16. 初めての商談
†
「買ってもらいたいものがある」
「――伺いましょう。あなたは何を買い取っていただきたいと?」
「それは、兎だ」
その言葉に、リオールさんは頷いた。
「ラウケ」
「はっ」
リオールさんが声をかけて、背後に控えていたラウケさんが一礼して応える。
「昨晩、クラサさま、タスクさまの連名で館に
ラウケさんがそこまで言ったと同時に、応接室の壁、そこにあった隣室への扉が開く。
その部屋には、まっ白なクロスを引かれたテーブルがあり、色とりどりの料理の数々が乗っていたである。特に目を引くのは、焼き立ての出来たてと一目で判る串焼きである。
思わずそれを見て、俺とクラサは「おお、」と感嘆の声を上げた。
遠くからでも漂ってくる香気。見た目からでもわかる、専門家の仕事ぶり。
お抱え料理人の拵えた見た目からして美味いと確信できる料理に、リオールさんも満足そうだ。
「姫より頂いていた手紙の通り、兎料理をご用意しましたわ。タスク様のご要望通り。そして先ほどの言に拠るならば、買って欲しいというのは刃兎ということになりますが」
楽しそうに、悪戯好きの子どものように、リオールさんは笑う。
既に彼女の中には幾つかの商談のパターンが構築されていて、俺がどう話を展開するのか予想しているのだろう。あるいは、俺がどう自分の意表を突こうとしているのかお手並み拝見、といったところか。
「ですが、商売において商品を吟味も確認もせずに扱うのは愚の骨頂というもの。自らの目で手で、時には香りや味わいも確認することが肝要ですわ」
その言葉と同時に、リオールさんはソファから立ちあがる。
「まずは皆で、商品の品定めと行きましょう。さ、姫」
「ああ。そうだな」
丁度昼時。
予定通り、そして事前にお願いしていた通り、俺たち三人は、ジャネイレーラ家お抱え慮理人が腕を振るった兎料理の数々に、心の底からの舌鼓を打つのだった。
†
「それで、」
と、食後の紅茶を楽しみながら、リオールさんが切り出した。
「――商談の続き、ですね」
一つ頷き、俺は持ち込んだバックから数枚の紙を取り出して、
「ええ、商談の続きもだけど……その前に一ついいかしら?」
「はい?」
「貴女方……特にクラサ姫。普段、一体どんな生活していらっしゃるの?」
呆れたような――というか、実際に凄く呆れ果てているのだろうリオールさんの視線の先には、未だに食事を続けているクラサがいる。積み重ねた皿の数からして、優に三人前を平らげて尚おかわりをしようとしている。
「どんな生活と言われても……まぁ有体に言って、極貧かつ赤貧って奴ですかねはっはっはっ」
「うふぁひをやふひはひへはへふのはひっふぅはんふりは(兎を焼く以外で食べるのは一週間ぶりだ)」
「口の中のもの、飲み込んでから喋れよ」
それは異世界でも現代地球でも変わらないマナーだと思う。
だが、クラサの言っている事は事実だった。
俺の冒険者ランクが低いため、クラサは指導員として同行するのが基本だ。
そして俺が受けることができる依頼は基本的に街中のお遣いクエストか、森の周縁部での薬草採取くらいしかない。当然、報酬なんてスズメの涙だ。
それでも一日の食事代くらいにはなるのだが、現在森では薬草探していれば漏れなく兎が釣れる状況となっている。可食の獲物が取れるとなれば、それを食うしか選択肢が無いが現在のダークウォー家の財政事情である。
そして俺たちには炙るか塩茹で以外の調理能力を持っていないのだ。
他にもっと食材があれば話は変わるんだがなぁ。
そんな俺たちの食生活事情について説明すると、リオールさんは眦に流れる涙をそっと拭った。ふと見れば、リオールさんの後ろに控えるラウケさんの視線が、ちょっと柔らかく慈しみを湛えたものに変わっていた。畜生。
同情するなら金をくれ。十億くらい。
「ま、それはそれとして置いておこう。兎の商談だ」
「そうですね」
「まずリオールさんは、この刃兎食べてみてどう思った?」
「そう……ですね。私、実は刃兎が食べられると知ったのも今回が初めてだったものですから。正直意外な美味しさに驚いたくらいです」
「一番美味しく思ったのはどの料理ですか?」
「串焼きと、シチューですわ」
リオールさんの言葉に、俺は頷く。
