春の快メール(8)

 「……何言っているんだ、おまえ?」

僕は戸塚の顔をまじまじと見るようなつもりで彼女のほうを向いた。

「事件のにおいがするわね」

と戸塚は僕のそっけない一言には気も止めず、同じ言葉を繰り返した。

「ちょっと変なことがあったってだけじゃんかよ」

「それが怪しいんじゃない!」

戸塚はふざけるでもなく、まじめな調子で言い返してきた。

「風俗関係とか債権回収業者からってならわかるけど」

「あのねっ!」と僕の言葉をさえぎって、戸塚はやや強い調子で

「今はね、あの手この手を使っていろんな方法でお金巻き上げようとしている悪い奴がうようよいるの。風俗とか債権回収なんて古い手もう誰もひっかからないから、一見普通そうなものを装って騙そうとしているんじゃない」

「戸塚さぁ、おまえこの間の映画の影響受けすぎなんじゃないか?」

「わかるっ」と、戸塚はあっけらかんとした調子で

「私ああいうサスペンスとかミステリー物って好きなんだよねっ」

「おまえなぁ……」

僕は大げさなため息をひとつついた。

 戸塚が勘違いしている原因は昨日の放課後のパソコン部での出来事だった。僕は前回と同様、安藤さんに表計算ソフトの使い方を教えることになっていたので、今回は別のシートに食費や光熱費など各項目の1年間の合計と平均を求める関数について教えた。

 家計簿作成もほぼ完成し、一段落したところで安藤さんから唐突に

「あのさ、メールアドレスって変更できるの?」

と聞かれた。突然表計算ソフトとは全く関係のない質問に僕はきょとんとしてしまい

「……それって、プロバイダーから提供されているメールアドレスのことですか?」

「そうなんだけど、無理かな……」

「プロバイダーによっては自由にユーザー名の変更ができるところもあるので絶対に無理ということはありませんが、おそらく認証IDとかパスワードがないと変更手続きができないので、今すぐにはできないですね」

「そっかぁ……」と安藤さんはため息混じりに呟き

「そういえば設定したときにそんなのがあったな。IDとパスワードは契約書に書いてあるから誰かに見てもらわないとだめだな……」

「そうですね。お母さんがきたときにでも見てもらえばすぐに手続きはできますよ」

「いや、お袋は無理だよ。いまだに携帯電話も使えないくらいアナログな人だから……。何とかスキャナーで読み取ってみようかな」

 大切なIDやパスワードは通常郵送されてくる契約書のみに記載されているが、当然僕たち視覚障害者は読むことができない。スキャナーを使っても正確に読み取ってくれる保証はないし、電話やメールで問い合わせをしても情報保護の観点から教えてくれない。他の人には知られたくない個人情報だけに、むやみやたらと誰かに読んでもらうわけにもいかないので、けっこうこのID・パスワードの管理には苦労させられる。

「どうしたんですか急に、メールアドレスを変更したいだなんて」

「うん……」と歯切れのよい安藤さんには珍しく、少々口篭もりながら

「……実は、変なメールがくるようになっちゃったんだよね……」

「……変なメールって……、出会い系とかですか?」

「いや、そうじゃなくてさ……。うまく説明できないんだけど、宣伝メールみたいなものなんだよね」

安藤さんはどうにか話の内容が伝わるよう、一つ一つの言葉を選ぶように話していたが、僕にはどうも話の筋が見えてこない。

「一昨日の日曜日なんだけど、メールを受信してみたら1通届いていたんだ。確認したら、題名が『ライトマーケットのお買い得情報』と書いてあって、差出人がなかったんだよ。メールアドレスにも心当たりないし……」

「で、どんな内容なんですか……?」

「それがさ、本文読んでみたら『果汁100パーセントオレンジジュース1リットル入り100円』とか『無糖ヨーグルト500ミリリットル入り118円』みたいに、商品名と価格がずらずらっと書かれているんだ」

 ライトマーケットとは南関東を中心にチェーン展開しているスーパーマーケットで、主に食料品や日用雑貨を取り扱っている。我が家の近くにも1店舗あり、母はいつもそこで買い物をしているので僕にとってもなじみのあるお店だ。

