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 徐々に減速する電車を気にしつつも、僕はポケットから電話を取り出した。「やっぱり」とディスプレイに表示されている差出人を一目見るやそう確信した、ヒカルからメールがきたのだ。差出人だけを確認すると、僕はそそくさと形態をポケットにしまい込み、目の前の電車に飛び乗った。さすがに、社内における携帯電話のマナーがうるさく言われている昨今において、今ここで内容を確認するにはちょっと気が引ける。実際には通信するわけではないので大して迷惑にはならないと思うのだが、携帯電話の印象がよくない空間では取り出して手に持っているだけでも周りが白い目で見るような被害妄想に襲われる。まあ、そのくらい気をつけた方がいいのかもしれないが。だから、内容を確認するのは数駅先の乗換駅までお預けとなった。

 この携帯電話は僕にとって2機目になる。大学入学とほぼ同時期に購入したのだが、当時はまだ電話機能だけで、差なんてものはどれくらい小さいか、通信は快適か、着信メロディが作れるかなんてところにしかなかった。しかし、自分専用の電話機が持てたこと、そしていつでもどこでも目的の相手にかけることができ、逆にどういう状態でも相手に連絡が取り付けるというのはなかなか魅力的だった。しかし、携帯電話は従来の音声から文字情報の伝達へとその幅を広げた。このころあたりからだろう、いわゆるショートメールやらグラフィックなんかがもてはやされた頃は。いつでもどこでも相手にメッセージが伝えられる魅力に加え、相手に気を遣うこともなく、また自分もいつでも好きなときに受け取れるという気軽さが更に和をかけて、身近な僕の友達連中も次々と機種変更や新規購入をして形態メールが使える電話に変えていった。わりと周囲の雰囲気に流されやすいタイプの 僕も、まだ2年しか使用せず特にどこも故障していないという後ろめたさはあったものの、思い切ってみなと同じものを購入した。それが今使っている携帯電話だ。

 最初は限られた友人同士の間柄で、どうでもいい内容から、遊びの約束や待ち合わせの時なんかに利用してきたが、ある日を境に見知らぬ相手からのメールが届くようになった。登録した覚えのない宣伝らしくメールが週に2・3通ほど入るようになっていた。はじめは訳が分からなかったが、友達によれば数字の組み合わせによる単純なアドレスだから、発信元は適当に組み合わせて無作為に送っている、また意図的にアドレスを収集しているところもあるとか。防止するには複雑なアドレスに変更した方がいいと勧めてくれたが、何分無精なたちなので特にこれといった対策を講じることはなかった。

 そのうち、宣伝メールだけではなく、見知らぬ個人からも来るようになった、いわゆる「メル友」というやつである。これも、相手は誰でもかまわないからとにかくまずは送ってみて、その後は成り行き次第という、無作為な発信に他ならない。これもきっと思いついたでたらめな数字を組み合わせて送ってきたものだろう。

 初めてきたのは「友達になろうよ」という、冷静に考えれば何とも奇妙かつ無神経極まりないものだった。そもそも友達なんて、そう簡単にできたり誘えるものではないだろう。何分、何も知らなかったので少々気味悪く思えたが、いたずらな好奇心もあって、僕の方からもほんの一言だけメッセージを返した。返事はすぐにやってきた、これには正直驚いた。きっかけは相手からにしても、こちらのレスポンスに対してきちんと意思表示を示してくれた。しかも、どこの誰だか分からない見知らぬ人から。

 僕は少なからず、この「未知の相手」とのやり取りに、沸き立つ興奮と喜びにも似た感動を覚えたものだ。この時を境に、僕はすっかり「メル友」とやらに嵌ってしまった。この時に得られた感激なんてものは、ただ単に知らない相手との交信がうまくいったというもので、おそらく小さな子どもが手作りの糸電話の紙コップから、遠く離れた友達の声がはっきりと聞き取れた時の感激と同じ種類のものだろう。

