たか美とブリ子

松江塚利樹

たか美とブリ子

 この春、私は念願叶ってとある高校に入学することができた。第一志望に掲げていた高校だったので、合格が決まった時には嬉しさのあまり思わず感激の涙を流し、高校の制服を身に着け初めて登校した時には誇らしさで胸がいっぱいだった。

 入学式を終え、指示された教室に入り、黒板の座席表を確認して窓際の前から2番目の席に着席すると、真ん前の席に座っていた女の子がこちらを振り返り、にこにこと愛想笑いを浮かべながら「こんにちは」と声をかけてきた。それがブリ子だった。

 「あ……、初めまして」

突然の声かけに少々驚いたものの、新しい環境に慣れていない緊張感と、知り合いが誰もいない心細さに若干ナーバスな気分になっていたので正直嬉しかった。愛想よく受け答えた私に気を良くしたのか、ブリ子は自分の出身中学のこと、地元のことを話し、私の中学のことや地元のことについて聞き、担任の先生が来るまでの間、私たちはたわいのない話題で時を潰した。

 ホームルーム終了後、その場の成り行きで私とブリ子は一緒に教室を出て昇降口へと向かった。その間もブリ子の下は滑らかに動き、私もてきぱきと返事を返した。

 「クラスに全然知り合いいなかったからさびしかったんだ。良かった! 早速新しい友達ができて♪ あたしのことは『ブリ子』って呼んでね」

とのブリ子の言葉に、私は心の中で「は!?」と呟いた。確かに、このクラスに入って最初に話したのはブリ子だし、それなりに楽しく会話していたが、出会ってから1時間くらいしか経ってないのに「友達」って……。私としては、相手を易々と「友達」と位置付けることに抵抗があったし、逆にブリ子のようにちょっとおしゃべりしただけで、すぐに「友達」と位置付けられるのは、なんだか友情の押し売りをされているような気がするし、単にその人自身が一人ぼっちでいる孤独感を紛らわせたり孤立している気まずさをごまかすためのおまじないを唱えているように聞こえて、正直あまりいい気分はしなかった。とは言え、ブリ子のような女の子は小学校や中学校にもいたし、そのうちお互い気の合う相手が見つかれば自然と離れていくだろうと思い、その時は「そうね」と適当な相槌を打ってお茶を濁した。


 しかし、入学して1週間経ち、2週間経ち、1か月が経っても私とブリ子の関係が途絶えることはなかった。朝、私が教室に入るや否や目ざとく見つけると「おはよう!」と言って近づき、体育館や化学実験室などの移動教室の時にもぴったりと寄り添って必ず私の隣の席に座り、昼休みになればすぐさま後ろを振り向いて私の机でお弁当を広げて向かい合って食べ、下校時は分かれ道のギリギリまで着いてきた。私もあからさまにブリ子を足蹴にしたり無視したりすることはなかったので、はた目には仲良しに見えていたかもしれないが、正直私はブリ子を少々苦手に感じていた。

 苦手と思う根拠はいくつもあるが、最も私が嫌悪感を示したのは、ブリ子の「フレンドリー」と「礼儀知らず」をはき違えて、人の領域に土足で踏み込んでくるなれなれしい態度だった。入学式の数日後、私はブリ子から「たか美おはよう♪」と名前で呼ばれた、しかも呼び捨てで。確かに私は入学式の日に「私のことは『ブリ子』って呼んでね」と言われたので何の気なしにそう呼んでいたが、私はブリ子に『たか美」と呼んでくれとは言った覚えはないし、そもそも初めからそんなフレンドリーな中になろうとも思っていなかった。急になれなれしく呼ばれたので一瞬私の表情はこわばり、ブリ子もちょっと目を見開いて私の表情に躊躇しているようなそぶりを見せたが、すぐに気を取り直し「ちょっと聞いてよ」と、にこにこしながら話し始めたので、結局うやむやになってしまった。そしてブリ子は以後私のことを「たか美」と呼び続けた。


 学校にいる間、始終付きまとわれているだけでも疎ましく思えるのに、ブリ子は私の行動や思考ですらも模倣するようになった。同じ図書委員になった時にはあまり気にしなかったが、小学生のころからピアノを習っていると言っていたブリ子が芸術科目で私と同じ美術を選択した時には違和感を覚え、中学校から続けている新体操部にブリ子も一緒に入部してきたときには驚愕した。今思えば、委員会にしろ芸術科目にしろ部活にしろ、ブリ子はいつも私の様子を伺い、私が決めた後で何食わぬ顔で私と同じものを選んでいるのだった。そのたびにブリ子は「ぐーぜんだね」とか「いつも一緒だね♪」と微笑みながら言ってくるのだった。

