15. 借金事情


  †


 あらすじ。

 冗談で借金帳消しを求めたら、債権者が了承して債務者が拒否したでござる。


  †



「えーっと、待て待て待て待て、ちょっと待て」


 額に手をあてて、状況を整理する。


「今、リオールさん……借金帳消ししても構わない、と仰いましたか?」

「はい。言いましたが、それが何か」


 何かて。

 そんな事もなげに言ってらっしゃいますがあーた。


「……俺の認識が間違っていないのであれば、クラサの借金は十億エズのはずですが」

「間違っていませんよ」

「……俺の認識が間違っていないのであれば、一般的に十億という金額は途轍もない大金のはずですが」

「それも間違っていませんね」

「だけど貴女にとっては端金と?」

「いえ。確かに我がジャネイレーラ商会全体でみれば毎年その数十倍の額が動いていますが、私個人の資産としては大金です」

「……その十億をポイしても構わない、と?」

「はい。全く惜しくはありませんわ」


 俺は額に手を当てたまま、天を振り仰いだ。


「なあクラサ」

「ダメだ。絶対に借金は返す。たとえ何年かかろうと、何代かかろうとだ」


 億単位の借金遺される子孫が不憫でならんよ俺は。

 と、そう思うのだが――ちらりとクラサの顔を見れば、険しい目でこちらを見ている。「絶対に譲らない」と表情に書かれているかのようだ。


「えっと、どうしてリオールさんは、借金をチャラにしても良いと?」

「もう充分に、返済はされているからです――『返済王』という呼び名をご存じですか?」


 リオールさんに問われて、俺は思い至ることがあった。

 初めて冒険者ギルドに赴いた時、周囲の奴らがそんな単語を口にしていた。

 それにクラサ自身も説明してくれた――


「クラサの父親の、」

「その通りです」


 ネクス・ダークウォー。

 クラサの実の父親であり、数年前から行方不明となっているランクAの冒険者。


 ……ランクA以上の冒険者は、一度の依頼や迷宮探索に数か月単位で時間を要する代わりに、莫大な報酬を得ることもあるらしい。数千万、あるいは億の単位で取引される希少な素材を求めて、極地に旅することだってある。

 当然、危険だって天井知らずだ。

 相応に見合った実力と知識、そして念入りな準備をしてなお生還の率が低い超高難易度の依頼をこなす者『たち』だけが、そのランクに到達できる。


 ――そう、ランクAとは個人ではなくパーティ単位で到達するのが当たり前なのだ。


 単純な話、数とは力である。

 独りでできないことも二人、三人だったら簡単にこなすことができる。

 そうでなくとも単純に役割分担することができるだけで作業量は減るし、野宿をする時、夜の見張りを交代できるだけで疲労と危険度をグンと下げることができる。

 

 だから、個人で到達できる冒険者ランクはCが上限だと言われている。

 つまりクラサは、魔法中心の戦闘技能持ちでありながら個人での限界に辿り着いた一目置かれるべき実力者なのだ。


 ランクBを目指したくばパーティを組むしかない。


 だが、『返済王』ネクス・ダークウォーは、到達不可能であるはずのランクAに辿り着いた偉人、英雄、あるいは――異端。


 臨時で別のパーティに参加したり互いに協力し合うことが無かったわけではないが、特定の人物とパーティを組んでいたことは一度もなかった。そう言いきれるのは、恒久的なパーティを組む場合、冒険者ギルドに届け出なければならないしその記録は永く保管されるからだ。

 

 あるいはギルドに届け出ていない外部の協力者がいたかも知れないが――

 

「どうしてネクス様がパーティを組まなかったのかについて、いくつか理由があるらしいのですが、ある時知人にこうぼやいたと言われています。『金のトラブルって怖いよな』、と」


 これまた単純な話だが、多くの人数で依頼に挑めば一人当たりの報酬は少なくなる。

 独りであれば、独占できる。

 最初から独りであれば揉めることも無い。


「ネクス様もクラサ姫同様、父親――つまり姫の御祖父に当たるゼロ・ダークウォー様の遺した借金を返済するために大量の金銭を必要とされていました。多くの報酬を望むならば、独りであることが望ましいと」


 それでなくとも、とリオールさんは続ける。


「上級になればなるほど冒険者は活動にお金がかかります。武器防具の手入れ、消耗品の補充、依頼に関して追加の情報を集めたりしなければならないことも。どれも疎かにはできない重要な問題です」


 上級冒険者ともなれば、活動それ自体に大金が必要ってことだ。

 

