春の快メール(4)

 下校前のショートホームルームが終わると校内はにわかに活気付く。掃除も終わり、廊下は部活動のために体育館や各教室に向かう生徒で賑わう。雄介と美奈ちゃんはスクールバスで、まだどの部にも入っていない上原さんと林はさっさと帰ってしまったが、軽音楽部の直樹は音楽室へ、卓球部の武ちゃんとバレー部の戸塚は体育館へと向かっていった。ちなみに視覚障害者のスポーツは一般のルールと異なり、バレーボールも卓球もボールは床の上を転がし、選手は転がってくるボールの音をたよりにキャッチしたり打ちかえしたりするのだ。

 僕が入っているのはパソコン部だ。目が見えないとパソコンは使えないと思っている人が多いみたいだが、市販のパソコンに「スクリーンリーダー」と呼ばれるソフトをインストールすれば、画面に表示されたメッセージ、キーボードで入力した文字、カーソルが当たっている項目などを音声で聞くことができるので、ワープロもメールもインターネットも他の人とほぼ同じように使うことができる。紙による読み書きが困難な視覚障害者にとって、パソコンのおかげでワープロソフトを使って活字文書を書くことができるようになったし、インターネットを使えば自分ひとりの力で多くの情報を収集することができるなど、僕たちの生活の質を一気に向上させたと言っても決して過言ではない。

 この学校に入って最初に興味をもったのはパソコンだった。失明してまだ1年も経っていない時期、毎日がとてもつまらなくいつも空虚な気持ちを感じていた。その原因は失明したという現実そのものよりも、失明したことによって楽しみがなくなった、夢中になれるものを失った、何を趣味にすればいいのかわからなくなったことだ。僕はテレビゲームが好きで、漫画が面白くて、草野球やサッカーに熱中していた。しかし、失明したことで以前のようにこれらの面白さを感じることができなくなってしまった。今の状態で何か楽しみを見つけようとしても、僕は戸塚のように度の強いルーペを使って漫画を読むことはできないし、武ちゃんのように僅かな音と気配でボールを追いかけることのできる鋭い感はないし、直樹のように自由自在に楽器を弾くなんてこともできない。

 盲特別支援学校には一般の学校にはない「自立活動」という授業があり、点字の読み書きや白い杖を使っての歩行訓練、重複障害をもっている生徒は発声や運動などのリハビリテーションを行うのだが、僕はこの時間に点字と歩行、そしてパソコンの学習をした。元々テレビゲームが好きだったのでコンピュータの類には興味があったが、パソコンから音声が出るだけでも驚いたのに、操作に慣れればワープロでレイアウトの整った文書を作れる、送られてきたメールを読んだり相手に返事を書くことができる、インターネットで自分のほしい情報を検索することができるなど、失明した僕にとって目の前にかかっていた霧が晴れて新しい道を見つけることができた希望のようなものを感じた。なんてったって失明して初めて「面白い」と感じるものが見つかったのだから。

 それからの僕は休み時間のたびにパソコンのあるコンピュータ室に行き、自主的にキー入力の練習やワープロソフトの使い方を覚えた。歩行訓練の結果一人で登下校できるようになったことをきっかけに、僕はパソコン部に入部することを決めた。今ではパソコンの技術もかなり向上し、顧問の先生や他の部員からも一目置かれるほどだ。

 コンピュータ室に入るとすでに何台かのパソコンは起動しており、画面の内容を読み上げる無機質な合成音があちらこちらから聞こえてくる。

「おお、沢木くん」

顧問の一人岡部俊彦先生が声をかけてきた。すると岡部先生は誰かに「先生、沢木くんがきましたよ」と言うと、もう一人の顧問矢島武先生が「沢木くんきたか、待ってたよ」と聞こえてきた。矢島先生は高等部理療科で解剖学や生理学を教えている弱視の先生だ。おそらく僕がきたら教えてほしいと岡部先生に頼んでいたのだろう。

「沢木くんに頼みがあるんだ」と矢島先生はこちらに近づきながら話しかけてきた。

「この春に理療科に入学した安藤くんって学生がいるのだが、今日からパソコン部に入部することになった。で、彼は主にパソコンの練習をしたいと希望しているので、沢木くん教えてあげてくれないかな」

との矢島先生の説明に加えて、後ろから

「よろしくお願いします」

との声が聞こえた。多分、今言っていた安藤さんが挨拶してくれたのだろう。りりしいが明るそうで爽やかな声の持ち主は大学のテニスサークルにでもいるような好青年のイメージだ。