 だが、ブリ子がつきまとっていたのは学校の中だけで、休みの日まで私を誘ったり自宅に押し掛けたりするようなことはなかった。入学して間もない頃、私はついうっかりブリ子とケータイ番号とメルアドを交換していたので、これまでのブリ子の付きまといぶりから休日にまで会う約束させられるのではないかと危惧していただけに、ほっとする一方、少々意外にも思っていた。

 ある日曜日、私は同じクラスで特に親しい女の子たち3人と一緒に、最寄駅から数駅離れた繁華街へと出かけた。もちろん、この中にはブリ子はいない。百貨店の催物会場で行われているイベントを観覧し、オープンしたばかりのカフェでスイーツを味わい、ショッピングモールではかわいい服やきれいな小物を物色して楽しい時間を過ごした。十分遊んで帰路に付いた私たちだったが、まだ日が高かったので地元の駅の近くにあるファミレスでお茶してから帰ろうということになった。4人掛けのボックス席を陣取った私たちは、各々買ったものを見せ合ったり、先ほどのイベントの感想や学校での出来事や噂など、たわいのない話で盛り上がっていた。あるとき、窓際に座っていた私は、ふいに何かを感じ取り、何気なく窓の方に顔を向けると、車道を挟んだ向こう側の通から、こちらをじっと見つめている女の子がいることに気付いた。私の視線に気付いたその女の子は慌てて顔をそむけて脱兎のごとく走り去ったが、それは間違いなくブリ子だった。ほんの一瞬しか見ることはできなかったが、ブリ子の顔には表情がなく、目には裏切り者でも見るような冷たく冷ややかなものが渦巻いていた。私は、そんなブリ子の視線に、怒りでも軽蔑でもなく、恐怖の念が胸の奥にじわじわと広がっていくのを感じていた。


 次の日の朝、いつものようにブリ子はにこにこヘラヘラした笑みを浮かべながら「たか美おはよー♪」と言ってきた。昨日のファミレスでの一件があったので少々気まずいものを感じたが、よくよく考えれば私が後ろめたい思いを感じる必要は全くないんだし、当のブリ子が何も気にしていないようなので「おはよう」と返してそそくさと席に着いた。

 さらに次の日、登校するなりクラスの友達から不服そうな声音で「昨日はどうしたの?」と聞かれた。何も心当たりのない私は「え? 昨日って何のこと??」と訳が分からず、ぽかんとした表情を浮かべたままその場に突っ立っていた。私の前には、先日一緒に遊んだ3人がいる。

 「あんな意味深なメール送っておいて、そういう態度はないんじゃない。しかも自分から誘っておいて」

 「意味深? 誘った? 全然意味分かんないよ。第一、私昨日メールなんかしてないもん」

全く話の通じない私に業を煮やした友達は「じゃ、これは何なのよ」と私の目の前にケータイを突き出してきた。ディスプレイには

 「お願い! 聞いてほしいことがあるの。なんだか息苦しくって押しつぶされそうなんだけど、他に打ち明けられる人がいなくって、是非相談に乗ってほしいの。6時に駅前のファミレスに来てね。部活の後片付けで少し遅れるかもしれないけど待っててね」

 私は文面に目を通すや否や「知らないよこんなの!」と叫んだが、「何言ってんの! これたか美のメルアドじゃん。あんたが送ったんでしょ」と、他の2人からもケータイを突き付けられた。そこには例の文章に加え、送信元には私のメルアドが表示されている。

 「私なんてとっくに家に帰ってたんだけど、このメール見て慌ててファミレスに行ったんだからね。なのに、たか美ったらいつまで待っても来ないし。自分から言っておいて約束すっぽかすなんて最低だよ!」

すっかりパニックになった私は「だったらメールのひとつでも送ってくれたらいいじゃない」と言い訳がましく小声でぼそりと呟くと「したわよ!」とものすごい剣幕で言われた。

 「全く来る様子がないから何度もしたわよ! メール送っても返事がないし、電話してもずっと呼び出し音で出やしないし」

慌てて鞄の中に手を突っ込みケータイを取り出すと、そこには確かに昨晩彼女たちから送られたメールや着信記録が複数残っていた。ケータイの表示に青ざめた私は、何をどう伝えればいいのか分からなくなって「……ごめん」と呟やくと、彼女たちは無言でそっぽを向いて私のもとを離れていった。

