春の快メール(7)


 「ごめーん。武ちゃん、林くんいるー?」

戸塚が叫ぶと「おっせえな、おまえら」と武ちゃんのぶっきらぼうな声と、「おお」と林のだるそうな声が被った。武ちゃんは音声時計のボタンを押しながら「3分の遅刻だな」と不機嫌そうに呟いた。

「ごめんね。商店街歩いていたら、たまたま買い物している沢木くんのパソコン部の先輩とガイドヘルパーさんに会ってさ……」

「ガイドヘルパー?」

「そうなの。本当に偶然なんだけど……」

放っておくと2人の話が長引きそうな雰囲気を察してか

「とにかくさっさと行こうぜ」

と林が戸塚と武ちゃんの間に割って入り、2人を制した。

「そうだね、さっさと切符買っちゃおう」

「オレ定期あるから大丈夫」と林。

「オレもICカードあるからいい」と僕。

「じゃ、私と武ちゃんは切符買うから待っててね」

と2人は券売機へ、僕と林は改札口の前で待つことにした。

「お待たせー」

と戸塚と武ちゃんの声が重なった。「じゃ、行こうか」と、2人はさっさと改札を通ってしまったので、成り行き上僕は林と一緒に行くことになった。

 林は全く愛想のない奴だが誘導は意外と丁寧で、僕の手を取って自動改札機の位置を確認させてくれたり、階段が近づいたら「そろそろ降りるぞ」と教えてくれた。しかし、もともと無口で普段から特に会話らしい会話をしていないだけに、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いている戸塚と武ちゃんとは対照的に、僕たちは何もしゃべらずただひたすらホームに向かって歩いていた。

 乗換駅までは4人が固まって歩いていたが、渋谷に向かう東横線に乗り換えたとき、たまたま空いている席がバラバラで、戸塚と武ちゃん、僕と林はそれぞれ別の座席に座ることになった。誰かに誘導されているときどうしても誘導する側に従わなければならない。僕としては林と2人きりでいるより、立ったままでも戸塚や武ちゃんの近くにいたほうがいいのだが、席が空いているのに傍に行きたいというのは不自然だし、さすがに林にストレートに伝える勇気もないので黙っていた。特急に乗ることができたので20分もすれば渋谷に着くのだが、この間ずっと僕はお互い何も話さず、何となく気まずいような居心地の悪さを感じていた。

 横浜駅の人ごみには慣れているつもりだが、渋谷に比べれば横浜なんて大したことないんだなとつくづく感じる。人の多さもさることながら、一人一人の歩く速度が違うから、少しでも気を抜いたら突き飛ばされる、または自分の杖が相手の足をひっかけて転ばせてしまうのではないかとおどおどしながら歩いている。人ごみと慣れない場所のせいで僕たちはどこをどう行けばいいのかわからず、戸塚も

「道玄坂のほうに行きたいんだけど……」

と不安そうにうろうろするだけだった。

「道玄坂ならハチ公口のほうだろ」

林は急に先導に立ち、僕を連れながら戸塚と武ちゃんを後ろにずんずんと進んでいった。戸塚たちとはぐれないよう注意しながら、それでも確実な足取りでどこかに向かっている。

 しばらくして「このスクランブル交差点を渡ると道玄坂だけど……」と林が言った。どうやら道玄坂に着いたらしい。戸塚が「すごーい!」と裏返った歓声をあげるのも無視して「で、ここからどうするの?」と、つっけんどんとも言っていいほどの無愛想な調子で聞いてきた。

「道玄坂沿いにあるシネコンなんだけど……、ちょっと聞いてみるね」

戸塚が「すいませーん……」と傍を通りかかった人に声をかけるが、戸塚の声が小さすぎるのか、なかなか捕まらない。武ちゃんが恥じも外聞もなく「すいませぇーん!」と大きな声で叫ぶが、かえって逆効果らしく誰一人として見向きもしない。通りすがりの人に声をかけて捕まえるというのがまた面倒な作業で、足音や気配を頼りに近づいてきたと思われる人に声をかけてみるが、声をかけるのは何となく恥ずかしいものがあり、捕まえるタイミングを逃したり、逆に明らかに聞こえているにもかかわらず無視されることも少なくない。

 急に左手が引っ張られたと思うと、林が前に歩き出したようで、僕は慌てて林と一緒に歩き出した。すると、林は今まで聞いたことのないような丁寧かつはっきりとした口調で「すいません」

と言うと、「はい……」とちょっと困惑したような感じの若い男の人が応じてくれた。

「映画館を探しているのですが……」

と林が切り出すと、戸塚のほうに振り返り「聞いてよ」と振った。あとを引き取った戸塚は映画館の名前を言い、「どう行けばいいでしょうか」との質問に男の人は丁寧に教えてくれた。僕たちは4人そろって「ありがとうございました」とお礼を言い、スクランブル交差点に向かった。信号待ちのとき、僕たちの後ろにいた戸塚は林に向かって

