春の快メール(11)

 林は登校すると、一人で机の前に座ってぼーっとしていることが多い。朝教室に入ってきたところを見計らって安藤さんのことを聞いてみようと思ったのだが、今日に限って登校するや否や、カバンだけ机に置いてどこかに出かけてしまうし、2時間目と3時間目の間の15分休みにもどこかに行ってしまった。

(意外と捕まえにくい奴だな)

と思ったが、別に急ぐようなことでもないので給食を食べ終えた昼休みにでも捕まえようと考えた。

 昼休み、またもや林がどこかに出かけようとしている雰囲気を察したので、僕は慌てて彼の机に近づいた。給食を食べ終えた戸塚は体育館でバレーボール、上原さんは図書館で録音図書を返却しに出て行ったが、他の生徒に加え先生もいる前で話すのは何となく躊躇われたので、廊下にでも呼び出そうと僕は「なあ林」と声をかけた。案の定林は何も言わず黙ったままだった。おそらく僕の呼びかけは聞こえているのだろうが、こちらとしては何か反応してくれないと話を進めていいものなのかどうか躊躇する。本当に盲特別支援学校にはふさわしくない態度をする奴だ。

 一応彼なりに何かを察してくれたらしく、僕が黙って突っ立っていると数秒送れてやっと「何?」と反応があった。

「ちょっと聞きたいことがあるから廊下にきてくんない?」

と小声でささやくと「すぐ終わる?」と聞いてきたので「うん」と答えると、さっさと廊下に出てしまった。おそらく彼なりの了解のサインなのだろう。あまり人がこない突き当たりのところで立ち止まり

「あのさあ」と僕は単刀直入に切り出した。

「安藤さんから聞いたんだけど、先週の金曜日の4時30分頃、ライトマーケットで安藤さんを見かけたらしいな……」

「見かけたけど……」

だから何? みたいなニュアンスを感じたが、ここは怯まずストレートに「なんで?」と質問した。答えるのが面倒なのか、どう答えたものかと思案しているのか林は黙ったままだ。僕はもう少し質問の内容を絞って

「おまえいつも学校終わったらさっさと帰っているみたいだから、なんでそんな時間に学校の傍にいたのかなと思って……」

「ああ」と林は呟き

「あの日は運動会委員会があったから残ったんだ」

合点がいった。運動会は6月だから4月・5月はわりと頻繁に委員会が開かれているんだった。

「じゃあさ、なんで街道のほうにいたんだ? あっちは帰り道の真反対じゃないか」

林は面倒くさそうに

「あの日は渋谷で家族みんなで夕食食べることになってたんだ。東横線なら1本で渋谷に行けるだろ」

僕はふとひらめいたことがあったので、思いついたことをそのまま林にぶつけてみた。

「みんなで夕食を食べたお店って道玄坂のほうじゃない?」

「そうだけど……」

と訝るような態度の林に僕はちょっと気分がよくなって

「この間みんなで映画観に行ったとき、渋谷駅の改札口から道玄坂までの行き方知っていたから……」

「そういうことか……」

と林はいかにも肩をすくめたようなという表現が似合いそうな態度でフンと鼻を鳴らした。そして僕は例のメールについて聞いてみようと思ったとき

「あ、いたいた」

と聞こえてきた、担任の清水先生の声だ。

「どしたのー? 2人そろって隅のほうでコソコソと」

と先生はからかい半分の口調で聞いてきたので、僕は「なんでもないっスよ!」と適当にあしらった。清水先生は比較的他の先生より若く、時折今のような軽いノリで生徒に接してくるので先生というより女子の先輩、特に運動部にいそうなイメージがある。ノリが軽い上に言葉遣いについてそんなにうるさくないので、ついついこちらもため口になってしまう。

「ところでさ林くん」

先生は林に用事らしい。きょとんとした様子で「はい」と林が応じると

「さっき言えばよかったんだけど、今度の土曜日に練習会があるんだ。自由参加なんだけど、林くんは参加する?」

「行きます」と林は即答した。

「おっし。じゃ9時30分に学校の校門前に集合ね。もし雨だったら練習は中止で、そのときは8時までに連絡網回すから、よろしく」

「練習会って?」

2人のやり取りがよくわからない僕はどちらともなく聞いてみた。

「林くんね、ジョギング部に入ったの」

清水先生の返事に僕は「ほお!」と驚きの声をあげた。

「おまえいつ入ったの?」

「……今日」

「そうなの、今朝入りたいって言いにきてくれたのよ」

清水先生はジョギング部の顧問の一人だ。視覚障害者が長距離を走る場合「伴走者」といって、視覚障害者を誘導するために一緒に走る人がいなければならない。ジョギング部の場合、この伴走を先生たちがしているので、他の部よりも顧問の先生の数が多い。

「なんでまた急に?」と僕が聞くと

「……別に。オレ中学の頃陸上やってたし」

「ふーん」林が中学生の頃に陸上やっていたというのは初耳だった。

「土曜日って休みじゃん。わざわざ学校にきて部活すんの?」

「普通運動部は休日でも練習するもんなんだぜ」

一般の中学校の雰囲気を知らない僕にとって、林の「普通」って言い方はちょっととげがあって何だか馬鹿にされたような気分になる。

「毎月第4土曜日に練習会開いているの。参加自由なんだけど、毎回10人くらい集まるのよ」

運動がからきし苦手な僕に言わせれば、わざわざ土曜日にきて走るなんてご苦労なこったとしか思えない。

「でも、土日ってうちの学校のグラウンドを地域開放しているから練習しにくいんじゃないですか?」

と僕が言うと清水先生は

「土曜日の練習会は学校じゃないの。学校に集合して、そこから歩いて……」

 ピンとひらめくものがあり、僕は林たちと別れ一人で理療科1年生教室に行った。もし僕の考えが正しければ……。その前にどうしても安藤さんにひとつ確かめなければならないことがあった。僕ははやる気持ちを抑え、慎重にドアをノックし安藤さんの所在を尋ねた。

「やあ、こんにちは」

安藤さんはいつもの朗らかな調子でドアの前までやってきた。

「突然なんですけど」と僕は早速切り出した。

「安藤さんは一人暮らしをしてから初めて自分専用のパソコンをもったんですよね?」

「……そうだけど」

唐突な質問に安藤さんの声色はちょっと怪訝そうな色を帯びたが、僕はかまわず

「だとしたら、どうやってデスクトップパソコンの組み立てやインターネットの接続設定をしたんですか……?」(続)

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