 彼女たちの勢いに押されてすっかり動転してしまったが、徐々に落ち着きを取り戻すに連れ、冷静に考えることができるようになった。私はケータイの送信記録を確認し、昨日彼女たちにメールを送っていないことが分かると一瞬安心したが、設定を確認したとき、着信音量が0になっているのを見て背筋に冷たいものが走った。私は、普段ケータイを自室に置きっぱなしにしているので、リビングやダイニングにいても聞こえるように着信音量は大きめに設定している。だから、着信音量の設定も、メールの送信も私がしたことではない。誰かが私のケータイを使って彼女たち3人にでたらめなメールを送って、証拠が残らないように送信メールを削除して、そして彼女たちから連絡がきても気付かないように着信音量を0に設定した。これは間違いなく私への嫌がらせだ。そして私はまんまとはめられてしまったのだ。


 放課後、部活動を終えた私は、今週後片付け当番になっていたので、他の当番の子たちと一緒にマットやリボンやこん棒を片付け、モップで床を磨いていた。「そういえば」と私はあることに気付いた。

 「……ブリ子がいない」

同じ新体操部のブリ子は、私が後片付け当番の日には必ず体育館の隅っこで終わるのを待っているのに、今日に限って体育館のどこにもブリ子の姿が見えない。いや、よくよく考えたら昨日も後片付けしているときにはブリ子はいなかった。私はモップを投げ捨てると、そのまま体育館を飛び出し、一目散に教室へと向かった。

 階段を駆け上がり右手に折れたところで、小走りでこちらに向かってくるブリ子の姿が見えた。私の姿を見たブリ氏は、その場でピタリと止まり目を大きく見開き、明らかに動揺している様子だったが、すぐにいつもの笑みを浮かべると

 「どうしたの、たか美? こんなところで、着替えもしないで。後片付けはどうしたの?」

と何食わぬ顔で言ってきたが、私は返事もせずにブリ子の顔を人睨みすると、そのまま横を通り抜け教室へと駆け込んだ。鞄の中のケータイを取り出し、メールの送信記録を確認してみたが、特にこれといって変わった様子はない。しかし、今朝元に戻したはずの着信音量は再び0に設定されていた。

 不吉な予感にさいなまれた私は、慌てて例の友達3人のところに連絡を取ろうとしたが、メールをしても送り返され、電話をかけても繋がらない。私は彼女たちから着信拒否されていることに呆然とした。

 翌朝、教室に入ると、私の顔を見た彼女たち3人は揃って目をそむけ、こちらの方をチラチラ伺いながら3人でひそひそと話している。ブリ子が何のために、そしてどんなメールを彼女たちに送ったのかは分からない。ただひとつ確実に言えることは、私は3人の友達を失ってしまったということだった。


 私はブリ子を問い詰めた。

 「ちょっとブリ子! あんた私のケータイ使っていたずらしたでしょ!」

しかし、ブリ子は眉ひとつ動かさず「知らないよ」とそっけない態度で返した。私は目を吊り上げ、声をとがらせて

 「とぼけないでよ! あんた、私が後片付けしている間に私のケータイ使って友達にでたらめなメール書いて送っていたんでしょ! 知らないって言うんなら、昨日部活終わってから教室行って何してたのよ!」

勢い込む私とは対照的に、ブリ子は一層笑みを深くして

 「汗拭きタオル忘れたから取りに行っていただけだよ。私は当番じゃなかったんだから、一足先に教室戻ろうが何しようが私の勝手でしょ。それとも何? 私がたか美のケータイ使った証拠でもあるの?」

ブリ子のいつものにこにこヘラヘラした顔が、私への嘲笑に思えて、正直私はブリ子の横っ面を引っぱたいてやりたい衝動に駆られたが、悔しいことに、誰かにいたずらされた形跡はあるものの、それがブリ子だという証拠は何もない。返す言葉もなく、ただただ奥歯を噛みしめる私とは対照的に、一層笑みを深くしたブリ子は

 「なんだか、あの3人と険悪な様子みたいだけど、たか美ハブられちゃったの? 何があったか知らないけど、私に八つ当たりするなんてあんまりじゃない」

とたんにブリ子の顔から厭らしさがすっと抜け、穏やかにニコリとほほ笑むと「でもね」と小首を傾げて

 「何かいやなことがあったら聞いてあげるし、困ったことがあったら相談にも乗るよ。別に遠慮しなくてもいいんだよ、私もたか美には愚痴こぼすこともあるし、相談に乗ってほしいことだってあるだろうから、お互い様よ。どんなことがあっても、私はたか美といつも一緒だよ」

