第2話 地中の原石たち

「あいっかわらず、体硬いわねぇ」


 体育倉庫からくすねてきたマットの上でペアで柔軟にいそしむ少女達を見守るのはこれまた少女。

 立って二人を見下ろす赤のジャージ姿。


 足を延ばして座り、必死で前屈しているのは青ジャージ。

 青ジャージの背をこれでもかといわんばかりに押して押して押しまくっているのは、黄ジャージ。

 原色甚だしい信号機トリオ。青ジャージ黄ジャージ赤ジャージ。


春乃はるのちゃん、もっと! もっと強く! 奥まで! これでも毎日お酢とか飲んで柔らかくなってきてるんだから!」


「そういうことなら手加減は致しませんわよ?」


「ちょ、タンマ! やっぱりほどほどに。ふぎぃ!」


 背中に春乃の全体重を乗せられて、うめき声を上げたのは、前屈全力頑張り中の宙果ちかである。


 やれやれと肩をすぼめた赤いジャージのうめは、そんな二人を横目に見つつ、自らもストレッチに取り掛かる。


 彼女ら三人が所属するアイドル研究会は学校法規的には非合法もいいところ。

 生徒会の認可も受けず、今は使われていない地下倉庫の鍵を入手して勝手に部室として使用しつつ、世を忍びつつひっそりと活動しているのであった。


「けどやっぱりマットがあると柔軟が捗るねえ!」


 宙果が目を輝かせる。が、そんな彼女に春乃が冷たく言い放つ。


「アイドルたるもの、これくらいは最低限やってもらわないと話になりませんわよ」


 お手本を見せてやるとばかりに、足を延ばした前屈でほぼ九十度に体を曲げ、さらに百八十度開脚したのちに、腰から胸から頭と、その全てをマットに接地させた。


「やっぱり春乃ちゃんはすごいなあ」


「関心してないで、宙果も練習しなさい。それくらいはあたしにだってきるんだから」


 梅に言われて、宙果はがばっと立ち上がる。


「柔軟だってしっかりやるよ。だけど折角マットが手に入ったんだし、今度のライブまでにアクロバットを取り入れようよ! 春乃ちゃんはバック転もできるんでしょ?」


「まあ、それなりには」


 と春乃は立ち上がり、マットの端へと移動する。

 道を開けた二人の前で、ロンダードからのバック宙を決めてみせる。

 地下室ならではの天井の低さを計算に入れた、抱え込み気味の回転力のあるキレ味するどい技構成であった。


「すごい!」と、宙果は素直に感心し、


「そういうのって所詮は飛び道具にしかならなかったりするのよね」


 梅は負け惜しみにも似た台詞を残す。


「でもやっぱりすごいよ! あたしもバック転やりたい!

 春乃ちゃん教えて!」


「そういわれましても。特に基礎から学んだわけではないので、人に教えるようなことはできませんわ。それにバック転ではなく今のはバック宙ですから」


 と、春乃は控えめに訂正をするのだが。


「そうだ! 図書館に行ったら体操の本とかおいてるかな? バック転のやり方載ってるかな?

