真夏の潤い(7)

 翌日、僕はとても憂鬱だった。こんな気持ちで登校するのは定期試験のときくらいだ。昨日の夕方のこと、僕は自宅に着くなりパソコンを立ち上げ、インターネットを使って自分の考えが正しいのか否か調べてみた。できることなら杞憂に終わってほしいという僕の願いが完全に打ち砕かれた瞬間、僕が取るべき行動は何なのか、僕は僕自身に辛い選択を迫らなければならなくなった。一瞬、今回の件については僕一人の胸の中にしまいこんでしまおうかとも思ったが、今ここで僕が口を噤んでえば、おそらく半永久的に、少なくても僕たちがうちの学校を卒業するまでの間は真実は伝わらないと思う。そして、幾人もの人が抱いている疑問や誤解は解かれぬまま、釈然としない思いだけがいつまでも心の中にくすぶり続けることだろう。しかしながら、僕の口から真実が明かされれば、誰かの疑問や誤解は解かれるかもしれないが、同時に誰かを傷つけてしまうことは想像に難くない。

 今回の件で誤解が生じてしまった原因は、僕たちが上原さんのことについて何も知らなかったことにある。……いや、むしろ彼女自身が知られることを望んでいなかったと言ったほうが正しいだろう。人は誰しも大なり小なり他人には絶対に知られたくない秘密を抱えているものだと思う。もし仮に、秘密を隠し通すことで生じる誤解と、秘密を明かすことで失う何か、この2つを天秤にかけたとき、相手との関係を円滑にするために後者を犠牲にすることが簡単にできるのだろうか。上原さんの場合、秘密を知られないために前者を犠牲にしたことで今回のような気持ちのすれ違いが生じてしまったわけだが、僕は彼女の言動を責めるつもりは全くない。なぜなら、上原さんが隠している秘密は、僕がどんなに想像したところで、彼女の置かれた立場や苦しみ、そして心の傷はそう簡単に理解することができないくらい重たいものだからだ。

 教室に入ると、いつものように武ちゃんと直樹、そして戸塚がすでに登校していた。一夜明けて気分が落ち着いてきたのか、さすがに昨日のように不快感を露骨に表すような様子はなかったが、まだ本調子とまではいかないらしく、僕と武ちゃんと直樹が他愛のない話をしていても会話に参加しようとはせず、ムスっとした態度で黙って机に座っているだけだった。こんな戸塚を見るのは初めてだ。

 「おはよう」

8時20分過ぎ、上原さんの柔らかなソプラノの声が教室に響き渡った。僕は会話を途中で打ち切り、よけいなことは考えず、ほとんど勢いに任せて上原さんの席に向かった。

「登校してきたばかりで悪いんだけど……」

と話しかけると、突然呼びかけられたことに驚いたのか、「ん?」とやや裏返ったような声を出した。

「……ちょっと話したいことがあるんだけど、ここじゃ言いにくいから、突き当りの特別教室まできてくれないかな……」

一瞬の沈黙の後、「いいけど……」と上原さんは怪訝そうな様子で立ち上がった。

「戸塚も……」

隣で黙って座っている戸塚にも声をかけると、「……私も」と呟き、一瞬躊躇したような雰囲気を感じたが、しぶしぶといった様子で黙って椅子から立ち上がった。

 特別教室に入ると、上原さんは出入り口に一番近い席に、戸塚は教室の奥の窓側の席にそれぞれ座った。僕は彼女たちのちょうど中間に当たる教卓に腰掛け、2人と向き合った。

 呼び出したまではよかったが、いざ彼女たちを目の前にすると、どう切り出していいのかわからず、僕は言葉に詰まってしまった。もしかしたら、僕はとんでもない間違いを犯してしまったのではないかとの後悔が、心の中で芽生え始めていた。僕としては、戸塚が抱いているであろう上原さんに対する誤解を解くことばかりに心が奪われ、肝心な上原さんの気持ちを思い図ることを疎かにしていたような気がしてきた。本来なら、まずは上原さんと2人きりでこの件について僕の私見を述べ、彼女の意志なり気持ちなりを確認した上で、戸塚を交えて真相を伝えるなどの段階を踏まなければならないところだが、気持ちばかりが先走り、冷静な判断を欠いてしまったばかりに、順序を誤ってしまった。しかし、2人を呼び出してしまった以上、今更後戻りはできない。

