第3話 ラプンツェル②
美耶子さんや、凌辱されていた少女自身に諌められ、芝居がかった仕草の桐月の話を聞く事にしたが、最初から信用出来る男の話でもない。俺自身、彼女を目にした時、12年前と全く変わらない姿だと認識はしたが、何分、子供の頃の記憶だ。姉妹や親族、印象が似ただけの赤の他人だと言われたほうが、不死の存在を受け入れるよりむしろ理屈が通る。
「ああ、試したからな」
うん?
当たり前のように返される桐月の不意討ちに、認識が追い付かなかった。
この男、今何て言った?
「切り傷擦り傷程度ならすぐに塞がっちまう。切り落としてみても、繋がるどころか翌朝には生え変わっていやがる」
どこか得意げに話す桐月。
理解が追い付くに従い、じわじわと、灼けるような凍えるような感覚が、背骨に溜まって行く。
小指から順にゆっくりと、痛いほど強く握り込んだ震える拳を、だが幼なじみの小さな掌が押し留める。
「おいおい、そんな目で見るなよ。遺産の検分は当たり前の権利であり、義務ってもんだろ?」
悪びれる風もなく、肩をすくめる桐月。
「主になりゃあ、好き放題。どんなプレイもお望みのままだ。姫の話じゃ、手を付けなかった主は今まで一人もいないって話だぜ?」
もっとも、そんな物は余禄に過ぎないがな。そう嘯いて、くつくつとさも楽しそうに嗤う。
「それに、俺だけじゃねぇ。望んだ奴には、平等に試す時間を割り当ててやったんだぜ? 勿論、美耶子にもな。当然、お前にも権利がある。ヤリたい盛りだろ? アイルランドくんだりまで来た記念だ。相続を望もうが望むまいが、お前にも味見させてやんよ」
「誰がッ!!」
爆発し掛けた怒りは、微かな衣擦れの音で遮られる。
引き裂かれたドレスを脱ぎ捨てた姫の白い背中を目にし、反射的に目を逸らす。
今の今まで裸よりも扇情的な姿だったとはいえ、女性の脱衣をまじまじと見る訳にはいかない。
気勢を削がれた俺は、桐月の話もあって、なんだか隣に座る江間絵とも視線を合わせる事さえ気まずい。
「お湯を使わせるわ。そろそろ私の時間でしょ」
姫をここから出さずに過ごさせるためか。部屋の片隅には湯浴みが出来るようバスタブが置かれていた。
屍織姫を誘った美耶子さんがシャワーカーテンを引くと、俺はようやく平常心を取り戻せた。
配偶者も子供もなかった伯父が残した遺言は、実に奇妙なものだったらしい。
『決められた日、決められた刻限に、姫のもとに魔女が訪れる。それを退ける事ができた者が、全てを自由にする権利を手に入れる』
正式な効力を持つ唯一の遺言書の内容は、それが全て。
そっけない内容のため、見せられた現物の書面は、俺程度の言語力でも読み下せる物だった。弁護士によると、死の直前に書き直されたものらしい。
「富を生み出す屍織姫の存在が本物だって事は、この魔女ってのも、そう呼ばれるだけの何者かだってこった。ばかげた話だと取り合わないヤツや、多少興味があっても危ない橋は渡りたくねえってお利口さんは、姫の味見をさせてやった後、たっぷりと餞別を持たせて帰らせた」
ソファに深く身を沈め、ウィスキーの瓶をあおる桐月。
「法がどうとか倫理がどうのとか知った風な口を叩いてごね出すのもいたが、雷塔や左文字と一緒に社会のルールをお勉強させてやったら、帰る頃にはずいぶん物分りが良くなってたぜ?」
楽しげにくつくつ笑う酔漢。下衆な物言いに一々反応してもいられない。
「……まだ『遺産』の話を聞いていない」
「ああ、そうだったそうだった……」
大げさに手を広げ、深く頷いて見せた桐月は、幾つかの企業の名を上げた。俺でも知っている電子機器メーカーや、耳にした事はあるが深くは知らない企業――江間絵の耳打ちで、兵器企業だと教わる――。表には名前は出ないが、荒造伯父はその大株主であったり、実質的な経営者であったという。
