第4話 セッテン
教室を出て、悟流はある気配に気付く。
それは、
悟流自身、この感覚を言葉で表現することは難しく、またその機会もほとんど訪れず、その必要も九分通り存在しない。
この世界とは異なるドコカから、こつ然と姿を現す怪士。それがひとたび人前に姿を見せてしまえばこの平和で近代的な世界においてはパニックは避けられない。
妖怪や魑魅魍魎が跋扈していた中世以前とは異なるのだ。
幾ら、アニメや漫画などで人外なるものに再び抵抗力がつき始めた昨今とはいえ。
それが学園祭でも放課後フェスティバルでもなんでもない学校に出現したとなれば、大混乱に陥るのは目に見えている。
さらには怪士が人を襲えば、精神的被害のみでは収まらない。最悪その害は人命に及ぶ。
それを阻むのが悟流の役割であり宿命である。
気配を辿り、悟流はひとり校舎を歩く。学び舎を歩いて辿り着く。
そこはアイドルの巣窟。
悟流の学校が抱えている
感じた気配はその中から。
己のすべきことを為すためには、キャピキャピした女子高生でしかもアイドル――といっても悟流と同年代ではあるが――の群れの中に飛び込むことすら辞さない悟流ではある。
が、その必要はなく、それ以上に事を穏便に済ませる手段を彼は持ち合わせていた。
精神を集中し、【
教室をすっぽり覆う広さがあればいいだろう。
学内アイドルの総本山の前で佇む悟流に、通りがかった生徒から奇異なものをみるような視線が投げられるが、彼はいっこうに意に介さない。
通常空間であるこの世界と、【間】を行き来する瞬間。
その時だけを、見られなければよいのだ。
そして廊下に誰も居なくなったのを確認し悟流はそっとドアを開ける。
その向こうに広がるのは異空間。
それは教室であって教室ではない。学校の一部でありそうではない。地球上の一角であり、そうではない。
悟流が己の念で創り出した、彼のための空間である。彼が怪士を狩るための空間である。怪士が他の人間に害為すことを防ぐため、また、狩った怪士の死体の始末に手を煩わせないための空間である。
躊躇なく悟流は教室に足を踏み入れると、即座に後ろ手でドアを閉めた。
これで、悟流が望まない限りはこの教室内と外世界との接点は絶たれたということになる。
本来であれば、アイドルやアイドル候補生たちがたむろしているはずの教室に悟流以外の人けはない。
机や備品などはそのまま残っている。元々アイドルの詰所であるために、ライブで使う小道具のようなものや、ハンガーラックに掛けられた色とりどりの衣装が目につく。その光景は休日の教室、あるいは所属部員が授業を受けている間の閑散とした時間帯を思わせるが、本質が異なっているのである。
この場には悟流と、悟流の許可したものしか立ち入ることは許されない。加えて、悟流と同じように空間を操る能力を持った存在しか。
まだ怪士の出現まで多少の時間が残っているようだった。
悟流は戦闘に備えて、机を教室の隅へと片づける。
幾ら障害物があっても、どんな地形であれ戦えるだけの訓練を積んできてはいる悟流であったが、何もせずに待つのは手持ち無沙汰であり、時間つぶしが主目的の行為だ。
気配は感じるものの、まだ遠い。
ひとつ、またひとつと、たまたまいじめっこグループの中に一人で放り込まれて一緒に掃除当番を組まされたイケてない男子のように。
悟流は一人で黙々と机を、そして椅子を運んだ。
そうしているうちにその時が来る。
教室のほぼ中央、何もない空間。そこにひび割れが生じる。
ひび割れは、長さと幅をぐんぐんと増していき、歪な台形のような形を描く。
やがて縦が一メートル余りに拡大する。幅は広いところで数十センチ、上下に行くほど狭くなる。
ひびの中から緑色の武骨な手がゆっくりと出現した。
内部からひび割れをこじ開けるように、その両手が大きく開かれる。
やがてぽっかり空いた楕円の穴から、怪士が姿を見せた。
「…………」
悟流は怪士に対して語る言葉を持たない。その必要もない。
