春の快メール(13)

 ゴールデンウィーク明けの月曜日の放課後、僕と戸塚は第1回目の創立120周年記念事業委員会の会議に出席した。会議では各クラスの委員の自己紹介から始まり、担当の先生から委員会の趣旨説明、そして委員長はじめ各自の役割分担が決められた。僕と戸塚は記念誌作成担当になり、秋に行われる文化祭までに在校生や卒業生、そしてゆかりのある先生などから原稿をいただき冊子にまとめなければならないのだが、原稿の執筆依頼に回収、そして点字・活字・録音版の編集作業と、会議が進むに連れて僕はだんだん憂鬱な気持ちになってきた。

 会議終了後、僕と戸塚は口々に「貧乏くじ引かされたな」と愚痴りながら支度をし、そのまま一緒に外に出た。帰り道、5月にしてはやや生ぬるい風が強く頬を打ち付ける。連休明けなのに、さわやかな新緑というより、梅雨の訪れを感じさせるような気候だ。

「今年は暑くなりそうだねー」

「天気予報じゃ明日は雨らしいぞ」

と僕が言うと戸塚はややむくれたように

「えー! 明日のバレー部は体育館使えないからグラウンドで練習することになっていたのに、ついてないな……。そしたら機能訓練室でひたすらトレーニングかぁ……」

戸塚はいかにもがっかりしたような様子で肩を落とした。うちの学校には上肢や下肢に障害をもっている生徒もおり、生徒によってはリハビリテーションを目的とした運動の授業が組まれている。その授業で使われるのが機能訓練室で、筋力をつけるための各種トレーニング機器をはじめ、ルームランナーやエアロバイクなども設置されており、ちょっとしたトレーニングジムのような雰囲気だ。戸塚が所属しているバレー部は主に体育館で練習するのだが、他の運動部との兼ね合いでグラウンドで練習することがある。そのときに雨が降ってしまうと、その日の練習内容はただひたすらトレーニングするだけになるらしい。戸塚はバレーボールは大好きだが、ランニングや筋力トレーニングは大嫌いなのだ。

 「そういえば安藤さん元気?」

と戸塚が急に話題を変えた。10日ほど前の土曜日に例のメールの件については一応の決着は見たが、僕も戸塚も何か煮え切らないような後味の悪い思いを引きずっており、あの日を境にこの件についてはお互い話題にしなかった。

「知らない」と僕はそっけなく答えた。

「なんで! 部活で会ったりしてないの?」

「先週の火曜日は眼科の定期健診でオレ休んだろ。その後すぐに連休に入ったから、明日2週間ぶりに会うんだ」

つまり、僕は安藤さんにこの件の真相を話していなければ、本人にも全く会っていない。

「……やっぱり私、岡島さんによけいなこと言っちゃったよね」

戸塚はまだ気にしているみたいだった。3年間クラスメイトとして戸塚直子という人間に付き合ってきて僕なりに分析したことだが、彼女はとにかく真っ直ぐで純粋な性格の持ち主だと思う。よいことは積極的に自分の中に取り入れようとする、合点のいかないことは納得するまで追及する、悪いことはどんな理由があろうとも許さない。そして自分の気持ちに嘘をついたりごまかすことができないし、そういうことをする人を理解することができない奴だ。そんな自分の思いを伝えようと、つい感情的になって、岡島さんに詰め寄ってしまったのだろう。これは他の人には真似することのできない彼女の長所のひとつではあるが、世の中純粋な気持ちだけで他の人とうまく付き合っていけるか、正論だけで全てを丸く収めることができるかといったらそれは絶対に違うと僕は思う。

 おそらく戸塚はこれから先、本音と建前を使い分けなければ円滑に進まない人間関係、個人の意志よりも組織のやり方を優先しなければならない社会、誰かの幸せの影には必ず誰かの不幸がある現実にぶつかることで、今まで自分が信じてきた大切なものだけでは通用しないことにもがき苦しみ学習していかなければならないと思う。