何の悪びれる様子もなく、いけしゃあしゃあと御託を並べるブリ子を前に、私は生まれて初めて「はらわたが煮えくり返る」という慣用句を肌身で感じていた。

 思い出してみれば、私は入学以来ずっとブリ子に付きまとわれているものの、クラスメイトや部活仲間との交流を深め、友達の輪を広げてきた一方、ブリ子は私以外の人とは関わろうとはせず、いつも私を盾にして陰に隠れていた。ブリ子はいつも私の隣にいるものの、私が他の人とおしゃべりに興じているときは決して会話に混ざろうとはしないし、私が他の人たちの輪に加われば、とりあえずは一緒になって輪には加わるものの、いつも居心地悪そうにしていたし、私が楽しそうに話しているのを面白くなさそうな表情で見ていた。もしかしたら、私が思っているよりもブリ子は内向的で人見知りが激しく、友達作りが苦手なタイプの子なのかもしれない。それだからこそ、清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気を振り絞って入学式の朝に私に声をかけ、一方的な思い込みにしろ自分を受け入れてくれる友達が見つかったことで、学校内で「友達のいない寂しいヤツ」とのレッテルを張られることから免れ、それを継続するため私に執着するようになった。そしてある日、私が他の友達と仲良くしているところを目撃した。きっとブリ子は、このままだと私が自分の元を離れてしまうと恐れた、または私が他の子たちと楽しそうにしていることに嫉妬し、あのような嫌がらせをして私を一人ぼっちにしたのだ。結局ブリ子は、一緒になって遊んだり心を許しあえる友達が欲しいんじゃない。自分と同じように、一人ぼっちで寂しい思いをしている仲間を自分の傍に置いておきたいだけなのだ。そして、みじめでつまらない思いをしているのは自分だけじゃないと安心したいだけなのだ。

 ブリ子のゆがんだ性格と卑劣な行為に更なる憤りを覚えたが、ふとある想像が頭をよぎった次の瞬間、私の背筋は凍りついた。今は同じクラスでも、学年が上がれば卒業後の進路や学力によってクラスが分かれる。クラスが別々になればブリ子に執着されることもなくなるし、いくら執拗に付きまとってくるブリ子だって進路や学力までは真似することはできないはずだ。しかし、自分が真似することができなければ、あの陰湿で自己中心的なブリ子のことだ、私から3人の友達を失わせたように、どんな手段を使っても私が志望している進学先を変えざるを得ない状況に追い込まれたり、学力が下がるような邪魔立てを















企てるかもしれない。単なる想像だが、ブリ子ならやりかねないような気がしてならない。

 憎悪と恐怖でいっぱいになった私はすっかり混乱してしまった。


 ある日のこと、私はいつものように隣にぴったりと付きまとっているブリ子に話しかけた。

 「……ねえ、なんだか私ここのところ全然疲れ取れないんだよね」

と気だるそうな表情を作ると「そう言えば、最近のたか美元気ないなって思っていたんだ」とブリ子が乗ってきた。「やっぱり分かる?」と、内心嘲笑いながらも肩を落として

 「高校生活にストレス感じているのかなぁ。最近寝つきが悪くて、全く眠れないんだよね」

とため息をついた。「不眠症ってヤツね、心配ね」と言いつつ、ブリ子の表情はどことなく嬉しそうだ。ブリ子は自分よりも不幸な人がいると安心し、相手から悩みを打ち明けられて相談に乗る行為そのものに喜びを感じるところがある。そんなブリ子の態度に少々イラッとしつつも、悟られないように演技を続ける。

 「そうみたい。せめて夜ぐっすり寝ることができれば、もう少し楽になれそうなんだけど……」

 「睡眠薬とか使ってみたら?」

 「睡眠薬かぁ……。使ってみたいんだけど、薬局に置いてあるヤツって効果あるのかな? よく効くのが欲しいんだけど、そうなるとお医者さん行かなければならないでしょ。私病院ってあんまり好きじゃないからなぁ……」