「……何なの?」

戸塚が不機嫌そうな呟きを漏らした。僕は覚悟を決め、小さな深呼吸の後、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。

 「ここにきてもらったのは他でもない、昨日の15分休みのことで聞いてほしいことがあったんだ……」

2人に向かって話しかけたつもりだが、彼女たちからの反応はない。僕は上原さんのほうに顔を向け

「今から話すことは、あくまでもオレの推測で、もしかしたら上原さんのデリケートな部分に土足で踏み込むようなことをしてしまうかもしれない。上原さんの気持ちを考えずに先走ったことをしてしまったことについてはとても申し訳ないと思っているんだ。……ただ、オレとしては、昨日の一件で2人の間に起こってしまった誤解をできるだけ早く解いてあげたいって思ってのことなんだ……、だから、そのオレの気持ちだけは信じてほしい。……それと、もしオレの言っていることが間違っていたら、そのときは遠慮なく指摘してほしい……」

僕なりに上原さんの気持ちを尊重して心を砕いて言ったつもりだが、彼女からは何も応答がなく黙り続けている。

 僕は沈黙に耐え切れなくなり、このまま本論に入ってしまおうと、戸塚のほうに顔を向けた。

「昨日の15分休み、戸塚は上原さんにバレー部に入らないかと勧誘した、ただそれだけだ。……でもな、戸塚、上原さんはバレーボールはしちゃいけないんだよ」

「……でも、中学生の頃はバレーボールやってたって言ってた」

戸塚がむっつりと不快そうな低いトーンで反論した。

「中学生の頃はできても、うちの学校に通うようになってからはできなくなっちゃったんだよ」

「それって顔にボールが当たっちゃいけないとか、そういうこと? ……それならそうと言ってくれればいいじゃない……」

視覚障害者の中には、顔面にボールが当たるなど、目に強い衝撃を与えてはいけない人がいる。衝撃を受けることで網膜が剥がれたり眼圧が上がってしまう危険性があるからだ。

 僕は戸塚の疑問は少し横に置き

「……多分、いつもの上原さんだったら君に対してあんな態度はしなかったと思うんだ。上原さんの言い方がきつくなってしまったのは、ここ最近気温が上がって蒸し暑くなったせいなんじゃないかと……思うんだ」

「……どういうこと……」戸塚は虚をつかれたようなかすれた声音で聞き返した。

「……この時期、気温が上がって蒸し暑くなって、喉が渇きやすくなっても、オレたちならすぐに冷たい物でも飲んで涼しさを感じたり喉を潤したりできるけど、……上原さんはどんなに暑くても、どんなに喉が渇いても、あまり水分は取っちゃいけないんだよ……」

上原さんは沈黙したまま、僕の話を否定してくれなかった。彼女は僕の話を聞きながら、どんなことを思い、何を感じているのだろう。今まで隠してきた、誰にも知られたくなかった秘密を暴かれることへの抗議の眼差しを向けているのか、それとも聞きながら悲嘆にくれているのか、上原さんの姿を視覚で確認できない僕には何も察することができない。

 僕はおずおずと上原さんのほうに再び顔を向け

「滝沢さんから聞いたんだけど……、月曜日の放課後、滝沢さんがおごってくれた缶ジュースを着き返したのも、同じ理由……なんだよね」

「……うん」

上原さんは力なくぼそりと呟くように応じた。ここまで話したところで思い当たることがあったのだろう、戸塚は「……えっ!」と驚きの声を漏らしたかと思うと、上原さんのほうに向かって

「上原さん、人工透析受けているの……!?」

「……うん」

 昨日の夕方、僕と戸塚はランプの会の事務所で偶然宮城先生と知り合った。そのとき宮城先生は出されたお茶には手をつけなかった。理由を聞くと、宮城先生は日頃の食生活に加え、過労やストレスが引き金となり、10数年前から糖尿病を患っていた。発症後は食事療法や運動療法を取り入れるなどして積極的に治療に専念してきたが、去年病気が悪化してしまい、人工透析をするようになってしまった。

