春の快メール(3)

 午前中の授業も終わり、給食の時間になった。これも僕のカルチャーショックのひとつなのだが、基本的に横浜市では給食は小学校までで、中学校からはお弁当になる。しかし、盲・聾・養護特別支援学校は全児童・生徒数が100人にも満たない学校も珍しくないことから中学部・高等部にも給食が出る。配膳は先生と生徒が協力しながら行い、僕もスープをよそってお椀に入れたり、ハンバーグをトングでつまんでお皿に入れるなど一人一人の席に配っている。目が見えないとこぼしてしまいそうだが、繰り返しやっているうちにコツがつかめてくるので、今はスープ1滴、キャベツ一切れこぼさずによそうことができる。

 食事中、僕の左隣では補助職員の日高治樹先生が

「雄介、それはパンだ、フォークで指さなくても手でつかんでいいんだ。……そのまま丸かじりするより、こうやってちぎって食べたほうがいいぞ。……そうそう」

と雄介に食事指導を、そして同じく補助職員の松川佳代先生は

「美奈ちゃん、次はクリームシチュー食べようか。……ゆっくりかんでね。……じゃあ、次は牛乳にしましょう」

と美奈ちゃんに食事指導をしている。通路を挟んだ右隣では戸塚と上原さんが、そして後ろでは直樹と武ちゃんがそれぞれおしゃべりに興じており、林は一言もしゃべらずに食事している。僕はといえば、時折後ろの2人の話に突っ込むだけで、あとは林と同様ほとんどしゃべらずに食事しているだけだった。

 「そうそう」と、僕たちの前の教卓で食事していた川村先生が、まだ口の中に食べ物を含んだままのどもった声で話しかけてきた。先生は口の中の食べ物を全て飲み込むと、改めて「昨日のホームルームの時間に委員を決めてもらったんだけど……」と切り出した。

 昨日今年度最初のホームルームがあり、まずは学級委員と各委員会の委員決めが行われた。うちの学校は1クラスの人数が少ないため、一人がひとつの委員を必ず担当することになっているが、この委員決めが毎年難航する。おそらくどの委員も大して変わりないのだから別にどの委員になっても問題ないはずだが、どうせやらされるのだから少しでも楽そうな委員になったほうがいい。厳密にいえば損な役割を押し付けられたくないという損得勘定みたいなものがみんなの中にあるからだろう。

 「まずは学級委員から決めちゃいましょうか」

と原田先生が言うと同時に僕はややうつむき加減になって様子を伺った。多分みんなも同じことをしているのだろう。「立候補する人いる?」との問いかけから数秒の沈黙が流れた後、「はい」とかすかな声が聞こえたかと思うと「おおっ」と川村先生と清水先生は感嘆の声をあげた。

「上原さん、学級委員やってくれるのかしら」

と原田先生も嬉しそうな声をあげる。「やります」と彼女は再度意思表示をして、学級委員は異例の速さで決定した。

 後は学級委員に司会進行をゆだねて、残りの委員を決めることになった。委員会は、図書・給食・保健・運動会・文化祭の5つだが、学級委員の提案で希望する委員を一人一人言ってほしいとのことだった。この提案にみんなが躊躇していると、「僕運動会委員になります」とすかさず林が立候補した。今年の新入生はみんな積極的だなと思っていると、林はぼそりと「運動会は6月だから、終わっちゃえば後は何もないしな」とのこと。こいつ無口だから何考えているかわからないけど、結構計算高い奴なのかも。

 スムーズに決まったのはここまでで、後はいつもの押し付け合いの議論となった。結局、僕は本が好きだからという理由で図書委員を、戸塚は料理漫画が好きだからという理由で給食委員を押し付けられる形になった。直樹については、「おまえは保健委員がいいな」と武ちゃんが推薦した。「なんでだよ」と怪訝そうに聞き返す直樹に武ちゃんは

「だってさ、おまえ村山先生のことかわいいってずっと言っていたじゃんかよ」

村山先生とは今年赴任してきたばかりの養護教諭で、着任式の挨拶のとき僕もかなり若い先生だなと感じた。話し声は丸みがあって優しげで、ちょっと鼻にかかったような声が一昔前のアニメのヒロイン役の声優を連想させる。

「ばっ、バカなこと言うな。オレがいつそんなこと言ったんだよ!」

と直樹は否定するが、声色は明らかに同様して裏返っている。続けざまに武ちゃんは「考えてみろ、保健委員になれば毎月村山先生に会えるんだぜ」との台詞に「へっ!」と素っ頓狂な声をあげるも、それ以上抵抗しないところをみると武ちゃんの提案に直樹はまんざらでもないらしい。2人のやり取りに戸塚もクスクス笑っている。