 「分かる分かる」とにこにこしながら相槌を打つブリ子。「だったらさぁ、私のお母さんが時々使っているのがあるから持ってきてあげるよ」

私は心の中で「しめた!」とほくそ笑んだ。ブリ子のお母さんが不眠症で睡眠薬を使っていたことは、依然ブリ子が話していたのですでに知っていた。

 「ほんと!?」と一瞬笑みを浮かべたが、すぐに真顔になり「でも、そんなことしてもいいの? お母さんに何か言われたりしないかな」と一応遠慮してみせる。

 「いいよいいよ、いつも使っているわけじゃないもん。黙って持ち出せば分からないしばれることもないよ。たか美のためだもん、全然気にしなくてもいいよ」

とのブリ子の言葉に、私はありがとう」と言った。こみあげてくる笑いを抑えながら。

 そして翌日、私はブリ子から薬包紙に包まれた粉薬を受け取った。


 更に数日後、私は学校にアーモンド入りの手作りチョコを持参し「たくさん作ったからブリ子にもあげる」と差し出すと、ブリ子は満面の笑みで「ありがとう」と受け取った。そして私は「今度の休みって暇?」と尋ねると、ブリ子はきょとんとしながら「別に予定はないけど……」と答えた。「良かった」と私は胸の前で手を組む。

 「雑誌で読んだんだけど、○○高原ってあるじゃない。あそこって、ここから電車で2時間もあれば行けるところなんだけど、緑が多くて空気がとってもきれいなんだって。トレッキングできるし、湖でボートに乗れたりするらしいよ」

 「そうなんだ」と、まだブリ子はぽかんとした表情を浮かべている。

 「でね、もしブリ子さえよければ、今度の休みに私と一緒に行かないかなって思ったの。一緒に山の中歩いて、湖でボートに乗ってさ、そうそううちにバーベキューセットがあるからお昼は二人でバーベキューしたりさ」

とたんにブリ子の顔が明るくなり「もちろん! 行く行く!」と首を大きく縦に振った。「ただね」と私は口元に手を当て小声になって

 「うちのお父さんとお母さんって過保護でさ、子どもだけで遠出したいなんて言ったら絶対反対するから黙って行くつもりなんだ。だから、ブリ子もこのことは内緒にしておいてくれないかな。ほら、どんなはずみでうちの親の耳に入るか分からないからさぁ」

ブリ子はにこにこしながら無言で首を縦に振った。

 「あとね、うちにあるのは練炭コンロなんだけど、行く前に練炭コンロの使い方を練習しておきたいんだ。ほら、当日になって使い方が分からなくて火が着かないなんてことになったら目も当てられないじゃない」

 「そうだね♪」とブリ子は私の真似をして小声で答えた。

 「で、いつやる、練習」

 「早いほうがいいわよね。今日なんてどうかしら。部活終わって、家に帰って夕ご飯食べ終わったくらい。そうねえ、10時くらいから。ブリ子大丈夫?」

 「いいよ。で、どこでやる?」

 「そうねえ……」私はちょっと考えるふりをして「……街外れの廃工場なんてどうかな」

 「あんなところで?」と、ブリ子の顔が曇ったので、私は一層笑みを深くして小声になって

 「バカねえ。行くことを内緒にするんだから、練習も目立たないところでやらなくちゃ。それに、あそこなら周りがコンクリートに囲まれているから、もしものことが起こっても燃え広がったりする心配がないからいいのよ」

と言うと、ブリ子も納得したらしく「そうだね」と頷いた。

 「それとね、ブリ子にお願いがあるんだけど」

ブリ子は「なになに?」と言いながら身を乗り出してきた。

 「燃料に使う練炭がないのよ。悪いけど、来る前に買ってくれないかな。ほら、ブリ子の家の近くにホームセンターがあるじゃない。多分あそこのアウトドア用品を売っているコーナーにあると思うから。もちろん後でお金は出すわ」

 「オッケー」とブリ子はにっこりとほほ笑みながら右手の人差し指と親指で円を作った。私もにっこりとほほ笑んだ。心の中でブリ子に毒づきながら。


 私は近所のコンビニにでも行くような素振りで、予定の時間よりも早めに家を出た。ここからは絶対に失敗は許されない、誰にも私のことを見咎められてはならない。息切れするくらいの緊張感に胸を押しつぶされそうになりながら、私は街外れの廃工場へと急いだ。廃工場に着くなり、私は物陰に身を隠した。今の私は長い髪をくくって帽子の中に隠し、普段着なれないTシャツにジーンズ、そしてスニーカーを身に着けている。この姿なら、仮に私のことを知っている人でもすぐには気付かないだろう。