「昨日のことなんだけど、オレと戸塚が委員会の関係で出かけた先で、たまたま出あった人が人工透析を受けていたんだ……」

「……そうなんだ」

「その人も、人工透析を受けていることを理由に、出されたお茶に手をつけなかった。そして、その人と握手しようと手を伸ばしたとき、手首から携帯電話のバイブレーションのような振動を感じた。一昨日の昼休みに上原さんの手首に触れたときにも同じ振動を感じたから、もしかしてと思って、昨晩インターネットを使って調べてみたんだ……」

「……手首の振動って……何?」と戸塚が旨が押しつぶされたような弱弱しい調子で質問した。僕は昨晩勉強したばかりの知識を元に

「腎臓は、血液を濾過して、溜まっていた汚れを排泄する働きをもった臓器なんだ。人造が機能しているおかげで、体の中にはいつでもきれいな血が流れている。……しかし、病気など何かしらの原因で腎臓が機能しなくなった場合、人工透析治療が必要となる。人工透析は、何時間もかけて体の中の血液を機会で濾過して再び体内に戻す治療なんだけど、通常の血管では充分な血液流を確保することができないから、シャントといって、動脈と静脈を縫い合わせることで、大量の血液を体外に出すことができるようになる。このシャントには常時大量の血液が流れているから、手首に触れると振動を感じるんだ」

狭い特別教室の中に僕の声だけが響き渡る。上原さんも戸塚も黙ったままだ。何も反応がないから、話していても彼女たちがどういう気持ちで受け止めているのか全く理解することができず、不安感ばかりを募らせていた。せめて表情だけでも分かれば気持ちを察することができるのに、それができないのが歯がゆくてたまらない。無反応のプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、僕は話し続けた。

「シャントは皮膚のすぐ下にあるから、絶対に手首に強い衝撃を与えてはいけないんだよ。……バレーボールは、向かってくるボールを受け止めたり、思い切りスパイクしなければならないから、上原さんは戸塚の誘いを断らざるを……」

 「私はね……」

突然、上原さんの小さいながらもしっかりとした声音が耳に飛び込んできた。話すことばかりに心が向いていた僕は、ふいに聞こえてきた上原さんの声に思わず口を噤んでしまった。

「私はね……、小学校6年生のある日、突然体調を崩して1週間くらい学校休んだの。40度くらい熱が出てちっとも下がらないし、体中痛いし、横になっても眩暈がして落ち着かなくて、とっても辛かった。……それでも、お医者さんとお母さんたちの看病のおかげで数日後には熱が下がって、痛みや眩暈もなくなって、またいつものように学校に通えるくらい元気になれたの。でもね……」

上原さんの声のトーンが急に下がった。きっとこれから話すことについてはまだ気持ちの整理がついていないのだろう。ほんの数秒の沈黙が、彼女の心の中の動揺を表しているように思えた。

「なんだかとても喉が渇くようになっちゃったの。今までそんなこと全然なかったのに、無性にお水が飲みたくなって授業に集中できなくなったり、夜中に喉の渇きで目が覚めて、その都度お茶とかジュースを飲むようになっちゃったの。それに……、水分を取りすぎるせいでお手洗いにもよく行くようになっちゃって……。最初のうちはまだ完全に治りきっていないだけで、放っておけばそのうち治るだろうって楽観的に考えていたんだけど、何ヶ月経っても一向に喉の渇きは治まらなくて……。頻繁にお手洗いに行ったり、毎晩夜中に起き出してお茶やジュースばかり飲んでいる私を見て、さすがにおかしいと感じたお母さんに促されて、病院で再検査を受けることになったの。……、そしたらね、私がかかっていた病気ってウイルス性の感染症だったんだけど、そのウイルスに抵抗するための免疫が私の膵臓に悪影響を及ぼしちゃって、血液中の糖分をコントロールするインスリンが分泌されなくなっちゃったの……」

