第3話 すれ違う二人

「えっと、たいそおたいそお……っと」


 宙果はジャージ姿のまま図書室に辿り着きで本を探していた。

『初めてのマット運動』、『優しいマット運動入門』、『図解! 器械体操』などなど。


 宙果の学校に体操部はないのだが、スポーツ入門書や指導者向けの書籍を集めた一角に数冊だけそれっぽい本が存在していた。


 宙果は適当にパラパラとページをめくり、適当にその中の一冊に絞る。

 彼女にとっては、バック転とバック宙が載っていればそれでよいのであり、側転とかブリッヂとかも準備運動程度にはいいかな? ぐらいの軽い気持ちである。

 コマ漫画のような写真つきでわかりやすかったのでそれに決めた。


「これでいいかな」


 ジャージ姿で、体操本をカウンターに出すとどこの部活? というような怪訝な目で図書委員に見られてしまう。

 が、文句を言われたわけでも、悪いことをしているわけでもないので多少気まずい思いをしつつも、宙果は手続きを終え図書室を後にした。


 とスリッパの踵をはためかせて走りながら、宙果は廊下の角を曲がった。


 ふと、人の気配。

 ぶつかる!? と、慌てて宙果は自身の体に急制動をかける。が、うまくいかず。

 結果として、前につんのめって転んでしまう。


「?」


 声をかけるでもなく転んだ宙果を見下ろすのはクラスメイトの男子。

 運動もでき、ルックスもそれなりに上位に入るのだが、根が暗いのか、あまり友達と話しているところも見たことがなく、そこそこ女子に人気はあるものの、あまり声を大きくそのことを公言できない謎めいた生徒。公神悟流さとるであった。


「き、きみがみくん?」


 尻もちをついたまま悟流に目を向けるが、悟流はただ黙って見下ろしていた。

 確か、宙果がこけていくはずだった方向には悟流が居て、そのままの位置関係であれば激突していたはずだが、今現在の悟流の位置は宙果の真横である。

 とっさに回避したのだろう。


 それだけの余裕があるのなら、自分を受け止めてくれれば……、と思わないでもない宙果だったが、それはそれでこっ恥ずかしいことになってしまいそうで、現にこけたという事実もそれはまた恥ずかしいといえば恥ずかしいのだが。


 思わず顔を伏せた宙果に「大丈夫か?」と小さな声がかかる。


「えっと、だ、大丈夫です」


 いろんな恥ずかしさが綯交ぜになり、宙果は顔を赤らめた。


「体操?」


 宙果が落とした本を悟流が拾いあげ、しげしげと眺めていた。


「あ!」


 瞬間、宙果の脳裏に体育の授業で華麗にバック転を決めていた悟流が思い浮かぶ。

 男子がマット運動をやっていた時に、同じ体育館で女子も別授業を受けていたことがあったのだった。


 公神君なら、バック転のやり方とか教えてくれるかも。とひとつの案が浮かぶが宙果は即座に心の中で首を振る。

 確かに、悟流の運動神経は他の男子と比べても群を抜いている。

 特に部活には所属していないようなのだが、何をやらせても運動部連中に引けを取らない。そればかりか、本気を出していないようにもとれる涼しい顔で様々な種目をこなすのである。マットの授業でも模範演技の実演役として教師に指名されるほど。

 それは、女子生徒にとっては憧れの対象となりうるものであり、男子生徒にとってはやっかみの対象になりそうなものだが、当の悟流は他人に思惑など気にしないという態度を貫いているようで、皆遠巻きに距離を置いて接していた。