 だから、お互い送り会う内容なんてたかが知れているもので、単なる「おはよう」や「おやすみ」といったどうでもいい挨拶から、今日は何があったかとか明日は何するつもりだなんて、これまたどうでもいい個人的なことを伝える。不思議なのは、ほとんど見ず知らずの相手なのに、わりと自分のスケジュールといったプライベートなことまで書けてしまうことだ。そして、相手によってはメールの内容から何となく親しみが沸いてきて、メール交換を重ねるうちにどんどん自分の中での相手に対する信頼感や親密さなんかが高まってくる。こうなると、だんだんメールの内容も深くなってきて、自分の身の回りに対する不満や愚痴をぶつけ合ったり、時には悩みをうち明けたり相談を持ちかけるなんてこともあった。

 「見知らぬ人」、「自分以外の周囲の人間は全く面識のない相手」、このスタンスが僕にとって都合がよく居心地のよいものであった。人との関わりなんてものは、とかく自分の行動できる生活範囲内で形成されるものである。家族・親類・地域・学校・趣味・アルバイト先等々、そこには必ず集団があって、そこに自分自身がうまく組み込まれることによって人付き合いが生まれる。だから、たいていの場合自分の知人・友人は、同じグループ内の他の人も知っていて、結局のところは小さな人間集団の中に生きているのである。

 それに比べて「メル友」とは奇妙な関係である。本当に偶然が呼び起こした出会い。きっと、自分の生活範囲なんか軽く飛び越えた人間と意志の疎通が取れる。他の誰もが知らない、僕とそいつだけの関係。そんな孤立した関係の中に親密感が生まれると、かえって身近な友達よりも率直にうち明けられる気持ちになる。いや、正確に言えば、身近な友達関係だからこそなかなか話せないことが話せる開放感がある。例えば、周りのヤツに安易に「恋の相談」なんて持ちかけたら、どっから話が漏れ広がるか分からない。関係のないヤツまで野次馬根性丸出しで首つっこんでくるだろうし、何よりも気になる彼女の耳に入ったりでもしたら最悪だ。そんな心配のない、ある種の共通の秘密が抱ける間柄だからこそ、気兼ねなく開放的になれるのかもしれない。だから、僕の「メル友好き」は、友人知人、誰一人もしらない秘密なのである。

 お互い、そんな「会話だけの関係」を楽しんでいるだけだから、メル友から一歩踏み出して直接会おうなんてことを臭わす発言は、暗黙の了解としてタブーになっている。世の中には、メール交換をきっかけに直接会ったりして関係を深めているケースも少なくないようだが、基本的に僕はそこまで求めない。「メル友」として関係を深めることには賛成だが、それをきっかけに実際に会ったりしようとは思わないし望んでもいない。基本的に、僕はこの「見えない関係」が好きなのだ。曖昧で不可思議で、時として形のない虚像に向かって話しているような感覚もあるけど、ディスプレイの向こう側、目で見るよりも遙か遠くのメッセージだけが実像として残る。重要なのは、お互いのやり取りについて、どれくらいフィーリングが合うか否かであって、乱暴な言い方をすればどういうヤツでもかまわないのである。先ほど、「メル友から一歩進んで」と表現したが、これは「進む」ではなく、関係性の「変化」と言った方が妥当かもしれない。

 僕も、相手には自分の肩書き・性別・年齢、そして「カズ」というハンドルネームしか伝えていない。もし、相手が更なる変化を求めてきた場合、たいていの場合早いうちに縁が切れる。まあ、長続きしたと言っても2・3ヶ月くらいで自然消滅してしまうのが関の山である。自分から誘ったことは一度もないが、昨今においてこのようなメル友募集はわりと頻繁にあるので、とっかえひっかえしながら今まで何人とも通信してきた。