 午後10時、時間通り右手にビニール袋をぶら下げたブリ子がやってきた。

 「ブリ子!」

私の前を通り過ぎようとしていたブリ子を呼び止めると、「ひっ!」と小さな悲鳴をあげて立ち止まり、おどおどしたような目つきで辺りを見回した。そして、私の姿を認めると目を丸くしてこちらをじっと見つめた。すかさず私は口の前で人差し指を一本たてた。

 「どうしたの? その恰好」

 「べつに」と私は答えた。「とにかく中に入りましょ。練炭は買ってきた?」

 「もちろん」と、ブリ子はビニール袋を差し出してゆらゆらと動かした。私は無言で頷くと、踵を返し、用意してきた懐中電灯で足元を照らしながら廃工場の敷地内へと入っていった。その後ろをブリ子がおっかなびっくりな調子で着いてくる。裏側に回ると、工具だか材料を補完するために使われたと思われる倉庫がいくつか並んでいるところに出た。数日前に下調べしたとき、鍵が閉められていない倉庫を見つけていたので、私は迷わずその倉庫の前に立ち、ゆっくりと扉を開けた。

 「真っ暗じゃない。電気着くの?」

 「着くわけないじゃない。だから懐中電灯持ってきたの」私はブリ子には構わず、懐中電灯で辺りを照らしながら中へと入っていった。それでも躊躇しているブリ子に「中に入らなきゃ練習できないでしょ。扉開けっ放しにしておけば月明かりが入ってくるから真っ暗にはならないわよ」と促すと、ブリ子は渋々ながら門扉を大きく開け放し中へと入ってきた。

 倉庫は大して大きくない。私の家のガレージ程度の広さだ。私は無造作に横たわっている鉄骨の上に懐中電灯を置くと、用意してきた練炭コンロやマッチを広げた。もくもくと作業をする私の手元を見たブリ子は「もう軍手しているんだ、本格的ね」と言ったので「当たり前でしょ、これから火を使うんだから」とそっけない態度で応じた。

 「練炭ちょうだい」

ブリ子からビニール袋ごと受け取り、中身を確認するとパッケージに封入された数本の練炭があった。開封した私は練炭コンロにセットした。

 「そうそう」

私はふと思い出したように手を止めると、鞄の中から手作りチョコレートを取り出した。

 「昼間にあげたヤツと同じだけど、たくさんあるから持ってきたの。食べない?」

突然差し出されたチョコレートに一瞬戸惑ったブリ子だったが、すぐに気を取り直すと目を輝かせ「いいの? 今日もらったチョコすっごくおいしかったよ」と、アーモンド入りのチョコレートを受け取った。私は何も入っていないプレーンの手作りチョコレートを取り出すとそのまま口に入れた。そしてブリ子もつられるようにチョコレートにかぶりついた。とたんにブリ子は「あれ?」というように小首をかしげると

 「なんだか昼間もらったものと味が違うような気がする。なんかヘンな苦みがあるような……」

 「そう? 昼間のと同じものなんだけど。気のせいじゃない?」と、私は内心の焦りや動揺を感じ取られないよう、何気ないふりでチョコレートをもぐもぐと食べた。「甘いもの食べて喉が渇いたせいかもね、これ飲む?」とミネラルウォーターのボトルを差し出すとブリ氏は受け取り、飲みながらそのままチョコレートを食べ続けた。

 「ところでさぁ……」

と、私は何気なく、学校のことや最近見たテレビの話を切り出した。最初はいつものにこにこ顔を浮かべながら受け答えしていたブリ子だったが、5分、10分と経つごとにだんだんと舌が回らなくなり、ゆらゆらと左右に体を動かすようになった。

 「どうしたの?」

私が訪ねると、ブリ子は右手を額に当てると

 「なんだか足元がおぼつかない感じがするの。頭もぼんやりしてきたし……」

 「疲れが溜まっているんじゃない。とりあえずここに腰かけて落ち着くのを待ってみれば」

ブリ子は力なく「うん」と頷くと鉄骨に腰を下ろした。ブリ子は膝の上に肘を置き、ぐったりとした様子でコンクリートの地面を見つめていたが、それから間もなく首がガックリとオレ、膝に顔を押し付けるようにして眠り込んでしまった。念のためブリ子の肩を掴んで揺り動かしてみたが起きる気配は全くなく、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 ブリ子が眠ったのを確認すると、私はセットした練炭を取り外して急いで練炭コンロを片付けた。そして、軍手をはめたままブリ子のポシェットを探ってケータイを取り出した。アドレス帳を表示させると、登録されているのは数件だけで、友達らしきものは私のしかなかった。そして私はブリ子のケータイから自分のアドレス宛に