「はい、わかりました」と僕は二つ返事で了解した。

 パソコン部の活動は大きく分けて2通りあり、ひとつは僕が普段やっているフリーソフトやシェアウェアの検証だ。パソコンから音声が出るといっても、全てのソフトが目が見える人と同じように使えるというわけではない。ソフトのプログラムとの愛称で、画面にメッセージが表示されても全く読み上げなかったり、項目名を正しく読み上げないこともある。また音声は出ても、マウスを使わなければ操作ができないソフトは、マウスポインタの見えない視覚障害者にとっては使えないソフトということになってしまう。どのソフトが使えるかは実際に操作してみないとわからないというのが現状だ。そこで、パソコン部では学校のパソコンに様々なソフトをインストールして、音声は出るか、キーボードのみで操作できるかなどを確認することに加え、正しい音声は出なくても、キーを押す回数を覚えることなどで目的の操作ができるか、マウスを使うことが前提でも、ショートカットキーのように複数のキー入力の組み合わせでマウスを使ったときと同じ操作ができるかなど、何か工夫する余地はないかと検証する。もし使えるソフトや操作方法を発見したら、うちの学校のホームページの「パソコン部のページ」に掲載し、全国の視覚障害者に情報提供をしているのだ。

 もうひとつはパソコン学習で、文字入力の練習やメールの送受信など、一人一人が課題を決めて学習するのだが、これは顧問の先生だけではなく、上級者の生徒が初心者の生徒に教えるということも少なくない。僕は比較的パソコン操作には自信があり、顧問の先生からもそれなりの評価をもらっていることから、他の生徒を教えることはこれまでにも何度かあった。

 最初のミーティングで本日の個々の活動内容や課題について確認し、本日は新入部員がいるので矢島先生から安藤さんが紹介された。活動が始まり、僕はパソコンの前に座っている安藤さんの隣に座り

「早速ですけど、安藤さんはどういう練習がしたいんですか?」と僕が聞いたところ。

「そうだなぁ」と安藤さんはちょっと考えて「よくわかってないんだけど、表計算ソフトを使えば家計簿ができるって聞いたんだけど」

「ああ、できますよ。簡単な関数を使えばすぐに作れます。……もう基本的な文字入力とかはできるんですか?」

「うん、去年1年間施設に入所して生活訓練を受けていたから、文字入力やメールの送受信、ホームページを見ることくらいはできるよ」

「なら、早速作りましょう」

 安藤さんは元々頭がいい人なのだろう。こちらが説明したことはすぐに覚えてしまうし、応用力もあるから自分でどんどん作業を進めてくれる。おかげで安藤さんの希望していた家計簿のファイルは1時間程度で完成してしまった。

「今作った項目は食費と光熱費とその他の3つしかありませんが、新たに列挿入して、その列の合計を求める関数を加えれば項目を増やすこともできます」

「……ありがとう、もう少し項目を増やして今日から早速使ってみることにするよ」

と安藤さんは満足げに微笑みながらお礼を言ってくれた。

「教え方うまいね。パソコンはかなり使っているの?」

「始めてから3年くらいです。安藤さんも基本的な操作はバッチリじゃないですか、昔からやっていたんですか?」

「……いや、僕は中途失明なんだけど、見えていたときはパソコンなんて学校の授業意外ではほとんど使わなかった。さっきも言ったけど、生活訓練でパソコン教えてもらったのが初めてで……」

「なら僕と同じですね」

「え?」

「僕も中途失明で、この学校の中学部に入学した時に初めてパソコンに触れたんです」

「そうなんだ、へぇ……。失明したばかりのときは生活するのに精一杯で全然余裕がなかったけど、訓練のおかげで活字の文書を書くことができたり、インターネットで知りたいことを調べることができるようになって、やっとこの先のことを考えられるようになったんだよね」

人生の途中で失明してしまったこと、パソコンによって生きる希望を見つけたという共通点に加え、誠実そうな話し方から、僕は安藤さんに親しみを感じ始めていた。

 家計簿作成も一段落ついたこともあり、僕はだんだんと突っ込んだ質問を投げかけていた。

「家計簿作ったってことは、お金の管理は全部一人でしているんですか?」

「この学校に入学することになってから一人暮らしも始めたんだ。家はここから徒歩2・3分のところにある松見ハイツってボロアパートなんだけど……」

「学校の目と鼻の先じゃないですか」

「そうそう、だから朝は8時近くまで寝ていても余裕で間に合うよ」

僕の場合はどんなに遅くても7時前には起きないと学校には間に合わない、この朝の1時間の差は大きい。「羨ましいですね」と言うと安藤さんは笑いながら

「メリットなんて朝ゆっくり寝られることとすぐに家に帰れるってことだけだよ。結構面倒だよ一人暮らしって」

親の目を気にせず自分一人の家がもてるのは僕にとってはかなりの魅力に思えるのだが、きっと僕には分からない苦労があるのだろう。「そういうものですか」と独り言のような曖昧な相槌を打った。

