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 真理子と出会ったのは大学4年の秋のことだった。取りあえず、付き合った期間に差はあれど、高校のときから「ガールフレンド」と呼べる子とは何人かと付き合っている。4年生のころ、もうその頃には、この厳しい就職戦線に何とか生き残り、今の会社から内定をいただき、後は卒業するばかりと、現在の単位数と受講している講義の出席日数の計算に頭を痛めていた頃だった。

 真理子との出会いは、僕の少ない恋愛経験ながらも、今までとはちょっと違った形で訪れた。その年の秋、いまだに付き合いのある高校時代の友達から今度ライヴするから是非来てくれと誘われた。そいつは親しくなった高校の時からバンドに熱中していて、学校の軽音楽部だけでは飽き足らず、どこでどうやって知り合うのか積極的にいろんな人とバンドを組んで活動していた。そんな繋がりもあって、大学に進学した頃にはオリジナル曲を作っては都内各所の小さなライヴハウスにも出るようになっていた。

 ただ、アマチュアバンドが場所を借りてライヴをする場合、そのライヴハウスに支払う代金として、ある程度チケットをそれぞれが売りさばかなければならないのである。もちろんノルマに満たなければ、自腹を切る割合が大きくなるわけだ。経済的に苦しいアマチュアバンドマンにとっては、かなり重要な問題である。こういうとき、演奏のうまい・下手なんかよりもどれだけたくさんの友達を持っているかが重要になってくる。そこで彼の場合、僕がチケット購入有力者リストの一人に挙げられ、ライヴの度に来ないかと誘われるのである。

 チケットもそんなに高いわけでもないから、僕のほうでも、特にこれといった用事がなければたいていの場合買っているので、彼にとって見れば格好のお得意さんになるのだろう。ただ、僕自身音楽は嫌いではないが、彼が好みやっている音楽が少々趣味に合わない、パンクロックなのである。あの耳を劈くようなギターの音にしろ、下っ腹を突き抜けるようなベースの音にしろ、後頭部を直接打ち付けられているようなドラムの音にしろ、どうも聞いているだけで霹靂してしまう。ヴォーカルの口から飛び出す歌詞も、なんかただ単に今の社会に対する不満とか愚痴とか反発ばかりで、何かついていけない自虐的なものを感じてしまう。元々派手なものや騒がしいものが好きではない性格なので、この手の音楽は理解できないのは自然なことなのだろうが…。だから、僕は純粋に彼のバンド・音楽を楽しむというよりも、単なる彼の友人として付き合っているだけにすぎないのだ。

 ライヴが終われば、お約束の打ち上げ。もちろん打ち上げにも誘われるのだが、彼のバンドだけではなく複数のバンドが集まっているオグニバスライヴなので、打ち上げ会場はかなり人も集まり活気付いている。ただ、会場には大勢いるが、結局のところはバンドごとにいくつもの人の輪ができているので、限られた人との交流しかない。そんなに積極的に人の交わりを求めるようなタイプではないので、こういう形のほうが僕としては居心地がいい。

 しかし、その日だけはいつもと違っていた。ライヴが終わり、確か下北だったと思うがみんなで駅前の某居酒屋へ打ち上げとしゃれ込んだ。前もって予約をしておいたので、あっという間にお座敷二部屋は満席になり、僕もみなに習って着席した。今回は二つの部屋のふすまを外し、大きな長テーブルを繋げただけのセッティングであったこともあり、いつもの固定メンバーが崩れて各々がバラバラに入り乱れていた。僕の左右前方に並ぶ顔ぶれはあまりなじみはなかったが、一緒にライヴをする対バンはすでに定着している連中ばかりなので、今まで直接口を聞く機会はなかったものの、お互い見かけている顔なのであまり初対面という感じは無かった。

 生ビールやサワーで乾杯し、お互いそこそこ酒が入ると口も軽くなり「どうだった?」とか「誰の友達?」なんてフランクに会話を挟める雰囲気ができてきた。こういう時、酒とはホントにありがたい引き立て役である。周りの雰囲気が砕け始めると、友達同士なのだろう、それまで僕のまん前で2人きりでしきりに話していた女の子たちも徐々に意識がこちらに向き、僕らの輪に混ざるようになってきた。真正面にいる女の子だけにしゃべる切っ掛けはないかとずっと気になっていたから、彼女らがこちらに興味をよせてくれたことは実は嬉しかったのだ。

 こうなれば進行は早い、会話の中で片方が名前や形態番号やメルアドを教えてくれれば、もう一人からも芋づる式に教えてもらえる。一人の女の子のガードを崩すのはかなり難しいが、ひとつの女の子のグループのガードを崩すのはわりと容易なのである。彼女たちは2人とも、別のバンドのメンバーの友達らしく、やはりよく誘われるそうだ。彼女たちの友達のバンドと彼のバンドはよく対バンするので、彼ら自身は面識があるのだろう。どおりで、何となく顔に見覚えがあると思ったら、前にも見かけていたのだろう。