「それって単なるライトマーケットの宣伝メールなんじゃないですか」

と僕は軽い調子で安藤さんに返したが

「ちゃんとした宣伝メールならそれなりの体裁を整えていると思うんだ。でも、そのメールはレイアウトはめちゃくちゃだし時々誤字もあるから違うと思うよ……」

僕がどう答えたものかと戸惑っていると、安藤さんは続けて

「それだけならただの変なメールとして削除しておしまいなんだけど、その日たまたまシャンプーが切れていたことを思い出して、家の近くのライトマーケットに買いに行ったんだ。そこで詰め替え用のシャンプーだけを買ったら何となくいつもより安いような気がしたから、もしかしてと思って例の変なメールを確認してみると、僕が買った詰め替え用のシャンプーが安売りしているってことがちゃんと書いてあったんだよ」

「……なるほど」

「で、昨日の月曜日にも同じメールがきてたんだ。半信半疑だったけど、今回は一応全部読んで、気になる商品を覚えて買いに行ったら、メールのとおりいつもより安く買うことができたんだよ」

僕はちょっと首を捻りながら

「確かにちょっと変ですけど……、内容はいたって普通ですよね」

「まあ……そうなんだけどね。単にお買い得情報が書いてあるってだけだから、これといって取り立てて不思議がることではないんだけど……、でもちょっと気持ち悪いんだよね」

「そうですね」と僕は愛想笑いを浮かべ、「あまり気にしないほうがいいですよ」とこの話を打ち切った。

 そして今朝、バスが渋滞に巻き込まれていつもより遅い登校になった戸塚と通学路でばったり出会い、一緒に学校に向かっている途中で

「そういえば、先週会った安藤さんは元気? 昨日部活で会ったんでしょ」

と唐突に聞かれたので、「そういえば安藤さんこんなこと言ってたな……」と話をしたところ、突然「事件のにおいがする」と言い出したのだ。

 「別に怪しい内容じゃないだろ、ただ安藤さんの家の近くのスーパーのお買い得情報が書いてあるだけじゃん」と僕は突き放すような調子で戸塚に言うと、彼女は急にピタリと立ち止まった。僕は戸塚の右腕の肘のあたりに捕まって一緒に歩いていたので、前につんのめり一瞬バランスを崩したが、すぐに体勢を戻し「なんだよ!」と彼女をキッと睨みつけた。

「じゃあ聞くけど」と戸塚も負けずに声色を強めて僕に挑戦するような態度で詰め寄ってきた。

「メールを出した人はなぜ安藤さんがいつもライトマーケットで買い物しているって知っているの? 一見どうでもいい内容かもしれないけど、少なくても広告を読むことができない安藤さんにとっては貴重な情報になるわけでしょ、なんでそういうこと知っているの? そのメールが仮に純粋な親切心から情報提供されたものならなぜ差出人がないの?」

矢継ぎ早に出される戸塚の疑問を僕は黙って聞いていたが、言われれば不振な点は確かに多いと思う。

「でもさ、確かに怪しい点はあるけど、安藤さんに何か不利益があるわけじゃないじゃん。そう取り立てて怪しむことも……」

「今は」と戸塚は僕の言葉を途中でさえぎった。

「単にお買い得情報を提供しているだけかもしれない。でも、考え方によっては、最初甘い蜜を吸わせて安心させておいて、後からとんでもないこと吹っかけられるかもしれないじゃない……」

「……とんでもないことって?」

「例えば情報提供することで恩着せておいて、ある日突然『相談があります。実は今ちょっと大きなお金が必要になりまして……』なんて借り入れのお願いしだすとか。安藤さん優しそうだから、今まで情報提供してもらったって恩義も感じているかもしれないし、ついつい乗っちゃうかもしれないでしょ」

「あのなぁ」僕は完全に呆れた。

「それは悪意をもっている人がいるって前提での話だろ。そこまで話広げたら、それはもはや戸塚の妄想だ」

「悪意があるかないかは今の時点でははっきりしていないじゃない。悪意があるってわかったときには遅いかもしれないでしょ。もしものことを考えて手遅れにならないうちに今からこのメールの差出人とか安藤さんに送った理由とかを調べて相手の意図を突き止めたほうがいいじゃない」

