第5話 コウサ

 ぼっちで迎えた学校の一日の授業――それは宙果ちかにとっては学生の本分でありつつも苦行に近い――が終わり、これから楽しい楽しい放課後がやってくる。


 周りの目を気にしつつも慣れた足取りで宙果は教室を出る。

 これからの行動はできれば目撃されたくないというのが本音ではある。


 それは。

 あまりに馬鹿馬鹿しくて。地下室でほんとの地下アイドルをやっているという事実が。

 あまりに羞恥心を刺激して。自分の学校にはフリプリというメジャー級のスクールアイドルが存在するのに、それとは別に超マイナーアイドルをやっているという事実が。

 そしてあまりにもギャップがありすぎて。クラスでも浮いているというより空気扱いされている自分が、赤面症やらあがり症やらアイドルとして致命的な症状を抱えている自分がアイドル活動をやっているという事実が。



 だがしかし。宙果はそおっと、誰にも見とがめられないようにこっそりと部室へ向かうのはお手の物なのである。

 どうせ誰も宙果の行く先などは気にしない。誰も自分を見ていない。いわば開き直りの境地でもある。

 それでも周囲の気配を探ってしまうのは宙果の小心の賜物で、それでもやっぱり誰も宙果になど目を向けていない。


 が、今日は違ったようである。


藍良あいら……宙果ちか


 フルネーム以外一切の修飾を配した音声の組み合わせが宙果の背後から投げかけられる。イントネーション的に語尾も上がっておらず、それは問いかけであるような、事務的な確認であるような。


「ふえ?」


 その声に心当たりはないものの、紛うことなき自分の名前に反応して宙果は振り返る。それはそれは間抜け面であっただろう。


「藍良宙果で間違いないな」


 どうして同じクラスで、しかも何か月も過ごした相手にそこまで入念な確認が必要なのだろうと思わないではなかったが、相手の顔を見て納得する。

 公神きみがみ悟流さとる。他の生徒とほとんど接点を持たない孤高の生徒だ。他人に興味が一切ないとすら思えてしまうような生活態度。

 彼であれば、クラスメイトの名前をはっきりと覚えて無くても、顔と名前が一致していなくても不思議はない。

 宙果は納得しつつ赤面する。


「き、きみがみゅくん!?」


 がっつり噛みつつもなんとか反応できたのは、宙果としては奇跡に近い。無駄にミラクルを消費した。


「少し話がしたい。時間はあるか?」


 ぶっきらぼうな物言いに、宙果は戸惑い、自慢のあがり症を発揮する。


「え!? えっとその……あの……そのえっと……」


 言葉が一切出てこない。頭の中ではいろんなものがぐるんぐるん。


「急ぐことではないが、ゆっくりしている意味もない。

 今日がダメなら明日にするが」


 嫌なこと――なのかすら定かではないが、こういうものは先延ばしにするとどんどんと負荷が高くなるという打算を宙果はぐるんぐるんの中に見出し、なんとか返答する。続けざまの奇跡。


「だ、だいじょびゅ……です」


「ならついて来てくれ」


 悟流は宙果を追い越し、背を見せて歩きだす。

 顔が見えなくなったこと、一旦会話が中断したこと、ちゃんと応対できたことで落ち着きを取り戻した宙果は黙って後を歩く。


 二人が辿り着いたのは屋上だった。

 普段は施錠されているはずの屋上へのドアだったが、悟流はどのような手を使ったのか、鍵も持たずに開け放った。


 ドアを通り抜けた際に、微妙な違和感を感じた宙果だったが、これから何が起こるのか? という不安にそんな違和感は消え失せる。


「ここなら万一にも人に見られる心配はない」


 と悟流はひとりごち、ポケットから一枚の紙片を取り出した。


DownダウンStarスターというのが何なのかわからないが、これは君の写真だな?」

 悟流が見せたもの。

 それは、宙果たちが一応配る機会もあるかも、いやいつか配ろう、出来たら配ろう、アイドルって大体そんなことやってるし自分達も形から入ろうと、小遣いを出し合って――ほとんどは梅が出資したが――制作した彼女らの生写真の一枚だった。


「ど……」


 どこでこれを……。といいかけてはっと口を噤む。

 このタイミングでは宙果の男子生徒を前にまともにしゃべれなくなる症状が幸いした。

「ど」だけでは相手に意図は伝わらないだろう。ドーナツもあれば、ドンパンパンにも繋がる。


 宙果たちの生写真は流通していないはずである。

 まだその時ではないのだ。お遊びで作ったものの。限定的に配布はしたことはあるものの。

 まだまだ、流通されては困るのだ。

 写真が配布されたところで宙果たちの活動に興味を示す人間が数いるとも思えないが、まだひっそりと下積みを続けるのが自分達にはお似合いなのだ。

 だが、そんな事情は悟流には理解されないだろうし、してもらおうとも思えない。


 ありったけの勇気を振り絞り、宙果は悟流の手から生写真をひったくる。


「ひ、人違いれしゅ~!」


 それだけを小さな声で叫び、宙果は逃げ出すように実際逃走本能に掻き立てられながら、屋上を後にした。小走りで。

 途中階段でスっ転びかけたのだが、それは完全に余談である。




「どう? 春乃?」


 3曲連続で歌い踊り終えた梅が、汗を拭きながら春乃へと問いかける。


「どうも何も、自分でわかってらっしることでしょう?