 一頻り話が弾み、解散後まだ時間に余裕があることと帰る方向が一緒ということもあり、僕と誘ってくれた彼と彼女たちの4人で喫茶店でコーヒーでも飲むことになった。始めは4人で和気藹々と話していたが、だんだんとお互いの真向かい同士で話が弾むようになっていた。

 彼女は元来話し好きらしく、こちらの話に対して表現豊かに内容を脹らませて返してくれる。その人見知りの無さと明るい態度と発言にとても好感が持てた。彼女も僕の返答に、ショートカットの髪をゆらゆら動かしながらケラケラとよく笑った。

 その後は特に連絡をすることも無かったが、一ヵ月後に行われたライヴに彼女もいた。「お久しぶり」と向こうから声をかけてきて、少々戸惑いつつも嬉しくなったのをよく覚えている。その日のライヴ亜もちろん、終演後の飲み会の席でもほとんどずっと2人きりでたわいの無い話に花を咲かせていた。

 今回の再開を切っ掛けに、僕らは個人的に連絡を取り合ったり、時間が合えば夕食を共にするようにもなっていた。この頃から、薄々は感じていたが、彼女も僕もだんだんと互いを意識するような関係になっていた。それが真理子だった。

 「今までとは違った形」というのは、僕がこれまで付き合ってきた子たちは、クラスメイトであれ部活動であれ、サークル・ゼミ仲間と、いつも限られた集団の関係の中でお互い長い時間を共有する中でお互い関係を深めていく。つまり、別に関係を持つ持たないに関わらず、相手がどう言うヤツかを知る猶予期間がある。この期間、馬が合えば友達からより親しい関係へ、そして更に一歩踏み出してお互いの気持ちが一致すればいわゆる「恋人」となるのだ。順序をしっかりと踏まえている分、お互いをそれなりに熟知もしているしどういうスタンスを図ればいいかも判っているつもりだ。逆に言えば、こういう風にある程度プラトニックな関係の積み重ねが、結果として「恋人」なんて呼ばれるのではないかとも思う。

 そういう僕なりの恋愛美学もあって、真理子のようなケースは、「出会い」→「恋人」と一足飛びした感があったので「違った形」と表現したのだ。

 単なる僕の考えすぎか、そんな僕の理屈なんかお構いなしといった感じで真理子はとてもあっけらかんとしている。まあ、恋愛を通じてお互いを知るということもあるから、もしかしたら、「出会い」→「友達」→「恋人」という順序の図式があるとしたら、「出会い」→「恋人」は関係を飛び越しているように見えるが、実はただこちらがそれぞれの間柄に名前を付けているだけで、言葉の点から飛び越しているように見えるが、実際の関係としては全く同じ順序を辿っているのではないかとも思い直したりもしている。

 真理子も僕も、翌年には卒業を控えた社会人予備軍だ。次の春がくれば、それぞれ学生から社会人へと、飛躍的な変化を遂げる時期になる。そんな人生の狭間、転換期に僕らの交際が始まったのだ。

 曇天模様だが、午後には雨はやんでいた。僕は待ち合わせに指定したショットバーで、ペルシアーナ・ハイボールで軽くちびちびとやっていた。アルコール分が少なく、ミントの清涼感溢れるカクテルだ。時間は7時前、飲むには少々早い時間かもしれないが、僕も真理子もお酒が大好物で、お互い一時期バーテンダーぶって自宅でシェイカーを振っていたこともあった。カクテルは僕たちの共通の話題の一つなのである。

 この店「bar中沢」も、僕らが見つけた秘密の場所だ。繁華街の大通りから路地を一本隔てたところにあるのでちょっと見は目立たないところに位置しているが、こじんまりとした店内には、いつも僕らのようにカクテルをちびちびなめながら楽しいひと時を送る人たちがいる。マスターも店の繁盛には無頓着な人らしく、店の宣伝をすることは無い。よって、ここに通う常連客は、自分たちだけが知っている「隠れ家」的なスポットとしてカクテルを楽しみ、またそんな秘密を持っていることを心のそこでほくそえんだりしているのだ。

 腕時計に目を落とすと、約束の時間を少々過ぎている。ペルシアーナは、もうグラスの半分ほどいただいてしまった。手持ち無沙汰も手伝って、再びグラスを口元に持っていったとき、斜め後ろの法から「カランコロンン」と軽やかなブリキの音がして一瞬夜気が店内に割って入ってきた。(続)

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