春の快メール(10)

 安藤さんがドアに鍵をかけるのを待っていると「あら」と声がした。

「お友達?」

物腰の柔らかそうな声の持ち主で、創造するに「おばさん」と言うにはちょっと年上な感じだが、「おばあさん」よりはずっと若いと思われる女性が安藤さんに話しかけてきた。

「あ、こんにちは山下さん」

と安藤さんはいつもの朗らかな調子で話しかけてきた女性に挨拶し

「この2人は同じ学校の後輩で、今日はちょっと用事があってうちにきてもらったんですよ」

「まぁー、そうなの」

山下さんはまるで甥っ子にでもするような親しげでやや大きめな声で答え、「こんにちは」と僕たちに向かって挨拶してきた。

「こんにちは。安藤さんの後輩で戸塚と申します」

「……沢木です」

戸塚は愛想よく、僕はギクシャクしながらそれぞれ名乗った。初対面だろうと何だろうと誰にでもすぐフレンドリーに接することができる戸塚のこういう態度、正直人付き合いの下手な僕は見習いたいと思っているが、こればっかりはどうしようもない個人の性格の差なんだろうなとやや諦めているところがある。

「これからどこかにお出かけ?」

「ええ、沢木くんと戸塚さんと一緒にライトマーケットまで」

「あら大丈夫? 私も一緒についてってあげようか?」

「いや大丈夫です。僕は行き慣れているし、2人ともしっかりしてますから……」

山下さんが本気で心配しているような低いトーンで言ってきたので、安藤さんはすかさず丁寧にお断りした。

「でもね、お隣同士なんだから困ったときはいつでも遠慮なく声かけてね。目が見えなくて一人暮らしなんて大変でしょう」

「いえ、そんな大変なことはないですよ。ここに引っ越してきてから2ヶ月くらい経つんですけど、一人暮らしもかなり慣れましたし……」

 そのとき、どこからともなく電子音が流れてきた。僕はいつもの癖で反射的にカバンに手を伸ばしかけたが、よく聞けば自分の携帯電話の着信音とは違うことに気づいた。

「ごめんね、今の私なの」

と山下さんはガサゴソと探ったかと思うと携帯電話を確認したらしく

「孫娘の写真なの」

と嬉しそうに言った。

「お孫さんいらっしゃるんですか?」

戸塚が興味津々といった感じで尋ねると

「そうなの。私の一人娘が東京にいるんだけど、この1月に3人目の子どもが生まれてね。それが初めての女の子だったのよ」

「へえー、それはかわいいでしょうね」と戸塚が笑顔満面といった感じで言うと

「そりゃあもちろんよ」

多分「とろけそうな笑顔」とは今の山下さんの様子を表現するのに相応しい言葉なのだろう。感情を込めて自信たっぷりに言い切るところなんか、もうかわいくてかわいくて仕方ないというオーラが体中から溢れているのを感じる。

「もともと私はこの近くに住んでいたんだけど、娘が結婚したり主人が亡くなったりして一人になっちゃってね。いろいろ考えたんだけど、結局住んでいたおうちを処分して今はここでひっそりと暮らしているの。結婚した娘は葛飾のほうだからなかなか会いに行けないんだけど、今は便利なものができたから、こうやって毎日孫娘の写真をメールで送ってもらっているのよ」

携帯電話が一般的になってから10年くらい経つのだから、山下さんくらいの年代の人がもっていても全然おかしくないのだが、写真付きメールを日常的に使いこなしているところを目の当たりにするとちょっと意外というか、何となくミスマッチなものを感じてしまう。

 「……ごめんなさい、僕たちそろそろ行かなければならないので……」

適当な頃合を見て安藤さんが話を切り上げてくれた。このまま立ち話をしていたらきっと暗くなるまで孫娘の自慢話を聞かされるところだったろう。

 安藤さんは戸塚の右腕に捕まり、僕は戸塚の左肩に捕まって真後ろにつき、徒歩数分のところにあるライトマーケット松見店目指して歩き出した。

「親切そうな人でしたね」と戸塚が言うと

「ああ」と安藤さんはぼそりと言い

「確かに親切な人だよ。僕のこと見かけると、いつもああやって声かけてくれるんだ。……でも、いくら親切心があっても実際はそれだけじゃ何の役にも立たないからね……」

安藤さんらしからぬちょっととげのある発言に驚いていると、戸塚も似たような感想を抱いたらしく

「ちょっと厳しい意見ですね」

と言うと、安藤さんは苦笑しながら

「この立場になってたまに感じるんだけど、親切な人って本当に僕のことを助けたいから声かけたり手を差し伸べたりするんじゃなくて、人から感謝されたいがためにやっている人もいるんだなって思うことがあるよ」