「実は王都近郊の森で、現在この兎は増殖しつつあるらしい」
テーブルの上に俺は書類を広げた。冒険者ギルドの記録や魔獣の種類ごとの生態について研究した記録などを漁って、クラサから聞いた、兎が薬草を餌にしているという話、現在薬草が大繁茂状態であることの根拠を探しだしたのだ。
「ちゃんとこちらに、証拠もあります」
また別に広げたのは、二枚の地図だった。
王都近郊の森の全体図だが、片方に赤く塗られた範囲、青く塗られた範囲がある。そしてその二つの範囲は、大体重なるものだった。
「これは……
「その通りです」
「うちの商会でも扱っていますもの。ですが、これは」
リオールさんが台詞の後半、言葉を濁したのは訳がある。
魔道具――その名の通り魔術的な技術を組みこまれたそれら道具類は使用者が魔力を流し込むか、魔物から採れる魔核を仕込むことで様々な効果を生み出す。
定番でいえば一定の高温で発熱し続ける金属のプレートとか、発光する石とか。
んで、この地図もその魔道具の一つだ。
正確に言うと、これは地図ではなくて薄茶色の、転写の魔術を仕込んだ無地の紙なんだけどな。
探査魔術というものがあって、それを使用した術士には、対象物のある場所がはっきりと感じ取れるようになる。
で、その探査魔術の効果が続いている状態で、この紙に仕込んだ転写魔術を発動させれば、脳内地図がくっきりと転写されるって寸法だ。
しかしこの探査魔法、使い手が対象の事を色形は勿論、手触りや重さなどまで正確に知っていなければ精確性が落ちるって弱点がある。
ついでに転写魔術を組みこまれた紙は、単純に高い。
なので探査魔術と転写魔術の紙は非常に相性が良い半面、きちんと使いこなすのは面倒臭く、しかも個人の力量や記憶力に左右される。しかも紙の方は一度きりの使い捨てなのだ。
つまり先ほどのリオールさん、俺たちの財布の事を慮って、言葉を濁したのだ。
なんて言うか、優しさって時に人を傷つけることがあるよな。
薬草採りまくって兎も釣れて、それでもなお俺たちが連日兎しか食べれないっつー台所事情は、このバカ高い紙を買うためだったワケだ。
それもこれも、ここでリオールさんに食いついてもらうため。
「こちらが刃兎の分布で、こっちが薬草……と。なるほど、仰る通り、両者の範囲が非常に重なっていますわね」
「加えて兎の個体数も例年以上……森全体で十数倍って意見まであるくらいだ」
俺はリオールさんを見た。
リオールさんは微笑を浮かべながら、書類の内容を吟味している。
――その瞳が、ちらりとこちらを見た。
ぞくりとする。
その美しい笑みに、心臓を鷲掴みにされた気分だ。
「
「如何様にでも――」
言外に、目でそう伝える。
「数が要りますわ」
「別に俺たちだけでなくて良い」
「つまり?」
「ギルドが買い取るより少し割高で、ジャネイレーラが買い取れば良い。低ランク限定に指定すれば、皆こぞって跳び付くさ」
「……なるほどなるほど」
嬉しそうに、楽しそうに。
「貴女方の儲けはどこから?」
「粗利の一割」
「……ぶ、ふふっ、うふふ、ふはははっ、あはははははっ」
そうぶつけると、遂に堪え切れないとばかりにリオールさんは吹き出し、笑いだした。
場に沈黙が降りる――リオールさんを除いて。
微動だにしないラウケさん、そして壁際のメイドたち。無言で食べ続けているクラ……いやお前、そろそろ食うの止めろよ。恥ずかしい。
「はーっ、はーっ、あー、もう。こんなに笑ったのいつ以来かしら? お腹痛い……!」
「貴女が楽しそうで何よりですよ」
「それで冗談は種切れですか、
「冗談とは?」
「一割は吹っかけすぎでしょう」
ぐい、と顔を近づけ、微笑む。
肉食獣に睨まれたかのような錯覚。
商人――いや、大商人リオール・ジャネイレーラがそこにいる。
だが、ここだ。
ここが分水嶺。
乗るか反るかの瀬戸際だ。
退くな、
「破格でしょう? なにせたった一割で、
「…………!!」
その言葉を聞いた途端。
目を丸くし、言葉を消化し、飲み込んで。
「ふふふ、あはははははははははははははは! ははははは、あははははははははは!!」
今度こそリオールさんは爆笑した。
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