んでくるとは……物語の騎士にでもなったつもりかね? それとも自殺志願者か――』

「殺さないのではなかったか?」

『言ったではないか、最善は尽くすが――最悪、死ぬかもしれない』


 ガチャガチャガチャッ!!

 金属の鳴る音。

 一斉にそれは俺の方を向いた。

 黒服の男達の向けるそれは、凶悪に光る、黒塗りの銃火器。高威力サブマシンガンの群れ。


『君が生き残ることを希望しよう』


 そんな仮面の男の言葉と共に、俺へとポイントされた全ての銃器が火を噴――く、その寸前に疾走を開始する!

 俺はナノマシンの力で人の目では捉え切れないほどの速度で廃棄物の上を駆け、最も近い位置にいた黒服を薙ぎ倒そうと右腕を振り被り、振り抜き――

 銃火マズルフラッシュ

 黒服ごと全身を銃弾に蹂躙された。


「**!? *#**!?!?」


 明瞭な言葉にならない苦鳴を上げて吹き飛ばされる。廃棄物の山に叩きつけられる。

 目の前にミンチ肉になった黒服が降り注ぐ。

 恐怖。

 そしてそれはやってくる。


――!!!」


 絶叫。

 激痛と、それが癒されることに拠って発生する感覚の暴走! 肉が繋がるずるずるとした感覚! 神経の結ばる鋭痛! ミンチ肉。死にたくなるほどの狂気の感覚に全身が発狂を目指して只進む!

 だがそれすら許されない。【EVER】が、癒す。


「*********! **********************!!? ******!?」


 無限のような地獄に、異様に冷徹に響く雑音が過ぎる。



『ふむ。例え肉体が超人になろうとも、そのすべてが超人たりえるわけではないようだ。痛みは感じ、精神も超人たりえていない。どうにも、ちぐはぐだ。やはりある程度の訓練が必要なのか。短命でありながら、か』



 マナの声が聞こえる。


「クロウ! しっかりしてクロウ!!」

『おっと』

「放しなさい!」

『いや、放しはしないさフェアレディ―。逃げられては困る。イブキ・マナ。君には我々に協力する義務があるのだよ』

「嫌よ! あなたたちは約束を守らなかった!」

『不可抗力だ。それに――彼は、まだ生きている』

「っ!? まさか!」

『察しがいい。そのまさかだ。君が協力してくれないのならば、我々は秘密の保持のため君たち二人を殺さなければならない。尤も、彼の場合は放って置いても死ぬかもしれないが。しかし、我々が手を下せば、確実に死ぬ』

「嗚呼、嗚呼!」

『協力していただけるかな、イブキ・マナ?』

「クロウ……私は、私は……!」

『そのヒナギ博士の生死にかかわるが?』

「――くっ!」

『ん?』

「……何を、すればいいの」

気貴けだかい選択だ。既にこの一帯には【HOPE】が拡散してある。君はただ、唄えばいい』

「…………」


 唄う……誰が……マナが……今の、状態で……。


「――駄目、だ」


 潰れた喉で、音として成立しているかどうかも怪しい擦れ果てた言葉を紡ぐ。


「駄目だ……マナ。やめろ、やめ、るのだ」


 切れてしまった目蓋を上げ、如何にか世界を見る。震える彼女の姿が映る。

 俺は、必死に言葉を投げる。


「やめろ、マナ……だめだ……駄目、だ」


 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。やめるんだマナ。

 だがその思いも、言葉も、遠い彼女には届かない。


『さあ、どうしたのかね』


 雑音が言う。仮面が嗤う。


『存分に唄いたまえ、イブキ・マナ!』

「やめ――ろ!」

「――――」


 彼女は。



「――AAAaaaaaa――」



 唄った。

 唄ってしまった。


「マ――ナ!」


 叫ぶ。だが俺の擦れた声など、彼女の圧倒的な歌の前には届かない。

 だが。だが!


「マナ!」


 叫ぶ。

 届かないと知りながらも、必死に。

 何故ならば、俺は知っているからだ。

 この後に起きることを知っているからだ。

 だから叫ぶ。

 恐怖を、声に変える!