「ぶりぃぃぃぃじぃぃぃぃ」
怪士も悟流に伝えるべき言葉は持っていないであろうが、威嚇を兼ねてか奇妙なうめき声を発する。
対峙の、そして退治の時を迎え、悟流はポケットから、一本の木片を取り出した。
それだけで戦闘の準備は十全。
それを見て怪士も自らの得物を取り出す。より正確には己の精神で形作られた未知のエネルギーの刃を形成してみせた。
その長さは、八十センチ弱。怪士は両手を組み合わせ、一振りの剣を持つように構える。
「ほう……」
誰に聞かせるでもなく悟流は息を漏らす。
これほどまでの長い刃――悟流は次元刀と呼んでいる――を見たのは初めてである。
悟流も同じような刃を、手に持つ柄を憑代に、精神の力――念で出現させる能力を備えているが、その長さは精々三十センチ。
それでも公神一族としては優秀な部類に入る。過去の歴史を遡っても片手に入るほどの力。
刃の長さや太さが、そのまま強度、威力となり、そして精神の疲弊度にも繋がるのである。
そういう意味では、悟流と相対している怪士は、これまで相手にしてきたモノとは、それこそ別次元の強さを持っているのかもしれない。
が、如何に得物が長くても。
当たらなければどうということはない、ということを悟流は知っている。それは知識ではなく経験に裏付けられた本能的感覚でもある。
怪士が上段から振り下ろした次元刀を、悟流はサイドステップで軽く躱す。
完全に見切っていた。
ならばと怪士は剣を振り上げ、薙ぎ払い、突き、切り上げ、そしてまた振り下ろす。
悟流は飄々とそれを寸前で見切ってみせた。
振り上げた剣に対しては、バックステップで。踏み込んでの薙ぎ払いは上半身だけをスウェーバックして。
突きを体を捻って躱し、切り上げ、振り下ろしの連携を巧みに左右に躱す。いずれの動きも最小限。
紙一重で無効化している。
怪士の剣閃によって作られた風が悟流の前髪を揺らす。
これだけの次元刀の持ち主である。
あるいは、体術にも長け、実戦練習の相手ぐらいは務まるかと若干期待していたのだがどうやらそれは実らなかったようである。
(さすがにじじいを超える……わけはないか)
じじい――と悟流が呼んでいる――、すなわち実の祖父であり、悟流の師でもある
高代は老齢とはいえ、未だに並みの現役格闘家よりも優れた戦闘能力を持っている。
幼き日には、特訓と称してコテンパンにやられ、リベンジを誓ってまた破れと連敗の記録を更新してきた悟流であったが、数年前に高代に初めて勝利して以来、二人の実力差は開くばかりであった。
もちろん、悟流が高代にどんどんと差をつけていったのである。
百戦錬磨と本人が言う高代以外に悟流の相手が務まる人間には、人にあらざる怪士を含めても出会ったことがない。
スリルの無い戦闘は作業である。危機の存在しない戦いは己を伸ばす糧にはならない。
それは無為だ。
何も悟流は快楽殺人者ではない。それ以前に怪士に殺人という言葉が適合するのか? という問題はあるが。
悟流は戦闘快楽者でもない。それでもあまりに刺激が少ないと愚痴りたくもなる。
ともかく、倒すことが任務であり、宿命であったとしても。
赤子の手を捻るように。熱したナイフでバターを切るように――実際に悟流の次元刀は、怪士をいとも容易く両断するだけの切断力を持つ。あるいは、超有名&超有能&超コネのあるプロデューサーがバックについたアイドルが武道館での単独公演を行うように。
結果が決まりきっているのであればそれは生業ではなく、作業になる。
ひどくむなしい行為に思えてくる。
まだ幾らでも使い道のあるティッシュ配りならばともかく。例えば新築マンションのチラシ。最近ではチラシを配っても見向きもされないために、チラシを入れたビニールにのど飴などをいれて配ってくる業者などもいるが。必要とされるのはのど飴であり、チラシではない。
そもそもマンションなど、購入機会が限られており、チラシを見てその物件に興味を持ち、そして購入に至るなどという顧客はほんの一握りだろう。