 「なんだか生きていくのに疲れちゃった。今までありがとう」

と打って送信すると、すぐにブリ子のポシェットに押し込んだ。座ったまま眠りこけているブリ子をコンクリートの床に寝かせ、ブリ子が買ってきた練炭全てにマッチで火をつけると、そのまま顔の傍に置いた。私は懐中電灯でさっと辺りを照らし、ミネラルウォーターのボトルと練炭のパッケージのごみだけ残されていることを確認すると、すぐに倉庫を出てぴったりと門扉を閉めた。

 駆け足で自宅に戻りながらケータイを取り出すと、先ほど私が送信したブリ子からのメールが届いていた。私は走りながらケータイを操り

 「何バカなこと言っているの! 意味分かんない! 取りあえず明日学校でね」

とブリ子のケータイにメールを返した。

 玄関に飛び込み、後ろ手でドアを閉めると、私はドアに持たれてしばらくの間荒い息を整えるためにその場に立ち尽くした。いつまでも収まらない心臓の鼓動、吹き出し続ける汗、そのうち私はへなへなと腰が抜けたようにしゃがみこんだ。何も失敗していない、全て思い通り事が運んだと自分に言い聞かせながら。


 廃工場の倉庫からブリ子の死体が見つかったのは次の日のことだった。学校に行くと、朝のホームルームでブリ子が昨晩から帰らないと両親から連絡があったと先生から告げられた。私はすぐに昨晩ブリ子からヘンなメールを受け取ったことを伝えると、すぐにブリ子の家に報告され、そのまま警察に捜査願いが出された。メールの内容から自殺の疑いが強いと踏んだ警察は、すぐさまブリ子の自宅を中心に捜索を開始した。そして、その日の深夜、警察によってブリ子の死体が発見されたのである。

 人気のない倉庫で、練炭の燃えカスとミネラルウォーターのボトルが残されていたことから、死因は練炭による一酸化炭素中毒であることが判明した。そして、司法解剖の結果睡眠薬が検出され、それがブリ子のお母さんに処方されたものと同じものであること、ホームセンターの店員の証言によりブリ子が練炭を購入していたこと、そして現場の状況からブリ子以外の痕跡が認められなかったことから、睡眠薬を服用後に自ら練炭に火を着けて自殺したと結論付けた。

 司法解剖の際にアーモンド入りチョコレートが検出され、私がブリ子にチョコレートをあげるのを目撃していたクラスメイトの証言により警察に事情聴取されたが、私はブリ子の友達で、たまたま手作りチョコレートを作ったのであげただけと答えた。ブリ子の両親も、自宅を出る前にチョコレートを食べていたとの証言をしたことから、死亡とは無関係と見なされ、以後私のところに警察が来ることはなかった。


 自室のベッドの上で、私は枕に顔を押さえつけて必死で笑いをかみ殺していた。全てうまくいった、あの陰湿で嫉妬深くて自己中心的で邪魔なブリ子をこの世から消してやった、そして警察ですらも私がブリ子を殺したとはこれっぽっちも思っていない。私は邪魔者を片付けた達成感と、こんな大それたことをいとも簡単にやってのけた興奮に胸を高鳴らせ、大声で快哉を叫びたいという衝動を抑えることに必死だった。

 自殺に見せかけるため、睡眠薬で眠らせて練炭による一酸化炭素中毒で殺そうということはすぐに思いついた。しかし、睡眠薬も練炭も私が準備したのではすぐに怪しまれてしまう。だから私は「最近眠れない」と嘘をついて、まんまとブリ子からお母さんに処方された睡眠薬を貰い受け、行くつもりもない遊びの計画を告げて、バーベキューするための練習ということでブリ子自身に練炭を買わせて、しかも廃工場の倉庫に誘き出すことに成功した。

 もちろん睡眠薬はアーモンド入りの手作りチョコレートに混ぜた。昼間ブリ子にあげたチョコレートはフェイクだ。理由は、夜の倉庫であげるチョコレートへの警戒心を軽減させることと、死亡後に胃の内容物を調べられたときに、チョコレートは無関係ということを印象付けるためだ。ただ、夜の倉庫で渡す時、ブリ子だけに食べさせるのは何となく不自然かと思い、チョコレートは2こ用意した。ただし、睡眠薬入りのものと絶対に間違えないように、私の食べるほうのチョコレートはアーモンドなしのプレーンにした。