「林くんって人捕まえるのうまいね」

と褒め称えると、林はいつものぶっきらぼうな調子で

「みんな他人のことなんてかまっちゃいられないから闇雲に声かけても無視されるだけだよ。さすがに真正面から言われたら断りきれないだろうけど……」

ややとげのある言い方に戸塚は「そっか」と苦笑していたが、僕としては何となく彼の言いたいことがわかるような気がして、「そういうものだよな」と共感させられるものがあった。

 映画館に着き、各々チケット料金を支払うとボランティアグループのスタッフと思われる女の人から

「本日2時からの公演は副音声付で上映します。副音声をお聞きになるときは、お持ちいただいたFMラジオの周波数を……」

と説明してくれたので、僕はカバンの中から携帯ラジオを取り出した。すると林は「ラジオないな……」と呟いた。「忘れたの?」と戸塚が言うと「ああ」と別に何事もなかったかのように林はあっさりと答えた。

「オレ2つもってきたから貸すよ」

と僕はカバンからもう1つの携帯ラジオを取り出した。

「準備いいね」と戸塚が言ったので

「武ちゃんが忘れるような気がしたからもってきたんだ」と言うと

「失礼な! ちゃんとあるわい!!」

と武ちゃんは僕の右腕に持参した携帯ラジオを押し付けてきた。

「はい」と僕は林のほうに向かって携帯ラジオを差し出すと、彼は無言ですっと僕の手から抜き取った。別に言ってほしいわけじゃないけど、貸してあげるんだから「ありがとう」の一言くらい言ってもいいんじゃないのか?

 座席は指定席ではないのでフロアに入ると戸塚と武ちゃんは手近な席に座ったみたいだったが、林は「階段登るぞ」と言いながら上のほうへと向かった。「どこ行くの……?」と戸塚の声が後ろから追いかけてきたが、どこに行くのか僕が聞きたい。

「ここが椅子」

と林が背もたれを掴ませてくれたので、僕は戸塚たちから数列離れたところに陣取ることになった。無愛想だからって、そこまで露骨に孤立することはないんじゃないのか……? 何となく周囲の様子に耳をそばだててみると、白杖をコツコツ突きながら歩いている人、音声時計で時刻を確認している人がちらほらいる。予想通り、今回の上映を楽しみにしている視覚障害者は少なくないようだ。

 予定時間が過ぎ、携帯電話の電源は切ってくださいなどの注意事項を知らせるアナウンスに続き、近日公開予定の映画のコマーシャルが終わると、音量が一気にあがった。僕は慌ててイヤホンを耳に突っ込み、先ほど説明のあった周波数に合わせると、大学生くらいと思われる男の人が淡々とスクリーンに映し出されている情景の説明、登場人物の容姿、テロップなどを説明している。

「上着のポケットに手を突っ込みながら地下へと続く階段を降りる男。ふと何かに気づき、急に立ち止まると首を左右に振って周りの様子を伺う……」

戸塚の言うとおり情景描写を説明する人の他に、配役ごとに台詞を読み上げる人が複数いて、まるで生の日本語吹き替え映画を観ているような気分だ。本格的なサスペンス映画ともあって、僕はすっかりストーリーに引き込まれ、夢中で映画を楽しんだ。

 30分くらい経った頃だろうか、急に左腕をツンツンと突つかれ、慌てて左のほうに顔を向けると「これ返す」と林が小声で呟き、僕の手の中に携帯ラジオを押し付けてきた。

(なんだこいつ?)

僕は少々林の態度に不快なものを感じたが、今は林にかまっている暇はない。受け取った携帯ラジオをポケットにねじ込み、僕は再びイヤホンから流れる生の副音声を頼りに映画を楽しんだ。

 「ありがとぉーございましたぁー」

フロアを出たところで副音声をつけてくれたと思われるスタッフの人たちから挨拶され、僕たち4人もそろって「ありがとうございます」と返した。戸塚は立ち止まったままスタッフの人たちに向かって

「ホントに素敵でした! 副音声もわかりやすくてとっても楽しかったです」

と、まさに「満面の笑みを浮かべて」という形容がピッタリなほど喜びを声いっぱいに響かせながら言い、「またきてね」とのスタッフの言葉に「はいっ!」と元気よく応じていた。どうやら戸塚はすっかり副音声付映画が気に入ったらしい。

 僕たちはそのまま同じビル内にある喫茶店に流れ込み、コーヒーだの紅茶だの飲みながら一服することにした。

「結構よかったな」

と僕はアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら誰にともなく呟いた。

「やっぱり映画館は音響設備が整っているから、自宅のテレビとは比べ物にならないくらい迫力あるよな」と武ちゃん。

「内容もよかったよね。まっさかあの人が……」

僕たち3人は先ほど観た映画について自分なりの分析や率直な感想などを話していたが、林は相変わらず何もしゃべらず、グラスの中の氷をカラカラとかき回しているだけだった。