「……その感染症にかかると、みんな膵臓が悪くなっちゃうの……?」と戸塚が遠慮がちにか細い声で尋ねると、上原さんは「ううん」と否定し

「感染症そのものが原因ってわけじゃないの。体の中にウィルスが入ってきたとき、そのウイルスに抵抗するため免疫が作られるんだけど、時々その免疫がウイルスだけじゃなくて、体にとって必要な組織にも影響を与えてしまうことがあるらしいの。私の場合は、インスリンを分泌するために必要なランゲルハンス島って組織に免疫が悪影響を及ぼしてダメにしてしまったの……」

 このとき、8時30分を知らせるチャイムが鳴った。本来なら教室に戻らねばならない時間だが、僕も戸塚も立ち上がる気にはなれず、途切れ途切れながらも話し続ける上原さんの声を一心に聞き続けた。

「……それから毎日インスリン注射をしたり、食事制限をしたり、私の生活はガラリと変わってしまったの。……でも、情けない話、私甘い物大好きだし、面倒くさがりなところもあるから、誘惑に負けてこっそりケーキとかクッキー食べちゃったり、インスリン注射も適当にやっていたの……。それがお父さんやお母さんに見つかると『もっと自分の体を大切にしなさい!』ってとても厳しく怒られるんだけど、食べたいものを我慢しなければならない辛さにストレスを感じていたし、インスリン注射で毎日痛い思いしなければならないことに憤りを感じてもいたから、当時はお父さんたちの忠告をあまり真剣に聞いてなかったの。『お菓子食べたくらいでそんなに怒ることないじゃない。注射だってちょっと体調悪くなったときにすれば平気だよ』みたいな……。そんないい加減な気持ちでいたから、思うように治療の効果が上がらなくて……、中学3年生のときに合併症で網膜と腎臓もダメにしちゃって……」

当時のことを思い出して感情が不安定になったのか、それまで小声ながらもしっかりした口調で話していた上原さんの声が震え始めた。感染症を引き金に、膵臓疾患による糖尿病の発症、インスリン注射や食事制限、そして失明と透析治療……。いくら推測していたとはいえ、彼女自身の口から語られる生々しい事実にすっかり動揺してしまい、僕も戸塚もかける言葉がなく、しばらくの間上原さんの鼻をすする音と微かな嗚咽が聞こえるのみだった。

「腎臓ってね……」と上原さんは鼻をすすりながらもどうにか落ち着きを取り戻した声音になり

「腎臓ってね、血液の中の老廃物を取り除くだけじゃなくて、体の中の余分な水分を排泄する働きも持っているの。……でもね、透析治療を受けるようになると、腎臓の機能が完全に停止しちゃうから、……おしっこが出なくなるの。……排泄することができないから、必要以上の水分を取りすぎると、どんどん体の中に溜まって、場合によっては肺や心臓に水が入り込んで危険な状態になるの。だから……夏になって蒸し暑くなると昔のように思う存分お茶とかジュースが飲めなくてイライラしちゃって……、全部私が悪いんだけど、ちょっとしたことでも過敏になっちゃってついきつい態度になっちゃうの、……私が悪いの……、本当にごめんなさい……」

「上原さんは悪くないっ!」

ほとんど叫び声のような口調で戸塚が言い放ち、僕はビクッと身を硬くした。上原さんも戸塚の言葉に驚いたのか、言葉を失ったように黙りこくってしまい、聞こえるのはわなわなと震えるような声音で「私……私……」と呟く戸塚の声だけだった。

「……私、上原さんにひどいこと言っちゃった……。そんな辛い状態なのに……私ったら感情的になって頭に血が登っちゃって……、全然配慮がなさすぎた……、悪いのは私のほうなのに……」

「そこまで自分を責めることはないよ」と僕は口を挟んだ。

「戸塚だけじゃなくて、オレだって昨日までは上原さんの状態なんて何も分かっちゃいなかったんだよ。結果として上原さんに不愉快な思いさせちゃったけど、戸塚は知らなかったんだから……」