「収入も限られているから、きちんとお金の管理もしないとやばいんだ。だからこの家計簿ができてものすごく助かったよ」

「そうですね、パソコン使って管理すればかなりやりやすくなると思いますよ」

「……ただね」と安藤さんは今までの快活さがなくなって、ちょっと気落ちしたような声色になって

「今ちょっと自宅のパソコンの調子が悪いんだよね」

「動かなくなっちゃったんですか?」

「いや、パソコンそのものは動くんだけどスキャナーの調子がね……。昨日家のポストに手紙が入っていたからスキャナーで読ませようとしたんだけど、急にウンともスンともいわなくなっちゃって……。一人暮らしを始めるから一通り買い揃えたんだけど、あまりお金出せないからパソコンもスキャナーもプリンターも安物なんだ。それがよくなかったかもな……」

紙に書かれた文字が読めない視覚障害者でも、ワープロなどで書かれた活字ならばスキャナーを使って活字部分を読み取れば音声で聞くことができる。安藤さんは一人暮らしで傍に見える人はいない。おそらく手紙などの文書を読むためにスキャナーは必需品なのだろう。スキャナーが壊れて途方にくれているのは、彼の気弱で細々とした声色からも充分想像できた。

「あのー……」と僕はおそるおそるといった感じで

「もし安藤さんさえよければ僕にそのスキャナー見せていただけませんか?」

「え?」

「お力になれるかどうかはわかりませんが、実際に見せていただければ直すことができるかもしれないと思いまして……」

安藤さんはちょっと面食らっていた。僕も初対面にもかかわらず少し出すぎたことしたかなと思ったが、彼の困っている姿を目の当たりにしては放っておく気分にはなれない。しかも困っている原因がパソコンとあれば、僕にも何かできるんじゃないかなというささやかな自信もあった。

「……沢木くん詳しそうだから見てもらえれば助かるけど……」

「家は近いんですよね、もしよろしければこの後でも大丈夫ですよ。安藤さんさえご迷惑でなければ……」

安藤さんは2・3秒ほど間をおいてから

「……じゃ、沢木くんのご好意に甘えてちょっと調べてもらおうかな」

僕は「わかりました」と元気よく答えた。

 その後、残った時間で家計簿ファイルにいくつか項目を書き加えたところで終了時間となり、安藤さんは出来上がったファイルをメールに添付して自宅のパソコンに送信した。

 それぞれ帰り支度が整ったら昇降口の前で待ち合わせしようと約束し、僕はコンピュータ室を出ようとした。そのとき「なあなあ」とパソコン部副部長の滝沢徹さんから呼び止められた。彼は僕より2年先輩の高校3年生で、僕がパソコン部に入部したときからの付き合いだ。部活だけではなくプライベートでも親しくさせてもらっており、休日に遊びに行くときなど弱視の彼が率先して誘導してくれたり、メニューを一生懸命読んでくれたり、商品の説明をしてくれるなど、とても頼りになる先輩だ。急いでいたので「なんですか?」とややつっけんどんな調子で聞き返すと

「おまえのクラスに入ってきた女の子いるだろ」

僕はちょっと考え「上原さんのことですか?」と言うと「その子、その子」とやや声のトーンは下げたもののどことなくうれしそうな感じで

「あの子かわいくねえ、性格もよさそうだし」

(急にそんなこと聞かれても……)

とどう答えたものかとやや返答に困ってしまった。上原さんは礼儀正しいしさわやかな印象を与える人だから、きっと性格はいいだろうし、かわいい子じゃないかなとも思う。でも、こんな風に唐突に同意を求められたところでどう答えればいいのか僕にはわからず

「そうですね、そうだと思います」

と当り障りのない返事だけしておいて「すいません、急ぐので」ときびすを返してさっさとコンピュータ室を出てしまった。

 突然あんなこと聞いてきて、滝沢さんは上原さんに興味あるのかな……。(続)

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