「……調べるって……、どうやって?」

「そうねえ」と彼女はちょっと思案するように数秒間沈黙したあと

「まずは問題のメールを見る必要があるわね」

と言い出した。

「沢木くんの気が進まないのなら私一人でやるから」

とも言った。3年間の付き合いで僕なりに戸塚直子という人間を理解しているつもりだが、これと決めたら一直線に突っ走る、比喩的な意味で周囲が見えなくなるほど無鉄砲なところがある彼女のこと、ここで放っておいたらほんの数日前たまたま出会っただけの間柄に過ぎない安藤さんのところに押しかけて、今僕に話してくれた根も葉もない推論を披露したあげく、メールを見せてくれとか何とか言い出すことは容易に想像できる。そんなことされたらきっと安藤さんは面食らうだろうし、もしかしたら彼女の友達ということで、僕との関係にも何か影響を及ぼすかもしれない。それに戸塚は少々感情的になって物事を冷静に考えることができなくなる欠点はあるが、基本的には純粋で他人にもよく気を使ういい奴なので、例え安藤さん一人だけとはいえ変な誤解を与えたくない。

「……そこまでいうならオレも行くよ。安藤さんのところへ行くんなら戸塚一人で行くよりもオレがいたほうが話が進みやすいだろ」

と僕がしぶしぶ言うと、戸塚は明るい声音で「そうだよね!」と嬉しそうに頷き

「じゃ、今日の昼休みにでも安藤さんのところへ行こうよ」

と言い、「面白くなってきた」と弾んだ声でつけたした。「事件のにおいがする」とか何とか深刻なこと言っていたくせに、どことなく楽しそうなのは僕の気のせいだろうか。

 給食を食べ終え、僕と戸塚は安藤さんのいる理療科1年生教室に向かった。高等部理療科と保健理療科は様々な事情で視力が落ちてしまい今までの仕事を続けるのが難しくなった人も通っているので、学生の中には僕の両親と同じくらいの年代の人も少なくない。いつも以上に礼儀を弁えたつもりでノックし

「高等部普通科1年の沢木と申しますが、安藤さんはいらっしゃいますでしょうか?」

と呼びかけると「ああ、こんにちは」と安藤さんが応じてくれた。理療科1年生もすっかり給食を食べ終えたみたいで、安藤さんの他に数名の人がおしゃべりしながら食後の休憩を楽しんでいる様子が伺える。安藤さんがゆっくりとドアのほうに向かってくると

「こんにちは。先日商店街でお会いしました戸塚です」

と戸塚が安藤さんに挨拶した。

「……ああ、この間の」

と安藤さんはちょっと意外そうな様子だったがすぐに気を取り直し

「どうしたの2人して」と気さくに話しかけてきた。

「昨日話してくれた例の変なメールのことなんですけど……」

と僕が話を切り出すと、安藤さんは「ああ」と気の抜けたような返事をし

「あれね、昨日もうちに帰ってメールを受信したら、またきていたんだよ」

とそっけなく言った。

「それじゃ、3日連続で送られてきたことになりますね!」

と戸塚がやや興奮気味に言い出したので、僕は彼女を制するつもりで無理やり口を挟んだ。

「実は昨日安藤さんから聞いた変なメールの話を戸塚にしたんです。彼女が言うには、差出人が不明でメールを送った人の意図がわからないなど、気になる点がいくつかあるって興味もったみたいなんです。戸塚に言われて僕も何となく気になってきたので、あつかましいお願いではありますが、もしよろしければその問題のメールを見せてもらいたいんですけど……」

安藤さんは僕の突然の、しかもやや強引な要望にもかかわらず「いいよ」と笑いながら了承してくれた。

「……できればすぐに見たいんですけど、安藤さんのご都合さえよろしければ今日の夕方あたりにおじゃましてもよろしいでしょうか」

一応遠慮がちに戸塚は申し出たが、明らかに「いいよ」と了承してくれることを前提にしたお願いだ。期待どおり「じゃ、下校の準備をして4時に昇降口で待ち合わせしようか」ということで話はまとまった。

 理療科1年生教室を出てから僕は戸塚に

「なあ、メール見たら何かわかるのか?」との質問に

「わからない」

とあっけらかんと答えた。「おまえな!」と突っ込みを入れたが彼女は怯まず

「やっぱりこういうことは実物を見ないことには始まらないからね。何も手がかりが見つからなかったら、また別の角度から考えるわよ」

と得意そうに言い放った。僕は変な遊びに巻き込まれてしまったのではないかとの後悔を感じ初めていた。(続)

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