17. 初めての契約



   † 



 そもそもの発端は、刃兎ブレードラビットの肉が美味かったので「売れるんじゃないか?」と思ったことだった。


 売ると言っても、やり方は色々あるだろう。

 それこそ露店でも開いて串焼きを販売するのも手だ。


 だが直後にぶち当たった問題は、商売の元手が全く無いってことだった。むしろ俺たちが抱えている問題そのものなのだが。


 露店を開くにしろ、準備には相応の金が掛かる。素人の俺がぱっと思いつくものだけでも、露店準備、調理器具、焼くための燃料、肉の鮮度を保つ保管手段、そもそも露店を開くのだって管理組合に登録費用を払わなきゃならないらしい。


 そう言った必要経費の諸々を支払うことが、俺たちには出来なかった。


 勿論冒険者として活動すれば何カ月後には経費を賄うこと自体はできるだろう。

 だがここのところ毎日のように冒険者ギルドに出向き、森へと出向くことで感じたのは、それでは遅いってことだった。

 冒険者ギルドでは、低ランク冒険者たちの兎被害が問題視され始めていた。俺だって危なかったんだから、そろそろ怪我人ではなくて人死にが出るかもしれない。幾ら冒険者が自己責任の職業っても限界はある。

 冒険者ギルドが本腰を入れて中級以上の冒険者に対策を依頼すれば、刃兎なんて簡単に数を減らすだろう。

 そして俺たちはそのおこぼれに預かれるかどうか期待するだけになってしまう。

 そもそも兎の数が減ってしまえば、商売に必要なだけの数を用意できないかもしれない。


 つまり、そうなってしまう前に何らかのアクションを起こさなきゃならなかった。


 次に考えたのは、分担だ。

 俺たちが仕入れて、誰かに売ってもらう。またはその逆。

 そうなると誰か信頼できる相方が必要ってことなのだが、いかんせん俺にはこの世界で、クラサ以外に知り合い自体が存在しない。友だち少ないってレベルじゃなくて、マジでいないからな!


 そこでクラサに相談してみたところ、こいつは自信満々に、


「それだったら丁度いい人材が一人、心当たりがある。彼女だったら手広く商売をやってるからきっと上手く行くだろう」


 胸を張ってそう言い切りやがった。

 そんな奴がいるのかどれどれ、などと呑気なことを思ったのも束の間、紹介してくれる相手っていうのがこの国の経済界を牛耳ると言っても過言ではない大商会のトップだったわけだ。


 おかしい。スケールがでかすぎる。

 俺はほんのちょっと、兎を露店で売る算段を考えてみただけなのに。

 そして行く行くは事業を拡大してフランチャイズでこの王都中に、いや王国中――いっそ大陸中に……!!