「姫がいるから株や経営権を手に入れられたって事かな? 幸運をもたらす家霊みたいなもの?」
興味を持ったらしい江間絵が小声で囁く。少しだけいつもの調子を取り戻したようだ。コボルトやシルキー、ウァグ・アット・ザ・ウァだの、ここに着くまではずいぶん楽しみにしていたのを思い出す。
「いや、もっと直截的な話だ。屍織が紡ぐ、屍織にしか紡げない糸に価値があるのさ」
右手の人差し指をすっと滑らせ、桐月は糸を弾く仕草をしてみせる。
「切れず焼けず粘り強い。水晶よりも透明な銀糸。プレート要らずで従来品以上のボディーアーマーでも、損失率0の光ファイバーでも作り出せる――もっとも、量が少ないから、今はオリジナルを模倣させてコピーを作ってる段階らしいがな」
俺が継いで増産の目処を付けてやんよ、と続ける桐月の話を、もう幼なじみは聞いていない。ハベトロット!? 糸紡ぎの妖精なんだ!! とテンションを張り詰めてゆく。そんな2人の様子より俺は、シャワーカーテンの向こうが気になりだしていた。
いや、別にいやらしい意味ではない。水音に雑じって絶え間なく漏れ聞こえていた美耶子さんの声が、次第に声量を増していたからだ。最初は姫を気遣うだけの物だったが、いつの間にかなじる口調に摩り替わっている。
「……ああもう、こんなにこびり付いて。臭い! ……ひどい臭い!」
「……すまぬのう……」
「……だいたい、何で好き放題させてるの! 嫌ならちゃんと意思表示しなさい! ……擦っても擦っても臭いが取れないじゃない!」
「……痛ッ……じゃが、決まりごとゆえ……」
「口答えするの!?」
甲高い悲鳴が響く。
姫の声だ。
桐月はニヤニヤしながら瓶を傾けている。
俺の躊躇を察したのか、固まりかけていた幼なじみがソファを離れ、ギュっと目を閉じたままカーテンを引き開ける。
バスタブの中、屍織姫が左手で己が右手首を握り締めている。
その右中指は、美耶子さんによって手の甲に届くまで折り曲げられている。
鬼女のような美耶子さんの表情と、苦悶を作り笑いで塗り替えようと努める姫の歪んだ顔を目にし、今度こそ江間絵の身体が凍りつく。
「――あんた何を――」
「今は私の時間なの! 口を出さないで!!」
激情のままに姫の前髪を掴み、バスタブの縁に叩き付ける。
駆け寄り叔母を姫から引き剥がそうとする俺を、制止したのは姫自身だった。
「よい……美耶子の気を害した、わらわが悪い。すまぬのう」
「ごめんね屍織……あなたが本当はあんな事されるの嫌だって、ちゃんと分かってるから。私があなたをあの男達から救ってあげる」
自らが傷付けた姫の手を取り、熱っぽく語りかける美耶子さんの瞳に浮かぶ病的な光に、二の腕辺りが粟立つのを覚える。
それよりも尚。叔母の髪を優しく撫でながら、怒りや恐れを欠片も覗かせることなく。割れた額から流れる血も拭わぬまま。ただ慈愛に満ちた眼差しを投げかける姫の方に、俺はより深い狂気を感じた。
「ご挨拶だな。お前より断然女の扱いは分かってるつもりだぜ?」
軽口を返しつつソファを離れる桐月。
「俺達が屍織の身体を好きにする事を望んだように、このメンヘラは自分を愛せと望んだって訳だ」
期日にはまだ少し間がある。明日は一日お前に姫の相手をさせてやる。
俺に告げ、皮肉めいた表情で部屋を後にする、無頼漢に続くべきなのか否か。
決めかねたまま俺たちは、歪んだイコンを見詰め続けた。
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