「林くんはどうだった?」

だんまりを決め込んでいる林を見かねたのか、戸塚が会話に加わってもらおうとばかりに林に振った。林はズルズルと飲み干し

「映画は面白かった」とポツリと呟いた。

「面白かったよねー。台詞は全部字幕だから普通に観るだけだったら何がなんだかわからなかっただろうけど、副音声付だから充分映画の面白さを味わえたよねー」

戸塚は相変わらず満面の笑みを浮かべているような調子で話していたが、林が「オレ副音声は聞かなかった」との返答に「え?」と真顔に戻ったように小さな声をもらした。

「沢木くんから携帯ラジオ借りていたよね……?」

「借りたけど返した」

「なんで?」

「少しくらいなら離れてもスクリーン見えるし、単眼鏡使えば字幕読めるし……」

「すっごーい! 林くんってかなり視力あるんだね」

戸塚曰く、弱視でもほとんどの人が遠く離れた景色がぼやけて見えない、または見えたとしても現れてはすぐに消える字幕を追うことが難しいので、林みたいなケースはかなり珍しいとのこと。

「それに……」と林は小声で呟くように

「最初は副音声聞きながら映画観ていたけど、何となく違和感を覚えたんだ」

「違和感? なんだそれ」と武ちゃんがすかさず突っ込みを入れる。

「……例えば、ヒロインの台詞を読んでいる人の声は少し幼すぎて実際の女優のイメージとは違う感じがするし、黒幕の俳優はもっと渋い声の人が読んだほうがいいと思った。登場人物の説明も『清楚な顔つき』とか『クールなまなざし』みたいにスタッフの人の主観が入っていたし、情景描写も不十分な感じしたところあったし……」

「おっまえ捻くれてんなー」と武ちゃんがケタケタ笑いながら言う。

「そうだよぉー。俳優と声のイメージが合わないのは限られたスタッフの中で振り分けているんだからそういうことあるかもしれないし、主観が入るのもより私たちにイメージしやすくしている工夫なんだろうし、情景描写は台詞のない僅かな間に入れているんだから不十分になっちゃうのも仕方ないじゃない」と戸塚が反論する。

「でも、副音声がないと映画を楽しめない人にとっては、この副音声で映画のイメージが左右されるわけだろ。いくらイメージを膨らませるためだからって説明する人の主観が入ったら、映画を作った人の伝えたいこととは違ったものになるかもしれないだろ。……そもそも見た目を言葉に置き換えて表現することは難しいことなんだ」

珍しく林が熱を入れて話すのを見て、戸塚や武ちゃんは「厳しすぎる」とか「細かいなぁ」とはやしたてているが、僕は林の考えを軽視することができずにただ黙っていた。確かに映画を観ているとき、僕が抱いていたヒロインのイメージは20前後の女の子だったが、今思えばイヤホンの外から聞こえてくる生の台詞はそれよりもう少し年上だったかもしれないと思った。もちろん副音声をつけてくれる人たちは、僕たちにストーリー展開や目で見なければ伝わらないしぐさなどを説明することで、映画の面白さを表現しようとしているが、果たしてそれが映画を作った人の意図を正しく伝えているのか、ストーリーの流れだけを把握できれば充分かと聞かれたら、それはちょっと違うかもしれないと思う。副音声とはいえ、他の人が作品世界に手を加えることには変わりない。本来ならば映画を製作した段階で、監督なり演出者なりがその場面場面に相応しい副音声を最初からつければ林のような不満は解決できるのだろうと思う。林の言い方はとげとげしくてやや攻撃的なニュアンスが含まれているけど、考え方そのものは僕も賛成するところだ。僕自身、物事を斜めから見るようなややひねくれた部分があることは否めないから、もしかしたら僕と林の考え方は似ているのかもしれないなと、ちょっとだけ彼に親近感を覚えた。

「でもさぁ、そんなにこだわりがあるのなら林くんって映画好きなんだね」

と戸塚が明るい声音で話しかけると「まあね」と林はいつもの調子に戻ってぼそりと呟いた。

「そうなんだぁ、全然知らなかった。映画はよく観るほうなの?」

「まあね」

「じゃ……じゃあさ、先週公開されたばっかの……」

と武ちゃんの質問に林はしぶしぶと、でもしっかりとした口調で映画のあらすじについて話し始めたのを機に、僕たち4人は映画をはじめ好きなテレビ番組や音楽アーティストの話で楽しんだ。

 帰り道、僕は林と一緒に渋谷駅目指して歩いていたが、突然林のほうから

「昼に言っていた……」

林のほうから話しかけてくるなんて初めてのことだったので「あん?」と間の抜けた返事をすると

「昼に言っていた商店街を買い物していた先輩って、もしかして理療科1年の安藤さんか?」

林の口から安藤さんの名前が出てきたので

「おまえ知ってるの?」

と僕は素っ頓狂な声をあげた。

「まあね」

「なんで知り合ったんだ」

「ちょっとね……」

あまり細かいことを話す気がなさそうなので、これ以上は聞かなかったが、ふと

「あの人も苦労してるよな」

と独り言のように呟いていたのを僕は聞き逃さなかった。(続)

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