 そして、今僕の形態にメールしてきた「ヒカル」も、そんなメル友の一人だ。頻繁に誘いがあると言っても、そうやたら滅多らにやっているわけではない。一度に交換するのはせいぜい一人か二人、そして今はヒカルが唯一のメル友である。ヒカルとメール交換をするようになったのは、確か2週間ほど前、まだ20日は経っていないと思う。特に無効は何もいってないし、名前(?)からでは安易に結びつけられないが、柔らかな言葉遣いや感受性の強そうな表現からして、多分女性だろうと僕は思っている。こちらはもう長年の経験を積んでいるから、それなりの距離の取り方や話題の振り方なんてものも心得ているつもりだが、ヒカルの方も慣れっこらしく、250文字というとても少ない数の中に、とても感性豊かで鋭い返信をいつもくれる。時にはわざわざ数通に分けて、自分の思いや考えなんかを一生懸命伝えようとする人だ。その言葉たちが、僕にはとても的確で、メールから非常に頼りがいのある心強さのようなものを感じさせる人だった。

 そんなメールを毎回よこしてくれるヤツはとても面白いし、僕の中での信頼感はぐんぐん上がっていったことは言うまでもないだろう。

 そして昨晩、おそらくちょうど昨日の今頃、僕は今までくすぶっていた思い、送っていいかどうかとても躊躇していたことを思い切ってメールにしたためた。それは

 『突然だけど、込み入った個人的なことだけど聞いてほしいことがある。相談に乗ってとまでは言わないけど、君さえよければ聞いてくれないかな。 カズ』

というものだった。あまりにも唐突すぎるから行き過ぎかなと少々気になりながらも送った数時間後、ヒカルからの返信が返ってきた。それが今朝の早朝3時半過ぎに着信していたメールだ。

 『大したことは言えそうもないけど、私でよければお話を聞きます。 ヒカル』

 それから一時間もしないうちに僕はヒカルにメールを送っている。

 『実は、僕にはつき合っている彼女がいます。もうすぐ1年になるけど、学生から社会人になってからというもの、何か以前とは変わってしまったような、特に最近は強く感じます。うまくは言えないけど、すれ違いを感じるのです。今晩その子に会います。そうすればもっと具体的に言えるかも知れません。そしたらまたメールします。 カズ』

 限られた文字数だからと言って、そして目覚めたばかりの頭とは言え、もう少し簡潔に筋の通った文章にならないものかと後々になって反省した。だが、おそらくこれが当時、いや今の僕の率直で簡潔な表現なのだろう。こんな不躾なメールを受け取ったヒカルはどう思うだろう、愛想を尽かしてしまうだろうか。それならそれで仕方がない。

 だが、そんな僕の心配にお構いなく、ヒカルは返事をよこしてくれた。僕は目的駅で下車し、連絡通路口につながる改札には向かわず、目の前のホームのベンチに座り、再びポケットの中の携帯電話を取り出した。

 『デートはどうでした?かなり微妙な関係らしいですね、ちょっと返事に困ってしまうのが正直なところです。でも、もしよろしければどんな風に変わったのか、どんな時にすれ違いを感じるのか、差し障り無ければ教えてください。 ヒカル』

まあ、あんな内容のメールならばこれが誠心誠意を尽くした内容と言えよう。少なからず、僕はヒカルが無視したり変にはぐらさなかったこと。そして、おそらく単なる興味本位ではなく(と信じている)、ヒカルなりに相談に乗ってくれようとしていることが嬉しくて、ヒカルでよかったと正直胸をなで下ろすような安心感と心強さを感じた。

 「どんな風にか…」

と僕はヒカルからの返信を眺めながら、自分と真理子との関係にどんな悩みを抱いているのかをゆっくりと整理し始めた。「教えてくれ」という言葉に甘えて、こちらとしてもできるだけ詳細に伝えねばと思い、複数になってしまうかもしれないが、できるだけ簡潔に、そして詳細な内容を伝えるべく、僕は電話の上に指を走らせた。(続)

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