 ちょっと図書館行ってくる!」


 と、宙果は部室を飛び出そうとする。


「ちょっと! あんたジャージ! そのまんまの恰好で行くの!?」


「大丈夫! まだみんな部活やってる時間だから!」


 振り返りもせずに宙果は後ろ手に扉を閉めた。


「ほんっとに。思い込んだら一直線。

 やる気だけはあるのよね。あの子」


「やる気だけはありますわね」


 釣り目気味の瞳に若干の憂いを浮かべた梅に、たれ目気味の瞳を若干釣り上げた春乃が応じた。


「次のライブねぇ……」


「宙果はやる気になってるようですからね」


「またあの人達? の前でやるのよね」


 ポニーテールをいじりながら梅が呟き、


「それもまたひとつの経験ですわ」


 と長めのボブをかきあげながら春乃が答える。


「歌もダンスも伸びてはいるし……」


「素材としては申し分ないですわね」


「いつかセンターを張れるだけのこだとは思ってるんだけど」


「あら? ならばすぐにでもお譲りになればいいのではないかしら?」


「春乃だってわかってるでしょ。今のあのこにセンターなんてやらしたらどうなるか。最悪潰れてしまうわ」


「時には劇薬だって必要ですわよ」


「あんたはいいわよ。うちが無くなったって他のグループに移籍すればいいだけなんだから。

 それだけの歌唱力、ダンスパフォーマンス、加えてアクロバット、それにバレエに楽器も弾ける」


「全部独学の我流ではありますが」


「『フリプリ』からの勧誘も受けたんでしょ?」


「丁重にお断りしましたけどね」


『フリプリ』、正式名称『フリープリズム』とは、彼女らの学校で正式に認可され、活動しているスクールアイドルグループ。

 学業との両立の観点から、近隣地域でしかイベントを行っていない。が、それでも数百人のファンを動員し、さらに絶賛人気拡大中の話題のアイドルである。


「それを言うのでしたら、梅だって……」


 と言いかけた春乃を梅が制す。


「ちょい待ち、アイドルしてる時はその名前は出さないで。地味に気にしてるんだから」


「はいはい。ラムキュンだって」


 と、春乃は言いなおす。ラムキュンは梅のニックネームだ。プラムからラムになり、ラムキュン。梅ちゃんでは華がないと、彼女自身で考案した彼女にとってはお気に入りの愛称である。


「お受けになったんでしょう?

『フリプリ』のオーディション。いいところまで行ったとかお聞きしましたわ」


「宙果から?」


「ええ、最終までは残ったけどそこで落されたとか」


「あと一歩だったんだけどね……」


 梅があと一歩と思い浮かべているのは自分の事ではなく、二次オーディションで落ちた宙果のことである。一次は書類。

 二次で人柄とやる気、その他個性などを計る面接。二次を超えれば最終オーディションでようやく歌とダンスを披露する機会が与えられる。

 宙果も二次をクリアすれば、おそらく最終は通っていたと梅は思っている。

 そこで自分の価値を見出して自信に繋がれば未来は明るいと思い描いていた。

 が、宙果は二次で落ちてしまった。

 梅はそれに付き合う形で最終オーディションを辞退し――そのことは内密にしている――、こんな辺鄙な場所で人知れずアイドル目指して奮闘中なのであった。


「って、あたしのことはどうでもいいのよ。

 はるのんも売れたいんだったら、さっさとフリプリに行っちゃえばいいのよ。

 あんただったら、センターは無理でも選抜メンバーにぐらいすぐに選ばれるわ」


「わたしの志はアイドル界の頂点ですからね。フリプリでは役不足ですわ。

 そしてゆくゆくは銀幕スター」


「だったら演劇部にでもいけば? アイドルやっても遠回りにしかならないでしょ?」


「今の年齢で女優になっても稼げる額はたかが知れてますから。

 アイドルとして芽を出して、いずれ作詞作曲も自分で行い、印税収入で一儲け。

 話題を作ってから、女優として評価を得る。初主演作品で新人賞受賞。そしてゆくゆくはハリウッド進出。ビバリーヒルズで悠々自適な老後。

 ちゃんとプランは立ててますのよ」


「天才肌のあんたが言うと冗談に聞こえないのよね。

 それなら、なおのことこんなとこでこんなことやってる暇ないような気がするけど?」

 と梅は柔軟にいそしむ春乃を顎で指す。自らも柔軟体操をしながらだ。


「その言葉そっくりそのままお返ししますわ」


「あたしはね、宙果がアイドルやっててくれたらそれでいいの。あのこの小さい頃からの夢だから。

 センターだっていつかは譲ろうと思ってる。

 そのためのお手本として、サポート役として一緒に付き合ってるだけだから」


「その割には、前回のライブノリノリでしたわね」


「話をはぐらかさないで。春乃はどうしてここに居るの?」


「……。おそらくラムキュンと同じ理由ですわ。

 総合力ではわたしには及ばないものの、アイドルとしては一兆カラットの原石。

 今はまだ地中に埋まって掘り起こされていませんけど。

 宙果が地上に出て、磨かれて輝きだした時には恐ろしいだけの才能が発揮されるはず。

 そこがわたしのスタートラインですからね」


「あくまであたしたちの……じゃないのね。まあいいけど。

 結局問題はそこよね。いつスタートラインに立てるのやら」


「着実に成長はしてますわよ。

 ようやくライブを行うところまではこぎつけましたから」


「ほんとの意味での地下アイドルだけどね」


 梅の言葉を受けて、ふふふと謎の余裕の笑みを見せた春乃は体をほぐしながら立ち上がる。


「喉が渇きましたわね」


 と部室の隅に置かれた冷蔵庫(拾い物)へと向かう。


「この牛乳戴いてもよろしいかしら?」


「宙果のだろうけど、いいんじゃない?」


「では遠慮なく」


 と、春乃は紙パックに口をつけ、ひし形にあけた飲み口から直接牛乳を流し込む。


「あっ! だけどそれって先週からずっと入りっぱなしだったかも!」


「大丈夫ですわ。腐った牛乳かそうでないか。

 それを見極めるだけの嗅覚も鍛えてありますから。もちろん我流ではありますが」


 ほんっとに大丈夫? と顔をしかめる梅を他所に、春乃はゴキュゴキュと賞味期限切れの牛乳を飲み干すのだった。

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