 今回の件にしても戸塚は「もっと素直に自分の気持ちを伝えて」と岡島さんに言いたかったのだろう。戸塚の気持ちはとてもよくわかるが、ある意味それは岡島さんの気持ちを無視した戸塚の一方的な押し付けにもなりうる。岡島さんは軽視されがちなガイドヘルパーの仕事について、社会的に果たす役割や重要性を充分に認識し、プロとしてのプライドをもってこの仕事にあたってきた。

 しかし安藤さんに出会ってそのプライドが揺るいでしまった。ガイドヘルパーと利用者という立場がある限り、自分の気持ちに素直になればなるほど、岡島さんが信じてきたプロとしてのプライドがどんどん自分自身を傷つけていく。素直な気持ちとプライド、そのジレンマに対して、何とか自分自身を納得させるために見つけた方法が、回りくどくて不器用なメールによる情報提供だったのだろう。

「仕方ないと思うよ。戸塚の言うことだって間違いじゃないと思うし。ただ、仕事上規則を破ることはできないからな……」

戸塚は何も言わなかった。多分彼女の中で今まで大切にしてきたものが揺らぎ始め、どう整理をつければいいのか自分なりに苦悩しているのだろう。あと数メートルも歩けば商店街のほうに渡る横断歩道があり、そこで戸塚は商店街の中へ、僕はそのまま駅へと向かうことになる。

 「こんばんは」

突然呼びかけられ僕と戸塚は2人同時にピタリと立ち止まった。続けて「沢木くんと戸塚さんよ」という声に「ああ」と別の人が応じた。

「岡島です。安藤さんもいるわよ」

僕たちは2人とも一瞬呆然としてしまったが、すぐに気を取り直し「こんばんは」と2人に向かって挨拶した。

「……お買い物ですか?」

と僕が尋ねると「ええ」と岡島さんが応じ

「ただし、ガイドヘルパーとしてではなく、私的な友人としてね」

「え?」と戸塚が驚きの声をもらし、僕は岡島さんが言っていることの意味がわからずにぽかんとしてしまった。僕たちの困惑振りを察したのか、岡島さんはそっと

「私4月一杯でガイドヘルパーやめたの」

と言い、今度は僕が「え?」と驚きの声をもらした。

「いろいろと迷惑かけて悪かったね」と安藤さんが僕たちをいたわるような口調で言った。

「岡島さんから全部聞いたよ、理由も含めてね。でもそんなに意外に思わなかったな。メールの内容から悪意のあるようなものには思えなかったし、かえって岡島さんに余計な気苦労かけちゃったかなって……」

「そんなことないよ。あれは私のやり方がまずかっただけで、もっと素直になるべきだったんだよ」

と岡島さんは言い、続けて戸塚に向かって

「それを教えてくれたのは戸塚さんのおかげよ」

「はいっ……? いや、私は別に……。かえって岡島さんに失礼なこと言っちゃったんじゃないかなって……」

「そんなことないよ」

と岡島さんは小さいながらも優しい声音で言った。

「言われたときはちょっと動揺したけど、少し時間が経ってゆっくり考えてみると、あなたの真っ直ぐさが伝わってきてね。今の立場じゃ中途半端だしあまりスマートなこともできないから、ガイドヘルパーって立場を抜きにして一人の人間として付き合ってみたいって決心ができたの。……ガイドヘルパーをやめるって安藤さんに言ったときかなり反対されたから説得するのにかなり骨が折れたけどね」

安藤さんは苦笑した。

「安藤さん」

と戸塚は安藤さんに向かっていたわるような暖かな声で

「これまでにいろんなものを失ってしまったかもしれませんが、今度はとっても素敵なものが手に入りそうですね」

と戸塚が言うと、照れ隠しのつもりか「ええっ!」と安藤さんは素っ頓狂な声をあげたが、その声に混じってそっと「そうだね」と岡島さんが呟いたのを僕は聞き逃さなかった。

 そして戸塚は僕の左腕をぎゅっと握り締め「本当によかった」と心の底から吐き出すような安堵のため息と一緒に呟いた。(完)

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