 俺みたいな木っ端なら革の籠手(中古)で兎の相手もできるが、そんな装備で幻獣種・ドラゴンを狩りするなんて、考えるまでもなく自殺行為でしかない。

 耐火炎装備、耐状態異常装備を揃えるのは最低限。可能な限り高性能高品質が求められるし、当然質の良い物は値段も張る。でもって、安物のナイフではなく名匠の打った業物でなければ、ドラゴンの鱗に傷一つつけることすらできない。

 それだけでも数千万エズという出費になるだろう。


 その上で戦って、勝たなきゃならないってことだから、もうね。


「ネクス様は、それらの問題を時間をかけることによって解決なされました。コツコツと時間をかけて数々の依頼をこなし、道具や素材を集め、時に自作し、返済の傍ら貯めたお金で武器を購い……実力をつけて。いつしか彼は、ランクAにまで登り詰めていた、と。あるいはランクアップそれ自体は、ネクス様の本意ではなかったかも知れませんが」


「……九百年だ」


 と、そこでクラサが、俺たちの会話に割って入った。


「父は、殆ど休むこともせずに来る日も来る日も依頼をこなした。たった独りで潜って攻略した迷宮の数は大小合せて数百に上るとも言われている。真魔族が長命種とはいえ、当然記録的な行為だ」

「それは……」


 絶句する。


「五百二十七億……だったな」

「はい」

「その数字は?」


 俺が問うと、クラサは応えた。


「祖父ゼロ・ダークウォーが遺した、最初の借金の額だ」

「!!」

「五年ごとに二億以上の利子が付く借金を、父は、九百年以上かけて減らして行ったんだ」


 返済王。

 その言葉の持つ意味を、俺は正しく把握していなかった――そのことに、今気がついた。


「父が今、どこで何をしているのかは分からない。だが、その生涯の大半を費やした借金返済を、私が今さら諦めるなどあっていいはずがないじゃないか」

「…………」


 その言葉の重み。

 なるほど、クラサが借金帳消しを嫌がるわけだ。


「我がジャネイレーラとしては、」

 

 と、苦笑しつつリオールさんは続ける。


「既にネクス様より莫大な金額を支払ってもらっております。とっくに元金の額は超えて、利子を含めればその額一千億。いくらそれが規定の契約とはいえ、十分過ぎるほどに十分。利益第一主義こそ商人の道ではありますが、幾らなんでも毟り取り過ぎれば人道に悖ると非難されるのもまた商人というもの。何度か借金の帳消しを持ち掛けたのですが……」

「絶対に借金は返す」

「の、一点張りでして。せめてもの申し出に、この間の利子分を含めて端数を無くすことを説得に説得を重ねてようやく、という次第なわけです」

「なるほど……」


 肩をすくませて苦笑するリオールさんと、仏頂面のクラサである。

 それでようやく、疑問に思っていたことが解決した。どうして利子分含めて十億ちょっきりと思ったら、そう言うことか。


「私のことを拉致監禁し、高級ホテルのスウィートルームもかくやと言うほど上等な客室に軟禁しつつもてなしながら、怪しげな薬を混ぜた豪勢な食事でこちらの理性を半ば奪いつつする話のことを説得というのなら、な」

「そこまでされてもなお完全には折れなかったクラサ様の意志の堅さ、流石としか言いようがございませんわ」

「待て、色々と待て」


 なんか聞き捨てならない単語が聞こえた気がしたがな!?


 ほほほ、とわざとらしく笑うリオールさん。

 クラサのことを姫と呼び、物腰柔らかいし借金帳消ししてくれるって言うからなんか誤解しかけていたけど、この人はこの人で大概だな!

 そうでなくては大陸有数の商会を率いることはできないということだろうか?


「雑談はさておき――」


 と一言おいて、リオールさんが表情を改めた。

 薄い笑みは浮かべているものの、その瞳には真剣なものが宿っている。

 それだけで部屋の中の気温が下がったような気がする。のみならず、彼女から圧がかかるのを感じる。


 雑談交じりに見せていた私人としてのリオールさんではなく、

 商人として商会のトップに立つ、リオール・ジャネイレーラがそこにいる。


「クラサ姫。今回の訪問は、一体どのようなご用件なのでしょう?」


 その言葉に、クラサは答えない。

 なぜなら今回の訪問を提案したのは俺だからだ。


「買ってもらいたいものがある」

「伺いましょう」


 リオールさんはそう言って、俺たちの初めての、借金返済がスタートした。





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