 スクールアイドルとしては十分以上、フリプリのメンバーだったとしても目を惹くパフォーマンスですわ。デビューしてらっしゃるアイドルの中でもラムキュン以下の方は五万といらっしゃいますわよね。

 それだけの激しい踊りをこなしながら歌うなんて並みの高校一年生ではとても到達できないレベルですから」


「ずいぶん殊勝なことを言うようになったわね。

 歌もダンスもわたくしが一番ですわ、とか言うと思ったのに」


「実力ではわたしのほうが上を行ってる自信はありますわよ。

 だけどアイドルとしての華という面では、さすがにほんとうのアイドル志望者には劣る部分があることぐらいは承知してます」


「華か……。ねえ」


『ほんとうのアイドル志望者』や『華』という言葉に梅は敏感に反応する。


「あたしやっぱりセンター向いてないよね?」


 梅よりもセンターに相応しい金の卵を思い浮かべる。


「目立ちたがり屋さんの癖にですか?」


「何もセンターだけが目立ってるってわけじゃないし。

 あたしら、ダウンスターは三人揃って頂点を目指しつつもソロ活動も視野に入れたアイドルグループなんだし」


「そう言えばこの名前もどうかと思いますけどね。

 地下の星として地下アイドルの頂点極めるのなら絶好のネーミングですけど」


 と、春乃が部室の片隅に置かれた第一弾『ダウン☆スター』生写真の入った箱に目をやる。ちなみに第二弾はまだ開発されていない。


「本来の意味は明け星。D・a・w・n・☆・S・t・a・r。

 夜明けの星。輝ける未来。

 地上に舞い降りた夜明けの女神、あたしたち、ダウンスターです!」


 梅が何百回と練習してきた己らの決めポーズを決める。


 彼女らのグループ名の由来は、美を司る女神が守護する星、金星に由来する。

 が、宙果の早とちりと、梅のおっちょこちょいと、春乃の無関心により、第一弾にプリントされた綴りは『a』が誤って『o』となってしまっている。

『dawn』は夜明けを意味するが、『down』であれば下の方とかそんな意味に変わってしまう。

 まさに地下アイドルに相応しく、名は体を表すというところで、そんな表し方は嫌だ、と早々に修正なり第二弾の作成なりを進めたいところではあるのだが、第一弾の在庫が捌けていない状況で頓挫していた。


「そういえば、宙果のやつ遅いわね。

 なんか聞いてない?」


「さあ?」


 と春乃が首を傾げる。


「何も聞いておりませんわ。マット運動に興味がおありのようでしたから、また図書室にでも行ってるのではありません?」


「それならいいんだけど。早く来てくれないと揃って練習できないじゃない。

 あ、そうだ! 新バージョンの自己紹介作ったんだけど見てくれない?」


「いいですわよ?」


「キュン♡キュン♡キューン♡!

 あなたもあたしもハートがドキドキ!!

 あたしの視線でみんなのハートを狙い撃ち!

 完熟プラム、ダウンスターのレッド担当、なぎさプラムことラムキュンでーす!」


 萌えっ萌えの表情、口調、仕草、ぶりっ子を通り越してすがすがしいほどのアイドルらしさ――そんなアイドルは実際に居たら少々お寒い――をもって梅はその自己紹介を演じ切る。


「またお名前変えましたの?」


「本名のみぎわだとちょっとかわいさに欠けるかなって思ってね」


「それならばわたくしも新バージョンを披露しましょうか」


「おっ! あたしに対抗心を燃やしているな」


「そういうわけではございませんけどね。

 コールは三回、マイクを向けるのでよろしくお願いしますわ。

 それぞれ『可愛い!』『超絶可愛い』『愛してる』ですから。

 では、コホン……。

 ゆっくりめの手拍子お願いします。行きますよ~。

 はるのんの、環状線ゲーム~!」


「イエーイ!!」


「春乃のいいとこ上げてみて~♪」


「可愛い!」


「ハイハイ!」


「超絶可愛……」


「大変大変! 大変なの~!!」


 宙果が叫びながらドアを開けた。


「ハイハイ……、どうしたのです?」


 先ほどまでの媚びた笑顔を何処へやったのやら。春乃はテンションを一気に下げ通常モードで宙果を眺める。


「こ、これ……」


「あら? あたしたちの生写真じゃない?」


「それがどうかしましたか?」


「うちの、うちのクラスの男の子、公神くんが持ってたの!

 宙果たちがアイドルやってるのばれちゃったかもしれない!」


「別に隠しているわけじゃないからいいんじゃない。

 誰にも知られてないってだけで」


「悲しいですけど、それが現実ですからね」


「でもでも~。ちゃんと地上でライブやる自信がつくまではひっそりやろうって」


「まあね。だけどそれだけじゃあほんとにばれたのかどうかわかんないじゃない。

 お遊びで作ったプリクラみたいなもんだって思ってくれるかもしれないし」


「で、宙果は公神くんとどのような話をしたのですか?

 どんな流れでその写真が?」


「どうもこうもないよ! いきなり屋上に連れてかれて。

 これはおまえだろ! って突き付けられて」


「それから?」


「それだけだよ。もうパニックになっちゃって覚えてない」


「それだけではなんとも言えませんわね。

 彼ならそれを誰かに吹聴するとも思えませんし。

 特にわたくしたちが悪いことをやっているというわけでもありませんし。

 次に何か言ってきたらここへ案内するということでどうでしょう?」


「ここに?」


「ええ、わたくしがお話をしてみますわ。

 宙果には無理でしょう?」


「そうね、それがいいかもね。ってことでこの話は打ち切り!

 明後日のライブに向けて練習しましょ」


 納得のいかない表情を浮かべる宙果だったが、現に次のライブが迫っており、余裕があるわけでもない。

 しぶしぶ……と練習を開始し、やがて、迷いは吹っ切れて歌とダンスに集中し始める。

 そうしてしばしの間、三人で汗を流すのであった。

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