「それは……」と戸塚。

「うまくは言えないけど、僕が望んでいることよりも助けてくれる人の気持ちとか都合ばかり優先されることがあって、なかなか僕が望んだ結果に繋がらないことがあるんだよね」

「ありますよね!」すかさず僕は同調した。

「時々『どこ行くんですか?』って声かけられることがあるんですけど、『……に行きたいんですけどどう行けばいいでしょうか?』って言うと『ええっ……そこはわからないな……』なんて言われて結局案内してくれないことがあるんですよね。僕がどこに行くのかなんてわからないはずなのに、そういう人って予めこちらがどう答えるか勝手に想像しているようなところがあるから、予想外の答えが返ってくると面食らったようなそぶりするんですよね」

安藤さんはしみじみと「そうだよね」とため息にも似たような声で言い

「利己的な人が多いよね。……それに比べたら、例のメールのほうが不信なところは多いけど、ああいうささやかな援助のほうがよけいな気を使わなくて済むし助かるんだよね……」

 謎が多いだけにあのメールが「ささやかな援助」に当たるのかはわからないけど、もしそうだとしたら変に恩着せがましくされるよりもずっとさりげないし、援助を受けるこちらとしてもよけいな気を使わずに済む方法かもしれないと思った。そう仮定すると、あれは安藤さんに対する影ながらのサポートって意味も出てくるのかな……。

 ライトマーケットに行ってみたが、これといった発見はなかった。サービスカウンターで店員さんを捕まえ、念のため本日のお買い得情報をメールで提供しているかと尋ねたが、そのようなサービスはしていないとのこと。特売商品は店舗によって若干内容が異なるので、前日までに各店舗が独自の広告を作成し、店舗近辺の住宅を対象に新聞の折り込みチラシとして提供する他は、店内の掲示とサービスカウンターに平積みするだけと言われた。ついでにホームページにお買い得情報を掲載しているかと質問したが、それもやっていないということだった。

 結局これといった成果はなく、戸塚のサポートで安藤さんのお買い物を済ませて店を出た。安藤さんの自宅の前で別れて、僕と戸塚はお互い黙ったまま通学路を駅のほうに向かって歩いた。

「あのおばさん……」

戸塚がふいに呟いたので僕は「ん?」と聞き返した。

「……山下さんっていったっけ。あの人なのかな……」

「メールを送った人ってことか?」

「うん……」と戸塚はやや自信なさげな口調で言った。

「山下さん、安藤さんのこととても気にかけていたからもしかしてって思って。それに携帯電話だってちゃんと使いこなしているくらいだから、パソコンくらいもっていても不思議じゃないなって……」

「会ったばかりだからなんとも言えないけど、山下さんはどっちかといえばメールで教えるような回りくどいことするよりも、もっとストレートな方法でやろうとするんじゃないのか? オレはそんな気がするぞ」

僕の意見に対してあまり賛成ではないような戸塚は、もごもごとなにか口の中で言葉を転がしていたが

「ほら、安藤さんかなり遠慮していたじゃない。いつも声かけしているけど、なかなか助けてあげる機会がないから、ああいう方法で助けてあげようと……」

「そうなのかなぁ……」

確かに山下さんならメールアドレスの件を除けば安藤さんのことはよく知っているし、近所なんだから同じライトマーケット松見店のチラシだって簡単に手に入る。しかし、なぜか引っかかるものがある。正直最初はどうでもいいと思っていたメール事件だが、メールそのものを見て僕なりに考えをめぐらせた結果、「誰が」ということよりも、「なぜ」こんなメールを送ったのかという動機を知りたいと思い始めていた。取りあえず明日林に探りを入れてみるかと思いながら、僕は黄色い点字ブロックの上を歩いた。(続)

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