「マナ!!」


 ――届かない。

 無慈悲な現実の前に、俺は無力を噛み締める。

 僅かに力の篭る右腕が地面を掴み、新たなる痛みを生む。切れたか、千切れたか。だが今はそんなことは――



「――――」



 マナは唄う。唄い続ける。

 その乱れた精神状態で。

 俺が丸一日掛けて安定させた精神を失った状態で。

 唄う。

 それは。

 【歌】ではない。

 故に。

 危機は。危険は、具現化する。


『――これは?』


 仮面が気がついた。


『これは、なんだ!?』


 その声から、余裕が消し飛ぶ。当然だった。広がる世界の、いたるところが、泡立っていた。


「――ぁあ!」


 マナも気付き、その唄をやめる。

 泡立つ。泡立つ。世界が泡立つ。

 虹色に。

 黄金に。

 やがて。

 赤褐色に。

 ゾゾゾゾゾゾゾゾゾ……!!

 まるで億兆匹の蛆虫が這い回るような音が一帯に響き渡る。あらゆる場所から赤褐色の何かが溢れ出す。


「……最悪……だ」


 危機は、現実となった。

 【暴走】。

 もはや感情の起伏も失った絶望の脳髄が機械的にその言葉を提示する。

 【原初の揺らぎ】を、絶対の指向性として駆使できるのはイブキ・マナだけだ。だが、マナとてそれを完全に制御できるわけではない。心の落ち着いた、穏やかなときで無ければその歌声は――【暴走】を招く。それは俺しか知らないこと。俺だけが知っていればよかったこと。だが、こんなことに――


「――マナ」


 俺は残ってもいない力で、左手を茫然自失とするマナに伸ばす。

 だが、声も肉体も、届かない。


「――――」


 これより先、何がどうなるのか、俺には分からない。暴走した【HOPE】が何を為すのか、理論上無限に増殖し恒久的に存在するナノマシンが如何なる影響を世界に与えるのか、そこまでは俺には分からない。

 だが、だが。

 死ぬのならば。

 守ることすら出来ないのならば。

 その終わりはせめて、彼女の側で。


「……守りたかった」


 その一心を胸に俺は、彼女を見詰め。



「――ごめんなさい――」



 最後に、そんな言葉を聞いた気がした。

 押し寄せる赤褐色の波涛が、全てを覆い尽くした。



◎◎



「――そして、俺は【錆】に飲み込まれた。次に目が醒めたとき、【錆】の影響か俺は不死となり、世界の殆んどは【錆】へと沈んでいた。俺に残ったのは、この髪と瞳の色だけだった……」


 マナを守ることは出来ず。

 世界を、滅ぼしてしまった。


「償いに死を選ぼうとも、それは許されなかった。悠久の時を無為に生きた。やがて、【浄歌士】の存在を知った」


 【錆】を清める、【浄歌】の巫女を。


「それが、生き延びた意味かと、愚考した」


 マナを死なせ、世界は滅び、それでも生き延びたことには意味があるのだと、逃げるようにそう思い、逃避するようにその意味に縋った。あるわけも無いものに縋りついた。


「数多くの【浄歌士】と巡り合い、その誰も、世界を救うほどの力は有してはいなかった」


 【浄歌士】とは恐らく、マナと同じ【原初の揺らぎ】を歌うことのできる者であろう。でなければ【HOPE】の成れの果てである【錆】を清めることなどできまい。だがその力は、マナの領域には及んですらいなかった。


「それでも、諦め悪く、俺は世界を救えるものを求めた。旅のなか、俺の肉体は変容せず、代わりにあの装甲を――ナノマシンを鎧とする術を得て」


 そして。


「――そして」


 目前で、彼女は言った。星のような瞳を、厳しく細め、俺を睨むようにしながら。


「私を、見つけましたか」

「ああ」

「私に至りましたか」

「ああ」

「一つ、質問してもよろしいですか?」

「構わない」

「私は」


 彼女は。


「私はそれほどに」


 オーキッド・アイネスは。



「そのイブキ・マナという女性に――似ていましたか?」



「……ああ」


 俺は頷いた。

 マナと瓜二つの彼女に対して。

 彼女は。


「――ふざけないでくださいまし」


 パン。


「…………」


 俺の頬を、力無く打った。


「私は。私は――」


 彼女は。



§§



「私は。私は――」


 ヒナギさんの頬を打ったままの体勢で俯くそのときの姉さんは。


「私は――オーキッド・アイネスです」


 何故か、泣いているように見えた。




第三章、終

第四章へ続く

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