だからこそ、あの手この手で――モデルルームを訪れれば新米2キロプレゼント、アンケートに答えれば商品券二千円分プレゼント――などという物欲につけこんだプロモーションが行われるのである。そしてあの手この手で囲い込んで――例えばローンを組めば今の家賃よりお安くなりますよというセールストークなど――購入へと導こうと画策するのである。
定期的に現れ、それを自分が事前に察知でき、放置することができず残らず駆逐せねばならない怪士という存在を倒し続けるという作業。
それは、悟流にとっては、文字通り掃いて捨てることが容易なチラシ配りと同じ。裏が白ければまだ使いようはあるが、最近はほとんど両面印刷である。
チラシの裏にでも小説なり落書きなり書いとけという心無い煽りにも適応していない。
悟流はマンションの営業社員と異なり、怪士の討伐数に応じて歩合給が付くわけでもない。チラシ配りのバイトのように、一日に配らなければいけないチラシのノルマが課されているわけではない。
ただ、現れたら倒すというそれだけの決め事は目の前を行きかう人々へチラシを配布する行為に似ている。。
悟流の知らないところで現れた怪士がどうなっているのかも気にしない。それは、自分の担当以外のマンションが売れようが売れまいが感知しないということと同意。
ただ感知することのできた怪士を狩るというだけの枷。営業ノルマ。
自分をマンションのチラシにまつわる人々と絡めてそんなことを考えたわけでは決してなかったが、悟流は次元刀を振るう。
はた目からは一振りに映るその一瞬で手首をひるがえし、二閃。
怪士の両の手首を斬り落す。
それで相手の武器は失われた。
闘志を損なうことなく、斬り裂かれた手首の付け根で殴りかかってくるかと思えた――実際にそのようなケースがほとんど――怪士だったが、悟流の目には奇妙に見える行為に及んだ。
両手を腹に当て、深く頭を下げたのだ。
それは、悟流の目にはお辞儀としか映らなかった。
怪士とお辞儀。奇妙なマッチングに悟流は内心戸惑いを隠せない。
何か攻撃に至る布石か? と警戒はし続けたもののどうやらその気配も感じない。
しばらくそのまま怪士を、呆けたように眺めていた。
やがてしばしの時が経ち。
怪士が、頭を持ち上げた。より正確に言えば持ち上げようとした。
その瞬間、悟流の本能が反応する。
さっと怪士への距離を詰め、その脳天に次元刀を突き刺し、絶命へと誘う。
ゆっくりと崩れ落ちる怪士の、その懐から。
大きなボロ布を纏って腰ひもを巻いただけの、原始的な服装とも呼べない怪士のその着衣から。
ひらりと何かが舞い落ちる。
まだ幾ばくか、命の灯の最後の一火の残る怪士の目はその紙片へと向かう。視線はその写真大の紙切れを捉え、それを掴もうと手を伸ばすのだが、それを為すための肉体――手首から先は欠けており。
さらには、その余命すらも果て。
怪士はどさり地面に伏する。何か思い残したような表情を浮かべて。
代わりに悟流はその紙片を拾い上げた。
そして理解不能に陥る。
それは悟流が見たことあるような、ないような。
少女の写真だった。
写真というよりも、生写真、ブロマイドだった。
悟流の思う、そして公神家一族が思う怪士とは決して交わることのないであろう、一品。
この状況にまったくもってそぐわない品物。
あるいはこのアイドルの詰所に元々あったものではないか? と記憶を辿るが、怪士は部屋の物には触れていない。
改めて悟流はしげしげと手元に視線を落とす。
右下に小さく文字が、素人くささの残るロゴデザインがプリントされ、ご丁寧にシリアルナンバーまで打たれている。
「D、O、W、N……ダウン……スター? No.002?」
明確に読み取れるその文字の並びを見て、悟流は一人首を傾げるのだった。
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