 なんて夢想をしてみたものだが、考えてみたら五年足らずでまた借金が増えるのだから、そんな悠長なことはやっていられないのだった。

 大体刃兎だって現在の異常増加は一時的なものだっていうのに。


 何故兎の増加が一時的なものと言い切れるのか。

 刃兎は滋味たっぷりの薬草を餌にしていて、その薬草が何年だかの周期ごとに大繁茂しているからだ。


 兎は別に分裂したんじゃない。

 餌が増えたから、兎も増える余地ができたってだけだ。


 逆に言えば、薬草の繁茂期が終われば兎も例年通りの数に落ち着くはずだ。

 一定以上兎が増えれば、やがて餌である薬草の数が食われ過ぎて兎全体の数が維持できなくなる。自然界のバランスってのは、そうやって成り立っているものだしな。

 兎被害対策にマジになった冒険者ギルドってのも有り得る。


 その時間制限のことを考えると、ジャネイレーラ商会のトップに話ができるって言うのはチャンスじゃないかって、思ったんだ。


 そこからはもう、時間との勝負だった。

 可能な限り王都郊外の森で過ごしながら、同時に刃兎の生態について可能な限り調べて、転写魔術紙を購入し、クラサに探査魔術を使ってもらって……


 ああもう、散々動き回ってめっさ疲れた。


 でもその甲斐あって――狙った大物が釣れた、かな。


 釣られて貰ったっていうのが正しいかもしれないけどな。




  †




「はーっ、はーっ、ふふ、あー、笑ったわぁ。つい先ほど大笑いしたばっかりだっていうのに、まさかまた笑わせてもらうなんて思いませんでしたわ」


 そう言いながら、リオールさんは眦の涙を拭う。笑い過ぎてちょっと呼吸困難になりかけていたしな。それだけ笑ってもらえたら、頑張って考えた甲斐があったっていうものだ。


「そうね。いいわ、タスクさん。情報料として、一割。お支払いいたしますわ」

「ありがとうございます」

「…………」


 リオールさんの返答に、俺は謝辞と頷きで答えた。

 串を咥えながら事の流れを見守っていたクラサは、軽く驚いているようだ。


「どうした?」

「いや……正直ここまでやるとは思ってなかった。精々今日は顔合わせくらいで終わるものかと思っていたから」

「お前はお前で、どうしてそう呑気に構えていられるんだ……」


 てめぇの借金だろうがよ。


 だが確かに、出来過ぎた結果ではある。

 むしろリオールさんに温情を与えてもらったようなもんだしな。


「では、ラウケ」

「はっ」


 リオールさんが背後に控えたラウケさんを呼び、何かを言い含めている。


「……かしこまりました。では、その内容で冒険者ギルドに依頼をお出しいたします」

「頼んだわ」


 ラウケさんが、背後に控えたメイドにメモを渡しているのを見て、俺は立ち上がった。


「では、商談もまとまったことだし、俺たちもそろそろお暇するか」

「えっ、泊っていくんじゃないのかい?」

「えっ、なんでリオールさんじゃなくてお前がそんなこと言うわけ?」


 もし商談が上手くまとまったら、早めに外に出るぞって予定したいただろうが。


「あら、もうお帰りになりますの? 姫は残りたがっているようですが……」

「いやあそうしたいのは山々ですし、もっと貴女と話をしたいのですが、そうもいかない用事がございましてですね……ほら行くぞ! 未練がましく皿を見てるんじゃねぇ!」

「そう。残念だわ。とっても楽しい時間だったのに、もう終わってしまうなんて」


 微笑むリオールさんに、俺も精いっぱいの笑みを返す。


「俺も残念です。ですが、これからも機会はいくらでもあるでしょう」

「そうね。ラウケ、お二人を馬車でお送りして」

「はい、かしこまりました。ではこちらへ」


 そうして、俺とリオール・ジャネイレーラと最初の会合は終わりとなった。

 お土産として持たされた兎の串焼きの包みを抱いたクラサと、冒険者ギルドにリオールさんの依頼を提出するラウケさんとともに馬車へと乗り込む。


 ガタガタと揺れる馬車の中。

 

「それでお二方は、郊外のお屋敷までお送りすればよろしいでしょうか? 何か予定があるとのことでしたが」


 ラウケさんに問われた俺とクラサは、首を横に振った。

 

「いえ、用事っていうのは冒険者ギルドに行かなきゃならないんです。ですから相乗りさせていただいたのはとても助かりました」

「冒険者ギルドへ? 依頼でも受けるのですか? ですが」


 ラウケさんは、馬車の外を見る。

 時刻は昼を回って、三時くらいか。

 いつも通り薬草採取の依頼を受けていれば、そろそろ帰り支度をしている頃だろうか。もっと上の依頼を受ければ数日掛かるなんて当たり前にあるらしいが、今の俺たち(特に俺)に夜営したり野宿したりする実力があるわけではないから危険だしな。

 つまり、今から冒険者ギルドに行っても単日の依頼は受けることなんてできない。


 でも、単日ではなくて期間依頼だったら受ける事はできる。

 つまり「10日間で薬草を5籠分以上」とか、そんな内容だ。


 俺がその説明をすると、ラウケさんは首を傾げた。


「ですが、内容によっては受けた当日も期間内に数えられる筈ですよ。それでは徒に時間を浪費するだけでは」

「そうでもないさ。指定期間が数カ月スパンだったら一日なんて誤差だし、今日受けておけば明日の朝からもう動けるし」


 冒険者ギルドって、やっぱり朝方は凄い混むのだ。

 俺たちが利用している以外にも冒険者ギルドの支部は王都内に何箇所かあるそうだ。それでもやっぱり王都には沢山の冒険者も住んでいるので、下手すれば一時間近く待たされることもある。

 特に俺たちは街の外に住んでいるので、直接現場に向かうことができるだけで朝から時間の節約になるわけだ。


 それに今の中途半端な時間だったら、依頼を受けるにしても待ち時間なんて殆どないに違いない。


「なるほど。いい内容の依頼があると良いですね」

「ある。絶対ある」

「?」


 即答する俺に、ラウケさんが首を傾げる。


「俺が独自のツテで得た情報によると、ジャネイレーラ商会が刃兎ブレードラビットの高額買取をするそうだ。期間は不明だが、商売に利用するってことだから、必要数はもしかしたら四桁五桁だろ。冒険者一組で賄える数でもないってことは、当然複数雇われる。単日でもなくて期間依頼に決まってるさ」

「で、ですがこの依頼はランクE・F限定です! それではクラサさまが参加できませ……」


 そこで、ラウケさんは気がついたようだった。


「指導員制度……!!」

「そう。依頼を受けるのは、あくまで俺。クラサはたまたま指導員として、この依頼に関わるけどね。いや、ホント偶然。マジ偶然怖いわァ」


 俺は串焼きを頬張るクラサを見た。


「ああ、確かに偶然って言うのは怖いものだな。そう言えば偶然なんだが、この前発注した荷車が今日納期だったはずだ。いや、偶然なんだが」

「おお、そりゃ偶然だな!」

「うむ。不思議な偶然もあったものだが、これで沢山兎が積み込めるな! 素晴らしい!」

「明日は朝から森へ直行だな。何頭狩るよ? 十? 二十?」

「何を言うタスク。そこはバーンと五百くらい行こうじゃないか!」

「期間内合計で?」

「バカを言うな。毎日五百だ当然だ!」


 毎日ごひゃくて。


「あ、貴女方は、最初からそのつもりで……!」

 

 開いた口が塞がらない――文字通りそのものの表情で、ラウケさんが驚く。


「ヒャッハァー! 明日から毎日兎を狩ろうぜ!!」

「ふふふ、フハハハハ 待ってろ兎ども!」


 邪悪な笑みを浮かべた俺とクラサは、ゴチンと拳をぶつけあう。


「「刃兎、乱獲祭りじゃあ!!!」」




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