「違う!」と鋭い声が飛んだ。もはや戸塚は涙声だ。

「知らなかったからって言っていいことと悪いことがあるの! 自分の障害のことなんて他の人に言いたくないじゃない! ……私だって、自分が弱視ってハンディ持っていること他の人に知られたくないもん! 今までだって、私が弱視だって分かったとたん、掌を返したように急に私への態度が変わって、同情されたり、よそよそしくされたことがあって、ものすごく不愉快だったし、とても傷ついたもの……」

 一瞬の沈黙を挟んで声のトーンは急激に下がり、「ごめんね……ごめんね…」と戸塚は泣きじゃくりながら謝罪の言葉を繰り返した。きっと戸塚は、いくら知らなかったこととはいえ、上原さんに対してあまりにも不用意で無知な発言をしてしまった自分自身が許せないのだろう。もしかしたら、僕たちは単に気づいていないだけで、不十分な認識や思い込みが元で、知らず知らずのうちに相手の心を傷つけるような言動をしているのかもしれない。知らないことが誤解やすれ違いを生み、知らないことが思い込みやステレオタイプを作り、知らないことが差別や偏見に繋がる……。

 時折、「伝えないほうが悪い」・「事前に教えてくれれば」と言う人がいるが、これは自分の無知さから出てしまった言動を正当化するための開き直った言い訳に過ぎない。上原さんや戸塚、そして僕が抱えている心の傷なんて他人には知らせたくないし、知らせなかったことで他人に攻められる筋合なんてないはずだ。

 左斜め前から「ガタリ」という音が聞こえたかと思うと、続けて「直ちゃん」と上原さんは戸塚に声をかけた。

「……泣かないで。私、あなたのその気持ちに気づくことができてとっても嬉しいの」

「……えっ……?」

「直ちゃんの言うとおり、私も自分が透析患者なんて絶対に誰にも知られたくなかった。透析って、ほぼ1日おきに病院に行って3~4時間かけて治療しなければならないから、時間的な制約は大きいし、食べ物や飲み物についても厳しい制限があって、それを疎かにしたら命そのものが危なくなるから、私くらいの年で『透析やってます』なんて知られたら、なんだか一人の人間として当たり前な付き合い方をしてくれないような気がして怖かったの。……でもね、沢木くんのおかげでこうして話す機会に恵まれて……、どんな反応されるかすごく不安だったんだけど、あなたは動揺したり引いたりせずに真正面から受け止めてくれた。真正面から受け止めてくれたから、ちょっと感情が乱れちゃったんだよね……。そんな直ちゃんの真っ直ぐ差を感じることができて、私とっても嬉しかったの……、だから泣かないで……」

「うん……」と鼻をすすりながらも戸塚は徐々に落ち着きを取り戻し始めた。

「触ってみて」

上原さんの言葉に戸塚は「……でも」とやや躊躇しているような声音で応じた。

「私のシャントを触ってみて。これは私が透析患者だって証拠みたいなものだけど、このシャントから伝わる響きは私の体に流れている血液なの。この響きは私が元気に生きているって証でもあるのよ、だから……」

数秒の沈黙の後「ありがとう」と柔らかな声が響いた。

 おそるおそる教室のドアを開けるとすでに朝のショートホームルームの真っ最中だった。僕たち3人が入るや否や「君たち!」と原田先生の厳しい声が飛んできた。

「どんなに早く登校しても、8時30分に教室にいなければ遅刻したのと同じなのよ」

との叱責にどう返答したものかとおろおろしていると「ごめんなさい」と上原さんが割って入り

「私のことで2人に相談に乗ってもらっていたんです。いろんなこと話していたらつい長くなってしまいまして……、すいませんでした」

上原さんの言葉に原田先生は「……そう」と呟き、何かを察したらしく「とにかく席に座りなさい」と促した。

 僕が自分の席に向かいかけたところ、原田先生は「上原さんと戸塚さん」と彼女たちを呼び止めた。

「あなたたち目が赤いわよ。席に着く前に顔洗ってらっしゃい」(続)

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