 完璧! 何もかも完璧だ! しばらくの間はブリ子が死んだことで悲しんでいるふりをしなければならないが、喪が明けたころを見計らって少しずついつもの生活に戻して、後はブリ子のことはすっかり忘れて充実した高校生活にしていこう。もう私に付きまとうヤツはいない、私の生活や未来を邪魔立てするようなヤツもいない。そう思うだけで、私の心は充実感で満たされていった。


 ふいにケータイが着信を告げた。突然大きな音が鳴り響いたので一瞬息が止まるかと思ったが、すぐに気を取り直し鞄の中に入れっぱなしになっていたケータイに手を伸ばした。ディスプレイを見た私は「おや?」と首を傾げた。そこには差出人不明のメールが一通届いていた。ケータイのアドレス帳に登録されていない人からのメールでも、通常ならばメールアドレスくらいは表示されているものだが、このメールにはアドレスが記載されていなかった。「新手のスパムメールかな」と思いながら、それとなくメール本文に目を通したとたん、脇の下に汗が一滴流れた。

 「たか美。今、私街外れの廃工場の倉庫にいるの。午後10時になったら来てね」

「何これ」と思いたくても、あまりにも無視できるような文面ではないし、「誰かのいたずら」と思いたくても、このことを知っているのはこの世で私一人しかいない。あまりにも気持ち悪いメールに、私は何も考えずそのままメールを削除した。しかし、メールを削除しても、何か得体のしれないものに付きまとわれているような恐怖感は胸の中から消えることはなかった。私は午後10時になるのが怖くて、そして寝てしまえばきっと気分も楽になるだろうと思い、そのままベッドにもぐりこんだ。

 眠りについたと思った次の瞬間、再びケータイの着信音が鳴り響き、私は思わずガバリと起きあがった。時刻は午後10時を過ぎたところ。ディスプレイを見ると、またもやアドレスのないメールが届いていた。

 「たか美。約束の時間だよ。来ないのならこっちから迎えに行くね」

私はすぐさまメールを削除した。そんなバカな、あいつは死んだはず、警察の人だって死体を確認したって言っていたじゃないか。だったら誰が、そしてなぜ知っているんだ。ケータイを握りしめ、ガタガタ震えながらそんなことをぐるぐると考えていると、またもやケータイの着信音が鳴り響いた。

 「たか美。今、たか美の家の前にいるの。迎えに行くね」

私は恐怖のあまり悲鳴を上げ、ケータイを壁めがけて投げつけた。次の瞬間、ドアの鍵が外され、「キィー」っとゆっくりドアが開かれる音が耳に入った。なんでドアの鍵が外れるの!? お父さんもお母さんもとっくに帰ってきているはずなのに!? そういえばお父さんとお母さんはどうしたの!? さっきから全然気配がしないんだけど……。そう思った私は一階の様子を見に行こうと、ベッドから降りて立ち上がろうとしたが、突然激しい立ちくらみに襲われ、その場にズデンとしりもちをついた。そう言えば、なんだか頭の奥で重たいような鈍痛を感じる。立ち上がろうと足腰に力を入れようとしても全く力が入らない。おまけに、吐き気がしてとっても息苦しい。私は直感的にこの部屋にいてはダメだと思い、早くここから出ようとドアの方に向かってはいつくばった。しかし、「トン……トン……トン……」と、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえたとたん、私は恐怖ですっかり体が固まってしまい、指先ひとつも動かせなくなってしまった。そして、呼吸をするごとに、私は徐々に意識が遠ざかってくるのを感じた。

 足音は部屋の前で止まった。すると、再びケータイの着信音が鳴り響いた。うつぶせに横たわる私の目の前には、さっき投げ捨てたケータイが転がり、かろうじてディスプレイに表示されているメールを読むことができた。

 「たか美。今、たか美の部屋の前にいるの。迎えに行くね」

 ああ、なんて陰湿で嫉妬深くて自己中心的なヤツなんだろう。死んでもなお私に付きまとい、そして自分の傍に連れて行こうとするのか。私は今初めて、とんでもないヤツに付きまとわれてしまったと、心の底から後悔した。

 ゆっくりとドアが開き、誰かが佇んでいる気配を感じた。そして、そいつは私の耳元でそっと囁いた。

 「いつも一緒だよ」

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たか美とブリ子 松江塚利樹 @t_matsuezuka

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