 宙果にとってもつかみどころのない相手である。


「あ、あの……、あ、ありがとうございます」


 一応、落した本を拾った礼だけを口にし、宙果は悟流の顔も見ずにひったくるように本を奪うと、そそくさとその場を後にした。




「どしたの? 顔っていうか耳からなにから真っ赤じゃん?」


 部室――地下室――に戻った宙果を見て、梅が小首をかしげる。


「えっと、図書室の帰りに公神君に会って……」


「ああ、宙果が前から気になると言っていた人ですわね」


 春乃に言われて宙果はぶんぶんと首を振る。


「ち、ちが、そんなんじゃないって!」


 ストレートな物言いに顔の赤さが増したようである。


「あのこもあのこで、よくわからない人よね。

 結構恰好いいのに、全然女子に……っていうか、他の誰にも興味ないって感じだし」


「宙果とならお似合いのカップルになるんじゃありません?」


「えっ!?」


「そうよね。宙果もぼっち、公神君もぼっち。確かにお似合いだわ」


「ぼ、ぼっちじゃないもん!」


「でもお昼のお弁当はどうしてるのですか?」


「そりゃあ一人で食べてるけど……」


「公神君は?」


「誰かと一緒に食べてるとこ見たことない……」


「休み時間の過ごし方は?」


「一人で本読んだり……、ダンスや歌のイメージトレーニングとか……」


「公神君は?」


「教室に居る時は一人で窓の外とか眺めてるかな。

 突然一人で出ていくこともあるけど……」


「ほら、やっぱりお似合いですわよ」


「わたしは、放課後はこうやってみんなと一緒にアイドル活動やってるし! ぼっちじゃないし!」


「それにしても宙果って、公神君の事よく見てるみたいね」


「そ、そんなことないって! 放課後何してるとかどこに住んでるとか全然知らないし、聞いたこともないし!」


「それにしては顔が真っ赤っ赤ですわね。ラムキュンがメンバーカラーの赤をお譲りしなくてはならないほどに」


「そ、それは……」


 宙果は言い澱む。

 確かに自分が、悟流のことを気にかけていたのは事実だったりするのだ。

 だがそれは、好きとはほど遠い感情であるはずで。

 なんとなく自分と似た行動パターンに興味を持ってしまったのが発端で。

 見れば見るほど気になる存在であり、かつ話しかけづらいオーラを常に発しているのでなおのこと気になる存在になっただけであり。

 気になれば気になっただけ、なんとなく視線が向いてしまうだけであり。

 特別な感情に至っているわけではない。そのはずだ。

 とはいうものの、恋心のスタートとはそんなものかもしれない。


「うちは別に恋愛禁止してないけど、活動に支障がでないように気を付けてちょうだいね」


 内心では笑いをこらえながらも梅は真剣な表情で宙果に言い聞かせる。


「だから違うってば!」


「でも、宙果のあがり症を治すためには、特定の殿方と交際してみるのもひとつの手かもしれませんわね」


「あがり症だって治ってきてるもん! 宙果は恋愛なんてしてる暇ないもん。

 ライブに向けて一所懸命だもん!」


「はいはい、そういうことはちゃんと舞台で実力を発揮できるようになってから言いましょうね」


 梅が宙果に諭すように言う。


「あ、そういえば、宙果の牛乳いただきましたわよ。冷蔵庫の」


「え? 別にいいけど……。

 あれって、とっくに賞味期限切れてたはずじゃあ!」


「鉄の胃袋を持つのもまた大女優として必要不可欠なことですから。普段から鍛えてあるのでご心配は不要ですわ」


 そうなのかな? と疑問に思いつつも宙果は気持ちを切り替える。


「よし! 練習しよう!」


 と、借りてきたばかりの体操本を開くのだが。


「それは時間のある時に、ひとりで勝手に練習しといて。

 次のライブまでに間に合うわけないだろうし」


「そりゃそうだけど折角借りてきたんだし……」


「そんなことより新曲のフォーメーションよ。まだまだ動きにばらつきがあるからね。

 宙果だってまだ完ぺきに覚えてないでしょ。

 中途半端な状態で披露できないんだから」


 と、梅に言われて名残惜しそうに本を置く。


「セット!」


 梅の号令で、三人は気持ちを入れ替える。

 今までの雑談は部活――それは学校に認可されていないので部活ですらないが。

 部活まがいの学校生活の延長。

 だがここからはアイドルとして。

 たとえ客の視線がなくとも、練習時から本番さながらのイメージが必要なのである。

 たとえ、地下室の一角であっても、イメージは五大ドームの一角の華やかなステージなのである。


「ミュージックスタート!!」


 梅の掛け声に合わせて音楽を再生するような余剰人員は存在しないため、スイッチ係は宙果の役目である。

 拾ってきたラジカセの再生ボタンを押し、そそくさと定位置へと戻る。


 梅を頂点に。客席に向かって三角形を描くように。


 赤、青、黄色のトライアングル。


 イントロのリズムに合わせて、三角が逆三角形になり、そして横一列に開いていく。


 三人はそこにはいない観客に向けたとびっきりの笑顔で、踊り、そして歌を奏でていくのであった。

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