「じゃ、保健委員は高橋くんってことでいい?」

との上原さんからの問いかけに「まあ、いっか」と軽い調子で応じる直樹、ホント単純な奴。

 そしてあまった文化祭委員は武ちゃんがやることになり、美奈ちゃんは林とペアで運動会委員を、雄介は武ちゃんとペアで文化祭委員をそれぞれ担当することになり、無事委員決めは終了したはずだった。

 ざわついていた教室も食器の触れ合う音が響くだけになり、みんなは川村先生の話に耳を傾けた。

「今年度だけの委員会になるが、新たに『創立120周年記念事業委員会』ができたんだ。知っている者もいるかもしれないが、本校は今年で創立120周年を迎える。そこで、この委員会では主に120周年の記録をまとめた記念誌の作成と秋の文化祭で予定されている記念イベントの企画をすることになっている」

「うちの学校ってそんなに歴史があるんですか」

と上原さんが質問した。

「うん、明治時代に最初の校舎ができたらしいが、聞くところによると日本で3番目にできた盲特別支援学校らしいぞ」

「ふーん」と彼女は感心したような声をあげた。

「そこでだ、この委員会を高等部普通科・保健理療科・理療科の3科の生徒で運営することになった。昨日のホームルームのときに決めればよかったのだが、すっかり忘れていてな……。できれば委員は全盲と弱視の生徒1名ずつということなのだが……」

うちの学校の高等部は3科あり、ひとつは僕たちがいる普通科で、中学卒業後の生徒を対象に一般の高校とほぼ同じ勉強をし、保健理療科と理療科は高校卒業の生徒を対象に、按摩・マッサージ・指圧・鍼・灸の勉強をする。

 何にしても、新しい委員会の担当者を決めなければならないという面倒な状況に、僕は昨日同様ややうつむき加減に周囲の様子を伺った。「どうだ、誰かやってみないか」との先生の問いかけにも今日は誰も反応しない。しばらくの間食器の触れ合う音とストローで牛乳を飲む音、パンの袋のこすれる音だけしか聞こえてこなかった。

「沢木、おまえやれよ」

と真後ろの武ちゃんが言い出した。

「……なんでオレがやるんだよ」

と僕は口の中のパンを牛乳で押し流しながら後ろを振り向き、推薦してきた武ちゃんに詰め寄った。

「だって、おまえ本たくさん読んでいるから」

「意味わかんねえよ」

すると武ちゃんの隣の直樹も

「沢木くんがいいでーす」

と言い出した。うちのクラスで全盲の生徒は僕含めて4人、確立は4分の1だ。多分、自分のほうに矛先が向く前に、よってたかって一人に押し付けてしまおうという腹なのだろう、理由なんてどうだっていい。直樹と武ちゃんの2人から推薦という名の押し付けを受け、沈黙している上原さんに「やってみない」と振る勇気など僕にはなく、先生の「じゃあ、頼むぞ沢木」という一言であっさりと決まってしまった。

 残るは弱視だが、うちには戸塚と林しかいないのでどちらかと組むことになる。先手必勝とばかりに戸塚は真後ろを振り返り

「ねえ林くん、やってみない」

と切り出したところ、「やんない」とすっぱりと言われてしまった。武ちゃんの真似をして林に押し付けようとしたつもりが、こうきっぱりと言われてしまったら逆にどう返していいかわからないようで戸塚がどう返答したものかと迷っていると、林は

「戸塚さんはオレよりも長くこの学校にいるんだから、オレよりもこの学校のことよく知ってるんだろ。戸塚さんのほうがいいんじゃないの」

と言われてしまい、戸塚は「はあ……」と明らかに困ったような声音で応じた。

 2人のやり取りを見ていた川村先生はここぞとばかり「じゃ、戸塚がやるってことでいいか」と留めの一言を言い、万事休すの戸塚は「あ……、はい」と引き受けてしまった。よって創立120周年記念事業委員は僕と戸塚が担当することになったのである。

 僕は振り向きざま

「おまえらのほうがこの学校長いんだから、おまえらのほうがよかったんじゃないのか?」

と悔し紛れの言葉を2人に投げかけたところ

「もう決まったんだから今更そんなのなし」

「そうそう、なしなし」

と一蹴されてしまった。どうして僕って林みたく頭が回らないんだろう……。僕は空になった牛乳パックをクシャリと握りつぶした。(続)

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